豊浜トンネル岩盤崩落事故とは?事故原因やその後、謎の顔の正体とは

市内の余市郡余市町と古平郡古平町をつなぐトンネルとして作られましたが、初代は幅が6mととても狭く危険だったために、この2代目トンネルが作られました。周辺の3つの町の往来にはこのルートの使用が必須だったため、事件当時は一部半孤立した地域が出てしまったと言います。

もう一つは渡島管内と桧山管内をつなぐ

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昭和時代にも使われていたもう1つのトンネルは今では廃坑となっています。その理由がこの付近で起こった豊浜山津波でした。昭和37年に起こった津波により、このトンネルを走行していたバスが流され、いまだに行方不明のままなのです。そういった事件もあり、2代目のトンネルが建設されたのでした。

豊浜トンネル岩盤崩落事故のその後と現在

事故後のトンネルに対する対処についてもご紹介させていただきます。このルートでトンネルを作らないといけない事は半孤立する町を考えると必須でした。そのため、信じられないかもしれませんが、一時は事故を直して同じトンネルを使用していたのです。

現在の豊浜トンネルに至るまでの経緯

しかし、現在のトンネルはルートが大幅に変更されています。これは事故にあった遺族の方々の努力の賜物であり、もしそういったルート見直しの声がなければ、今も同じように崩落事故が相次いで起こり新たな被害者が生まれていたかもしれません。

船でしかいけない崩落現場

現在では別ルートでトンネルを通しており、事故が起こった現場は封鎖されています。また、そこは入江で容易に見れる場所ではないため、現場へ行くには海に揺られて船を出さないと踏み入る事は許されません。安直に事故現場へ入る方がいないという事は安心な点かもしれません。

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