【瀬戸内シージャック事件】日本初の事件の概要と川藤展久やその後まとめ!

瀬戸内シージャック事件は1970年に起きた日本初のシージャック事件です。戦後初の犯人の狙撃で解決した人質事件となりましたが、その結末に当時は賛否両論でした。今回は瀬戸内シージャック事件の概要や犯人の川藤展久について、事件の真相、事件後の論議について紹介します。

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瀬戸内シージャック事件とは?

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現在から49年前、昭和45年に日本では珍しくあまり例がない事件が起きました。というのも日本国内では初めてで現在までそれ以外には、この犯罪が起きていないのです。現場となったのは『瀬戸内』であり、ご存知の方でしたら分かるはずですがかなり広いエリアを総称していて、12の県府と日本の本州を含めた3つの島が該当するのです。

具体的にどこが現場になったかというと、本州の中国地方と四国に挟まれるエリアです。この『シージャック』というのは『SEA』と『HIJACK』をくっつけた和製英語であり、またかばん語です。名前からもわかりますが、海の水上で起きた『略奪』及び『乗っ取り』事件なのです。この後概要については詳しく解説していきます。

瀬戸内シージャック事件の詳細【事件の始まり】

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実はこの珍しくあまり例がない事件は、名前だけで判断すると海の上で発生したものと先入観が働いてしまいますが、実は始まりとなった舞台は陸の上で地上だったのです。というのも始まりとなり発生した場所から最終的に行き着いた場所は距離があり、また発生した時刻から鎮圧して解決するまでに相当な時間が掛かり、日をまたぐほどだったのです。

日本では『初』で珍しく現在でも例がないので、当時はセンセーショナルを集めました。またある警察の対応や判断も問題視され、正しかったのか間違っていたのかなど、ちょっとした論争が起きて話題になったのです。まずは事の発端となった『事件の始まり』から時系列ごとに、詳しく状況をお話ししていきます。

瀬戸内シージャック事件詳細①犯人は仲間の少年2人と車を盗む

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この記事のご紹介していく例を見ない人質事件の主人公となる犯人は当時20歳の男性です。以後『20歳男性』で表記させていただきます。20代男性はある日、いつもの様に『パーラー店』で時間とお金を持て余していました。そこで初対面の『少年2人』と意気投合し、ある犯罪計画を企て実行する事を決意しました。

そして実行日になると犯人グループの3人は、一台の他人の所有車を窃盗したのです。どうやって窃盗したのかは判明しておりませんが、全国的に見ても人口が多く都会の『福岡県福岡市』で犯行に及んだ事が分かっております。

瀬戸内シージャック事件詳細②警察官を刺して逃走 、少年1人逮捕

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窃盗に遭ったことに気づくと、車の持ち主である所有者は直ぐに警察に通報し、パトカーや白バイ隊員などが出動しました。犯人グループの3人は窃盗者で警察から逃げる様に走行していました。この時外の天気は荒狂っていて、大雨で土砂降りだったそうです。どこを目指していたかというと、九州から、中国地方につまりは本州に向かっていました。

具体的な時刻については判明していませんが、恐らくは午前中で朝の時間帯だったと考えらえれます。ちょうどお昼の12時過ぎに本州の最西端にあたる『山口県』を走行していたところ、違反走行をしてしまった所を見張っていた警察官に見つかり、道路の横に停められ取り調べを受けて、車のナンバーから窃盗車である事がバレてしまったのです。

不慮の事態であったため・・・

犯人グループの3人は、不慮の事態によりあっけなく逮捕されましたが、犯罪計画に加担した少年の1人は連行されているパトカーの中で、あらかじめ忍ばせておいた『刃物』で同伴していた警察官を刺すと、20歳男性と2人で更に足となる車を盗んで逃走を図ったのです。幸いにも刺されてしまった警察官の命に別状はありませんでした。

瀬戸内シージャック事件詳細③軽トラ運転手を脅迫

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更に逃走を図った犯人グループの2人は指名手配が出ている事を考えて、途中で身に纏っている衣服を脱ぎ、新たに違う衣服を着用して恰好を変えました。その後犯人グループの2人は『広島駅周辺にある郵便局で強盗をして資金を調達しよう』と計画を企て、目的地まで電車で向かい近くまで行くと、厳重態勢であったため一旦ひと気のつかない場所で寝てその日を終えました。

