廃墟となった遊園地65ヶ所まとめ!日本の廃墟遊園地から世界のものまで

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「NDL」と呼ばれていたところで、千土地興行が着手してオープンしました。千土地興行とは、後のあの有名な日本ドリーム観光の前身となる組織です。日本のアミューズメントパークの二大巨頭である「東京ディズニーランド」と「ユニバーサルスタジオジャパン」と影響をもろに受けて、大打撃を受けて閉園となりました。

最近解体作業が始まる

2006年に幕を閉じることになったのですが、それから10年後に解体作業が本格化しました。栄枯盛衰が著しく、ピークの年では、年間で160万人の動員があったのですが、店じまいの頃にはその4分の1までお客さんが減ってしまうことになりました。

廃墟遊園地㊲イーゴス108(滋賀県大津市)

こちらは「びわ湖タワー遊園地」の中にあった観覧車の名前になります。完成した当初では、なんと世界一の高さがあった観覧車で108メートルという巨大なものでした。「イーゴス」とはお気づきの方もいるかもしれませんが、「すごい」ともじったネーミングから来ています。「108」はもちろん、数値を強調するために高さを表しています。

ベトナムへ

名前自体も一般公募から募られたもので、人々との一体感が見られる素敵な遊具でもありました。この観覧車のある遊園地がクローズとなった後も、いつでも再始動できるように、定期的なメンテナンスがおこなわれいました。そのかいあってか、日本を飛び立ち2013年には近隣の国でもあるベトナムへ輸出されることになりました。

廃墟遊園地㊳甲賀ファミリーランド(滋賀県湖南市)

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甲賀カントリー倶楽部の近くにあり、遊園地の敷地自体もこのゴルフ場が所有していたものであります。1970年代くらいにオープンして、甲賀という土地柄ならではの忍者屋敷をはじめ、アスレチック、お化け屋敷、観覧車、ゴーカート、メリーゴーランドを揃えていました。

立地の不便さから

滋賀県でもとても人気があったスポットとなっていました。さらに、京都市電の車両や、古い消防自動車「ニッサン・ファイア・パトロール」などが展示されたりして賑わいをみせていました。しかし、アクセスの悪さや、山の中にあるので高低差が激しいことがネックになり客足が減っていき、昭和60年に閉園となりました。

廃墟ファンの心をくすぐる

現在では、一部の廃墟のようになってしまった建物が少々残る状態ですが、以前は廃墟マニアの注目の場所でした。山の中に遊具が突如として現れる様はとてもインパクトがあり話題となっていました。しかし、多くの人々が驚いてしまうため、場合によっては危険だと判断され、平成20年には全部の遊具が撤去されることになりました。

心霊写真が撮れる

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幽霊自体の目撃情報は全くないのですが、なぜか敷地内のトイレや観覧車で写真を撮ると霊やオーブが写るそうです。オーブとは別名玉響現象と言われるもので、小さな水の雫のようなものが光ったもので、霊魂と捉えられたりして話題によくあがるものです。

廃墟になった日本の遊園地46選!~中国・四国・九州地方編~

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中国地方より西のエリアではレジャー施設よりも観光地としての印象が強い方も多いかもしれません。しかし、もちろん多くの遊園地が存在していました。中国や九州地方だけでなく、四国にもスポットを当てていますので、興味のある方は必見です。数々の個性的なパークがあるので、是非ご覧ください。

廃墟遊園地㊴京山ロープウェー遊園(岡山県岡山市)

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昭和31年に岡山電気軌道経営というところが着手してできました。「京山タワー」という建物が象徴としてそびえていて、観覧車やメリーゴーランドなどの一通りの遊具がありました。山の上に位置する遊園地で、楊禄から山頂の駅までは高低差が58メートルありました。

長い間運営されていたが

平成に入ると倉敷チボリ公園が出来て、お客さんがそちらに流れることになり、客足の減少によって平成10年に閉鎖となりました。翌年「岡山スカイガーデン」として再起を図り、「京山タワー」も「スカイタワー」と名称を変えてリフレッシュしました。しかし、施設の老朽化やパーキングが足りていなかったこともあり、数年後に閉園となりました。

