小坪トンネルにまつわる噂が、いつごろから囁かれはじめたのかは不明ですが、古くはノーベル文学賞作家として知られる文豪・川端康成の小説にも、小坪トンネルに関するものが遺されています。続けてご紹介しましょう。
小説「無言」に小坪トンネルの怪が書かれている
昭和28年に発表された、川端康成の小説『無言』は、小坪トンネルにまつわる話に取材したものだとされています。すると、少なくとも昭和20年代の後半には、すでに小坪トンネルに関して、幽霊の目撃談などが語られていたことになります。『無言』には、以下のような一節があります。
トンネルの手前に火葬場があって、近頃は幽霊が出るという噂もある。夜中に火葬場の下を通る車に若い女の幽霊が乗ってくるというのだ。(引用:川端康成『無言』)
この小説『無言』において、主人公が実際に夜にタクシーでトンネルを通りかかると、後部座席に女の幽霊が座っていた……と書かれており、今日における体験談とも酷似した内容となっています。50年以上の時が経っても、今なお変わらない現象が起こっているかと思うと、背筋が凍りつくようです。
小坪トンネルだけではない!トンネルに出没する怪異たち
トンネルにおける怪奇現象は、小坪トンネルに限ったものではありません。日本全国のトンネルでは、今なおさまざまな心霊体験の噂がささやかれています。次に、小坪トンネル以外での、トンネルにまつわる怪異についてご紹介いたしましょう。
奥多摩の幽霊ライダー
奥多摩にあるトンネルを走っていると、古いカワサキの名車「WI」に乗って走ってくるライダーが現れ、「そんなに飛ばすと危ないぜ」と声をかけてくるが、振り返ると誰もいない、というもの。ライダーの乗るバイクは前後の車輪、またはフロントフォークがないともいわれています。
傘の女
神奈川県横須賀市の、ある火葬場の裏山に開けられた、人通りの少ないトンネルに現れるという怪異。白い着物を着て唐傘を持った長い黒髪の女性の姿をしており、雨の日の午前二時頃に、傘を持たず濡れたままでトンネルを通りかかった人間に「家まで送りましょうか」と声をかけてきます。
それを断れば何も起きませんが、誘いに乗ってしまうと、彼女は自分の傘にその人を入れて歩き出します。すると傘の下の二人の姿はトンネルを進むにつれて薄くなり、トンネルを出る頃には見えなくなってしまい、二度とトンネルから出てくることはない、とのことです。
「ゲタに注意」
北海道函館市内のトンネルにまつわる怪異。このトンネルの入口には「ゲタに注意」と書いてあり、トンネルの中を車で走ると下駄を履いたおじさんの霊が出現し、下駄を投げつけてくる。その下駄に当たると次の日には死んでしまうという。
実際には、このトンネルに書かれた文字は「けたに注意」であり、「けた」とは橋脚の上に横たえてある受材のこと。この注意書きを「ゲタ」と読み間違えたことが、この怪異の起源となっているようです。
トンネルの老婆
神奈川県足柄下郡箱根町のトンネルに現れるという怪異。もともとはトンネル近くのバス停で休んでいた際に、孫がひき逃げに遭った老婆で、瀕死の重傷を負った孫を助けるために通りかかる自動車に助けを求めたものの、誰も停車することなく、孫はそのまま死んでしまったそうです。
それからというもの、トンネルで背中に孫の死体を背負った老婆が通りかかる車を止めようとするようになり、止まらない車をものすごいスピードで追いかけるようになったといいます。また、この老婆を見ると、止まっても止まらなくても永遠にトンネルから出られなくなる、とも言われています。
侍トンネル
神奈川県鎌倉市の山奥にあるトンネルにまつわる噂。このトンネルの中にはなぜか侍の絵が描かれており、その絵を見るためにトンネルに入った人間は、トンネルから出てきた際に倒れてしまう、というもの。その体には刃物で切られたような傷痕が多数生じており、人がこのトンネルを通り抜けるたびに、侍の絵に色がついていくのだそうです。
その他、関東最「恐」とされる心霊スポット、「吹上トンネル」につきましては、以下の記事をご参照ください。
なぜトンネルには「出る」のか?中心と周縁の理論
ここまで、小坪トンネルを中心に、トンネルにまつわる多種多様な怪異を紹介してきました。しかしそもそもなぜ、トンネルにはそのような怪奇な者たちが「出る」のでしょうか。最後に、文化や物語にまつわる理論を参考に、考察してゆくこととしましょう。
文化とはどうやって作られる?「内」と「外」との分節