夜が明け、犯人グループの2人は再び行動を始めると、村人が彼らを目撃して通報し地域一帯に警察官が配備されましたが何とかやり過ごしました。そして午後になると軽トラに同乗していた1人の警察官が犯人グループの2人を発見すると、逮捕しようとして直ぐに持っていた拳銃で威嚇射撃したのです。

しかし犯人は

拳銃で実際に実弾が発砲され、犯人の近くに着弾したのにもかかわらず、20代男性は全く怯まず逆にその場に居合わせた、軽トラドライバーを所持していた銃で狙いを定めて、『殺すぞ』と威圧的に脅しました。この時土砂降りの大雨で本当は発砲不可であったのではと後に問い詰めれましたが、警察官はやむを得ず、犯人の望み通りに所持していた拳銃をその場に捨てました。

瀬戸内シージャック事件詳細④もう1人の少年逮捕、犯人は1人で逃走

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そして主犯格の20代男性は軽トラドライバーを人質に取るように警察官の動きを封じて、自身もその軽トラックに乗り込みドライバーに運転させある場所まで向かい更に逃走を図りました。その場所については後述にてお話しします。

この時に犯人グループの内の1人である少年は、近くで身を潜めて一連のやり取りを見ていましたが、20代男性がその場を去った後、警察官は身を潜めていた犯人グループの少年を見つけると逮捕すべく、取り押さえるように取っ組み合いになりましたが、何とか逮捕する事ができました。

瀬戸内シージャック事件の詳細【シージャック発生】

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ここまで主犯格となる20代男性と、共犯の2人の少年がどこで知り合ったか、また事件発生のきっかけや始まりの部分について解説していきました。一度は交通違反という予期せぬ事態によりあっけなく逮捕されましたが、そこから警察官を刃物で刺してまた逃走し、警察官にまた発見されピンチになるものの、また持っていた銃で脅して更に逃走をした。

というこの事件の最初の流れについては理解して頂いたはずです。これまでは陸の上、即ち地上の上で事態が展開していきましたが、いよいよメインとなる海の上に犯行の現場が移り変わります。では次に1人となった主犯格の20代男性が、どんな動きを見せて何をするのか、彼の犯行の概要を時系列ごとに順を追って解説していきます。

瀬戸内シージャック事件詳細①銃砲店での強奪

1人となった20代男性は人質に取った軽トラ運転手に軽トラックを運転させて、県警察本部が目の前に見えて直ぐ近くに存在していた、狩りや狩猟用のライフルや弾を販売している『鉄砲ショップ』に足を運ぶと、銀行強盗で襲撃するように店員やスタッフ、一般人であるお客さんを脅しながら誘導して、1室に閉じ込めました。

その後、20代男性は自身が持てるだけの銃や実弾を盗みました。その様子は恐らくあの『ランボー』を彷彿させるのではないでしょうか?彼の心情を察するに、『もうやるしかない』『とことんやる』といった考えに至っていて後戻りができなくなり、終始興奮していた事と考えられます。

瀬戸内シージャック事件詳細②「ぷりんす号」を乗っ取る

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完全に武装した状態でショップを後にすると、文字通り強行突破して広島県の海岸沿いの港まで向かいました。20代男性は港に到着すると、道を開けろと言わんばかりに先ほどのショップで奪った銃で威嚇射撃を連射しました。彼はとにかく死に物狂いで逃げようとして、大きな船を目指していたのです。

彼の狙いを阻止しようと、船に乗らせまいと必死に警察官が立ちはだかりましたが、彼は何も考える間もなく躊躇なくその警察官に向けて引き金を引きました。不幸中の幸いで、この警察官も負傷して怪我を負った程度で命に別条はありませんでした。そして遂に彼は港に停まっていた大きな船に乗り込み、キャプテンに銃を突き付けて船を出す様に脅して命じたのです。

瀬戸内シージャック事件詳細③広島県警の警備艇を狙撃

20代男性は車や銃だけではなく大きな船さえも略奪しひたすら逃走しましたが、当然水の上、海上であっても警察艇などに後を追われていました。彼は追ってきたその警察艇に向かって容赦なく、銃を向けて発砲し乗船していた警察官の身体を貫通して大怪我を負わせました。更にたまたま通りかかった一般人のボートにも発砲しました。

今回の事件は、海の上で客船を略奪するという極めて異例で日本では初めてのケースになったのですが、地上でそれも道路の上でバスが略奪され人質を捕るというケースは意外にも多いのです。そんなバスジャック事件の数々について興味のある方や、概要だけではなく安全策なども知りたい方はこちらの記事を是非ご覧ください。

