禁足地とはどんな場所?日本全国や世界に存在するスポットを紹介!

「禁足地」は、足を踏み入れると帰ってこれなくなるという伝承や、祟りが起きる場合もある土地のことです。ここでは、日本や世界にある禁足地とされる場所の由来や入ってしまった時のルールなどを紹介していきます。くれぐれも足を踏み入れることのないよう、注意しましょう。

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彼にはもう八十四日間も一匹の魚も釣れない日続いていた。 釣れない時は、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。

目次

禁足地とは

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進入禁止の地域というは確かに存在しますが本国を含め世の中には禁足地と呼ばれる場所がたくさんあることをご存知ですか。どのような意味でこの言葉が使われるているのかについてご説明していきます。何か恐ろしいものが潜んでいるのか、それとも災いに見舞われてしまうのでしょうか。まずこの語句に関する大まかな概要について迫っていきます。

人が足を踏み入れてはならない場所

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実は「禁足」という語句だけ取ると、また違って意味になってきます。それは、内から外へでることを禁ずる場合に使われる言葉になります。時として、罰として外出禁止の時に使われたり、単純にある場所を起点に外へ出てはいけないというパターンもあります。しかし、「地」着くことで、赴いてはいえないという意味に様変わりします。

世界・日本各地に点在している

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地球上のさまざまな場所に存在し、さまざまな国にや、もちろんに日本でもあちこちに散らばっています。科学の進んだ現在でも、地方によっては未だその影響は大きく、地元の人々に恐れられているケースも少なくありません。また、踏み込んではいけない理由についてはさまざまなものがあります。大きく識別される理由について次に述べていきます。

禁足地である由来①神聖な場所だから

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やはり、何もないのに踏み入ってはいけないなんてことはありません。何かしら所以があるから、禁じられた場所になっていると言えます。ここでは、2.セクションに渡り、主にある理由を挙げていきます。まず、一つ目の訳としてあげられるのは、宗教的なものが関わったり、自然信仰や多神教によるものがあげられます。

禁足地の由来(神聖な地)①信仰上の理由

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神々が関わる土地として、入るべからずというものになった場所もたくさんあります。どちらかというと、ここで人々を侵入に思いとどまらせるのは、「畏れ」からくるものです。これは、尊い気持ちや強力な力を信じることから神やさまざまなものを崇めて、それらに対して、礼を逸しないという意味合いが強いことからきます。

禁足地にも変化が

一つのスタイルの在り方として、男子禁制や女人禁制のようなスポットも含まれます。しかし、このような場所は時の流れ手と共に性別関係なく参拝することが可能になったりもします。また、場所によっては管理していた一族の後継者がいなくなって、残念ながらなくなってしまったところまであります。

禁足地である由来②怪談的要素から

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他には、「恐れ」から侵入してはいけない地もあります。そのようなエリアにはどのようなものがあるのか、ここでは大方の概要について述べていきます。特に怖さや怪しさを与える物語的な経緯からのものもあります。幽霊、妖怪や怪物といった類のものから、死にまつわる話などさまざまあります。

禁足地の由来(怪談的要素)①特にはっきりした理由がない

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怪談や都市伝説と言われるものには、はっきりとしたいきさつがわからないものもあります。有名な所ですと、「八幡の藪知らず」などもそのようなケースに分類されるものとなります。この記事では、怪談的な要素のスポットについてもいくつか取り上げていますので、是非ご覧ください。

禁足地の由来(怪談的要素)②祟りや心霊現象がある場合も

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霊魂的な超自然的な人々に災いを起こしたり、何らかの力が働いたりする祟りなどや、現代の科学でも説明がつかないような心霊現象なども場合もあります。祟りと言えば聖天様をご存知でしょうか。様々な利益をもたらしてくれる神様でもありますが、礼を逸すれば祟りが起きるととも言われています。ご興味のある方はこちらもどうぞお読みください。

禁足地①「八幡の藪知らず」

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まずは、どんな恐ろしさがあるかご紹介していきます。また、由来にはさまざまな説がたくさんある場所でもあります。祟り的なものから、ある人物のエピソードや、地形による説まであります。そして、今現在はどうなのか気になる方もいるかもしれませんので、この藪についての最近の状態についてもご説明していきます。

禁足地・八幡の藪知らず①神隠しの伝承がある

古くから、この地に足を踏み入れた人間はそのまま消息がわからなくなってしまうという言い伝えがありました。その理由が、このあとに述べていきますが、とてもたくさんの説があります。情報はさだかではないですが、どちらにしても江戸時代くらいには、現地で知れ渡っており、藪の周囲は柵が施されて、侵入できないようになっていました。

禁足地・八幡の藪知らず②不知森神社には入れる

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市川市は八幡の藪に対して、不知八幡森と書いて「しらずやわたのもり」と読む板を備え付けています。また、人々には、「しらずもり」や「しらずやぶ」とも呼ばれて浸透しています。原則立ち入り禁止のエリアではありますが、実のところ不知森神社の一部の場所のみ入ることはできるようになっております。

