禁足地とは
進入禁止の地域というは確かに存在しますが本国を含め世の中には禁足地と呼ばれる場所がたくさんあることをご存知ですか。どのような意味でこの言葉が使われるているのかについてご説明していきます。何か恐ろしいものが潜んでいるのか、それとも災いに見舞われてしまうのでしょうか。まずこの語句に関する大まかな概要について迫っていきます。
人が足を踏み入れてはならない場所
実は「禁足」という語句だけ取ると、また違って意味になってきます。それは、内から外へでることを禁ずる場合に使われる言葉になります。時として、罰として外出禁止の時に使われたり、単純にある場所を起点に外へ出てはいけないというパターンもあります。しかし、「地」着くことで、赴いてはいえないという意味に様変わりします。
世界・日本各地に点在している
地球上のさまざまな場所に存在し、さまざまな国にや、もちろんに日本でもあちこちに散らばっています。科学の進んだ現在でも、地方によっては未だその影響は大きく、地元の人々に恐れられているケースも少なくありません。また、踏み込んではいけない理由についてはさまざまなものがあります。大きく識別される理由について次に述べていきます。
禁足地である由来①神聖な場所だから
やはり、何もないのに踏み入ってはいけないなんてことはありません。何かしら所以があるから、禁じられた場所になっていると言えます。ここでは、2.セクションに渡り、主にある理由を挙げていきます。まず、一つ目の訳としてあげられるのは、宗教的なものが関わったり、自然信仰や多神教によるものがあげられます。
禁足地の由来(神聖な地)①信仰上の理由
神々が関わる土地として、入るべからずというものになった場所もたくさんあります。どちらかというと、ここで人々を侵入に思いとどまらせるのは、「畏れ」からくるものです。これは、尊い気持ちや強力な力を信じることから神やさまざまなものを崇めて、それらに対して、礼を逸しないという意味合いが強いことからきます。
禁足地にも変化が
一つのスタイルの在り方として、男子禁制や女人禁制のようなスポットも含まれます。しかし、このような場所は時の流れ手と共に性別関係なく参拝することが可能になったりもします。また、場所によっては管理していた一族の後継者がいなくなって、残念ながらなくなってしまったところまであります。
禁足地である由来②怪談的要素から
他には、「恐れ」から侵入してはいけない地もあります。そのようなエリアにはどのようなものがあるのか、ここでは大方の概要について述べていきます。特に怖さや怪しさを与える物語的な経緯からのものもあります。幽霊、妖怪や怪物といった類のものから、死にまつわる話などさまざまあります。
禁足地の由来(怪談的要素)①特にはっきりした理由がない
怪談や都市伝説と言われるものには、はっきりとしたいきさつがわからないものもあります。有名な所ですと、「八幡の藪知らず」などもそのようなケースに分類されるものとなります。この記事では、怪談的な要素のスポットについてもいくつか取り上げていますので、是非ご覧ください。
禁足地の由来(怪談的要素)②祟りや心霊現象がある場合も
霊魂的な超自然的な人々に災いを起こしたり、何らかの力が働いたりする祟りなどや、現代の科学でも説明がつかないような心霊現象なども場合もあります。祟りと言えば聖天様をご存知でしょうか。様々な利益をもたらしてくれる神様でもありますが、礼を逸すれば祟りが起きるととも言われています。ご興味のある方はこちらもどうぞお読みください。
禁足地①「八幡の藪知らず」
まずは、どんな恐ろしさがあるかご紹介していきます。また、由来にはさまざまな説がたくさんある場所でもあります。祟り的なものから、ある人物のエピソードや、地形による説まであります。そして、今現在はどうなのか気になる方もいるかもしれませんので、この藪についての最近の状態についてもご説明していきます。
禁足地・八幡の藪知らず①神隠しの伝承がある
古くから、この地に足を踏み入れた人間はそのまま消息がわからなくなってしまうという言い伝えがありました。その理由が、このあとに述べていきますが、とてもたくさんの説があります。情報はさだかではないですが、どちらにしても江戸時代くらいには、現地で知れ渡っており、藪の周囲は柵が施されて、侵入できないようになっていました。
禁足地・八幡の藪知らず②不知森神社には入れる
市川市は八幡の藪に対して、不知八幡森と書いて「しらずやわたのもり」と読む板を備え付けています。また、人々には、「しらずもり」や「しらずやぶ」とも呼ばれて浸透しています。原則立ち入り禁止のエリアではありますが、実のところ不知森神社の一部の場所のみ入ることはできるようになっております。
禁足地・八幡の藪知らず③日本武尊の陣屋説
「ヤマトタケルノミコト」は、実在の人物というより、日本における伝説上の人物です。陣屋とは、簡単に言えば役所のことを言います。彼を祀る神社などが、森の中にあることから神聖な場所と定めて、簡単に踏み入ってはいけない所とした説があります。
禁足地・八幡の藪知らず④平家の墓所説
豪族や貴族などの墓としている話があります。特に有名な豪族の墓として上がるのは、平将門や平良将などの平の一族の墓ではないかという話があります。将門に関しては、戦の無念さの点からも、日本ではいくもの祟りに関する話が豊富な人物でもあります。恐れをいだいた人々が、立ち入ることを禁止するように決めたとしてもおかしくないです。
禁足地・八幡の藪知らず⑤水戸黄門が迷って出られなかった!?