瀬戸内シージャック事件詳細④マスコミのセスナも狙撃

視界に入ったものは自らの行く手を阻む『敵』や『追手』とみなして、なりふり構わずひたすら所持していた銃と実弾で発砲した主犯格の20代男性。恐らく明確な殺意はなかったのですが、とにかく必死で興奮していたと考えられます。そんな彼はなんとお隣中国の有名マスメディアが雇って乗車していた『小型飛行機』も追手と勘違いしたのです。

彼はその小型飛行機にもすかさず発砲しました。その弾は偶然にも『燃料タンク』を貫きましたが何とか墜落は免れたそうです。こうした犯行に対して警察は全勢力を上げて、数千人の警察官やたくさんの警察艇などの乗り物が動員されました。

瀬戸内シージャック事件の詳細【犯人射殺まで】

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1人の主犯格である20代男性によって大きな事態に発展したわけですが、その犯行や内容はまさに映画の様に規模が大きくなったのです。自分の視界に入るもの全てが追手に見え、興奮していたのか容赦なく発砲するなど死者が出てもおかしくない状況だったのは間違いありません。彼の目的は一体何だったのでしょうか?

一連の犯行からは『お金』が目的なのだと考えられますが、それにしてはやり過ぎな気がします。さてここから異例な事件は思わぬ結末を見せて終息するのです。果たしてこの後どのような展開を見せるのでしょうか?20代男性は次にどんな犯行や言動を見せるのでしょうか?次に思わぬ結末を詳しく解説していきます。

瀬戸内シージャック事件詳細①松山観光港に入港

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いつ死者が出てもおかしくない緊迫な状況が続く中、20歳男性と略奪した大きな船は逃走しがなら、ある目的を果たすためにある港に着きました。その港は現在でも多くの貨物船や客船が寄って地点にすることがある場所で、四国の愛媛県にある松山市に位置する観光港でした。

瀬戸内シージャック事件詳細②乗客のみ解放し宇品港へ

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ある目的とは、実は逃走しながらも主犯格の20代男性は船を操縦するキャプテンを介して、警察と取引や交渉を行っていました。そこで彼は新たな足として船が必要だから用意しろ。と要求しましたが警察はこれに応じる事はできず、代わりに燃料を与える事になったのです。

その際に警察側は、一緒に乗船していた人質として捕らえられていた一般人の解放を交換条件として提示じて、主犯格の20代男性はこの条件を飲みました。そして上記で説明した松山市にある観光港で取引に応じることになったのです。警察はこの時給油スタッフに扮して、警察官を乗船させる計画でしたが、20代男性に『人は乗せるな』と咎められ失敗に終わりました。

乗客のみ解放

20代男性は警察の要求通りに、不幸にもたまたま人質となってしまった一般客を船から降ろさせ解放しましたが、船を操縦するキャプテンを含むスタッフ一同は乗船したままで、再出発して逃走を続けて広島県に位置する『宇品港』へと向かいました。

瀬戸内シージャック事件詳細③家族の説得にも応じず

彼は逃走を続ける中で警察に新たな要求を言い渡しました。初めに犯罪計画に加担していて共犯した、既に身柄を逮捕されている犯罪グループの少年2人を乗船させるように要求したのです。この際主犯格である20代男性の家族である父親と姉が、もうこんな真似はやめる様に、逃走や犯行をやめる様にと必死に言い聞かせました。

しかし家族による説得にも一切耳を傾ける様子はなく応じませんでした。それどころか彼の犯行や逃走はさらにエスカレートして、ランボーの様に持っていた銃を連射して辺りに発砲したのです。実の父親に向けても発砲し、更に1人の警察官の身体を貫き大怪我を負わせ、追跡していた警察ヘリをも貫いて墜落寸前となってしまったのです。

瀬戸内シージャック事件詳細④狙撃隊員により川藤を狙撃

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実は主犯格の20代男性が大きな船を略奪して海の上を逃走しはじめた際、既に警察の上層部から万が一の場合は、犯行に及ぶ彼に向けて銃を発砲するのは仕方なしと伝えられていたのです。彼が『警察官たちを巻き込んで銃撃戦をして命を落としたい』と考えている心情を、交渉の伝達役であり船を操縦するキャプテンの口から伝えられました。

