まだ未入籍だった二人は、友人に借金をしたり、母子手当や児童手当に頼りながらやりくりをします。その間もパチンコに通い、勝つと生活費に充てる生活を半年間続け、やっと建設現場の仕事を紹介してもらえます。そんな中、次男の龍煌(りゅあ)くんが誕生するのです。
同居が発覚し母子手当が停止される
喧嘩が絶えなかったが生活は出来ていたころ、三男、四男の双子を授かり、小松は新聞配達のアルバイトを始めます。早朝の仕事、昼の仕事と奮闘し月収は30万円になったそうです。この頃は「何とかやっていける」と希望がさしていたようです。そして双子の誕生後も福島第一原発で働くなど真面目に勤務していました。
しかしこの頃恵さんとの同居が発覚し母子手当がなくなってしまいます。そもそも母子手当はひとり親を助ける制度です。ここでも嘘をついて騙し取っていたことになります。子供たちがこの事実を知ったらどのように思うかと呆れるばかりです。
免許を取り直し運送会社で働く
その後小松は免許を取り直し中古車を購入し、ひたちなか市の運送会社に就職するのです。勤務して半年経った頃、所長から「大型と牽引の免許を取り、トレーラーに乗ってみないか」と打診されたのです。すぐに快諾したのですが、免許を取るには経験年数が足りない事に気付きます。
しかし昔から言い辛い事を言えず、現実から逃げてしまう性格がここでもたたります。正直に謝り、事情を説明すれば良かったものの小松は所長からの連絡に答えなくなってしまいます。結局所長から妻に連絡が入り、退職する事になるのです。
Contents
小松博文はなぜ子供まで殺害したのか
なぜ小松博文は幼い子供たちまで殺害したのでしょうか。情状酌量を狙っての発言なのか、子供を大切に思う本心なのか。それでも未来ある子供たちを犠牲にした事実は小松の身勝手さが伺えます。そんな子供たちを巻き添えにした理由とは?便箋87枚にも及ぶ小松の手記をもとに解説します。
小松博文は「子供だけ残ったらかわいそう」と供述
小松博文は子供にまで殺害したことについて「自分も死ぬつもりだった。親がいなくなり、この世界に子供だけ残ったらかわいそうだと思った。」という趣旨の供述をしています。随分身勝手な言い分だが、母親がいなくなった子供の将来を悲観し、子供の命まで奪ってしまったのです。
小松博文は家族を誰にも取られたくない一心で犯行に及んだか
小松にとってはあのアパートに妻と子供たちの全てであった。恵さんとの関係が破綻する事によって家族との繋がりがなくなってしまう。幸せな生活がなくなる恐れ、自分の大切な人が奪われてしまう悲しみ、天涯孤独になってしまう怖さが小松を救いようもない狂気を駆り立てたのだろう。
後に「なぜ子供たちにまで手をかけてしまったのか」という言葉を漏らしています。絶望的な心境の中、「全てをなくし、自分も死のう」との思いで犯行に及んだが、自身は生き延び後悔だけが残りました。
小松博文の生い立ち
小松博文が大切な我が子を全員殺害するという残忍な犯行に走ったきっかけに、生い立ちが大きく関係しています。小松は一体どのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。そこには悲しい現実がありました。
小松博文は幼少期に親と死別、施設で育つ
小松博文は幼い頃に両親と死別しています。その後20歳までは養護施設で育ち、天涯孤独の人生を歩んできました。兄弟はいましたが音信不通で、頼れる親族はいませんでした。この身に染みた寂しさ虚しさこそが、「我が子同じ境遇にさせたくない」という思いを駆り立て、悲しい犯行に及ぶ原因となったのです。
小松博文は職を転々としていた
小松博文は仕事が長く続くことがほとんどなく、転職を繰り返しています。小松の話では勤務先で気まずい事や言いづらい事があると、正直に言えず連絡をしなかったり、無断欠勤したりする等、辛い事を避けて通ってきたという。転職しようとハローワークに行くが面接に落ち続け、ますますパチンコ通いに溺れて行きました。