諸国漫遊したり、ラーメンを日本で初めて食したことでも知られる水戸光圀ですが、ちょっとしたエピソードがあります。いろんな場所を放浪したというのは記録としては残ってないので、定かではありません。しかし、絵画として黄門さまとこの藪について描かれているものがあります。
神隠しに遭う
八幡宮には、彼が八幡の藪を訪れて、行方不明になったという絵が収められています。この絵には、鬼ような顔したものや、骨とかした死体などが描かれていて、まさに黄泉の国のような雰囲気を醸し出しています。黄門様は、ほんとうに帰らぬ人になるまえに、老人によって助けられ現世に戻ることができたとも言われています。
後付けか?
そのような話は、あるのですか、水戸のご老公の話が出る前から、すでに禁じられた土地とされていた可能性は高いとする説があります。どちらかというと、入ってはいけない土地に、好奇心旺盛でパイオニアの心を持つ光圀が踏み込んで、危うく大変なことになるところだったという展開の話なのかもしれません。
禁足地・八幡の藪知らず⑥中央部の窪地から毒ガスが出ている?
中心に位置するあたりが、周囲より低く落ち込んでいることから、毒ガスがでているのはという話があがったりもしています。しかし、科学的な根拠とするには現状では不十分です。仮に、本当に毒ガスが出ているのなら、現代でも藪の周りを通過した時になんらかの毒ガスに関する事件が起こってもおかしくありません。
禁足地・八幡の藪知らず⑦藪に底なし沼がある?
毒ガスと同様に窪んでいることが原因で、そこに無限の深さを持った沼があるのではないかという話があります。底なし沼と言えば、京都のある怪談をご存知でしょうか。「深泥池」と書いて「みどろがいけ」とも「みぞろがいけ」とも呼ばれるとても恐ろしい沼として有名な場所です。ご興味のおありの方は、是非こちらの記事も合わせてご覧ください。
禁足地・八幡の藪知らず⑧葛飾八幡宮の跡地である?
ここには生き物などを供養する池が存在しています。付近の人々には、そのため池に入ることは芳しくないとされていましたが、供養のための行事が消滅してしまったために、侵入してはならないという言葉だけが独り歩きして残ってしまっているのではないかという説があります。葛飾八幡宮の勧請地だったためという話があります。
葛飾誌略では
1810年に出されていた紙面には、地元の人の話が載っていました。そこには、ご神体を移すにあたっての、一時的な仮の神社だったっと地元の人物が語っているという情報が掲載されていました。葛飾誌略は、現代で言うガイドブック的な役割をしていたもので、実際の郷土インフォメーションだけでなく、他に詩歌なども掲載されていた情報誌です。
禁足地・八幡の藪知らず⑨行徳村の飛び地説
飛び地とは、他の場所に離れて存在する土地のことを言い、ここでは行徳村というところと物理的に離れた場所に行徳村の一部として存在していた土地という意味になります。そのため、八幡の人々はそこにおいてはよそ者になるため入ってはいけないという流れになったのではと言われています。
土地の問題から
最初は、土地がどこに所属しているかの関係で入れなかったものが、いつの日から神隠しに遭うという話に変化していったという可能性があります。実際、禁足地として経緯としては、とてもリアリティのある流れとも言えます。ただし、行徳の飛び地だったという記録自体は特に残っていません。
禁足地・八幡の藪知らず⑩八陣の法の跡説
先ほども登場した平将門を討つために、藤原秀郷と平貞盛が千葉県のこのあたり布陣しました。その際の陣形が八陣の法というものでした。そして、陣の八つの場所の中で死の門にあたるのが八幡の藪のエリアになるとも言われています。そして、将門が討たれた後は、ここへ足を踏み入れてはならないというお触れが出されたという話があります。
八陣の法
時は三国時代の諸葛亮公明、もしくは儒家の祖である孔子が作ったともされています。兵法書に記された、陣のことを言います。陰陽五行説に関係する構成になっており、単純なものではなくさまざまな要素が盛り込まれている陣でもあります。
現在は
