心霊スポットとしても有名?廃墟となった遊園地たち
人によっては成人してからも訪れることのある遊園地ですが、ご自身が幼い頃に足を運んだ遊園地はまだ健在ですか?いろいろな幼少期の想い出が詰まった場所は現在はどうなっているのか気になる方もいるかもしれせん。残念ながら今現在は幕を閉じてしまった遊園地について、心霊的なものも交えながら古今東西あますところなく特集をしていきます。
廃墟になった日本の遊園地46選!~北海道編~
北海道は、大自然に囲まれたスケール大きい観光地としても知られています。そして、日本でも特に広大な面積を有しているだけにたくさんのレジャー施設があります。しかし、栄枯盛衰はつきもので、その裏にはサービスが停止となってしまったアミューズメントパークがたくさんあります。ここで、特に有名な場所をいくつか取り上げていきます。
廃墟遊園地①グリュック王国(北海道帯広市)
グリュックは独語でGlückと書き「幸福」を意味します。名前の示す通り、ドイツのことを扱ったテーマパークであり、特に時代は中世をモチーフにしていました。ドイツをネタにしたものは日本ではたくさんあります。関東では千葉の東京ドイツ村や、10月にはところどころでお酒のイベントであるオクトーバーフェストなども開催されています。
1992年に
開園は平成元年になりますが、それから3年後にここの象徴としてビュッケブルグ城が建設され、城中には会員制のホテルまだ併設されました。また、この時期に「グリムの森」というアミューズメントの集合体まで経ちあげています。とてもエレガントな空間を人々に提供していました。
開園から約20年後
とても賑わいを見せていた場所でしたが、日本全体が景気が悪くなった影響を受けて、次第に訪れる人が減少していき、2003年に休園を迎えて、その4年後に正式に閉演という運びになりました。まるで、中世ヨーロッパの跡地が帯広にあるかのような状態です。
廃墟遊園地②アドベンチャーファミリー(北海道夕張市)
もともとは石炭についての歴史を見物させる村の一部だったところです。昭和58年に村が全面的に開園され、遊園地(アドベンチャーファミリー)やバラ園、野外ステージなどもあるバレエティーに富んでいました。しかし、平成18年に夕張市が実質倒産してしまったため、運営が厳しくなる状態に至りました。
村は再開されたが、
歴史た資料として価値が惜しまれていたので、平成19年には夕張リゾートというところの運営を元に「石炭の歴史村」は再び活動することになりました。しかし、遊園地に関しては再度オープンするということはないままでした。
廃墟と化している
遊園地内の多くの施設は野ざらしのまま無残に放置されていました。しかし、平成20年には大半のものが撤去されることになりましたが、水上レストランや、野外ステージなどはほったらかしのままで、幽霊屋敷などの施設も残っているそうです。巨大な駐車場を有していたのですが、そちらも手入れはされていなく、雑草が生い茂っています。
廃墟遊園地③錦沢遊園地(北海道夕張市)
夕張市錦沢駅が開かれることになったのと同時に、周辺の公園が整備されました。そこには、遊園地をはじめ、釣り堀やちょっとした動物園まで入っていました。昭和38年には、小さいな汽車や車などの遊具も置かれていました。
1970年代には
夕張鉄道線が廃止されることになり、それに付随して遊園地も閉めることになりました。線路後は現在サイクリングロードとはなってはいるのですが、整備を隅々まですることが困難なこともあり、木が倒れていたりして通行するのが難しいという状態になっていたりもします。
廃墟遊園地④天華園(北海道登別市)
