【三島由紀夫事件】三島由紀夫の切腹から浮かぶ思想と事件の全貌

三島由紀夫事件とは作家三島由紀夫が起こした前代未聞の公開切腹事件です。自衛隊駐屯地に乗り込み、総監を人質に取り自衛隊の前で演説後に割腹自殺というスキャンダルは世間を震撼させました。天皇陛下万歳と叫び割腹自殺をした三島由紀夫の思想とはなにか解説します。

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【三島由紀夫事件】最後の切腹事件

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ノーベル賞を逃したものの、日本の代表となる世界的に有名であった偉大な天才作家です。我が国の未来を想い、現状を変えていかねばアメリカの支配下となってしまい破滅に向かうと考えていたようです。

大勢の人々の前で自身の思考を伝えた後に、武士のような割腹で息絶えたのです。なぜ命を捨ててまで訴えなければいけなかったのでしょうか?

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恵まれた才能を持ち、まだ今後の活躍に期待されていたにもかかわらず、命と引き換えてまでも訴えたかったものは何かを考えていきます。

三島由紀夫事件とは

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45歳であった1970年の肌寒く感じるようになった11月25日、今世まで語り継がれている騒動であります。現在の防衛省を訪れ、軍の将校を軟禁し、バルコーンに出て大きな声で憲法を改正するように反乱を起こしたのです。

ただ訴えただけで終われば、語り継がれることもなく記憶に薄れていったことでしょう。自分の言葉を告げ終えると、腹を持っていた刀で刺したのです。

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織田信長などの武将が活躍していた戦国時代の男の最期のように割腹し、首を斬り付けてもらい絶命しました。同じく一名の側近も同じ方法で命を絶ちました。

三島をトップとし、同じ思考が集まった団を楯の会と名づけており、彼らが起こした騒動だったことから楯の会事件とも別名でいわれています。これが主な概説となります。

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悍ましい内容でありますが、なぜ体を差し出してまで訴える必要があったのか、行動や心の内について考察していき、事の詳細を解明していきます。

【三島由紀夫事件】自衛隊市ヶ谷駐屯地にて総監室占拠

強烈なインパクトを起こした一連は、世界にも取り上げられ驚きを隠せませんでした。社会的名声を手にしていた作家が動いたことで、何事が起ったものかと興味を引き付けたのです。

国際的なニュースとなった事件について、時系列でまずご説明していきます。

【三島由紀夫事件】楯の会メンバー4名と自衛隊市ヶ谷駐屯地正式訪問

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午前11時に現場となる地に訪れる予約をしていた団員4名と三島の合計5人は、優秀な顔ぶれを表彰してもらう予定とし、正装をして訪れています。

本当の目当ては違いましたが、正式に訪問をすることで周りの警戒心を解き、思惑をスムーズに行うためでした。あらかじめのセッティングだったことで、正門で停められて身分を確認されることなく顔パスで通されています。

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時間短縮し目的とすることに重きを置きたかったのでしょう。応接室に案内された一行は、これから歴史に残るであろう悍ましい出来事に心落ち着かせ、刻一刻と迫るそのときを、固唾をのんで待つのでした。

あらかじめ話し合いをしていましたがぶっつけ本番であったため、緊張や不安など入り混じっていたことでしょう。

楯の会とは

外国からの支配から起こる反乱に備えて、国の軍人ではない一般組織で集まったグループです。1968年に三島をリーダーと定め結成されました。

略して民兵と呼ばれた集団は本国の伝統ある文化を守りつつ、活動をしていくことを主とし、近代的な武器であった銃は使わず、長い刃が特徴的な剣を用います。

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約100人の同じ志を持った男が集まったとされ、多くは学生でした。ただ単に思考が同じだから入団できるわけではなく、自衛隊の体験訓練ですべての技能を修了した者だけが会員として認められます。

心と体の両方を鍛え上げた強い男たちの集まりで、これからを賄う重要な団であると政治家も好意を持って見守っておりました。

楯の会メンバー4名の略歴

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現場に同行したのは20代の未来ある青年ばかりでした。顔ぶれについてご紹介していきます。

  • 森田必勝

戦争の空襲から逃げる恐怖に包まれた日々に生まれ、我が国には必に勝ってほしいと願い名づけられました。幼いときに両親を亡くしており兄妹に育てられ、早稲田大学へ入学しています。

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正義感の強い青年としていつしか政治家を目指しつつ学生同士で同盟を作り、本国の古きを守る思考を尊厳していました。三島のために命を捨てる覚悟があるとして主従関係になります。

後に切腹をして25歳の若さで生涯を閉じています。彼が主導して進めたのではないかともいわれいるほど実権を持っていた人物です。

  • 小賀正義

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機械関係の仕事に就きたいと工学部に入学します。当時は学生がストライキを頻繁に起こしており、自身を守るために自治体に入ります。後にクラスメイトから誘われて楯の会の一員となり、三島を心酔していきます。

主要団員と認められ日本刀を持たされます。事件当日、総監の後ろに回り手ぬぐいを口に入れ、さるぐつわを仕込みました。最期の処理であった首の皮を切りました。

  • 小川正洋

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幼いときから母親に軍兵の話しを聞かされており、天皇と戦争の映画をみたのを境に、我が国に対して尊敬の念が生まれます。

多くのクラスメイトが自衛隊はいらず争いをやめるべきとの思考でありましたが、彼は憲法を見直して軍人が必要だとの考えを持っていました。森田と親しかったため、会に入ります。