戦闘機が残ってる

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解体されることになり、平成23年には集光型太陽光発電システムができあがりました。敷地内には、観覧車の跡も残されいて、平成8年頃から展示することになった戦闘飛行機の「F-104J」がそのまま残されています。戦闘機が好きな方にはおすすめな場所であることは依然として変わりはないです。

廃墟遊園地㊵鳥取プレイランド(鳥取県鳥取市)

東条湖ランドと資本の出どころは一緒の姉妹的な施設です。昭和の終わりにオープンし、ゴーカート、観覧車、ジェットコースーターなどが設置されていました。とても良心的な価格で運営していたことが皮肉にも経営を圧迫しました。冬の間の休園期間の長さで客足が離れ、さらに阪神、淡路の大震災によって動員数が減り、閉園してしまいました。

東条湖ランドも閉園

プレイランドは平成7年、東条湖も平成12年、両園とも似たような時期にクローズとなりました。東条湖の方は「東条湖おもちゃ王国」と生まれ変わって、現在も営業中です。プレイランドの方は、廃墟と化して、平成20年になってから解体され、現在はカートのコースとしてこちらも活躍しています。

廃墟遊園地㊶三朝ファミリーランド(鳥取県東伯郡)

一番のウリにしていたポイントは、「ランズボローメイズみささ」という大きな迷路でした。ゲームセンターやバッテリーカーなどのアミューズメントも用意していました。近くには温泉施設やホテルなどもあり賑わいをみせていました。しかし、1988年のあたりに閉園となり、現在ではそのまま荒廃したラビリンスとなっています。

廃墟遊園地㊷一畑パーク(島根県出雲市)

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一畑薬師のそばにある山の上に造られ、一畑電気鉄道が与していたレジャー施設です。様々なアトラクションがあるだけでなく、動物園もありました。動物園には、ゾウ、トラ、ライオンに至るオーソドックスが生き物が目白押しでした。約20年ほど存続していましたが閉園となりました。跡地にはコーヒーカップの土台の跡が残るだけとなっています。

廃墟遊園地㊸仁尾サンシャインランド(香川県三豊市)

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当時、日が出ている時間が日本一長いということで、太陽熱発電をメインテーマに掲げた「仁尾太陽博」が開催されていました。その好評ぶりを拍車をかけるため、造られた遊園地です。太陽博にあったスフィンクス像を持ってきたり、ドーム型の施設がありました。観覧やジェットコースター、パターゴルフ場なども備え付けていました。

不況のため

ちょうど1980年代から始動したのもあって、バブルの崩壊のあおりをもろに受けてしまい、閉園となりました。廃墟となっていったのですが、2008年にはスフィンクス像も解体されてしまいました。跡地には、産直市場や太陽発電所が作られました。遺構が少々残っているが資材置き場などに移されているため、あまり昔の名残を感じられません。

廃墟遊園地㊹吉野川遊園地(徳島県吉野川市)

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戦前には江川遊園地とされていたところです。戦争中は、物資の不足のため木々がなくなり荒廃していました。戦後は、農地にするという動きがあったのですが、人々の復興にかける心により遊園地として再生されることになりました。

四国博覧会を機に

名称が「吉野川遊園地」に変更されました。通常のアミューズメントパークのように、観覧車、ジェットコースター、ゴーカートなどが揃えられました。水族館があったのですが、全焼してしまう火事に襲われてしまい、平成23年に遊園地自体が閉園となりました。解体された跡には、病院が建設されることになりました。

廃墟遊園地㊺ネイブルランド(福岡県大牟田市)

三池炭鉱が閉鎖された後の、次なる活気のあるものを作ろうとオープンした施設です。水族館に力をいれていたこともあってか、入り口には大きなクジラのアミューズメントがありました。他には、バイオ館などもあり、とてもバラエティに富んでいました。

大牟田市の熱い想い

ちなみに、名前にある「ネイブル」とは「へそ」を意味する言葉で、大牟田市が九州のへそになる、いわゆる九州地方の中心になってやるという意気込みが込められていました。しかし、入場者数が年々減っていき、閉園を迎えて、しばらくは放置されてましたが、約14年後に解体されました。

廃墟遊園地㊻志高ユートピア(大分県別府市)