このミステリアスなスポットは、本八幡易から数分の距離に位置します。また千葉街道沿いにあって、しかも市川市の市役所の斜め向かい側にあるので、人通りも多く閉ざされた場所にあるわけではありません。確かに、以前は様々な樹木が生い茂っておりとても雰囲気があったのですが、今は孟宗竹が幅をきかせていて、樹木もわずかとなっています。
奥行きもあまりない
藪と言っても、現在は奥行きや幅もあまり壮大とは言い難く、人間が侵入した際に方向感覚を見失うほどのスケールではありません。さらに、昨今では道路を拡張するために、一部が削り取られてしまっています。大昔はとても広かったと言われていますが、すでに江戸時代になると、現代とさほど変わらない大きさになっていたらしいです。
禁足地②常紋トンネル(北海道)
JRの扱っている金華と生田原の両駅の間にあります。トンネルは、たびたび心霊スポットとして話題になりやすいですが、常紋のケースも同じくそのようないきさつから、踏み入ってはいけないと浸透している場所なのでしょうか。ここでは、不随する噂と共に真相に迫っていきます。
禁足地・常紋トンネル①心霊スポットとして話題に
1914年に、このトンネルは開通を迎えました。しかし、成就するにあたって、たくさんの人々の犠牲になっていたという話があります。まだまだ、未開の地であったこの場所にトンネルをつくるというのは、とても過酷な作業だったことが容易にうかがえます。
鉄道ファンの間では
禁足地として現在は知れ渡っていますが、以前は蒸気機関車で有名なデゴイチが撮影しやすかったことから、マニアの間では聖地とも称えられていました。この場所は、周囲の道が舗装が不十分で、クマなども現れると騒がれていて、自然に溢れた場所でもあります。
禁足地・常紋トンネル②実際に人柱が埋まっていた
このトンネルに関わる、芳しくない噂はたくさんありました。合法ではないやり方で、タコ部屋に押し込まれた労働者が働かされているとか、現に人柱が埋まっているなんて話までありました。現在の社会ではとても考えづらい話でもありますが、数十年前ならこのような凄惨な環境がところどころで点在していた可能性は皆無とは言えません。
噂ではなかった
1968年に十勝沖で地震が起きたのです、その際常紋トンネルは崩れてしまいました。なんと、そこから立った姿勢のままの人骨が発見されるというとてもショッキングな事件がありました。しかも、数々の遺体には暴行を受けた後までありました。今現在では、霊を静めるために、慰霊碑が建てられています。
禁足地③ハーディー・バラックス(東京)
東京の外国人などでも賑わいのあるエリアである六本木の真っただ中にある施設です。正式名前は、「赤坂プレスセンター」という名になります。アメリカの軍関係者が、ここをハーディ・バラックスと呼んでいることから、定着してそう表現されています。なぜ、そのような呼び名で呼ばれていて、かつ禁足地という扱いなのでしょうか。
禁足地・ハーディー・バラックス①米軍基地
実は、東京ドームの約半分にもなるサイズの大型のアメリカ軍の基地であり、近くには六本木ヒルズや国立新美術館が建っています。基地内部には、星条旗新聞のオフィス、アメリカの将校たちの宿泊施設が置かれています。日本に返還される予定ではありますが、今のところ具体的な話までは決まってないそうです。
禁足地・ハーディー・バラックス②日本にあって日本でない場所
ここが禁足地となってる所以は、戦後の流れから現在に至り、今もなおここでは日本の法律が通用しない、いまゆる治外法権のままになっており、アメリカの軍関係者の招待で宿泊する以外では入りづらいからです。ちなみに2017年にトランプ大統領が日本を訪れた時は、移動するための拠点として使用されたのは、ここのヘリポートでした。
人名から
バラックスとは、宿泊の場所と言う意味になりますが、ハーディとは何を表すのでしょうか。実は、朝鮮との戦争で亡くなった時の兵士である、エルマー・ハーディ氏の名にちなんでいます。場所をより詳しく記すと、青山一丁目から六本木六丁まで向かう途中に位置する、トンネルのあたりに位置します。
禁足地④剣の池(長崎)
この場所は、長崎県にある無人島である辰の島にあるとされる、神聖な場所として存在しております。この島には、さまざまな言い伝えがありますが、その中でも入るべからずとされている池とはどのような場所なのでしょうか。
禁足地・剣の池①池を覗くと一番欲しいものが浮かんでくる?