禁足地・八幡の藪知らず③日本武尊の陣屋説

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「ヤマトタケルノミコト」は、実在の人物というより、日本における伝説上の人物です。陣屋とは、簡単に言えば役所のことを言います。彼を祀る神社などが、森の中にあることから神聖な場所と定めて、簡単に踏み入ってはいけない所とした説があります。

禁足地・八幡の藪知らず④平家の墓所説

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豪族や貴族などの墓としている話があります。特に有名な豪族の墓として上がるのは、平将門や平良将などの平の一族の墓ではないかという話があります。将門に関しては、戦の無念さの点からも、日本ではいくもの祟りに関する話が豊富な人物でもあります。恐れをいだいた人々が、立ち入ることを禁止するように決めたとしてもおかしくないです。

禁足地・八幡の藪知らず⑤水戸黄門が迷って出られなかった!?

諸国漫遊したり、ラーメンを日本で初めて食したことでも知られる水戸光圀ですが、ちょっとしたエピソードがあります。いろんな場所を放浪したというのは記録としては残ってないので、定かではありません。しかし、絵画として黄門さまとこの藪について描かれているものがあります。

神隠しに遭う

八幡宮には、彼が八幡の藪を訪れて、行方不明になったという絵が収められています。この絵には、鬼ような顔したものや、骨とかした死体などが描かれていて、まさに黄泉の国のような雰囲気を醸し出しています。黄門様は、ほんとうに帰らぬ人になるまえに、老人によって助けられ現世に戻ることができたとも言われています。

後付けか?

そのような話は、あるのですか、水戸のご老公の話が出る前から、すでに禁じられた土地とされていた可能性は高いとする説があります。どちらかというと、入ってはいけない土地に、好奇心旺盛でパイオニアの心を持つ光圀が踏み込んで、危うく大変なことになるところだったという展開の話なのかもしれません。

禁足地・八幡の藪知らず⑥中央部の窪地から毒ガスが出ている?

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中心に位置するあたりが、周囲より低く落ち込んでいることから、毒ガスがでているのはという話があがったりもしています。しかし、科学的な根拠とするには現状では不十分です。仮に、本当に毒ガスが出ているのなら、現代でも藪の周りを通過した時になんらかの毒ガスに関する事件が起こってもおかしくありません。

禁足地・八幡の藪知らず⑦藪に底なし沼がある?

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毒ガスと同様に窪んでいることが原因で、そこに無限の深さを持った沼があるのではないかという話があります。底なし沼と言えば、京都のある怪談をご存知でしょうか。「深泥池」と書いて「みどろがいけ」とも「みぞろがいけ」とも呼ばれるとても恐ろしい沼として有名な場所です。ご興味のおありの方は、是非こちらの記事も合わせてご覧ください。

禁足地・八幡の藪知らず⑧葛飾八幡宮の跡地である?

ここには生き物などを供養する池が存在しています。付近の人々には、そのため池に入ることは芳しくないとされていましたが、供養のための行事が消滅してしまったために、侵入してはならないという言葉だけが独り歩きして残ってしまっているのではないかという説があります。葛飾八幡宮の勧請地だったためという話があります。

葛飾誌略では

1810年に出されていた紙面には、地元の人の話が載っていました。そこには、ご神体を移すにあたっての、一時的な仮の神社だったっと地元の人物が語っているという情報が掲載されていました。葛飾誌略は、現代で言うガイドブック的な役割をしていたもので、実際の郷土インフォメーションだけでなく、他に詩歌なども掲載されていた情報誌です。

禁足地・八幡の藪知らず⑨行徳村の飛び地説

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飛び地とは、他の場所に離れて存在する土地のことを言い、ここでは行徳村というところと物理的に離れた場所に行徳村の一部として存在していた土地という意味になります。そのため、八幡の人々はそこにおいてはよそ者になるため入ってはいけないという流れになったのではと言われています。

土地の問題から

最初は、土地がどこに所属しているかの関係で入れなかったものが、いつの日から神隠しに遭うという話に変化していったという可能性があります。実際、禁足地として経緯としては、とてもリアリティのある流れとも言えます。ただし、行徳の飛び地だったという記録自体は特に残っていません。

禁足地・八幡の藪知らず⑩八陣の法の跡説

先ほども登場した平将門を討つために、藤原秀郷と平貞盛が千葉県のこのあたり布陣しました。その際の陣形が八陣の法というものでした。そして、陣の八つの場所の中で死の門にあたるのが八幡の藪のエリアになるとも言われています。そして、将門が討たれた後は、ここへ足を踏み入れてはならないというお触れが出されたという話があります。

八陣の法

時は三国時代の諸葛亮公明、もしくは儒家の祖である孔子が作ったともされています。兵法書に記された、陣のことを言います。陰陽五行説に関係する構成になっており、単純なものではなくさまざまな要素が盛り込まれている陣でもあります。

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