廃墟となった遊園地65ヶ所まとめ!日本の廃墟遊園地から世界のものまで

廃墟遊園地⑭仙台ハイランド(宮城県仙台市)

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遊園地、ゴルフ場、スキー場と三拍子揃った複合施設として、1970年代に始動しました。遊園地の内容は、ジェットコースターやメリーゴーランドといった刺激的なものから、屋内外にプールがありました。ハイランドセンターというホテルも作っていました。

スポーツへの貢献

全日本のGT選手権が開催されていたり、スキー場にはハーフパイプまで備え付けていました。また、有名な映像作品でもあある西部警察やジャッキーチェンの映画「デッドヒート」でも場所を提供しました。それから、月日が経ち資金繰りに行き詰ってきて、施設の老朽化も深刻になり、客足がだんだんと減少していき閉園となってしまいました。

廃墟遊園地⑮天使ランド(宮城県刈田郡)

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平成9年に、日帰りの温泉施設と遊園地として作られました。敷地面積は、とても広大で10万平方キロメートルもありました。ログハウスや、300人も食事がとれる場所や、200人収容できる講演などの用途のための開場まで建設しました。温泉類も、露天風呂から室内温泉まで充実していました。

盛りだくさんの施設

砂場や岩場、池、花壇、泳げる場所、植林広場など自然に溢れていて家族連れにはもってこいの場所でした。しかも、子供用のボート、大きい滑り台、サイクリング用の自転車など充実しているラインナップを誇っていました。天使ランド号というドイツ製の路面電車まであり、目玉になるアトラクションの一つでした。

温泉通も唸らせる

温泉も評判であり、ph10.1の強アルカリ泉を採用していました。しかし、平成20年ぐらいになると休業状態になっていきました。ついに、それから5年後には自慢の入浴施設まで閉鎖することになってしまいました。今では、野菜の無人販売のスペースとして利用されています。

廃墟遊園地⑯猿羽根山遊園地(山形県最上郡)

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昭和48年にオープンした、小さな遊園地です。しかし、鉄道を模した新幹線のアトラクションやゴーカート、観覧車などまであり充実していました。中心となる施設には、六角形の建造物で高さは10メートルほどにもなる展望台を構えていました。

かすかな痕跡

猿羽根山のトンネルに変わる新しい道が出来てしまったため、交通量が著しく少なくなってしまし、昭和63年には閉めることになりました。現在は、猿羽根山公園として人々に親しまれています。展望台などは、そのまま転用されています。入口には、ゲートだった名残がまだかすかに感じられます。

廃墟遊園地⑰高子沼グリーンランド(福島県福島市)

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阿武隈川と高子沼(たかこぬま)の間に位置し、なだらかな起伏のある地形に建設されました。福島県において、初めての遊園地として昭和48年に開園しました。しかし、施設の経年劣化や経営状態の悪化によって平成11年に閉鎖するに至りました。ここは霊的なことが起こることでも特に有名な場所です。

心霊体験多数あり

掲示板などで多くの人がここでの体験を書き込むようになり、霊的な噂が増えていきました。具体的には、中にある彫像を見ると呪いにかかり発狂してしまう、ジェットコースターの付近で少女の悲鳴が聞こえる、写真撮影をしたら恐ろしい表情をした少女が写っていた、入り口で男性の幽霊を見たなど枚挙に暇がないです。

映画やゲームで

平成15年の映画「仮面ライダー555 パラダイス・ロスト」の撮影が行われたり、宇多田ヒカルのミュージックビデオにも採用されました。また、廃墟の雰囲気を生かして、ホラーゲームの「SIREN2」にはここの遊園地の観覧車が写っています。

様変わり

平成18年には、ほったらかしにされてた遊具などが撤去されてしまいました。そして、平成26年になると、ソーラーパネルが設置されているのが見受けられるようになりました。今現在では、アミューズメントパークとしての面影はかなりなくなってしまいました。高小沼グリーンランドのさらに詳しい情報についてはこちらを是非ご覧ください。