登別には、4大テーマパークと呼ばれるものがありました。「のぼりべつクマ牧場」、「登別伊達時代村」、「登別マリンパークニクス」、そして中国ティストのテーマパークであった「天華園」の4つです。しかし、あえなく閉園するに至り、今は登別は残りの3つによって3大テーマパークとなってしまいました。
時代は清
中国の昔の時代を描いた映画「ラストエンペラー」のような、清王朝の時のような雰囲気を醸し出していたパークです。宮廷にある庭園を再現した場所があったり、高さが40メートルにも及ぶ五重の塔が建設されていたり、本格的な中華料理の店を出店するなどして趣向を凝らしていました。
再来園者が伸びず
めぼしいアトラクションやイベントなどがいまいちないことによって、リピーターが増えなかったとも言われています。オープンしてから、どんどん来る人が減っていきました。オープンして、7年という月日でなくなってしまいました。その後は、しばらく放置されていたのですが、2017年に取り壊され、予定では大きなソーラー発電所ができます。
廃墟遊園地⑤むしむしランド(北海道樺戸郡)
名前からも推測された方がいるかもしれませんが、文字通り「昆虫」を扱ったアミューズメント施設です。1990年に開園されましたが、残念ながらわずか6年で閉鎖されてしまいました。素敵な観覧車もあったのですが、現在は撤去されて面影はありません。
豊富な虫の数
以前は、なんと6万匹の昆虫が飼われていた日本でも珍しいテーマパークでもありました。ところで昆虫と言えば、紙の魚と書く昆虫の「紙魚」もしくは「キララムシ」という不思議な存在をご存知でしょうか。もし、ご興味のおありの方は、是非こちらの記事も合わせてご覧ください。
廃墟遊園地⑥テイネオリンピア遊園地(北海道札幌市)
「サッポロテイネ」という施設の中の一つとして開設されていた遊園地です。昭和40年から平成22にまでという長い期間運営されていました。ほとんどの遊具が処分されました。ちなみに「サッポロテイネ」自体は今も現役で存続しています。他にはゴルフ場や、一部のルートは廃止されていましましたがスキー場は稼働しております。
木更津から
平成16年に閉じた「恐竜パーク木更津」から取り寄せたダイナソーたちのオブジェがあります。どれもカラフルで個性的な作品にしあがっていました。営業していた時は1.5キロからなるゴーカートのコースがあったり、アスレチック施設なども充実していました。値段としては大人2800円、子供2300円とそれなりの金額で運営していました。
廃墟遊園地⑦苫小牧ファンタジードーム(北海道苫小牧市)
屋内にあるスタイルのレジャー施設でした。平成2年にオープンし、平成9年にはクローズとなりました。最寄りの駅は苫小牧駅となり、駅と遊園地が直結型のとてもちからを入れていた施設でした。下車してすぐに、メリーゴーランドや王道のジェットコースターに乗れる、とても気軽に行けるところでもありました。
現在は
閉園後、実は廃墟と化したわけではなく、施設跡には長崎屋苫小牧店が入りました。そして、平成22年にはMEGAドン・キホーテが進出しました。ただ、お店が入ったからといって、面影がなくなったわけではなく、建物の外の部分にはジェットコースターの経路の一部部が今もなお残っております。
廃墟遊園地⑧白鳥湖遊園地(北海道苫小牧市)
こちらも苫小牧市にあったもので、ちょっと懐かしいスタイルのレジャー施設でした。遊具自体は、ゴーカートやバッティングセンターなどおなじみのものが置いてありました。何と言っても、手づくり感あふれる施設で、イラスト自体もいかにも手書きで書かれた形で、マニアにはたまらない感じの場所だったとも言えます。
閉鎖の原因は?