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志高湖湖畔にロケートしている、昭和43年にできたレジャー施設です。当時の西日本では他の追随を許さない、かなり本格的なカートのレーシングコースを有していて、客層としてはやや高い年齢の方々を主にターゲットしていました。

興味をそそる廃屋の数々

巨大な迷路やスペースコースターなど変わったアトラクションが目白押しだった。また、フラミンゴも飼育されていて人々の目の保養になっていました。平成15年に、活動休止となった園は、部分部分は解体されましたが、迷路やお化け屋敷などはそのままの状態で、廃墟マニアには話題にされていましたが、平成30年に解体となってしまいました。

心霊体験の情報アリ

まず、お化け屋敷で自殺をしたと思われると死体が見つかったという噂があるのですが、こちらソースがどこになるのか不明です。ただ、迷路でおじいさんの幽霊に出くわした、浮遊霊を目撃したなどの話が浮上したりもしていました。

廃墟になった世界の遊園地19選!~アメリカ編~

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世界でもレジャー施設が豊富といえば、アメリカ合衆国を思い浮かべるかたもいるかもしれません。やはり、広大な大地を持つアメリカだけにスケールが大きいものが多いです。ここでは、厳選した7点の廃墟となってしまったプレイスを特集していきます。

アメリカの廃墟遊園地①シックス・フラッグス・ニューオーリンズ

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今から約15年くらい前に起きたアメリカ合衆国の巨大な暴風「ハリケーンカトリーナ」の影響をもろに受けてしまったアミューズメントパークです。ニューオリンズの被災地では、街のおおよそ80パーセントが水没するという惨事に見舞われ、災害から数年経っても復興がとても困難な状況でした。

台風の爪痕を感じさせられる

ローラーコースターは、腐食が激しく台風の凄惨さを物語っています。この遊園地は、ニューオリンズの市街東のエリアにおいて、とても低い位置になっており、最大で2.1メートルも浸水していて、一か月間も水が引かなかったぐらいです。

アメリカの廃墟遊園地②チッペワ・レイク・パーク

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なんと百年も続いた歴史の古いところです。場所は、オハイオ州のチッペワ湖の周辺にあり、1878年にアンドユー遊園として華々しくオープンしました。1960年までは始終好調だったのですが、そこから減少傾向に突入して、1978年に長い歴史の幕を下ろしました。

閉園後に放置

閉園後、31年間というとても長い間、遊具はほったらかしにされました。2000年代に入り、ホテルやレストラン、それにスパなどの再開発のプロジェクトが持ち上がりました。取り壊しがスタートして、すぐに再開発が進行する予定だったのですが、遊具が移動されて修理されることになりました。

アメリカの廃墟遊園地③ホーリーランドUSA

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お国柄なのか、コネチカット州のウォーターバリーにある宗教的な色合いの強いテーマパークです。カトリック教徒である弁護士であるジョン・バプティスト・グレコ氏によって考えられ、オープンしとても賑わいを見せました。

構想者が亡くなる

1984年にいったん閉鎖となりますが、これは衰退からくるものではなく、リニューアルしさらに拡大して躍進するためでした。しかし、ジョン氏が志半ばにして倒れることになり、計画は中断したまま、遊園地はとりのこされてしまいました。2013年には、市長とあるカーディーラーの手により土地を買い上げ、再び開発をする運びとなりました。

アメリカの廃墟遊園地④カジノ・ピア

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ニュージャージー州のシーサイドハイツにある海中のローラーコースターとし話題にあがっていたところです。シックス・フラッグズと同様に暴風の被害にあい、いったん閉鎖になりました。当時のハリケーンは2012年に発生した「サンディ」でした。

なぜ海中なのか?

