文字では綺麗な世界が作れますが現実の世界の自分はというと作家をしながらのうのうと歳をとりながら生きていることが受け入れがたかったのではないでしょうか。
三島由紀夫と武士へのあこがれ
存在そのものに憧れていたとされます。国を憂い、自衛隊の前で大演説をし、大義の元に切腹して果てるという「演出」に酔っていたのではないか?という説です。
頭で描いていた内容は、スピーチに聴衆が耳を傾け賛同してくれたうえで切腹するというシナリオであったとされます。
大きな感動を呼ぶことを想像しておりましたが、実際には外部の雑音で阻害されてしまい、ほとんど聞こえていませんでした。
30分の予定が7分と短縮され無念の寂しい一言を残しています。割腹した血で「武」と書く予定を描いていました。まさに憧れの世界だったことでしょう。
諦めてしまっています。行動を起こす前の熱気は消えつつありました。現実の冷めた温度差を感じながら、こんはずではなかったと、さぞがっがりしたことでしょう。
三島由紀夫が作った映画「憂国」
生々しい切腹シーンを制作しています。消え去りつつある武士の志を忘れない夫と一生添い遂げたい妻の姿には美しき古い侍の世界を感じます。
潔く腹を切りを選び、一巻の終わりをすることが男らしく、理想の最期であることがうかがえる作品です。彼の思考にある武士道が忠実に再現されており、彼の憧れであったことでしょう。
この作品を手掛けているとき、眠くて目を閉じたいのになぜか手は止まらない不可解な現象を体験しており、見直して文章を変えようとしても、どこを消して訂正したらいか頭が真っ白になったといいます。
怨霊に取りつかれてできたとも噂されており、彼の考えとは一味違うストーリーだとも揶揄されています。
Contents
【三島由紀夫事件】三島由紀夫の生首が雑誌に掲載!
現世の報道手段としては考えられない過激さを物語っていますが、生首や胴体と首が分かれている2つの写真をアサヒグラフが掲載したのです。目にした人々は騒然となりました。
三島由紀夫事件でアサヒグラフが生首掲載
よく美容師がカットの練習をする際に使う頭だけの人形のような姿を大きなアップで掲載したのです。白黒ですので、色がない分リアルさは軽減されていますが、まさにスクープ写真です。
スピーチしている生前の写真から順番に、インパクトが強い写真までを掲載しています。カメラマンは騒動があった部屋までこっそり入り混んだのでしょうか。
マスコミの素早さには感銘でありますが、ここまで載せることが果たして真実を伝えるものなのか物議を醸しだします。
三島由紀夫事件は雑誌フライデーも後に高解像度で生首掲載
技術の進歩によってより写真が鮮明に映し出されるようになりました。時代の発展はときに残酷であります。初めてアサヒグラフが掲載してから14年後に写真が生まれ変わって、再度世に出回ったのです。
鮮度が高いため、よりリアルさを増しており強烈な見た目であったことから、ネット検索ワードで「三島由紀夫」が禁止となった時期がありました。
遺族の抗議を受けて生首写真が差し止めとなり、現在では検索をしても写真自体は出てこないようになっています。ただ生首まで入力するとヒットします。
まさに観覧注意な内容になっていますのでご注意ください。
【三島由紀夫事件】実は三島由紀夫は暗殺されていた?