廃墟遊園地⑱照島ランド(福島県いわき市)

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ここは、水族館も兼ね備えていたレジャー施設です。遊具も充実していて、イルカやアシカのショーなどもやっていて夏にはもってこいの場所でした。流れるプールなども設置してあったので、当時の子供たちには魅惑のランドでした。

廃墟のホーリーグランド

長い間廃墟として、いろんなものが放置されていたので、廃墟のマニアの人々には聖地の一つとして認識されていました。しかし、今は全部取り壊しとなり、ゴルフ場とヨットハーバーとして人々の嗜みの場となっております。

廃墟になった日本の遊園地46選!~関東地方編~

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いくつかの無くなってしまったテーマパークは、都心というより首都圏以外の方が印象に残るものが多いといえます。ここでは数ある遊園地の中で特にインパクトがあったものについてご紹介していきます。いくつかのパークについては聞き覚えのある方もいるかもしれません。

廃墟遊園地⑲上野こども遊園地(東京都台東区)

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上野公園の敷地内にある遊園地で、日本の動物園でも特に有名な上野動物園の近くにあります。歴史も古く1946年から営業が始まり、2016年まで70年とかなり長い間続いていました。しかし、地主にあたる東京都の指示で動物園の魅力をより高めるために正門前の広場を工事することになりました。そのため閉鎖という運びになりました。

廃墟遊園地⑳多摩テック(東京都日野市)

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モータスポーツをテーマに掲げて作られたもので、遊園地や温泉施設が内包されていました。同スポーツに強い本田技研工業の系列の延長でオープンされました。オートバイの愛好家たちをターゲットとして建設されたのですが、カミナリ族向けの施設と非難をあびたりもしました。また、60年代には園内でバイクの転倒による死亡事故まで起きました。

遊園地に変貌

70年代になると、遊園地として整備されていきました。そして、1995年には水上絶叫マシンや観覧車などのアトラクションに力を入れ始めました。また、その年に温泉が湧き出て、温泉施設の開発もされるという運びになります。

有名施設に勝てず

東京ディズニシーやUSJに客足をとられることになり、2009年にクローズとなりました。現在では、遊具などは撤去され、施設としての基礎の跡が残るものの更地の状態で放置されていています。明治大のラグビー部が練習場や合宿場として利用する構想があがりましたが、紆余曲折を得て頓挫することになりました。

廃墟遊園地㉑向ヶ丘遊園(神奈川県川崎市)

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小田急電鉄系統のレジャー施設になります。昭和2年にはじまり、平成14年まで存続していたとても長い歴史がありました。敷地にあったほとんどの遊具は取り払われ、バラ園として生まれ変わり、生田緑地の一部分として管理されています。また、平成23年には「藤子・F・不二雄ミュージアム」がオープンしました。

廃墟遊園地㉒横浜ドリームランド(神奈川県横浜市)

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アメリカのディズニーランドにならって、日本にも同じようなものを作ろうという試みのもと開発されていきました。当時では、最高峰の高層建築物になる「ホテルエンパイア」を敷地内に建設しました。他には、遊園地をはじめ、ショッピングモール、映画館、ボウリング場、スケート場など壮大なスケールで展開していきました。

交通の弊害を皮切りに

1966年に大船と横浜を結ぶモノレールができたが、たったの一年ちょっとで技術的な問題になり、運航が休止となりました。さらに周囲のベッドタウン化が進んで、渋滞が激化してしまいました。その影響もあり、1983年に千葉に東京ディズニーランドがオープンしたため、厳しい状況に陥りました。

2002年に

苦境を凌ぎきれず閉園となりました。土地は南北に分割されて、南側は、都築第一学園に売り、2006年には横浜薬科大学ができました。北側は、横浜市の手により再び開発を試みられ、俣野公園と市営墓地として生まれ変わりました。土地の周りにはドリームという名のお店が点在し、当時の名残を鑑みることができます。

廃墟遊園地㉓東松山遊園地(埼玉県東松山市)