小松博文は孤独や家族への憧れが強く現れていた
親を一番必要とする幼少期に死に別れてしまった小松にとって、家族とは憧れであり一番大切なものだったのでしょう。妻を殺害するという壮絶な状況でも、自分の子供を同じ孤独を味合わせたくないという思いから、更なる罪を犯してしまったようです。
たとえ離婚し離れ離れになったとしても生きてればまた会うことが出来るはず。世間でもどうして子供たちまで、という声が溢れていました。しかし自暴自棄になった小松は、自分もろとも家族全員を巻き添えにしてこの世から消え去る決断をしたのです。
小松博文とはどんな人物なのか
このような恐ろしい殺人を犯す小松博文とはどのような人柄だったのだろうか。普段はどのような生活をしていたのか。性格や趣味、父親としての側面など周囲の人からの聞き取りで見えてきた側面をまとめました。
小松博文の人物像①子供たちと遊ぶ優しい父親
小松博文は子供たちと仲良く遊ぶ姿が近所でも目撃されており、子煩悩な一面もありました。また保育園の送り迎えをするなど子供との時間を大切にする姿もありました。周囲からも良い父親だと思われていたようです。
小松博文の人物像②周辺住民とのトラブルもあった
周辺住民による「自身の車を契約していない駐車場に停めるなどの駐車マナーについてご近所とトラブルになる事があった」情報があります。自治体から契約違反のステッカーを貼られるなど、周囲に迷惑をかける事があったようです。
小松博文の人物像③車いじりパチンコばかりで働いている様子無し
小松博文の趣味は車いじりとパチンコでした。自身は職を転々としていた為、妻が懸命に稼いだお金を軍資金として車の改造やパチンコ通いという身勝手な日々。近所の噂では数百万もする車を購入し、駐車場代も払えていないのではという声も出ていたほどです。
小松博文の人物像④友人知人から借金を繰り返す
小松博文は友人や知人、同僚にも嘘の身の上話をしてお金を騙し取る事を繰り返していたようです。借りたお金を返してもらえないという証言も出ています。職を転々とすることになった原因の一つがこういった金銭トラブルです。
小松博文によって殺害された長女の評判
もともと恵さんの連れ子であった長女の夢妃さんの人柄とは?周囲の目にはどのように映っていたのでしょうか。周辺住民や学校関係者からの話により学校生活や近所での様子が分かりました。夢妃さんの評判を見て行きましょう。
姉弟の面倒をよく見ていた
周辺住民からは「いつも姉弟5人で仲良く遊んでいた。」「遊びに行く時はいつも双子の弟を連れてきていた。弟の面倒をよく見る優しいお姉ちゃんだった。」との家族思い面倒見の良い一面が聞かれた。恵さんにとっては頼りになる誇らしい娘だったのだろう。
小学校でも評判が良かった
また、夢妃さんが通っていた小学校の校長や教頭からは「お友達を大切に出来る、面倒見が良くクラスの子のお世話をする事もあった。」「家では家事を積極的に手伝っている。」「いつも周りに気を遣える頑張り屋で笑顔の絶えない子だった。」などのとてもいい印象が聞けた。
当時小学6年生の夢妃さんは両親をどのように見ていたのだろうか。ある程度の理解が出来る歳になり、家族を助ける為自ら出来る行動をしていたのだろう。小松文博と夢妃さんの間に何があったのか詳しくは明らかにされていない。
小松博文以外にも・・・身勝手な父親が起こした事件
小松博文のように身勝手な父親が起こした事件があります。父親の境遇や心情で子供を殺めたり、子供を犯罪に加担させる事件に世間は震えました。子供が不安なく希望を持って生きていける世の中は訪れるのでしょうか。2つの事件をご紹介します。
小松博文以外の身勝手な父親事件①父子心中
