小松博文とは
小松博文は幼少期に両親と死に別れ、20歳までは施設で育ちました。兄弟はいますが連絡を取り合っておらず、天涯孤独でした。シングルマザーだった恵さんと出会い結婚。恵さんとの間には4人の子宝に恵まれます。日立市のアパートにて一家7人での生活でした。
しかし過去のトラウマから転職を繰り返し近年ははとんど働いておらず、詐欺を繰り返したり、友人などに嘘をついてお金を騙し取り、妻の稼いだお金を軍資金に趣味のパチンコや車いじりに没頭する生活を送っていました。
小松博文が起こした「茨城妻子6人殺人事件」の概要
小松博文はなぜ家族全員を殺害し自宅を放火するという、恐ろしい放火殺人事件を引き起こしたのでしょうか。自らが出頭する形で幕を開けたこの痛ましい事件。まずは小松の犯行の全容を見ていきましょう。
2017年10月小松博文が自首したことで明らかになった事件
2017年10月16日午前5時頃、小松博文は車を運転し、自身もやけどをした状態で「自宅に火をつけた、ごめんなさい」と泣きながら出頭しました。すぐに署員が現場に駆け付け、鉄筋コンクリート3階立ての県営上田沢アパートの1階の1室から火が出ているのを確認し、消防に通報しました。
現場は10台の消防車と救急車が出動する事態となり騒然とする中、午前5時50分に無事消し止められました。同日午後4時半過ぎ、自称会社員の一家の主である小松博文を自宅で長女を殺害した容疑で緊急逮捕しました。現場はJR常盤線小木津駅から南に約1.5キロの所でした。
火災現場で発見された遺体この家に住む母子だった
火災現場、その焼け跡から発見されたのはこの家の母親と子供たちとみられる6人の遺体でした。10代の女性1人が病院に搬送されましたが、まもなく死亡が確認されました。発見された時には和室に6人全員死亡している状況だったということです。また、6人の遺体には上半身を中心に腹部などに複数の激しい刺し傷や切り傷がありました。
小松博文が犯人で家族を刺し放火した
変わり果てた姿で発見されたのは小松博文の妻の小松恵さん(33)、長男で7歳の幸虎(たから)くん、次男で5歳の龍醒(りゅあ)くん、双子の三男で3歳の頼瑠(らいる)くん、同じく双子の四男で3歳の澪瑠(れいる)くん。病院で死亡が確認されたのは長女の夢妃(むうあ)さん(11)でした。
犯人小松博文という一家の主でした。警察で「家族を殺害した後ガソリンをまいて火をつけた」と供述しています。早朝の突然の火事。その真相が父親による家族全員を襲う犯行であったとは誰が予想できたでしょうか。
残忍な犯行で6人の尊い命が犠牲になった
長女の夢妃さんには複数の刺し傷がありました。また妻の恵さんの遺体には身体を守ろうとした際に出来る防御創が確認されました。しかし他5人の子供たちには抵抗したために出来た傷などは見られず、身を守る間もなく襲われたと考えられます。
また家族の肺からは煙を吸い込んだ痕跡があることから、放火後の犯行であったことが伺えます。幼い子供たちには抵抗した後もなく、眠っている間の犯行だったのだろうか。こうして父親とは到底思えない手口で未来ある6人の尊い命が次々と奪われました。
その他にも家族を殺害した痛ましい事件はこちらです。
小松博文が起こした「茨城妻子6人殺人事件」裁判の行方
あのおぞましい放火殺人事件の発生から2年が過ぎましたが、未だに裁判が進んでいません。なぜ進展がないのでしょうか?現在はどのような状況になっているのでしょうか。その謎を紐解いてきましょう。
小松博文は妻子6人放火殺人で起訴されるも裁判は進まず
小松博文は自身で「嫌な事があると避けて自分では立ち向かわず人に助けを求めてきた人生だった」と言っています。今回の殺人事件の捜査も小松からの詳細な話の聞き取りが出来ていないようです。その為必要な情報が得られずなかなか進展しない状況が続いています。
小松が当時を振り返り現実と向き合い心から悔やみ、正直に話す事が出来なければ裁判は進みません。自身をの犯行を後悔する気持ちがあるのであれば、自分と向き合い先に進むべきではないでしょうか。このままの状況では被害者遺族の悲しみは癒えることはありません。
