廃墟となった遊園地65ヶ所まとめ!日本の廃墟遊園地から世界のものまで

新潟県において初めてのテーマパークとして、1993年にできました。お隣のロシアとの文化の交流を目的とした施設で、新潟の中央銀行の頭取の方が舵を取って行っていた大きな3つの融資の計画の内の一つでした。露の民芸品の販売や、民族舞踊、地ビールなどで話題を集めていました。

新潟銀行の破綻

しかし、1999年に融資の中心となっていた新潟銀行がだめになってしまい、運営が厳しくなっていきました。それから4年後には、実質休業状態となってしまい、それから数か月してクローズしました。テレビのコマーシャルや心霊番組などの撮影場所などで利用されてはいましたが、基本的には整備はされていなく、放置されていました。

2009年に火事が原因の霊現象?

敷地のホテルが全焼してしまい、2016年には教会以外は解体されることになりました。火事以降に挙がった噂には、女性の苦しむ声が聞こえる、ドアが勝手に閉まった、死んだ男の人の無念がつもった怨念が渦巻いているなどの情報があります。

廃墟遊園地㉘野積ドリームランド(新潟県長岡市)

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東京ディズニーランドが「TDL」と呼ばれているように、こちらは「NDL」と略されて親しまれていました。宮殿のような建物や、うさぎなどと触れ合える施設をはじめ、アスレチック施設、テニスコート、プールなどさまざまな物がありました。遊具も充実していて、大型の乗り物やポケットバイク場、コーヒーカップなどもありました。

現在では一部の施設のみ残っている

昭和56年に閉園となり、それから現在に至るまで長い間いくつか施設は存在していたのですが、平成19年になると大部分のところは解体されてしまいました。また、敷地の一部分に関しては、すでに分譲住宅地と変貌をとげています。今では、ぼろぼろになったテニスコートなど一部のみかろうじて存在しています。

廃墟遊園地㉙大川寺遊園(富山県富山市)

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遊園地を鉄道関連のところが経営しているのはよく在る形態ですが、ここも例にもれず富山にある地方の鉄道会社が携わっていました。1958年に始まり、その後に不況の煽りを受けて約40年後に閉園という運びになりました。ジェットコースターや観覧車といった目玉の遊具がありましたが、全て現在では撤去されています。

廃墟遊園地㉚ユートピア加賀の郷(石川県加賀市)

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ある実業家の方が280億円も使って作った豪華のスポットです。特に推していたのは、全長で73メートルにもなる巨大な黄金の観音像でした。また、千手観音像がなんと1000体という凄まじい数ある施設までありました。温泉にホテル、美術館までありました。ジェットコースターに観覧車、ゲームセンターと一通りのものが揃っていました。

織田無道氏が

この遊園地の母体となる事業は、スーパーマーケットだったのですが、1997年に閉店となってしまいました。そのため、ユートピアの方も閉めざるを得ない状況に陥りました。その後に、「密教禅大本山豊星寺」となり、織田無道氏が住職として収まりましたが、給料が支払われない問題などのため閉鎖となりました。

さらに名前を改め

「観音院加賀寺」となるが建物内は蜘蛛の巣が張っているような荒廃した状態でした。さらに2016年には、名前が変わり「天空聖陵 加賀の郷」となり、運営者も「よろこび家族の和=天華の救済」となりました。以前には珍し仏教施設として脚光を浴びていましたが、今は老朽化が目立ち、一部の施設は解体され、ホテルなども廃墟となっています。

廃墟遊園地㉛富士ガリバー王国(山梨県南都留郡)

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ガリバー旅行記をモチーフにした、エコロジー的なテーマパークでした。主役で大男の45メートルもあるガリバー横たわっているスポットをはじめ、ワラビーなどがいる自然の溢れる牧場や、北欧を意識した村などで人々を魅了しました。他には、ボブスレーのコースまでありました。

衰退の原因

さまざまな要因になって潰れることになりました。まず、メインバンクの新潟銀行の破綻にはじまり、アクセスがよくない立地だったこともあり客足が遠のき、さらに富士急ハイランドという超強力なライバルがいたこともあり、経営が困難になり閉業となりました。

廃墟マニアの間では

巨大なガリバー像がある廃墟として、全国でも屈指の廃墟エリアとして知れ渡っていました。現在では、ほとんどの設置されていたものは取り壊されていますが、基礎の跡や少々の建物は現存したままで、ボブスレーのコースも残っています。富士ガリバー王国についてのより詳しい記事がこちらにありますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。

廃墟遊園地㉜小田急御殿場ファミリーランド(静岡県御殿場市)

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実は、厳密にはこの場所はもはや廃墟ではありません。リニューアルされて、アウトレットモールの「御殿場プレミアム・アウトレット」となっております。観覧車やアトラクションの一部は残っており、観覧車に関しては今は運行されています。観覧車からは、施設内のウォータースライダーの変わり果てた姿を眺めることができます。

小田急電鉄経営の遊園地だった

1974年に開園し、ピーク時には100万人の来場者が訪れました。夏はプール、冬はスケートの場所を提供していてとても賑わっていました。一押しの絶叫マシンである「ダンガイ」、「ガンビット」などもとても好評でした。90年代に突入すると、少子化の煽りを受けて、持ちこたえることができなく、1999年にクローズとなりました。