また主犯格の20代男性が更に逃走を続けるという意向も把握したうえで、これ以上の犠牲者や被害を出すわけにはいかないとして、その時の警察上層部にあたる部長が判断した上で、犯人に向けて銃を発砲して最悪の場合、殺してしまうのもやむを得ないと狙撃を承認しました。そして地上の堤防近くで身を潜め待機していたスナイパーが彼に向けて発砲しました。

終止符が打たれる直前

スナイパーが発砲した弾丸は、主犯格の20代男性の左の胸部を貫通しましたが、即死には至りませんでしたが致命傷となりました。打たれた直後彼は『死ぬもんか。もう一遍』と未練があるようにそう呟いたと側にいた交渉の伝達役で当事者であるキャプテンは供述していました。また彼の父親も死んで当然、償いができたと発言して警察の判断や措置に納得する姿勢を示しました。

瀬戸内シージャック事件の犯人「川藤展久」の生い立ちは?

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3人の犯人グループが他人の車を窃盗する犯行に始まって、最終的には主犯格1人が船を略奪し、海の上で銃を連発して辺りを発砲しまくるという大規模な犯行に発展しましたが、こうして主犯格の20代男性の短い人生と無茶苦茶な犯行に終止符が打たれました。

この異例な大事件では数人の警察官だけではなく、一般人も犠牲者となってしまいましたが、奇跡的に死者が1人も出なかったのは不幸中の幸いと言えるでしょう。犯人は何故この様な犯行を犯したのか?またどんな人物だったのでしょうか?次に主犯格である20代男性のこれまでの経歴や生い立ちなど、彼の人物像や人柄について解説していきます。

瀬戸内シージャック事件の犯人の生い立ち① 父は船員・母は新興宗教信者

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今回ご紹介している事件の主犯格の20代男性の実名は『川藤展久』と言い、今からちょうど70年前の昭和24年に、岡山県の現在は児島地域に属される下津井という港町で生まれました。奇しくも生まれたその地も最期に幾度か略奪した客船で寄ることになった『港』だったのです。

港町という事で一家を支える父親は客船などの乗務員、船乗りの職に就いて働いていたそうです。一方の母親は、古来より伝わる正当と言えるキリスト教や仏教、イスラム教のような宗教ではなく、明治や大正の時代に生まれた一風変わった、『怪しい宗教』の教徒で夢中になって家庭に子供に目もくれなかったと言われています。

瀬戸内シージャック事件の犯人の生い立ち②中学1年で退学状態に

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父親は一家を支えるために船乗りとして一生懸命に働いていたので、家庭に不在になるのは仕方ないですが、母親に関してはパートやアルバイトをしていたわけでもなく、ただ宗教に夢中になっていたという理由だけで家庭に不在になり、きちんと専業主婦の務めを果たさず彼に対してもきちんと教育やしつけを行わなかったのです。

両親が家庭にいる事が少なく、しつけや教育も行き届いていなかった彼はある意味好き放題できたので、小学生になると集団行動ができず、ルールの存在をイマイチ理解していなかったのか、電車などをただ乗りしていたのです。そんな風に小学生からたびたび軽犯罪を犯していたのです。

中学生になると

中学生にあがるとそういった悪事は更にエスカレートして、中学1年で直ぐに『退学状態』になってしまいました。どうやら学校側が処分を下したわけではなく、自ら学校に通わなくなったそうです。そしてその年齢にして家を出て行ったのです。

瀬戸内シージャック事件の犯人の生い立ち③20件近くの窃盗事件

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中学生にして家を飛び出したあと、彼はその年齢にして家に帰ることなく、あてもなく日本の各地を彷徨っていたそうです。東は『東京都や千葉県』西は『広島県や福岡県』で生活していたそうです。どのように生活していたか深く語られていませんが、色々なアルバイト業で働いたり、暴力団のお手伝いのようなことをしてお金を稼いでいたそうです。

その年齢で自身で働き飯を食べている事に少し感心してしまいそうですが、彼はこの間にも悪事や犯罪を繰り返していたのです。そのほとんどが『盗み』つまりは『窃盗』で、その数20件にも及ぶ窃盗罪にあたる犯行を繰り返し何度も逮捕されていたのです。彼がまともな人間でなくなってしまったのは、家庭に目もくくれなかった、いい加減な母親の影響もあるかもしれません。

瀬戸内シージャック事件で使われた銃

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事件が起きたは現在から49年前の事で、一般人でも簡単に銃が入手できてしまうなど時代背景が大きく違ったわけですが、実際に犯行では鉄砲ショップで奪った銃が使われて何発も連発されました。こちらの見出しではその時に使われた拳銃や銃弾の種類についてご紹介していきます。