実はこの遊園地は桟橋上に建てられていて、橋の一部が破壊されてしまい海に放り出されることになりました。その時、海の中にローラーコースターが落ちた写真が話題になり、廃墟遊園地の代名詞として取り上げられていました。

現在は

2013年になり、一部の遊具の運行が再開されることになり、すでに廃墟ではなくなっています。海中のコースーターは同年の5月に取り払われて、その時に壊れた桟橋は修復されてシーサイドハイツは、わずか一年足らずで息を吹き返しました。

アメリカの廃墟遊園地⑤ドッグパッチUSA

アーカンソー州ハリソンにあった、漫画「Li’l Abner」を題材にしたアミューズメント施設です。1968年からだいたい30年ちかく存続していました。コミック関連の遊具であるだけに価値のあるものも多くいくつかはうられることになりました。

ファンの探求心を刺激

遊具たちは売却や解体という形になりましたが、閉園してから10年以上たってもたくさんの施設が残ったままになりました。廃墟の愛好家が興味をそそられて、探索するようになり、後にドックパッチ内の記録が世に公開されました。

アメリカの廃墟遊園地⑥ランド・オブ・オズ

ノースカロライナ州にあり数か月で40万人も訪れるほど大盛況で、ディズニーワールドに次ぐ人気がありました。もともとは、山上にあるだけあって、スキー場の従業員が夏場でも収入を確保できるように造られたものでした。主人公のドロシーの家などがあって、まさに現実世界を忘れさせてくるような幻想的な風景が広がっています。

しかし10年後には

開園してから十年を経過したあたりから客足が減少していきましたが、基本的には店じまいという状態に突入しました。しかし、そこでも夢のようなロマンのあるイベントを展開していきます。常時運営は厳しくとも、年にたったの一度だけ解放するという希少性を人々に与えました。ただ、結婚式やなんらかの集会などで借りることはできるそうです。

アメリカの廃墟遊園地⑦ロッキーポイント・アミューズメントパーク

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ロードアイランド州ウォリックにあるナラガンセット湾にロケートしている遊園地です。同州内では、1950年代から60年代半ばに特に人気あるアミューズメントパークでした。しかし、90年代初頭には経営が調子悪くなり、閉鎖となって廃墟となりました。2003年頃に土地自体が売却されることになりました。

再度オープン

売却された翌年に放火による火災が起きました。そして2007年には、取り壊されることが決定しました。しかし、ウォリック市は再建に尽力し、土地の半分を購入してリニューアルされることとなりました。しかし、購入していない残り半分は、2011年時点ではフェンスで隔離されていて、入れないようになっております。

廃墟になった海外の遊園地19選~ヨーロッパ編~

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海外の遊園地はたくさんありますが、ヨーロッパに関しては、イングランドをはじめ古今東西さまざまなアミューズメントパークをご紹介していきます。中には、世界的な有名になった事故が原因であえなく閉園となってしまったものもあります。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑧ジ・アメリカン・アドベンチャー(イギリス)

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アメリカのディズニーのジ・アメリカン・アドベンチャーとは特に関係があるわけではありません。遊園地が湖周辺にあるのはよくあるケースですが、こちもダービーシャー、シプリー湖のあたりに居を構えました。もともとが石炭採掘場でしたが、そこにアメリカのインディアンとカウボーイをテーマにした遊園地を建設しました。

創業者が詐欺をした

10週間という短期間で破綻に追い込まれました。創業者のPeter Kellardの詐欺が発覚し逮捕されて、閉園という運びになりました。それから他の人物がリニューアルして運営しましたが、紆余曲折を経て再び閉園となりました。ホテルやオフィスが入るなどさまざまな計画が出ていますが建設が進んでいないようで跡地は廃墟のままです。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑨キャメロット・テーマパーク(イギリス)

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ランカシャー地方のチョーリー近郊にあったテーマーパークで、イングランドでも特に有名な伝説として知られるアーサー王のお話の世界観をイメージした造りになっていました。こちらは、経営が困難な状態に陥り2012年にクローズとなりました。不動産業の人々によって何度か建物を造る計画があがりましたが、頓挫してしまっています。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑩シュプレーパーク(ドイツ)

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1969年に開かれましたが、当時としては東ドイツで唯一の遊園地として名を馳せていました。場所は、その時代の東ドイツの中心都市でもあったベルリンにありました。東西ドイツが統一した後は、より西欧的な遊具が導入されていきました。しかし、懐事情は芳しくなく負債が増えていき、駐車スペースが十分でないことが原因で客が減少しました。