実は情報が錯綜していて、2008年もしくは2011年に閉鎖されて、取り壊されたとも言われています。原因は、管理をしている方が亡くなったためです。この方は、とても個性的な方で会ってみたいというファンがいたそうでです。テレビ番組の「探偵ナイトスクープ」にも取り上げられた、知る人ぞ知る噂のスポットだったそうです。
廃墟遊園地⑨オタモイ遊園地(北海道小樽市)
遡ること昭和の初めに、小樽に名所を作ろうと立ち上がった人物がいました。割烹「蛇の目」を商っていた主の加藤秋太郎という方が創りました。古から「白蛇の谷」と伝わっていたオタモイ海岸の白蛇に由来して「白蛇辨天堂」を建てました。次に10万坪という大きなスペースに130人までは入れる食堂を作りました。
さらに事業は拡大し
崖の上に「龍宮閣」という宴会場を作りました。なんと京都の清水寺をも凌駕する大きさでした。さらに、ついに遊園地まで進出していきました。いくつもの遊具をはじめ、演芸場や桜並木、池などもありとてもバラエティに富んでいました。その時代ならではなのか相撲場まで、遊園地の施設に入っていました。
太平洋戦争がおとずれ
賑わっていたころは、一日に数千人というお客が遊びに来ていました。栄華を極めていたのも束の間、戦争が始まって、営業をやめることになりました。終戦を迎えて、満を持して再開しようとした矢先に火事が起きてしまいました。白蛇弁天堂も崖が崩れてダメになり、その他の施設も倒壊という惨事になりました。
現在は心霊スポットとしても
華やかな施設があった一帯は駐車場と化しています。そして、平成30年にはさまざまな施設があった場所には、柵が設置されているところもあります。崖崩れの危険を警告する板も備えられて、立ち入ることができなくなってしまいました。自殺の名所になってるという話もあり、旧海水浴場に無数の人影や手が出現する情報が多く寄せられています。
廃墟遊園地⑩大沼遊園地(北海道亀田郡)
338号線の大沼公園沿いに存在していたアミューズメントパークです。一般的には、オープンした時期は定かではありません。1976年頃には小さな建物がぽつんとあった場所でした。それから1988年ぐらいには、ゴーカートの為と思われるコースが出現していました。
小型レジャー施設
ゴーカートをはじめ、簡易的な遊具が設置されていました。しかし、2000年になる前にはカートのコースの跡さえも認識しずらくなっていきました。2010年過ぎたぐらいの話ですが、その時点では道路沿いに遊園地の門が残ってはいるのですが、カートを運転する道らしきものと物置小屋のようなものしか見当たらなくなりました。
廃墟になった日本の遊園地46選!~東北地方編~
東北地方と言えば、映画の「フラガール」などでも有名なスパリゾートハワイアンズ(前常盤ハワイアンセンター)などレジャー施設が目白押しの地域でもあります。やはりここでも営業しなくなり廃墟となってしまった所がいくつかあります。
廃墟遊園地⑪ワンダーランドASAMUSHI(青森県青森市)
場所は東北の最北端の県にあるのですが、大阪の会社が関わっているアミューズメント施設です。本社が大阪にある遊具メーカーの「岡本製作所」の作った「あさむしキディランド」が初めに、この地でオープンしていました。
しかし閉園・・・
1999年にクローズとなり、2000年にそれらに付随するものを引き取って「ワンダーランドASAMUSHI」がオープンしました。ただ、来客数は減少傾向にあり、五年後に幕を閉じました。遊ぶ器具の撤去が行われたため、今では建物のみが佇んでいます。
廃墟遊園地⑫はごろも自然遊園地(青森県八戸市)
八戸線の金浜駅の近くにあったアミューズメントパークでした。1970年代に、はごろも旅館に付随した施設として作られました。遊具はあまりなかったようで、どちらかという公園に近い方だったみたいです。エントランスとカフェの建造物は残っているという話ですが、現在は跡地に太陽光の発電所が作られています。
廃墟遊園地⑬化女沼レジャーランド(宮城県大崎市)