小松博文は精神鑑定の結果責任能力あり
送検を受けた水戸地検は刑事責任能力に関しての鑑定依頼をしその結果、刑事責任を問えるとの結論に達しました。そして殺人・非現住建造物等放火の事実で起訴しました。小松は責任能力があり、罪に問えると判断されたようです。
小松博文の放火取り調べが進まない事が原因
小松自身は事件と未だ向き合えておらず、取り調べが難航しています。「事件を起こした実感が沸くのが怖い、事実を認識したくない。」という思いから記憶がシャットアウトされ、事件の一部始終を話す事が出来ない状態でいるのです。
小松によって突然命を奪われた恵さん、そして将来に目を輝かせていた子供たち。あの事件から心を奪われ悲しみの淵から立ち止まったままであろう遺族の気持ちを考えると、少しでも早く裁判が進むことを望みます。
別件「携帯電話搾取疑い」で逮捕
署によると、一昨年5月、日立市内の銀行にて氏名の一部を削る等の細工をした免許証を使い通帳を作成しました。その免許証と通帳を使い、家電量販店にて携帯電話など総額13万円相当3点をを騙し取りました。小松は「携帯電話が料金未納で使えなくなり新しい物が欲しかった」と容疑を認めています。
殺人事件の捜査中、小松の車の中から通帳が見つかった事から判明しました。実際は日現住建造物等放火罪の取り調べが任意の為捜査が進まず、2018年7月に新たに詐欺の容疑で再逮捕されました。
小松博文が起こした「茨城妻子6人殺害事件」の真相とは
小松博文はなぜ愛する妻や大切な子供たちすべてを殺害しなければならなかったのでしょうか。犯行の動機とは?今回の事件が起こった背景にある複雑な夫婦関係、犯行に及ぶまでの小松の心境をまとめました。
小松博文の家族を殺害した理由は妻の浮気
小松は犯行の動機を妻の恵さんの浮気だったと話しています。恵さんは飲食店でアルバイトをしており、そのお客としてきた男性と不倫関係になりました。男性とのLINEのやり取りを小松が見つけ、浮気が発覚しました。小松は男性とも話し合いをする際、自身の刺青が入った身体を見せ付けたという。
しかし相手にされず決裂し、離婚が避けられない状況になりました。そこで小松は恵さんが男性との関係を解消することを条件に離婚に承諾したと言われています。このように自身の力では復縁が不可能になった事が残忍な犯行を助長するきっかけとなります。
小松博文は切り出された離婚話に犯行を決意
妻や子供たちとの離れ離れの生活が避けられず追い詰められた小松は、「家族との幸せな生活がなくなり、また一人になってしまう。みんな男性の元へ行ってしまう。誰にも渡したくない。全てを奪い自分も死のう」その思いから家族を殺害し思い出の詰まったアパートに火をつけるという強行に及んだのです。
妻・小松恵さんとはどのような人物なのか?
そもそも妻・小松恵さんとはどのような人柄で周りからはどのように見られていたのでしょうか。周囲の評判は良かったのでしょうか?家族など周りの証言を元にここでは小松博文と出会う前からの人生を探っていきます。
小松恵さんには離婚歴があった
小松恵さんは小松博文と出会う前に一度結婚をして、長女の夢妃(むうあ)ちゃんを出産しています。その後、理由は定かではありませんが前夫と離婚し、小松と出会います。長い同棲生活を経て、双子の三男、四男の誕生したタイミングで周囲の反対を押し切り小松との再婚に踏み切っています。
小松恵さんはどんな人柄だった?
小松恵さんのインスタグラムを見てみると、子供たちの為に料理をする写真、子供たちとの誕生日の写真やお出かけをした時の写真など、みんな笑顔で嬉しそうです。母親としての恵さんは家族で楽しめるイベントを大切に自分に出来る努力をされていたのが分かります。
また、恵さんの弟は「弟思いの良い姉で、子供が大好きだった」と話しています。家族にたくさんの愛情を注ぐ心豊かな母親像が目に浮かびます。恵さんの突然の死は家族にも癒えない悲しみを植え付けました。
小松博文と家族の関係性は?