支配人の逃亡

ついに支配人が破産宣告を受けることになり、家族とスタッフ、さらに6つの遊具を持ち去ってペルーに逃げていきました。2002年に遊園地の方は閉鎖されましたが、支配人はペルーのリマで再度テーマパークを構想しましたが失敗し、しかも遊具にコカインを隠してたとして有罪の判決を受けました。

見学ツアーがある

支配人は夢を売るどころか悪夢をばら撒いたとんでもない結末を迎えました。シュプレーパークはもちろんほったらかしの状態になり、廃墟となり、さらに原則立ち入り禁止となっております。しかし、現在は遊園地内部を見学できるツアーが定期的に開催されています。

幽霊観覧車

都市伝説のような広がりを見せている話で、ここの観覧車は人が操作しているわけでもないのに勝手に動き出すという恐ろしい現象が起きます。単なる風のせいではという声もあがったのですが、無風の時でも動いたという証言があり、真相は謎に包まれています。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑪ダディランド(ベルギー)

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名前の通り「ダディゼーレ」という場所にあるアミューズメントパークでした。1949年に開園されてから2000年初頭までの50年ほど運営されていました。しかしウォータースライダーに似た乗り物で大事故が起きてしまい、ある少年が腕を失ってしまうと惨事が発生しました。閉鎖に至った理由は、その一軒が大きいのではないと囁かれいます。

ヨーロッパの廃墟遊園地⑫放射能に侵された遊園地(ウクライナ)

チェルノブイリ原発事故によって、一度としてオープンしないまま世の中から置き去りにされた地です。キエフからおおよそ100キロ離れたプリチャピ市にあります。観覧車などさまざまな遊具が、まさに廃墟然として佇んいて、世の末を思わせる雰囲気を醸し出しています。減税も放射能における危険な区域でもあり、立ち寄る人はあまりいません。

廃墟になった海外の遊園地19選~アジア編~

日本からも近い、中国や韓国などのアジアの取り壊しになったテーマパークについてご紹介していきます。東南アジアからは、代表してフィリピンのアミューズメントパークについて伝えていきます。実は、ここで紹介する中には活動を止めたわけではないけれど、廃墟に近いような状態のものもあります。

アジアの廃墟遊園地⑬ワンダーランド・アミューズメント・パーク(中国)

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日の目をみないまま、計画の途中で頓挫してしまった夢の国がありました。アジアで最大のアミューズメントパークという触れ込みで開発が進められていたもので、建造物はディズニーワールドのようでした。しかし、ビジネス上のトラブルでもたびたびある土地の買収において、うまくいかなくなってしまい中断してしまいました。

元はトウモロコシ畑だった

2013年には建物のほとんどが取り壊されましたが、巨大な西洋風の城が依然として廃墟の中に鎮座している様はなんとも言えない異様さを醸し出していたそうです。廃墟の傾向としては、代表的な建物や大きなものが取り残されるパターンがしばしば見受けられます。また、ここではとうもろこし畑を耕す人々がちらほら目撃されるようです。

アジアの廃墟遊園地⑭歓笑天地(中国)

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万江大道の南側にロケートしており、広東省東莞市にできたショッピングモール(新華南MALL)内にありました。ドバイ・モールが出現するまでは、世界で一番規模の大きいショッピングモールでした。しかし、経営状態は良くなく、テナント代も高く参入してくるところが少なかったので、空きスペースが目立っていました。

人が集まらないため

実際20パーセントしかお店が入っていないという状態でかなり閑散としていました。遊園地には、ゴーカートやボート、ゴンドラなどの乗り物が容易されていますが、廃墟と化しています。ただし、ショッピングモール自体は活動はしているので、実際には廃墟とは呼べません。

アジアの廃墟遊園地⑮エンコアガーデン(台湾)

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台中市の東に位置し、魅力的なアトラクションが豊富だったこともあり、時には100万人も動員があるほど絶大な人気がありました。しかし、2000人もの人々が犠牲になったいたましい地震が起きてしまったおかげで、活気に影響を与えました。さらに2008年には競合の遊園地が進出してきたためにあえなく閉園して、廃れてしまいました。

アジアの廃墟遊園地⑯ヨンマランド(韓国)