化女沼と書いて「けじょぬま」と読み、ある姫君が沼に機織り機と一緒に沼に身を投じた話からついた地名です。ただこの遊園地は、お化け屋敷のようなところではなく、ある若人が戦後の何もなくなった場所に、活気のある何かを作ろうと始動させたプロジェクトのためのものでした。
心霊スポットとしてテレビで
全国の怪奇現象が起きる場所として取りあげられたこともあります。確かに名前からして、一見もののけの類が絡むような雰囲気もあるためかとても話題になりました。ロケ中に芸能人の方が憑依されたり、女性の鳴き声が聞こえると語り始めて話題になりました。
形を変えて生き続けている
現在は園自体は休止中ですが、元の運営者の意思を継いでくれる人が出現するまで、遊具などを処分しないという熱い想いが詰まっています。許可が必要ですが、コスプレのイベントや、映画、音楽のPVなどでも使われています。コンスタントに掃除も行われていて管理もしっかりなされています。
充実した施設
遊園地のマストでもある観覧車やメリーゴーランドをはじめ、キャンプ場や、小さなゴルフ場、宿泊施設まで完備していました。しかし、今現在に近づくにつれて、少子化問題が深刻となり始め、客足は遠のいていきました。2000年代に入り、休止状態となりました。化女沼レジャーランドのさらに詳しい情報については、こちらを是非ご覧ください。
廃墟遊園地⑭仙台ハイランド(宮城県仙台市)
遊園地、ゴルフ場、スキー場と三拍子揃った複合施設として、1970年代に始動しました。遊園地の内容は、ジェットコースターやメリーゴーランドといった刺激的なものから、屋内外にプールがありました。ハイランドセンターというホテルも作っていました。
スポーツへの貢献
全日本のGT選手権が開催されていたり、スキー場にはハーフパイプまで備え付けていました。また、有名な映像作品でもあある西部警察やジャッキーチェンの映画「デッドヒート」でも場所を提供しました。それから、月日が経ち資金繰りに行き詰ってきて、施設の老朽化も深刻になり、客足がだんだんと減少していき閉園となってしまいました。
廃墟遊園地⑮天使ランド(宮城県刈田郡)
平成9年に、日帰りの温泉施設と遊園地として作られました。敷地面積は、とても広大で10万平方キロメートルもありました。ログハウスや、300人も食事がとれる場所や、200人収容できる講演などの用途のための開場まで建設しました。温泉類も、露天風呂から室内温泉まで充実していました。
盛りだくさんの施設
砂場や岩場、池、花壇、泳げる場所、植林広場など自然に溢れていて家族連れにはもってこいの場所でした。しかも、子供用のボート、大きい滑り台、サイクリング用の自転車など充実しているラインナップを誇っていました。天使ランド号というドイツ製の路面電車まであり、目玉になるアトラクションの一つでした。
温泉通も唸らせる
温泉も評判であり、ph10.1の強アルカリ泉を採用していました。しかし、平成20年ぐらいになると休業状態になっていきました。ついに、それから5年後には自慢の入浴施設まで閉鎖することになってしまいました。今では、野菜の無人販売のスペースとして利用されています。
廃墟遊園地⑯猿羽根山遊園地(山形県最上郡)
昭和48年にオープンした、小さな遊園地です。しかし、鉄道を模した新幹線のアトラクションやゴーカート、観覧車などまであり充実していました。中心となる施設には、六角形の建造物で高さは10メートルほどにもなる展望台を構えていました。
かすかな痕跡
猿羽根山のトンネルに変わる新しい道が出来てしまったため、交通量が著しく少なくなってしまし、昭和63年には閉めることになりました。現在は、猿羽根山公園として人々に親しまれています。展望台などは、そのまま転用されています。入口には、ゲートだった名残がまだかすかに感じられます。
廃墟遊園地⑰高子沼グリーンランド(福島県福島市)
阿武隈川と高子沼(たかこぬま)の間に位置し、なだらかな起伏のある地形に建設されました。福島県において、初めての遊園地として昭和48年に開園しました。しかし、施設の経年劣化や経営状態の悪化によって平成11年に閉鎖するに至りました。ここは霊的なことが起こることでも特に有名な場所です。