かつてこの島はカザハヤという王様が統治をしていて、彼の宝物が池の中にあると伝えられています。そして、人がその池をのぞき込んだ時、自身が一番欲しいがっているものが現れるそうです。しかし、もし手を差し伸べてしまったときは、引きずり込まれてしまうという恐ろしい話があります。
禁足地・剣の池②幽霊や言葉を話す牛も
ここでは、長崎だけに外国人の幽霊が出現したり、人の言葉を話す大きな牛が現れたなんて話があります。しかし、これはなんらかの体験に基づいて語られているものかもしれないと考察されています。それは、奥まった地形を生かして何者かがここにひそかに移り住んでいて、外から来たものがその人物を目撃して、錯覚した可能性もあるそうです。
フェリーで
勝本港からフェリーを使用して、おおよそ10分くらいで到着します。潮が引いているタイミングで、岩場を進むと、赤い鳥居が姿を現します。そして、そこにこの池が座しています。一見、浅そうに見えるのですが、中心になるあたりは深さがあるそうです。
禁足地⑤久高島のフボー御嶽(沖縄)
実は、つい最近日本における天然記念物の名所となった所です。普段は誰も立ち入ることが禁じられた土地なのですが、祭祀がある際は、神女の方のみが入場を許されています。遠い昔から、魂の還る地として、沖縄の人々から神聖なエリアとして認識されています。
禁足地・久高島のフボー御嶽①女神・アマミキヨ伝説による
沖縄を想像した神様にアマミキヨがいます。そしてかの神が作ったとされる、神々を祀ってある御嶽でるのですが、最も重要な御嶽とされているのがフボーのものになります。久高島にあるのですが、島まで行くのにフェリーで25分ほどの時間をゆうします。フボーは、船の待合所からはあるいて20分弱、自転車なら6分ほどかかるそうです。
禁足地・久高島のフボー御嶽②パワースポットとして人気
この島は、レンタル自転車などを使用すれば、1周することもできるぐらい小さいです。ただし、とても美しい景色として定評があり、観光スポットとしても人気があります。そして、フボーに関してはもちろん踏み入ることはできませんが、そばによるだけで神聖な何かを感じることができるスピリチュアルな所として、話題にもあがっています。
禁足地⑥人穴富士講遺跡(静岡)
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」を構成する資産として、世界遺産にまで指定されている場所です。なぜなら、ここには顕彰塔や記念碑等の重要なものがあり、富士山と深い結びつきがあるからです。富士宮の駅から30分ぐらいのところに位置します。しかし、車で行くことに関しては、怖いいわくがつきまとっています。
禁足地・人穴富士講遺跡①木花之佐久夜毘売命などの祭神を祀る
この遺跡では、木花之佐久夜毘売命などの神がいる聖地として認識されています。富士講の祖とされる長谷川角行という人物が、おおよそ1000日間という長い間、そこの風穴や人穴で修行を行っていたという言い伝えまであります。
禁足地・人穴富士講遺跡②鳥居を車で通ると帰れない?