彼の最期は壮絶でした。たとえ死への恐怖がなくとも老いていく姿がみたくないとしても人間ですから苦よりも楽を選択するではないでしょうか?このことから暗殺なのではないかという説があります。
実際のところは、どうなのでしょうか?このことについて考察していきましょう。
三島由紀夫事件の不可解な傷
司法解剖を担当した人物によって書かれた報告書によると、介錯を何度も行った際にできたであろう首付近の傷とは他に、腹部にも多数の傷があったとされているのです。
このことから恐らく暗殺が浮上したと思われますが、やはり死を強く選んだとしても刃を自ら突き刺すことは相当な勇気がいるものではないでしょうか。
ためらいもあったと思います。実際に「やあー」と一喝を入れていますから、躊躇の気持ちもうっすらと残っていたのではと察するところです。そのため刃を皮膚にあててみては離すといった動作があったのではないでしょうか。
切断後の頭部からは、安堵したような眠っていると思うほどの柔らんだ表情を浮かべています。勤めを成し遂げた達成感と、覚悟の死があったのではないでしょうか。
そのため暗殺よりも自ら死を選択し、迷いはあったものの美学にのっとった最期を演出したのではないかとされます。
【三島由紀夫事件】三島由紀夫の生首を見た川端康成
ノーベル文学賞を受賞している日本においてトップの作家ともいえる彼が自殺を遂げていることは有名です。彼が命経つ1年半前に三島由紀夫事件が起きています。
親交があった2人でしたので騒然とした現場に駆け付けています。強いショックを受けていました。その後、精神に異常をきたしていきます。またもや日本の才能ある作家が一人消えてしまったのでした。
三島由紀夫事件現場に川端康成が入る
ノーベル文学賞の推薦文章を三島に頼むほど、信頼関係が深い仲でした。知人の葬儀に出席するために上京中であった彼はすぐに現場に駆け付けました。物々しい雰囲気の中、歩み寄ったといいます。
盟友の訃報に、自分の目で確かめるまでは嘘であってほしいと願っていたことでしょう。ちなみに石原慎太郎も現場に行くか?と誘われていますが断わっています。
三島由紀夫の生首と対面
すぐさま市ヶ谷に位置する現場に駆け付けましたが、直接的な亡骸とは対面することは叶わなかったとされています。
一部では、生首を見たという話が出回っていますが、本人も手記で見ていないと綴っています。すでに現場検証が行われている最中だったため、騒然な場の雰囲気で本当に還らぬ人となってしまったのだと悟ったことでしょう。
同じ分野で活躍する仲間であり、彼の才能を早くから認めていただけに落胆は計り知れぬものだったのでした。翌年の葬儀では委員長を務め、最期の見送りをしています。
三島が結婚をするときには仲人をし、人生の新しい門出を祝いました。まさか最期の見送りまでするとは本人も思ってもいないことだったでしょう。
三島由紀夫事件で川端康成は精神に異常をきたす
心にぽっかりと穴が開いてしまったかのように、徐々に川端の言葉や行動に変化が起こり始めました。現場の凄惨さにショックを受けた心は簡単に回復することは難しかったようです。
前から睡眠障害はかかえていましたが、ますます精神的な不安定さが目に見えるのでした。それほど三島に対して心惹かれるものを抱いていたのでしょう。
「三島くんがきた」という川端康成の言葉
小さいころから霊的感覚を備えていたようです。作品にも多くの心霊体験を綴った内容が多いにも、実際に体験したことがあるからだといわれています。
あるとき誰もいない入り口に向かって、「三島くん、来たかね」と話しかけ、周りにいた人々は鳥肌がたったというエピソードが残っています。
他にも日常的に真顔で、三島の霊を見たと訴えることから本当に見えていたものか、幻覚のようになっていたものか定かではありませんが、彼にとって大事な仲間であったことが、うかがえます。
三島由紀夫事件がきっかけ?川端康成はノイローゼで自殺
三島の霊に向かって話しかけ、異常な精神は改善されることはなかったようです。逗子に仕事用として借りていたマンションで、ガス自殺をし72年の人生に幕を閉じました。
遺書が見つかったわけではありませんが、生前の彼の不安定さが目に見えるようになった時期を考えると三島というインパクトが強すぎた盟友を失ってしまったことが一部関係していたのではないかといわれています。
または三島の霊に呼ばれて後を追ったのでしょうか。傍にいた人間には見えていない何かが引き寄せたのかもしれません。
【三島由紀夫事件】予感していた美輪明宏
彼の交友関係はとても広く芸能関係にも及んでいます。彼が脚本した芝居で役者として参加をしており、長年親しい間柄でありました。彼らは出会うべくして運命が引き寄せたのでしょうか?
独特の世界観を放つ美輪明宏には彼の敷かれたレールが見えていたようにも感じられます。彼の背後にただならぬオーラをみていたとされます。親密であった関係についてご紹介します。
三島由紀夫と美輪明宏の関係
まだ彼が駆け出しの作家だったころに運命ともとれる出会い方をしています。美輪がアルバイトをしていた喫茶店に彼が客としてきた際に、なにか通ずるオーラがあったのでしょうか。
席に座るように何度も口説いたのです。美輪は、どうしても近くに行きたくないと拒否をしますが、店主におこづかいをあげるから頼むと懇願され、仕方なく彼の席へ座ったようです。
これが最初の顔合わせではありましたが、後に付き合いが18年も続くとはお互い想像もしていなかったことでしょう。
美輪がシャンソン歌手としてデビューをしたことを聞きつけると、彼は何度も交渉をして、美輪のために構想を考え練ったミュージカルの主役に抜擢しています。彼にとって相当な魅力を感じていたとされます。
一部のマスコミが親密な間柄を恋愛関係だと書き立てました。ですが尊敬をする間柄で彼は美輪に対し、俺に惚れないところが君の短所だと言い放っています。
無償の愛のようなものをお互いに持っていたとされ、美輪は敬愛する相手と語っています。