心霊体験多数あり
掲示板などで多くの人がここでの体験を書き込むようになり、霊的な噂が増えていきました。具体的には、中にある彫像を見ると呪いにかかり発狂してしまう、ジェットコースターの付近で少女の悲鳴が聞こえる、写真撮影をしたら恐ろしい表情をした少女が写っていた、入り口で男性の幽霊を見たなど枚挙に暇がないです。
映画やゲームで
平成15年の映画「仮面ライダー555 パラダイス・ロスト」の撮影が行われたり、宇多田ヒカルのミュージックビデオにも採用されました。また、廃墟の雰囲気を生かして、ホラーゲームの「SIREN2」にはここの遊園地の観覧車が写っています。
様変わり
平成18年には、ほったらかしにされてた遊具などが撤去されてしまいました。そして、平成26年になると、ソーラーパネルが設置されているのが見受けられるようになりました。今現在では、アミューズメントパークとしての面影はかなりなくなってしまいました。高小沼グリーンランドのさらに詳しい情報についてはこちらを是非ご覧ください。
廃墟遊園地⑱照島ランド(福島県いわき市)
ここは、水族館も兼ね備えていたレジャー施設です。遊具も充実していて、イルカやアシカのショーなどもやっていて夏にはもってこいの場所でした。流れるプールなども設置してあったので、当時の子供たちには魅惑のランドでした。
廃墟のホーリーグランド
長い間廃墟として、いろんなものが放置されていたので、廃墟のマニアの人々には聖地の一つとして認識されていました。しかし、今は全部取り壊しとなり、ゴルフ場とヨットハーバーとして人々の嗜みの場となっております。
廃墟になった日本の遊園地46選!~関東地方編~
いくつかの無くなってしまったテーマパークは、都心というより首都圏以外の方が印象に残るものが多いといえます。ここでは数ある遊園地の中で特にインパクトがあったものについてご紹介していきます。いくつかのパークについては聞き覚えのある方もいるかもしれません。
廃墟遊園地⑲上野こども遊園地(東京都台東区)
上野公園の敷地内にある遊園地で、日本の動物園でも特に有名な上野動物園の近くにあります。歴史も古く1946年から営業が始まり、2016年まで70年とかなり長い間続いていました。しかし、地主にあたる東京都の指示で動物園の魅力をより高めるために正門前の広場を工事することになりました。そのため閉鎖という運びになりました。
廃墟遊園地⑳多摩テック(東京都日野市)
モータスポーツをテーマに掲げて作られたもので、遊園地や温泉施設が内包されていました。同スポーツに強い本田技研工業の系列の延長でオープンされました。オートバイの愛好家たちをターゲットとして建設されたのですが、カミナリ族向けの施設と非難をあびたりもしました。また、60年代には園内でバイクの転倒による死亡事故まで起きました。
遊園地に変貌
70年代になると、遊園地として整備されていきました。そして、1995年には水上絶叫マシンや観覧車などのアトラクションに力を入れ始めました。また、その年に温泉が湧き出て、温泉施設の開発もされるという運びになります。
有名施設に勝てず
東京ディズニシーやUSJに客足をとられることになり、2009年にクローズとなりました。現在では、遊具などは撤去され、施設としての基礎の跡が残るものの更地の状態で放置されていています。明治大のラグビー部が練習場や合宿場として利用する構想があがりましたが、紆余曲折を得て頓挫することになりました。
廃墟遊園地㉑向ヶ丘遊園(神奈川県川崎市)
小田急電鉄系統のレジャー施設になります。昭和2年にはじまり、平成14年まで存続していたとても長い歴史がありました。敷地にあったほとんどの遊具は取り払われ、バラ園として生まれ変わり、生田緑地の一部分として管理されています。また、平成23年には「藤子・F・不二雄ミュージアム」がオープンしました。
廃墟遊園地㉒横浜ドリームランド(神奈川県横浜市)