田家泰幸は2000年3月、当時の妻との間の離婚調停中、親権が妻に渡る事を思い悩み当時5歳の長女と無理心中をしようと、長女を保育園に迎えに行きそのまま飛行機で北海道へ渡った。2日後、富良野にてマイナス11度の極寒の中、車中にて長女に薬を飲ませ死亡させ、自身は生き延びました。その後殺人の罪で懲役5年が求刑され服役をします。しかし4年後仮出所した田家はまず長女の眠る墓地を訪れ、墓を壊し遺骨を持ち出します。
それにより墳墓発掘遺骨等領得の罪に問われ、懲役1年執行猶予2年を求刑されました。愛する長女が自分の手から離れてしまう恐怖から犯行に及んだ田家。未来ある幼い命を身勝手な理由で奪う事は許されるのだろうか。愛情の縺れから遺骨を持ち出すなど、常識では考えられない行動です。殺人を犯す前に夫婦間で対策は取れなかったのだろうか。悔やんでも命は取り戻せない。
小松博文以外の身勝手な父親事件②家族で万引き
2015年の秋、釣具店にて小中学生の子供3人に万引きさせたとして、窃盗の容疑で大阪府豊中市の防水工の父親と母親が逮捕される事件がありました。携帯電話のメールを使って子供に指示を出していました。当初は「子供が勝手にやった」と犯行を否認していましたが、大阪府警の捜査で裏付けられました。犯行現場となった釣具店また、父親は40万円程度の収入がありながらも、生活保護費を不正受給していました。
金欲しさに自身も罪を犯しながらも、子供を犯罪に加担させるというまさに虐待行為をしていました。親から犯罪を教えてられた子供の行く末を案じると共に、自身の指示であるにも関わらず、保身の為子供に罪をかぶせようとする心境は全く理解出来ません。ここまでの毒親ぶりは世間を怒り呆れさせました。
小松博文以外の身勝手な父親事件③虐待殺人
2013年3月、東京都足立区入谷にて、当時3歳皆川玲空斗(りくと)くんをウサギ用のケージの中で監禁し、口にタオルを巻くなどして窒息死させるという痛ましい事件が起きました。犯人は父親の皆川忍容疑者(31)と妻の明美容疑者で、監禁致死と死体遺棄容疑で逮捕されました。明美容疑者によると玲空斗くんは知的成長が遅く、自分の言いたい事を言葉で伝える事が出来なかった為、お腹がすくと色々な物を勝手に口にしたという。
次第に育てにくさを感じ始めた忍容疑者は、事件発生の2ヵ月程前から玲空斗くんをウサギ用のケージに入れるようになり食事も2~3日に一度しか与えないようになりました。ホストクラブでホストと客として知り合い夫婦となった2人には他に5人の子供がいました。夫の名前のタトゥーを自分の指に入れる等夫への愛情は異常だった。今回の事件も夫の指示により妻が死体遺棄を手伝う形となりました。思い通りに子育て出来ない事で自分の子供を殺める、極めて身勝手な犯行でした。
小松博文以外の身勝手な父親事件④
2017年6月6日、福岡県小郡市の住宅で父親が妻子を殺害する事件が起りました。亡くなったのは中田由紀子さん(38)と長男の涼介くん(9)、長女実優ちゃん(6)。6日の朝、亡くなった妻の由紀子さんの姉が自宅に訪れたところ、3人の変わり果てた遺体とすぐ傍に練炭があるのを見つけました。無理心中したと思い込み110番通報した。しかし司法解剖によると首を絞められた事による窒息死と判明。県警は翌日殺人事件として捜査本部を設置しました。
逮捕されたの一家の父親である県警巡査部長の中田充容疑者です。供述によると最近夫婦は不仲だったという。中田は近所でも挨拶をよくする礼儀正しい人柄で子供に自転車を教える姿が目撃されるなど、子煩悩でいい父親像として映っていました。また職場でも仕事熱心で真面目、勤務態度も良く高評価でした。突然奪われた3人の尊い命に周りの悲しみは消える事はないでしょう。
小松博文の人間性から推測するアダルトチルドレンとは
アダルトチルドレンとは子供の頃に家庭内での経験の中で何らかのトラウマによって傷つき、大人になった人達の事です。小松博文も幼少期の両親との死別による心的外傷を負っていたのではないでしょうか。今回の事件から紐解く小松の中にあるアダルトチルドレンとは?