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国の中心のソウル市の中浪区にある小さいアミューズメント施設です。ロッテワールドが進出してきたために、衰退し2011年にクローズとなりました。しかし、その後もアーティストのミュージックビデオの撮影などで人気のある廃墟となっております。5000ウォンほど払えば入場でき、すでに廃墟ビジネスとして成り立っている場所です。

アジアの廃墟遊園地⑰オクポランド(韓国)

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遊園地の場合何か事故が起きて閉鎖になるケースがありますが、まさにオクポランドもそうです。巨済島にある、同名の市である巨済市近郊にあるオクポにあったところです。子供が遊具から落下してしまう事故が発生してしまい廃業に追い込まれました。

アジアの廃墟遊園地⑱万景台遊園地(北朝鮮)

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平壌郊外のマンギョンデ地区にあり、ミニ鉄道をはじめ、ジェットコースターやメリーゴーランド、波のあるプールまでありました。実は、今もなお運営はされいる遊園地なのですが、整備などが杜撰にされていて、荒廃しているように見えます。金正恩が2012年に訪れた時には、あまりのひどさに大激怒したというエピソードがあります。

アジアの廃墟遊園地⑲ファンタジーワールド(フィリピン)

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さかのぼること2000年の初めに、マニラから車で4時間ほど行ったところに、まさに幻想的なテーマパークが造られようとしていました。しかし、運営側の財政が困窮してしまい、オープンを迎えることができないまま中止となってしまいました。

日本人がオーナーだった

かわいい出で立ちの数々のアトラクションは、誰にも遊んでもらえることがないまま、ただただ老いていくだけです。しかし、裏を返すと廃墟マニアにはとても喜ばれる不気味なオーラで溢れかえっています。それに目をつけてか、入場料さえ払えば立ち入って鑑賞することができます。現在は、日本人に変わり別の会社が管理してます。

なぜ廃墟が生まれるのか?

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どのようにして荒廃した遊園地が出来上がってしまうのでしょうか?ここではその原因として考えられることをいくつかあげて考察していきます。廃れてしまった場所では、事件が起きたからなのか、それとも商売を始めたとしてもすぐ廃れてしまう何かがあるのか、はたして大概の理由はどのようなものがるのでしょうか。

大概は経営破綻によるもの

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特に遊園地のような大規模な土地を売りに出したとしてもなかなか買い手がつかないケースが多いです。中には、後述で出てくるようにアメリカのロッキーポイントのように一部だけを買い取って、リニューアルしてオープンするケースもあります。ただし、買い取られていない土地については封鎖状態というケースがあります。

フェンスを導入しさえすれば

もちろん経営破綻だけでなく、オーナーが亡くなって計画が頓挫してしまうケースもありますが、どちらにしても解体作業をするにしてもかなり莫大な費用がかかってしまうため、とりあえずフェンスなどの策を設けて放置した方がぐっと費用が抑えられるため、そのまま内部のメンテをしないで廃墟になるパターンも多いようです。

最古の遊園地

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日本において最古の遊園地となっているのは、一度解体はされましたが、浅草の「花やしき」を挙げる方も多いようです。もしくは、それより先駆けとなるものには「宝塚新温泉」を挙げる声や、途絶えることなく継続しているという意味では「ひらかたパーク」があげられます。それでは、世界的に見るとどこが候補に挙がるでしょうか。

世界においては諸説ある

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やはりどこまでを持って遊園地とするという話になると定義などの捉え方が賛否両論になってきます。濃厚なのは、約350年近く前のロンドンの「ボクスホール・ガーデンズ」があります。庭園というくくりですが、数々の催し物があり遊園地の起源と唱える方々がいます。

他には

古さで言えば、1583年に出現したデンマークの「デュアルハウスバッケン」が候補にあがります。補足ですが、世界初の観覧車は「フェリスの車輪」というもので、こちらに関しては1893年のシカゴ万博で初めて世の中に披露されることになりました。

廃墟マニア必見!廃墟となった遊園地

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数々の廃墟のスタイルがあります、遊園地という特殊な場所の場合は、楽しい場所やファンタジー的な要素があるだけに荒廃している情景はなんとも言えない気分になります。それは、哀愁からなのか、ノスタルジックな果てにある虚無感からなのか、時には滑稽さがもつ怖さからなのか、人それぞれの心に訴えかける何かが内包しています。

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