アメリカのディズニーランドにならって、日本にも同じようなものを作ろうという試みのもと開発されていきました。当時では、最高峰の高層建築物になる「ホテルエンパイア」を敷地内に建設しました。他には、遊園地をはじめ、ショッピングモール、映画館、ボウリング場、スケート場など壮大なスケールで展開していきました。
交通の弊害を皮切りに
1966年に大船と横浜を結ぶモノレールができたが、たったの一年ちょっとで技術的な問題になり、運航が休止となりました。さらに周囲のベッドタウン化が進んで、渋滞が激化してしまいました。その影響もあり、1983年に千葉に東京ディズニーランドがオープンしたため、厳しい状況に陥りました。
2002年に
苦境を凌ぎきれず閉園となりました。土地は南北に分割されて、南側は、都築第一学園に売り、2006年には横浜薬科大学ができました。北側は、横浜市の手により再び開発を試みられ、俣野公園と市営墓地として生まれ変わりました。土地の周りにはドリームという名のお店が点在し、当時の名残を鑑みることができます。
廃墟遊園地㉓東松山遊園地(埼玉県東松山市)
昭和45年にオープンし、園の長は個性的なところでもしられる神秘珍々ニコニコ園を経営している人物でした。サイクルモノレールやゴーカートといった乗り物系をはじめ、浴場の他に北極体験のできる施設までありました。観覧車を作るプロジェクトもあったそうですが、実現する前にクローズとなりました。
サバゲー場となる
例にもれなく、閉園後しばらく放置されいました。しかし、2015年を迎えてエアガンなどで人々が遊ぶフィールド、いわゆるサバイバルゲームの施設として生まれ変わりました。かすかに当時の面影が残っており、正門だったと思われるコンクリート造りの壁や、骨組みだけとなってしまってる廃屋などもあり、サバゲーの演出に一役買っています。
謎の小屋に幽霊
たった数年で店じまいになったため、詳細を知る人が少ない場所でもあります。用途が不明な小屋が跡地には残されていて、噂ではそこで何回か首つり自殺があったと言われています。そのおかげで、そこで死を選んだ人々の幽霊たちが現れるという噂があります。
廃墟遊園地㉔カッパピア(群馬県高崎市)
戦後の活気を持たすための政策の一つとして掲げられていた「新日本高崎子ども博覧会」の用地や施設の経営を上信電鉄が継ぎ、そこに「高崎フェアリーランド」が始動しました。1969年に敷地内のプールとして「カッパピア」ができたのですが、爆発的な人気を博したため、むしろ施設全体が「カッパピア」と呼ばれて親しまれていました。
バブル崩壊によって
不況の波に耐え切れず、閉鎖に至りました。その後は、廃墟と化したのですが、付随して少年たちが侵入するようになり、犯罪などが起きる環境に一役買っていると社会問題になってしまいました。2007年には、放火による可能性が高い火事が起きました。
火事を機に
園の跡地を自然公園として整備する計画が進んでいきました。建物などの撤去も完了し「観音山公園」として整備が進んでいます。2017年には子供用のプールと芝生のエリアが解放されるまでに至り、さらに遊具を増やしていく方針が進行中です。カッパピアに興味を持たれた方は、こちらの記事により深い情報が掲載されいるので是非ご覧ください。
廃墟遊園地㉕ウェスタン村(栃木県日光市)
文字通りアメリカ合衆国の開拓時代の西部劇のような雰囲気を演出しているアミューズメントパークです。ウェスタンのアクションショーや、アメリカの大統領の顔の巨大彫刻で有名な「マウントラッシュモア」のレプリカまであるという凝りようでした。
メディアにも良く利用された
コマーシャルビデオや西部劇の撮影などで使用されました。それだけでなく時技研警察訓練所としても利用されていました。2006年を境に長期の休園状態に入ったままになっています。しかし、廃墟化は進行していて、それがかえってマニアの間では注目を集めてしまっているスポットです。寂れたウェスタンの情景はとても哀愁が漂っています。
廃墟遊園地㉖小山ゆうえんち(栃木県小山市)
1960年にオープンしましたが、約30年後には親会社が倒産をしてしまったために、尾を引いて倒産となってしまいました。そんな中、ダイエーもテナントを出していたため、経営的に支援をし尽力しましたが、ダイエー自体が危機に陥る時が来て、彼らも撤退していきました。