都市伝説にも近い話があるのですが、車で訪れる場合注意が必要です。人穴浅間神社の鳥居があるのですが、通過する際もし車で行ってしまったら帰ってこられなくなるという噂があります。インターネットで広がっている話なのですが、車で通ってしまったものが、帰り道で事故に遭遇したり、霊的な現象を体験したという話があがっています。
禁足地⑦石上神宮(奈良)
大和朝廷に所縁がある、長い歴史がある場所であります。本殿をはじめ、摂社の出雲建雄神社や猿田彦神社など名の知れている所があります。石上神宮は、全てが禁足地というわけではなく、大多数は入っても平気な普通の神社です。しかし、総面積にして1300㎢近くにもなる、入れないスペースを有しています。
禁足地・石上神宮①もとは大和朝廷の武器庫
大豪族として名を馳せた物部氏が祀られていました。石上神宮は神社というくくりだけでなく、大和朝廷にとっては武器庫としての役割もしていました。明治時代には、禁足地とされていたエリアが探索されることになりました。その時、さまざまな宝物が出土されて、ご神体も発見されることになりました。
禁足地・石上神宮②七支刀が出土
掘り起こした中には、なんと伝説の剣として有名な七支刀も出てきて、今現在は本殿の方へ収められています。他にも、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)も存在していると言われていますが、まだ残念ながら見つからないままです。
天理駅が最寄
徒歩で向かった場合でも、30分くらい費やせばたどり着けます。ただ、駅から奈良交通バスが運営する菅原方面のバスに乗れば、とてもより楽に訪れることができます。停車場の名は石上神宮前で、そこから歩いて5分程度で神宮に着きます。
禁足地⑧三輪山(奈良)
ご新山として、人々に敬われていた山です。遠い昔から、神が宿っているところ(古事記や日本書紀でもその記述を見ることができます。)として、僧侶などの一部の人間以外は訪れることはできませんでした。しかし、明治に入ると一般の人々も行くことができるようになりました。
禁足地・三輪山①大物主大神を祀る
日本の神話に大物主という神様が登場します。国津神の主宰神とされている大国主神に対して、国の作り方の知恵を授けた神様であります。そして、その大恩に対してこの神様を祀ったのが三輪山となります。とても深い伝承が関わっている山と言えます。
許可されたとは言え
明治に解禁となったわけですが、参拝するためにはさまざまなルールが設けられています。まず、名前や年齢、さらに住所まで明かす必要があります。そして、参拝するための証としてタスキを与えられて、初めてのぼることができます。
禁足地・三輪山②入山すると不思議な出来事が?
神や何者かのご加護からなのか、入山した時よりも疲れがなくなって、身体が軽やかになって帰られるというありがたい経験をされた方もいるそうです。また、転んだとしても服が汚れずに済んだなどの奇跡を目の当たりにすることもあるようです。ただし、山の中で起きたことは他で話してはいけないとされています。
駅から近い
JRの三輪駅からものの5分で山があります。他には、近鉄の大阪線の桜井駅から行くのも可能です。ただしそのパターンの場合は、駅を降りてからシャトルバスを利用して、三輪山に向かいます。時間にして、20分ぐらいなので、バスからの景色を眺めながら向かうのもひとつの手です。
禁足地⑨氣多大社(石川)
能登半島に位置する大社として知れ渡っています。ここは、あるご加護があると有名ですが、それと同時に禁足地まで存在するというミステリアスな場所でもあります。JRが運営している、七尾線の羽咋駅が一番近い駅となります。そこからバスで10分ほど乗って、一の宮というところで下車して、そこから5分ほどのところにあります。
禁足地・氣多大社①最強の縁結びの神社
能登でもっとも強力な縁結びの神社として、とても人気があります。実は、ここの関わっている神様は大国主神であり、なんと代表的な恋多き神様としても認知されています。毎月1日には、イベントが催されていて、特殊なご祈祷を授かりに来られる方も多いです。神楽なども見られるので、おすすめの神社でもあります。
禁足地・氣多大社②「入らずの森」がある
大社の裏には、1万坪もの壮大な自然に溢れる森林があります。森の奥にはスサノオノミコトと妻であるクシナダヒメがおられるとされ、森の中はその気で溢れていると言われています。スサノオノミコトは、あのヤマタノオロチを倒したことでも有名な神様です。
神職以外は
二神のおられる神聖な場所として、基本的にだれも足を踏み入ることを禁じられています。しかし、神事を行う時は宮司に関しては立ち入ることができます。また、遠い昔から、神職以外は踏み入ることが禁じられている神々しい場所として存在していました。
禁足地⑩出雲大社の八雲山(島根)
出雲大社の裏側は踏み入ってはいけない場所になっているのですが、そこが八雲山となっております。大社の近くの山々は、霊山として祭祀の跡があるところがありますが、山自体がご神体として考えられているものは、八雲山だけとされています。
禁足地・出雲大社の八雲山①スサノオノミコトを祀る
「八雲」とは、スサノオノミコトにゆかりのある言葉でもあります。ヤマタノオロチを倒した際に、クシナダヒメと結婚する時に、ある和歌を詠みました。それは、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣造る その八重垣を」というものでした。また、その時建てた宮殿が須我神社となり、その奥宮は八雲山にあります。
禁足地・出雲大社の八雲山②「かごめかごめ」のもととなった
日本人ならたいがいの方がご存知の童謡ですが、一説には出雲大社を示唆しているのではないかという考えがあります。出雲大社の神紋は六角形になっており、籠の目に似ています。また、八雲山の東と西には鶴山と亀山という関連性を匂わせるようなものまであります。
歌詞は神々を指している?