小松博文から見るアダルトチルドレン①見捨てられることへの不安
小松博文は子供時代に親と死別、施設で育つという辛い経験の中でトラウマを負い生き辛さを抱えていたのでしょう。天涯孤独を味わったからこそ、見捨てられる事への不安は人一倍強く、殺人の衝動を抑えられなかったのではないかと考えられます。アダルトチルドレンだからこそ家族に見捨てられないような生き方は出来なかったのでしょう。
小松博文から見るアダルトチルドレン②コミュニケーション不足
小松博文は定職に就かず、他人にお金を借りる、妻の稼いだお金でギャンブルをする、妻に暴力をふるうなど、一般常識では考えられない生活を送っていました。アダルトチルドレンは自分の不安や自信のなさを察してもらう事を切望します。
そして人との関わりがうまく出来ず辛いと感じます。自分の気持ちを正直に話す事が出来なかったり、期待に応えようと無理をしてしまう側面があります。小松は職場だけでなく家族間でも思うようにコミュニケーションを取れていなかったようです。それが転落人生に繋がったのではないかと考えられます。
小松博文から見るアダルトチルドレン③責任が持てない
小松が転職を繰り返していた理由の一つに責任感のなさがあります。アダルトチルドレンには責任感を取らなさすぎるという側面があります。家庭を持ち、子供を育てるためには働かなければなりません。もっと早くに自身がアダルトチルドレンであるという認識を持ち、どう努力すれば責任を持てる生き方が出来るのかを考える必要があったのではないでしょうか。
自分自身が家庭を壊すような行動を繰り返したにも関わらず、実際に離婚という孤独に陥りそうな状況になると、自己中心的な感情で希望に満ち溢れた5人の未来をなくすという身勝手極まりない行動をとった小松。恵さんと出会い新たな人生を歩み始める時に自分と真剣に向き合っていればこのような事態にはならなかったでしょう。
小松博文はその典型?身勝手に子供を扱う毒親とは
毒親とは、子供の人生を支配し子供に悪影響を及ぼす親のことです。小松博文は未来ある子供の人生を奪ったまさに毒親です。自己愛の強さから自分本位の考えでしか行動出来ない小松と子供の関係とは?
小松博文から見る毒親①子供の事情より自分の事情
小松博文は子供のゲームを売ってまでパチンコをしていました。育ち盛りの子供たちは玩具だけでなく、必要なものは山ほどあります。自分の楽しみの為に子供の楽しみを奪い傷つける、毒親としか言いようがありません。子供たちの目にはどのような父親に映っていたのでしょうか。
特に長女の夢妃さんは11歳という事もあり、大人の事情が分かってくる時期です。母親がダブルワークをして家計を支える一方で、父親がパチンコ屋に入り浸るという状況に違和感を覚えていたことでしょう。親の事情で子供に悲しい思いをさせるのは何とも辛いものです。
小松博文から見る毒親②子供を支配したがる
小松の手記からの情報では、子供から「パパ、パパ。」と恵さんからヤキモチを焼かれるほど愛されていたそうです。そんな可愛い我が子をこの世に残しておけないという自分本位な考えで命を奪った父親。自分の過去のトラウマから子供の人生を支配することは決して許されません。
自身の経験から親がいない状況で生きていく辛さを子供に味合わせたくないと思ったのでしょう。しかし子供の将来は子供のものであり、親が支配する事ではありません。小松には親としての責任として成人するまでは精一杯支え育てて行くという子供最優先の考えがなかったようです。
小松博文は自己中心的な感情で妻子を殺害した殺人犯だった
小松博文は幼少期に最愛の両親と死別するという、一般的には同情に値する辛い経験をしましたが、人を騙してお金を手に入れたり、責任感のなさから職場に迷惑をかけ、独占欲の強さから苦労をかけた妻を殺害するという身勝手な生き方をしてきました。勝手な憶測で最愛の5人の子供まで殺害し、全てを失った今いくら後悔する気持ちを持っても失われた命は戻ってきません。
様々な方向から事件を読み解いても、自己中心的で支配欲に駆られた彼の犯行は情状酌量の余地はないでしょう。これまで懸命に生きてきた小松恵さんと子供たちは突然命を絶たれ、その残酷さに周囲や被害者家族の悲しみは消える事はありません。今はただ、天国で安らかに心穏やかに過ごしておられる事を祈るばかりです。