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事件の当日は総監を見張る役をやり遂げました。

  • 古賀浩靖

法学部に入学し、戦後の我が国の思考に違和感を持ちながら過ごすうち、小賀が入った学生自治体に属します。楯の会の役割をしながら司法試験にむけての勉強もします。

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事件を起こす前に故郷の景色を目に焼き付けておきたいとし、隊長から半額の旅費を出してもらい出かけるのでした。当日は三島と森田両方の最期の一撃として首を斬る役を務めています。

【三島由紀夫事件】総監・益田兼利陸将と面会

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メンバー4人と共に、1等陸佐であった原勇氏に案内されて応接室に入ります。座ってくださいと促されますが、座ったのは三島のみで他は立っておりました。今後の動作を早めるためもあったことでしょう。

立っている者たちは優秀な人材だとし紹介しながら、順番に名を呼んでいきます。危険が伴う山での訓練中に負傷した者を担いで介護をしたことを称え、直接会って顔を見てもらいたかったからと告げました。

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結局はただの口実であり、共謀して動くために連れてきたのです。会談していくうちに益田氏が日本刀「関孫六」に興味を示します。本物なのかを尋ね、むやみにぶら下げて街を歩き警察に非難されないかを心配されています。

わざわざ身に着けてきたのは、注目をするであろうことを想定し、合言葉にし事を進めていこうとした思惑であったことと、自身の最期で使う神聖なる武器となるからなのです。

【三島由紀夫事件】総監室にバリケードをしき占拠

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刀を抜いて油分を拭う仕草を見せてハンカチといったワードを合図に、行動するという計画を練っていましたが、ティッシュを探すためにターゲットがその場を動いてしまい、目論みがずれてしまいます。

怪しまれては全てがチャラとなってしまうのを恐れ、小賀が動きだします。声を出さないように早々と口へ手ぬぐいをいれ、古賀と小川が続いてロープを使って手を縛りました。

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今までの訓練の成果を披露している演出なのかと思い、初めは笑みを見せていましたが彼らの鋭い目力を見て、冗談ではないことを悟ります。

ドアから入ってこれないように室内にあった机やイス、花が植えてあった鉢などの障害物でバリアをして部外者を阻みました。

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他部屋では物音に気づき、駆け付けますが時すでに遅しで、室内に入れませんでした。中からの来るなと叫ぶ声が耳に入ったと同時にドアの隙間から要求書類が渡されます。

ただ事ではないことに突撃する人数を集めます。出入口は開かないので体当たりをして無理やり入ることに成功しました。

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自衛隊と楯の会メンバーが激しく交戦し、8名が負傷します。刀を偽物だと勘違いをした一人が、刃の部分を力いっぱい握ってしまい、神経を傷つけてしまいます。後遺症で、握力が弱まってしまった者もおりました。

戦場化した室内の騒動をしずめるため、総監の命もかかっていたため仕方なく彼に演説することを許可したのです。今日の目的は、隊衆をあおるためやってきたことであることを明かしています。

【三島由紀夫事件】バルコニーでの演説

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彼の要求で室内放送を流し、自衛官1000人ほどが急いで中庭へ集合しました。いきなりの指示であったため昼食中の職員らもおりましたが、中断して駆け付けたのです。

集まった者たちに原稿用紙9枚にも及ぶ声明文を配布します。一体彼は何を伝えたかったでしょうか?順番に解明していきます。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫バルコニーで演説

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シーンと静まり返った場で語ることを想定していたのですが、予想と反して大勢の怒声と罵倒でほとんど内容が聞き取れませんでした。

どこから情報をキャッチしたのでしょうか。報道ヘリコプターのノイズも聞き取りにくい環境を作っていた一因でした。声を大きく聞かせるための電子機械を使わないで行った理由は、古き日本を愛してたためです。

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文明開化に囚われず、あくまで自然体を好みました。テレビの画面を通して観ていた人物は、あまりにも雑音で聞き取りにくかったためマイクを届けてあげたかったと明かしています。

一部では、放送まで流して大勢を集めたわけですので、きちんと並ばせて厳粛な雰囲気の元で行えば訴えも聞こえたのではないだろうかという話も出ました。

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普段から取材に出向き、些細なことも逃さない習慣をもっていた新聞記者らは、聞き取ることができていたようでした。

【三島由紀夫事件】三島由紀夫の主張とは

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堂々としたいで立ちで、このシーンを待っていたかのように真っ白な手袋をはめた拳を太陽に向け絶叫し始めます。伝えたかったことは、我が国を守っていかねばならないことでした。

当時の憲法において、自衛隊は軍隊ではありませんでした。ルールを変えていかなければガードするための役割を十分稼働せず、悪化を辿ってしまうだろうと考えるようになったのです。

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武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るのだ。どうして自分を否定する憲法の為にぺこぺこするのだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われないのだ。(引用元wikipedia)

そこで、まずはそのためには防衛省を動かして国会を攻め込み、周りを固めた上で法改正の議案を起こさせようと思い行動に至ったのです

三島由紀夫の額には「七生報国」の文字

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バルコーンに現れた彼の額には、黒くはっきりと見える漢字4字が並べられた白いはちまきをギュッと固く結んでいました。同じくメンバーもはめていました。

訴えている言葉が聞こえなくても了見を世間にアピールしているかのように純白の布を太陽が照り付けたのです。

三島由紀夫事件と七生報国の意味

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いくどとなく魂が生まれかわったとしても、尊敬する天皇を敵にする者は、容赦なく滅ぼされる定めとなり、国に仕返しをされるであろうと想いを字に託しました。

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