【六本木クラブ襲撃事件】見立真一の生い立ちや現在、人違いの原因とは

まず大きく「関東連合VS反関東連合」という二大勢力図あり、後者の方は、金村剛弘らが創設した「新宿ジャックス」や「打越スぺクター」などの暴走族グル-プで構成されていました。木村兄弟はその「新宿ジャックス」に在籍しており、やがてそのトップに君臨するようになります。

木村兄弟と関東連合の関係が最初から険悪だったわけではありません。ところがある時、関東連合からの傘下加入勧誘を断わった頃から関係悪化し、反関東連合グル-プを自らの傘下に置きながら、関東連合との敵対関係に入っていったと言われます。

木村泰一郎とはどういう人物か?

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兄は若いころ撮られた写真を見るとかなりのイケメンです。こじゃれたロン毛に日焼けした肌です。そして喧嘩はめっぽう強く、100戦100勝と噂されてました。

しかし、喧嘩は強いが、自分から喧嘩を売ることはなく、売られた喧嘩は必ず買いはするが、弱い者に対して手を出すことはない心優しい人であったようです。

木村孔次郎とはどういう人物か?

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一方の弟の方は知略に長け、反関東連合グル-プの頭脳そのものの存在だったようで、都内のある種のイベントの興行権利も持っていたようです。

木村孔次郎は「六本木クラブ襲撃事件」や「西新宿事件」にも深くかかわって居た筈ですが、逮捕は愚か表面上に少しも出てきません。その切れる頭で、相手をかく乱したり自分から注意を逸らす術に長けており相当の策士だったように思われます。

金村剛弘VS木村孔次郎VS見立真一の三角関係

木村兄弟は、金村が創設した「新宿ジャックス」で育ったことを考えると、「西新宿事件」で金村撲殺の主謀者であると考えるのは、先輩に手にかけたことになるので考えにくいことです。そこにどんな事情があったのでしょうか?

実は、金村は見立と親交があり、反関東連合の一員ながら、関東連合側の面倒見役も兼ねる立場にあったようです。それに反感を持った反関東連合側の人間が、金村を裏切者として始末したという疑いが強いのです。

関東連合を解散に追い込んだ?木村兄弟のその後

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六本木クラブ襲撃事件で、当時の関東連合の幹部のほとんどが逮捕されるに至り、事実上壊滅状態となりました。木村弟の描いた筋書き通りとも言われてますが、真相ははっきりしてません。

兄・木村泰一郎のその後

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最近の写真もなくベ-ルに包まれているところがありますが、石元太一のブログ情報では、今ではやせ細っていてかつての面影がなく、万引きで逮捕されたという話があります。ただし、ニュース等で報道されてはおらず、真相は不明です。

弟・木村孔次郎のその後

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こちらについては、2017年に大麻所持で逮捕されたというニュ-ス報道があります。兄弟揃って逮捕されたというのは、関東連合の追跡から身を隠すため意図的に収監されたのではという見方もありますが、真意は定かではありません。

伏線となった西新宿事件

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ここで、「六本木クラブ襲撃事件」の原因/発端ともなった「西新宿事件」についても少し確認しておきましょう。反関東連合の幹部であった金村剛弘が集団暴行を受けた事件です。

金村剛弘とはどういう人物か?

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昭和50年生まれの在日韓国人で、本名は金剛弘と言います。関東連合のOBで暴力団にも所属していましたが、事件当時は表向き、父の経営する韓国食材輸入会社の役員でした。

芸能界との幅広い交友関係

あの広末涼子の元夫の岡沢高宏とは大親友の関係です。又、宮崎あおいの元夫の高岡蒼甫は、金村さんの弟分という関係でした。

その他、彼の愛人には、同じく在日女優の西山繭子やスピードスケートの清水宏保と離婚した高垣麗子、更には歌手のフェイレイ、元ミス立教など数え上げれば枚挙に暇がない程であったと言われてます。

ボディビルダ-で最強伝説

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金村さんは普段からスポーツジムに通い、肉体を鍛え上げることに余念がありませんでした。とても暴行事件の被害者になるとは想像ができないような屈強な体つきだったのです。 当時の岡沢高宏のブログの写真にも、プロのボディビルダーの如き逆三角形姿が掲載されています。

屈強な肉体のみならず、少年時代から喧嘩も負け知らずだったようで、かつて新宿界隈での伝説的なチーマーだったとも言われてます。又、地元の暴力団や不良グループとも密接な関係がありました。

事件の発端と経緯

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以前より反目していた関東連合と「新宿ジャックス」を中心とする反関東連合グル-プの抗争が平成17年あたりから激化するなかで、広尾のちゃんこ屋で、金村と関東連合数名が会食をしていました。

店を出ると、反関東連合側の山口系組員と関東連合側でいがみ合いが始まり、金村が山口系組員を殴り倒します。後刻、既に反関東連合のトップに居た木村孔次郎は、関東連合・石元の同席のもと、金村に「関東連合に宣戦布告する」と電話します。

事件未解決で遺恨を残す

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平成20年3月、金村が実家のある西新宿で、降車したところを数名の男達に金属の棒状のようなもので襲われます。金村は病院で死亡、この所属不明の襲撃集団は逃走しました。結局、警察は犯人を特定できず、事件は未解決のままになっています。

しかし、関東連合・見立真一は金村の遺体の前で敵討ちを誓ったと言われ、ますます両者の抗争は激化し、やがて「六本木クラブ襲撃事件」に繋がっていくことになります。

六本木クラブ事件の被害者藤本亮介は飲食店経営者

次に被害者となった「藤本亮介」という人物について少し調べると共に、様々な犯行説についても、関係者の証言を基に検証してみたいと思います。

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