温泉で再起を図る
日帰りの入浴施設をオープンしましたが、赤字から抜け出すことはできませんでした。2005年には完全に閉演となり、2006年には大方の遊具は撤去となり、ほぼまっさらな土地となりました。「おやまゆうえんハーヴェストウォーク」の建設が始まり開業するに至りました。観覧車も撤去され、残った遊具はわずかとなっています。
廃墟になった日本の遊園地46選!~中部地方編~
富士急ハイランドなどは今も大盛況ですが、この地方でも廃れてしまった所があります。こちらのエリアの特徴は、カタカナを使ったタイトルのテーマパークで幕を閉じたものが多いような印象を受けます。ロシア、ドリームランド、ユートピア、ガリバー、ファミリーランドなどさまざまな外来のものを意識したようなスタイルが見受けられます。
廃墟遊園地㉗新潟ロシア村(新潟県阿賀野市)
新潟県において初めてのテーマパークとして、1993年にできました。お隣のロシアとの文化の交流を目的とした施設で、新潟の中央銀行の頭取の方が舵を取って行っていた大きな3つの融資の計画の内の一つでした。露の民芸品の販売や、民族舞踊、地ビールなどで話題を集めていました。
新潟銀行の破綻
しかし、1999年に融資の中心となっていた新潟銀行がだめになってしまい、運営が厳しくなっていきました。それから4年後には、実質休業状態となってしまい、それから数か月してクローズしました。テレビのコマーシャルや心霊番組などの撮影場所などで利用されてはいましたが、基本的には整備はされていなく、放置されていました。
2009年に火事が原因の霊現象?
敷地のホテルが全焼してしまい、2016年には教会以外は解体されることになりました。火事以降に挙がった噂には、女性の苦しむ声が聞こえる、ドアが勝手に閉まった、死んだ男の人の無念がつもった怨念が渦巻いているなどの情報があります。
廃墟遊園地㉘野積ドリームランド(新潟県長岡市)
東京ディズニーランドが「TDL」と呼ばれているように、こちらは「NDL」と略されて親しまれていました。宮殿のような建物や、うさぎなどと触れ合える施設をはじめ、アスレチック施設、テニスコート、プールなどさまざまな物がありました。遊具も充実していて、大型の乗り物やポケットバイク場、コーヒーカップなどもありました。
現在では一部の施設のみ残っている
昭和56年に閉園となり、それから現在に至るまで長い間いくつか施設は存在していたのですが、平成19年になると大部分のところは解体されてしまいました。また、敷地の一部分に関しては、すでに分譲住宅地と変貌をとげています。今では、ぼろぼろになったテニスコートなど一部のみかろうじて存在しています。
廃墟遊園地㉙大川寺遊園(富山県富山市)
遊園地を鉄道関連のところが経営しているのはよく在る形態ですが、ここも例にもれず富山にある地方の鉄道会社が携わっていました。1958年に始まり、その後に不況の煽りを受けて約40年後に閉園という運びになりました。ジェットコースターや観覧車といった目玉の遊具がありましたが、全て現在では撤去されています。
廃墟遊園地㉚ユートピア加賀の郷(石川県加賀市)
ある実業家の方が280億円も使って作った豪華のスポットです。特に推していたのは、全長で73メートルにもなる巨大な黄金の観音像でした。また、千手観音像がなんと1000体という凄まじい数ある施設までありました。温泉にホテル、美術館までありました。ジェットコースターに観覧車、ゲームセンターと一通りのものが揃っていました。
織田無道氏が
この遊園地の母体となる事業は、スーパーマーケットだったのですが、1997年に閉店となってしまいました。そのため、ユートピアの方も閉めざるを得ない状況に陥りました。その後に、「密教禅大本山豊星寺」となり、織田無道氏が住職として収まりましたが、給料が支払われない問題などのため閉鎖となりました。
さらに名前を改め