廃墟遊園地㉝大塚遊園(愛知県豊橋市)

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手づくりの遊園地として、ゴジラの像をはじめ、立体の迷路やアスレチック施設、動物園、プールなどで人々の気を引きました。80年代にオープンしましたが、クローズに至った時期ははっきりとわかっていません。設置されていた建物等は中途半端に取り壊されていて、天井がなかったり落書きがされていたりします。現在は鉄条網が敷かれています。

廃墟になった日本の遊園地46選!~近畿地方編~

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今では、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなど特に賑わいを見せている場所があります。しかし、その背後にはさまざまなテーマパークが淘汰されていきました。大阪をはじめ、兵庫や奈良などの関西の地域での廃墟となった遊園地をご紹介していきます。

廃墟遊園地㉞フェスティバルゲート(大阪府大阪市)

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遊具と娯楽施設、さらに商業施設を兼ね備えた複合的な娯楽施設で「都市型立体遊園地」をうたっていました。ジェットコースターが、建物を貫通しているというかなり斬新な設計を施していました。しかし、ユニバーサルスタジオジャパンが強力で、お客さんがとられる一方でした。

終焉

次第に衰退していくことになり、健闘むなしく、ついに2007年には、全ての店舗やサービスが終了することになりました。2年後には、競売でマルハンが入札をして、現在ではマルハンの新世界店として生まれ変わってしまいました。

廃墟遊園地㉟奥摩耶遊園地(兵庫県神戸市)

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1955年に摩耶でロープウェイが開かれることになったのですが、それに合わせて神戸市交通局が、複合的なアミューズメント施設としてオープンしました。日本の高度成長時期によって、人々が車を使うことが浸透していき、ロープウェイの収入が減っていき閉鎖に追い込まれました。いろいろな痕跡があったのですが、今はほぼ跡形もないです。

廃墟遊園地㊱奈良ドリームランド(奈良県奈良市)

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「NDL」と呼ばれていたところで、千土地興行が着手してオープンしました。千土地興行とは、後のあの有名な日本ドリーム観光の前身となる組織です。日本のアミューズメントパークの二大巨頭である「東京ディズニーランド」と「ユニバーサルスタジオジャパン」と影響をもろに受けて、大打撃を受けて閉園となりました。

最近解体作業が始まる

2006年に幕を閉じることになったのですが、それから10年後に解体作業が本格化しました。栄枯盛衰が著しく、ピークの年では、年間で160万人の動員があったのですが、店じまいの頃にはその4分の1までお客さんが減ってしまうことになりました。

廃墟遊園地㊲イーゴス108(滋賀県大津市)

こちらは「びわ湖タワー遊園地」の中にあった観覧車の名前になります。完成した当初では、なんと世界一の高さがあった観覧車で108メートルという巨大なものでした。「イーゴス」とはお気づきの方もいるかもしれませんが、「すごい」ともじったネーミングから来ています。「108」はもちろん、数値を強調するために高さを表しています。

ベトナムへ

名前自体も一般公募から募られたもので、人々との一体感が見られる素敵な遊具でもありました。この観覧車のある遊園地がクローズとなった後も、いつでも再始動できるように、定期的なメンテナンスがおこなわれいました。そのかいあってか、日本を飛び立ち2013年には近隣の国でもあるベトナムへ輸出されることになりました。

廃墟遊園地㊳甲賀ファミリーランド(滋賀県湖南市)

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甲賀カントリー倶楽部の近くにあり、遊園地の敷地自体もこのゴルフ場が所有していたものであります。1970年代くらいにオープンして、甲賀という土地柄ならではの忍者屋敷をはじめ、アスレチック、お化け屋敷、観覧車、ゴーカート、メリーゴーランドを揃えていました。

立地の不便さから

滋賀県でもとても人気があったスポットとなっていました。さらに、京都市電の車両や、古い消防自動車「ニッサン・ファイア・パトロール」などが展示されたりして賑わいをみせていました。しかし、アクセスの悪さや、山の中にあるので高低差が激しいことがネックになり客足が減っていき、昭和60年に閉園となりました。

廃墟ファンの心をくすぐる

現在では、一部の廃墟のようになってしまった建物が少々残る状態ですが、以前は廃墟マニアの注目の場所でした。山の中に遊具が突如として現れる様はとてもインパクトがあり話題となっていました。しかし、多くの人々が驚いてしまうため、場合によっては危険だと判断され、平成20年には全部の遊具が撤去されることになりました。

心霊写真が撮れる

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幽霊自体の目撃情報は全くないのですが、なぜか敷地内のトイレや観覧車で写真を撮ると霊やオーブが写るそうです。オーブとは別名玉響現象と言われるもので、小さな水の雫のようなものが光ったもので、霊魂と捉えられたりして話題によくあがるものです。

廃墟になった日本の遊園地46選!~中国・四国・九州地方編~

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中国地方より西のエリアではレジャー施設よりも観光地としての印象が強い方も多いかもしれません。しかし、もちろん多くの遊園地が存在していました。中国や九州地方だけでなく、四国にもスポットを当てていますので、興味のある方は必見です。数々の個性的なパークがあるので、是非ご覧ください。

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