一見接点の無い二人ですが、知り合って家族になるまでどのような人生だったのでしょうか。出会いから子供の誕生、結婚、そして事件に至るまでの二人の人生はどのように交わっていったのでしょうか。まずは出会いから探っていきます。
小松博文はシングルマザーの恵さんと知り合い同居
小松博文と恵さんの出会いは定かではありません。マスコミからの情報はなく、ネット上での噂や週刊誌の情報です。出会い系サイトで知り合ったという説と、当時恵さんの職場である病院へ小松が通っていてそこで知り合い話すようになったという説があります。
遠距離恋愛が始まる
二人が出会ってから2ヵ月ほど経った頃、小松と恵さんの付き合いが始まります。きっかけは当時三歳だった長女の夢妃(むうあ)さんと共にアウトレットモールへ出掛けたことだと言われています。当時小松は千葉に住んでいた為、少しでも距離を縮めようと千葉と茨城を往復していました。恵さんも実家が近くにある為泊まりで帰ることも多くそれほど会えていなかったようです。しかしその3ヵ月後恵さんは妊娠します。
妊娠が判明し同棲が始まる
恵さんは元々、生理不順だったためピルを服用していたそうです。しかし小松の知らないうちに服用をやめていて妊娠した、という情報があります。その事については「計画的な事だったの?」と二人で笑いあう事もあったのだとか。この妊娠をきっかけに、小松が恵さんのアパートへ転がり込む形で同棲が始まります。
2人の始まり、そして生活については、ネット上でも「無計画に子供をたくさん産んだのではないか」「この時代に多く子供を持つというのはとても素晴らしい事。だけど生活苦だったのではないか」などと物議をかもしています。
小松博文と恵さんの間に4人の子供をもうける
その後二人は順調に子宝に恵まれ、4人の子供の親となりました。長男の幸虎(たから)くん、次男の龍煌(りゅあ)くん、双子の三男の頼瑠(らいる)くん、四男の澪瑠(れいる)くんです。結婚のきっかけは双子の三男、四男の誕生でした。恵さんの生活の場に小松入る、いわゆる婿入り婚で正式な夫婦関係となったと言われています。
近所で仲良く家族で歩く様子も見受けられていました。また、たびたび恵さんの実家に帰り、近くの空き地でボール遊びをする仲良しな親子姿も目撃されています。しかし一方では夫婦喧嘩が絶えず、結婚生活は決して順調ではなかったようです。
小松博文は定職に就かずパチンコばかり
小松博文は事件当時、日立市内の自動車関連会社に勤務していました。しかし、9月の下旬ごろ「妻の体調が悪いのでしばらく会社を休みます」という趣旨のメモを残し、そのまま出社していなかった様子。仕事をせず趣味のパチンコに通う日々だったという。
パチンコで勝てばそのお金を生活費に回しやりくりをし、負ければ借金をしてまで通い続ける生活。一部の情報では夫婦揃って出かける事もあったようです。働かずに遊びまわる姿は子供に見せられたものではありません。
小松博文の妻・恵さんはダブルワークで家計を支えるしっかり者
一方、小松恵さんは病院の事務の仕事をしていました。一家の大黒柱であるはずの小松博文がなかなか仕事が続かない為、家計を支える強くたくましい母親でした。また夜は飲食店でアルバイトをしており、家族の為に仕事を掛け持ちし懸命に働いていました。仕事に家事に育児に奮闘し、一人で一家7人を養っていくのは並大抵の事ではありません。
小松博文はDVを振るっていた
小松恵さんの友人は、恵さんが「夫から暴力を受けている」と不満を漏らしていたと証言しています。周辺住民には夫婦で喧嘩をしている声も度々聞かれていたようで、周りからは分かれを勧められる事もあったようです。仕事が続かない、思うように歩めない人生に苛立ちを感じ、それがDVに繋がったのかもしれません。
小松がどのような心境であれ暴力は許されない事です。働かない夫の趣味の為に懸命に稼いだお金を取られ、暴力まで振るわれる、恵さんの心境は到底計り知れません。愛想をつかされるのも仕方がないでしょう。
小松博文はなぜ仕事が続かなかったのか
小松博文が職を転々としていたのはなぜでしょうか。自身の性格ゆえの行動があったはずです。ここでは小松がどのような仕事を渡り歩いてきたのか、なぜ毎回退職する事になるのか、小松の手記から職歴を元にをまとめてみました。
無免許運転で逮捕されていた
小松博文は恵さんと知り合った頃は千葉に住んでいました。茨城に住む恵さんとは遠距離恋愛をしており、千葉と茨城を行き来する生活でした。長男の幸虎(たから)くんが誕生後、小松は無免許運転で逮捕され、在宅起訴となります。
その後刑務所に収監され、一時職を失います。4ヵ月後に仮出所した際、水道工事の仕事を始めました。しかし運転免許が無い為収入は一日七千円と十分ではありませんでした。結果夫婦での話し合いの末退職しています。