「うしろの正面」とはスサノオノミコトのことを、「籠の中の鳥」とは大国主神とスサノオノミコトのこと表しているのではないかとも言われています。出雲大社へは、電車の場合出雲市駅から行くことができます。一畑バスに乗り、出雲大社と表記されたバス停で降りると到着です。飛行機の場合は、空港の連絡バスで出雲市駅に行くルートもあります。
禁足地⑪初鹿野諏訪神社のホオノキ
祟りの話が特に強く聞かれる場所に、ホオノキの話があります。まさにご神木の祟りであるようなエピソードがたくさんあります。山梨県の甲斐大和駅を下車して、甲州市立大和小学校の方へ歩いていくと、諏訪神社が見えてきます。ただし、このあたり一帯は、諏訪神社と称されている所がいくつかあるので、注意が必要です。
禁足地・初鹿野諏訪神社のホオノキ①触れれば祟りがあると言い伝え
1900年初頭から半ばにかけて、ホウノキに関わった人々にいろいろな不幸が訪れました。ホウノキの葉で柏餅を食べて人々は集団で亡くなったのを皮切りに、国鉄の職員が線路のケアのためホウノキの枝を掃除したら謎の死を遂げてしまったりなど不審な事件が相次ぎました。
凄まじい影響力
駅の拡張工事をしようとしたのですが、すでに祟りの話が何度もあがっていることから、それを警戒して二度計も計画が中止になるという事態にまで至りました。特に国鉄の作業員が、原因の分からない亡くなり方をしたのは一度だけではなく、より駅関係者には恐怖を与えていたと言えます。
初鹿野諏訪神社のホオノキ②現在でも落ち葉の掃除すら禁止
あまりに恐ろしい話の数々に、今でも少しでも触れることを人々は避けるようにしています。ホオノキ周辺に落ちてる葉っぱでさえ、拾おうとする人はいないぐらいです。さまざまな、話からちょっとでも関われば大変なわざわいが訪れてしまうというような印象が浸透していることが大きいです。
禁足地⑫オソロシドコロ(長崎)
なんと1300年前というかなり昔から入ることを禁じられています。ネーミングからも容易に、危なさが伝わってくることがうかがえますが、はたしてどのようないわくがあるのでしょうか?ここにたどり着くには良山が行く必要があります。公共の交通手段では難しく、対馬の中心から巌島を目指して自身で車で40分ほどかけなくてはなりません。
禁足地・オソロシドコロ①古代信仰が残る
対馬周辺では、「天道信仰」というものが信仰されており、その教えの中で霊山として存在しているのが龍良山です。そして、その山中でも神さまが祀ってあるエリアは、踏み入ってはいけないとされています。オソロシドコロの位置は、対馬市の巌原町浅藻というところになります。
禁足地・オソロシドコロ②誤って入った時の厳しいルール
塩で身を清める必要があり、山の中でたとえ何か持ち物を落としたとして決して拾ってはいけないという決まりがあります。他には、大声を出してはいけない、転んではいけないなどの禁止事項もあり、とても神経を使わなくはならないです。
八丁郭
天道の法師さまのお墓のことを言います。このお墓には決して、御尻を向けてはいけません。そして、参拝をしにきた場合には、うしろ向きに歩いて帰らなくてはいけないという奇妙なルールもあります。八丁郭は、龍良山の南のエリアにあります。
鳥居を通過する際は
自身の履いてるものを頭にのせて、裸足になってくぐらなければなりません。さらに「いんのこ、いんのこ」と言葉を発しながら通らないといけません。とても個性的なしきたりを有する信仰とも言えます。ちなみに「いんのこ」とは犬の子を意味する言葉です。