犯人が使っていた銃

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主犯格の20代男性が犯行に使っていた銃は、現在では様々な機械や自衛隊が取り扱う銃器を製造し販売している豊和工業製の『豊和ゴールデンベア』です。アサルトライフルのような連続に弾丸が発射される『セミオート式』ではなく、一発の威力が凄まじい『ボルトアクション式』で、抽象的に『象も殺せるくらい』と表現されていたのもの納得できます。

狙撃手が使用した銃も同じもの

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警察でも事件から2年前に起きた『キムヒロ事件』をきっかけには犯行阻止や鎮圧、人質を救出するために上記の銃と同じものが導入されており、実際に事件では最終的な措置として、犯人に発砲する際この中が使用され、意図しない形で主犯格の20代男性の命を奪う事になりました。

瀬戸内シージャック事件の発砲数、負傷者は?

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今回ご紹介いる日本では珍しく異例で大規模な事件を引き起こす前に、主犯格である20代男性は以前から窃盗を働いていて、幼気な少年時代から素行が悪く人間性に問題があったのです。少々母親に恵まれなかった境遇に同情してしまうのではないでしょうか?家族が必死になって彼の犯行や逃走をやめさせようと説得しても聞かなったのも無理ありませんね。

今回の事件、彼の犯行により数名の人物が負傷してしまい、犠牲者となってしまいました。彼は目に入る追手や邪魔ものに向けて強奪した銃と弾を使って容赦なく発砲したのです。果たしてどれだけの弾丸を打ったのでしょうか?また被害者の負傷した具合や怪我の程度はどれほどだったのでしょうか?次にそちらをお話ししていきます。

瀬戸内シージャック事件の発砲数

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まず主犯格の20代男性が盗んで使用した弾丸は2種類あり、1つはショッドガンに主に装弾して、スラッグ弾とも言われている『散弾』が60発以上。もう1つは細長くてライフル銃に使われる『ライフル弾』が50発以上使われており、合わせると優に『100』は超えていて100回以上発砲したことが明らかになっているのです。

銃を所持していても問題が無いアメリカ合衆国などの世界ではこの数は変哲もない数字なのでしょうが、銃を持たない治安の良い国日本国内でそれだけの数が実際に発砲されたというから驚くべき事実であります。この点でも例を見ない、後にも先にもない珍しい事件と言えるでしょう。

瀬戸内シージャック事件の被害者①警察

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交通違反から窃盗が発覚して逮捕し連行している際にパトカーの中で、犯人グループの1人の少年に刃物で刺された警察官は全治するのに約10日間以上の怪我を負いました。主犯格の20代男性が強行突破して港に進み、客船に乗り込もうとするところを立ちはだかり阻止した警察官も彼に打たれてしまい負傷を負ってしまいました。

主犯格の20代男性が客船を略奪して逃走を図り、それを追跡していた警察艇に乗船していた上層部の警察官にも発砲して、弾丸が胸部を貫いてしてしまい大怪我を負ってしまいました。また家族が必死に犯行と逃走を止めようと言い聞かせた直後に、連発した流れ弾に被弾してしまった警察官も大怪我を負ってしまいました。

瀬戸内シージャック事件の被害者②民間人

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主犯格の20代男性が客船を略奪し逃走を図ったあと、彼は興奮状態で目に入るもの全てが『追手』に見えていたのか。たまたま近くに居合わせてしまった一般人が乗船していたボートにも発砲して、2名の一般人が負傷しましたが、それ以上の記録は公開されていないので、命に別状はなく軽症ですんだものと伺えます。

港にいた人々、客船に乗っていた一般人をも巻き込んだ大規模な事件に発展し、容赦なくひたすら発砲しまくるという犯行に及んだにも関わらず、死者が出なかったのは奇跡的で不幸中の幸いと言えるのではないでしょうか?普段から銃を扱っている人物が犯人だったとするとゾッとしてしまいます。

瀬戸内シージャック事件船長の勇気ある行動

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銃を所持していて発砲を躊躇わない、興奮状態の主犯格の20代男性を前にしても、必死に被害を抑えようと犯行を阻止しようとした警察官たちも、務めや職柄であるとはいっても非常に勇敢で必死な行動であったといえますが、この事件では更に危険な状態でまさに死と隣り合わせであった『人物』もまた非常に勇気ある行動をしたのです。

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