「観音院加賀寺」となるが建物内は蜘蛛の巣が張っているような荒廃した状態でした。さらに2016年には、名前が変わり「天空聖陵 加賀の郷」となり、運営者も「よろこび家族の和=天華の救済」となりました。以前には珍し仏教施設として脚光を浴びていましたが、今は老朽化が目立ち、一部の施設は解体され、ホテルなども廃墟となっています。
廃墟遊園地㉛富士ガリバー王国(山梨県南都留郡)
ガリバー旅行記をモチーフにした、エコロジー的なテーマパークでした。主役で大男の45メートルもあるガリバー横たわっているスポットをはじめ、ワラビーなどがいる自然の溢れる牧場や、北欧を意識した村などで人々を魅了しました。他には、ボブスレーのコースまでありました。
衰退の原因
さまざまな要因になって潰れることになりました。まず、メインバンクの新潟銀行の破綻にはじまり、アクセスがよくない立地だったこともあり客足が遠のき、さらに富士急ハイランドという超強力なライバルがいたこともあり、経営が困難になり閉業となりました。
廃墟マニアの間では
巨大なガリバー像がある廃墟として、全国でも屈指の廃墟エリアとして知れ渡っていました。現在では、ほとんどの設置されていたものは取り壊されていますが、基礎の跡や少々の建物は現存したままで、ボブスレーのコースも残っています。富士ガリバー王国についてのより詳しい記事がこちらにありますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。
廃墟遊園地㉜小田急御殿場ファミリーランド(静岡県御殿場市)
実は、厳密にはこの場所はもはや廃墟ではありません。リニューアルされて、アウトレットモールの「御殿場プレミアム・アウトレット」となっております。観覧車やアトラクションの一部は残っており、観覧車に関しては今は運行されています。観覧車からは、施設内のウォータースライダーの変わり果てた姿を眺めることができます。
小田急電鉄経営の遊園地だった
1974年に開園し、ピーク時には100万人の来場者が訪れました。夏はプール、冬はスケートの場所を提供していてとても賑わっていました。一押しの絶叫マシンである「ダンガイ」、「ガンビット」などもとても好評でした。90年代に突入すると、少子化の煽りを受けて、持ちこたえることができなく、1999年にクローズとなりました。
廃墟遊園地㉝大塚遊園(愛知県豊橋市)
手づくりの遊園地として、ゴジラの像をはじめ、立体の迷路やアスレチック施設、動物園、プールなどで人々の気を引きました。80年代にオープンしましたが、クローズに至った時期ははっきりとわかっていません。設置されていた建物等は中途半端に取り壊されていて、天井がなかったり落書きがされていたりします。現在は鉄条網が敷かれています。
廃墟になった日本の遊園地46選!~近畿地方編~
今では、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなど特に賑わいを見せている場所があります。しかし、その背後にはさまざまなテーマパークが淘汰されていきました。大阪をはじめ、兵庫や奈良などの関西の地域での廃墟となった遊園地をご紹介していきます。
廃墟遊園地㉞フェスティバルゲート(大阪府大阪市)
遊具と娯楽施設、さらに商業施設を兼ね備えた複合的な娯楽施設で「都市型立体遊園地」をうたっていました。ジェットコースターが、建物を貫通しているというかなり斬新な設計を施していました。しかし、ユニバーサルスタジオジャパンが強力で、お客さんがとられる一方でした。
終焉
次第に衰退していくことになり、健闘むなしく、ついに2007年には、全ての店舗やサービスが終了することになりました。2年後には、競売でマルハンが入札をして、現在ではマルハンの新世界店として生まれ変わってしまいました。
廃墟遊園地㉟奥摩耶遊園地(兵庫県神戸市)
1955年に摩耶でロープウェイが開かれることになったのですが、それに合わせて神戸市交通局が、複合的なアミューズメント施設としてオープンしました。日本の高度成長時期によって、人々が車を使うことが浸透していき、ロープウェイの収入が減っていき閉鎖に追い込まれました。いろいろな痕跡があったのですが、今はほぼ跡形もないです。