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昭和45年にオープンし、園の長は個性的なところでもしられる神秘珍々ニコニコ園を経営している人物でした。サイクルモノレールやゴーカートといった乗り物系をはじめ、浴場の他に北極体験のできる施設までありました。観覧車を作るプロジェクトもあったそうですが、実現する前にクローズとなりました。

サバゲー場となる

例にもれなく、閉園後しばらく放置されいました。しかし、2015年を迎えてエアガンなどで人々が遊ぶフィールド、いわゆるサバイバルゲームの施設として生まれ変わりました。かすかに当時の面影が残っており、正門だったと思われるコンクリート造りの壁や、骨組みだけとなってしまってる廃屋などもあり、サバゲーの演出に一役買っています。

謎の小屋に幽霊

たった数年で店じまいになったため、詳細を知る人が少ない場所でもあります。用途が不明な小屋が跡地には残されていて、噂ではそこで何回か首つり自殺があったと言われています。そのおかげで、そこで死を選んだ人々の幽霊たちが現れるという噂があります。

廃墟遊園地㉔カッパピア(群馬県高崎市)

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戦後の活気を持たすための政策の一つとして掲げられていた「新日本高崎子ども博覧会」の用地や施設の経営を上信電鉄が継ぎ、そこに「高崎フェアリーランド」が始動しました。1969年に敷地内のプールとして「カッパピア」ができたのですが、爆発的な人気を博したため、むしろ施設全体が「カッパピア」と呼ばれて親しまれていました。

バブル崩壊によって

不況の波に耐え切れず、閉鎖に至りました。その後は、廃墟と化したのですが、付随して少年たちが侵入するようになり、犯罪などが起きる環境に一役買っていると社会問題になってしまいました。2007年には、放火による可能性が高い火事が起きました。

火事を機に

園の跡地を自然公園として整備する計画が進んでいきました。建物などの撤去も完了し「観音山公園」として整備が進んでいます。2017年には子供用のプールと芝生のエリアが解放されるまでに至り、さらに遊具を増やしていく方針が進行中です。カッパピアに興味を持たれた方は、こちらの記事により深い情報が掲載されいるので是非ご覧ください。

廃墟遊園地㉕ウェスタン村(栃木県日光市)

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文字通りアメリカ合衆国の開拓時代の西部劇のような雰囲気を演出しているアミューズメントパークです。ウェスタンのアクションショーや、アメリカの大統領の顔の巨大彫刻で有名な「マウントラッシュモア」のレプリカまであるという凝りようでした。

メディアにも良く利用された

コマーシャルビデオや西部劇の撮影などで使用されました。それだけでなく時技研警察訓練所としても利用されていました。2006年を境に長期の休園状態に入ったままになっています。しかし、廃墟化は進行していて、それがかえってマニアの間では注目を集めてしまっているスポットです。寂れたウェスタンの情景はとても哀愁が漂っています。

廃墟遊園地㉖小山ゆうえんち(栃木県小山市)

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1960年にオープンしましたが、約30年後には親会社が倒産をしてしまったために、尾を引いて倒産となってしまいました。そんな中、ダイエーもテナントを出していたため、経営的に支援をし尽力しましたが、ダイエー自体が危機に陥る時が来て、彼らも撤退していきました。

温泉で再起を図る

日帰りの入浴施設をオープンしましたが、赤字から抜け出すことはできませんでした。2005年には完全に閉演となり、2006年には大方の遊具は撤去となり、ほぼまっさらな土地となりました。「おやまゆうえんハーヴェストウォーク」の建設が始まり開業するに至りました。観覧車も撤去され、残った遊具はわずかとなっています。

廃墟になった日本の遊園地46選!~中部地方編~

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富士急ハイランドなどは今も大盛況ですが、この地方でも廃れてしまった所があります。こちらのエリアの特徴は、カタカナを使ったタイトルのテーマパークで幕を閉じたものが多いような印象を受けます。ロシア、ドリームランド、ユートピア、ガリバー、ファミリーランドなどさまざまな外来のものを意識したようなスタイルが見受けられます。

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