まず考察の前提として、「文化」とはいかに作られるものか、という点について考えましょう。文化とは、「内部」と「外部」との間に境界線を引き、それによって世界を分節することからはじまります。
「内部」は組織化された「コスモス」の空間であり、そこには自分の部族や文化、聖人、インテリなどがおり、統一的な宇宙が存在しています。一方「外部」には、他の部族がおり、そこは野蛮な俗人や民衆などが入り乱れた、混沌の支配する未組織の「カオス」な空間といえます。このような分節から「文化」は生じてきます。
二項対立の限界:「周縁」の誕生
ですが時代が進むにつれ、このような「内」と「外」という二項対立の構図だけでは、だんだんと世界のなかの存在を説明することが難しくなってきました。たとえば昨今耳目を集めている「LGBT」などは、「男」とも「女」ともつかない「境界的な存在」であるといえます。
そのため、あえて「三項目」を作ることにより、文化や世界をより詳細に理解しようとする動きが生じました。この「三項目」こそが「周縁」です。世界は「中心(内)」と「周縁」と「外」でできている、と考えることにより、文化や世界をよりダイナミックにとらえることが可能となったのです。
周縁とは?「無主・無縁の地」
ここでいう「周縁」とは、「内」と「外」とを結ぶ境界的な場所のことです。そこは古来「無主・無縁の地」、すなわち誰も持ち主がいない土地や場所であり、神や妖怪、魑魅魍魎の住み処とされました。
また、周縁は別世界への入口とも考えられており、人びとはそこに道祖神や地蔵、塞の神などを祀ることで、邪悪な存在の侵入を防いでいたのです。
トンネルは現代の「周縁」
このように「内」と「外」との境界となる場所が「周縁」と呼ばれるわけですが、より広くとらえれば、Aという場所とBという場所を結ぶ境界は、すべて周縁の地と考えることができます。
トンネルもまた、AからBへと至る道であることに違いはありません。よってトンネルもまた、怪異の跋扈する現代の「周縁」であるとみなすことができるのです。
「周縁」の例①坂
典型的な「周縁」の具体例として、筆頭に挙げられるのが坂です。「坂」とは、元来上の世界としたの世界の「境(さかい)」であることから転じて、「坂(さか)」と呼ばれるようになったとされています。
著名な坂の一つとして、『古事記』などに登場する「黄泉平坂(よもつひらさか)」があります。黄泉平坂はこの世と黄泉の国との間にある坂とされ、イザナギの神が黄泉の国から戻ってきたときに「千引の岩」と呼ばれる大きな岩で塞いでしまったと記されています。
「周縁」の例②河原
近代以前の日本においては、河原は死体の捨て場所や処刑場として用いられていました。また、そうした死体の処理や処刑に携わる人びとは「河原者」と呼ばれ、差別の対象ともなりました。病人や障害者など、「内」での生産活動に関われない者は、河原者として「周縁」に追いやられていたのです。
さらに、彼岸(あの世)と此岸(この世)を隔てる「三途の川」の存在もあり、川は死に関係する場所とみなされていました。加えて、川自体にも河童や水神が住むとされ、やはり周縁の地として認識されていました。
「周縁」の例③橋
トンネルと同様、あちらとこちらを結ぶ境界の例として、橋があります。そうした橋の中でも有名なのが、京都の「一条戻橋」です。
一条戻橋では、曲がっている五重塔を「戻し」た僧侶が、橋の上で死後に「戻ってきた」父親の魂と再会した、または腕を切られた鬼が腕を取り「戻し」に来たなど、数々の伝説が伝えられています。
「中心と周縁は交流する」
このように「内(中心)」と「外」、そして「周縁」との間で、絶えず交流が繰り返されることによって、共同体が一つの運動体として継続してゆく、というのが、今日における文化論において、文化を分析する上での一つのモデルといえます。
そして、そうした「交流」の中には、周縁の地で怪異と遭遇してしまう、といった出来事も含まれているのです。現代においては、それらが怪談や都市伝説として語られることになります。トンネルにまつわる怪奇な噂も、そうした「交流」の一例であるといえるでしょう。
小坪トンネルは様々な霊が集まる心霊スポット
話を小坪トンネルに戻しましょう。小坪トンネル周辺は、曰く付きの場所や心霊スポットが密集しており、怪奇な噂には事欠きません。ですが、実際に多数の事故なども発生している場所ですので、実際に訪れる際には、十分に注意を払ってください。
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