【瀬戸内シージャック事件】日本初の事件の概要と川藤展久やその後まとめ!

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その人物とはいったい誰なのでしょうか?それは略奪されてしまった客船の操縦士、即ち『キャプテン』です。キャプテンは終始主犯格の20代男性の一番近い側にいて、警察との交渉ややり取りの伝達役まで務めたのです。どの行動がどんなところが勇敢で『勇気ある行動』であったか次に解説していきます。

瀬戸内シージャック事件船長の行動①平静を装う

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20代男性が強行突破する形で港に侵入してから、既に何発か銃を発砲しており、また一人の警官が打たれてしまい現場は騒然として悲鳴と共に、恐怖は自然と客船に乗船していた人間にも伝わっていたはずです。そんな状況でいよいよ興奮状態で銃を所持していた彼が乗船し、『船を出せ!』と操縦士であるキャプテンに銃を付け付けたのです。

皆さんだったらこんな時どうしますか?言う事に従うのは勿論ですが、動揺してしまったり気が動転してしまうはずです。しかし当事者のキャプテンは銃を突き付けられ脅されても一切動じず、静かに船を出発させると、彼に対して『なぜこんなことを?』と質問するくらい平然とした態度を保っていたそうです。

その質問に対して

その質問に対して彼は『これまでに多くの色々な犯罪を犯してしまったから、生きていてもしょうがない』と行くところまで行ったら最後は死ぬつもりであった事が伺えるのです。もし射撃されずに生きたまま逮捕されたとしても自殺していた可能性があるのではないでしょうか?

瀬戸内シージャック事件船長の行動②わざと低速で運行

略奪された客船の操縦士であったキャプテンは、終始運航スピードは時速にして10キロメートルを満たない速度で操縦していました。この速度は客船だという事をふまえても非常に遅くノロい速度なのです。もし興奮していた主犯の20代男性に歯向かう言動や怪しい行動をとったら、容赦なく銃で撃たれ命の保証はないでしょう。

しかしキャプテンはわざと『遅くてノロい速度』をキープして操縦して、警察艇やヘリコプターなどが追跡しやすいようにしていたのです。まさに命を張った非常に勇敢な行動なのですが、これが良い結果となって松山市にある観光港に先に警察艇が到着する事ができて、流れ弾や銃撃戦を危惧して一般人や民間人を避難させることが出来たのです。

もしも平均スピードを知っていたら

もしも主犯格の20代男性が客船の平均スピードを把握していたら、操縦していたキャプテンの命は無かったかもしれません。そう考えるとよりキャプテンの行動が命を賭けている勇敢な行動である事が伺えるのではないでしょうか?

瀬戸内シージャック事件船長の行動③給油が必要と咄嗟に嘘

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必死の交渉の中で警察は乗船している人質となってしまった一般人の解放を求め、主犯格の20代男性は新たな足となる客船を求めましたが、それに応じる事ができないため代わりに燃料を要求して、結果的に松山市に位置する観光港で取引が行われて、何とか無事に一般人の身元が無事に解放された。

と先ほどの見出しでお話ししましたが、実は燃料が『交換材料』になったのは、キャプテンが『このままでは運航できなくなるから給油が必要になる』と咄嗟に嘘をつき言及した為だったのです。嘘をつき騙せていなかったら、松山市にある観光港にも向かわず、人質となってしまった乗船していた一般人たちも解放されていなかったかもしれないのです。

興奮している犯人に嘘はつけない

常人の精神や人格であれば、常に銃が突き付けられ監視され、人質となっている身でありながら犯人に嘘など付けません。嘘をついてそれが見破られたら『死』に直結しているのです。しかしキャプテンは自身の身の安全や命を顧みず、バレない様に平然と咄嗟の嘘を付いているのです。勇敢でありまた度胸も凄いといえます。

瀬戸内シージャック事件船長の行動④警察に助言

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また度胸があり勇敢なキャプテンは、主犯格の20代男性が行くところまで行き最後は警察官と銃撃戦を繰り広げて死ぬつもりである事を助言したのです。この助言により彼はとことんやるつもりで、犠牲者が増え被害が拡大する恐れがある事を示唆して、最終的な判断に至ったといっても過言ではないでしょう。

被害や犠牲者が最小限に抑えられたのは、警察の行動や判断だけではなく、興奮状態にあった主犯格の20代男性のずっとすぐそばにいた、勇敢なキャプテンの勇気ある行動のおかげでもあるのではないでしょうか?冷静で勇敢なキャプテンでなければ、交渉や伝達もままならなかったかもしれないのです。

瀬戸内シージャック事件のその後

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車を盗むこと犯行に始まり、一般人や警察官、客船や乗客など色々なモノを巻き込んで大規模な事件に発展してしまった事件は最終的には、警察のスナイパーが主犯格の20代男性に向けて銃を撃って終止符が打たれましたが、その後この事件や当事者たちや世間はどうなっていったのでしょうか?

被害者たちの負傷した具合や怪我の程度については先ほど解説させていただきましたが、気になるのは主犯格の20代男性の家族や仕方なく発砲したスナイパー、そして逃走に使われ舞台となってしまった客船などのその後ではないでしょうか?次に事件のその後について解説していきます。

瀬戸内シージャック事件のその後①川藤の父親の言葉

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やむを得ず射殺されて犯行が止められる前に、主犯格の20代男性の家族である父親と姉は必死に彼の犯行や逃走を止めようとして、言い聞かせましたがそれも叶わず、犯罪者とは言え1人の家族を失ってしまったわけです。

父親はこうした結果に対して『責任がある親として、死んでくれて償う事ができた。警察の判断に物申すつもりはない』と言及しており、家族である父親にとっても今回の結末は『致し方ない』『仕方ない』と考えている意向を示したのです。

瀬戸内シージャック事件のその後②狙撃手への処分

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北海道に住んでいた、人権や命を重んじて死刑などを反対する意見を持つ弁護士は、致し方なく射撃して殺害した警察のスナイパーと、最終的な判断と処置を命じた警察県警本部事態を『急所を外して狙撃すれば死に至らせることなく身柄を確保できたはず』と訴えて裁判を起こしました。

これに対して最終的な判断と処置を下した、上層部の警察本部はスナイパーには予め『殺さない様に致命傷は避けてくれ』と伝えていたと供述しており、スナイパーも勿論故意で狙ったわけではないので、裁判官は『警察による正当な判断と処置による結果』として不起訴処分となりました。

瀬戸内シージャック事件のその後③運行会社から乗客たちへの被害補償

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今回の事件で不慮の事態により不幸に見舞われ、人質となってしまった一般人である乗客たちは、幸い1人も怪我を負う事もなく死者も出なかったのですが、客船の持ち主である運航会社から、成人している大人には30000円を、年齢が子供に分類される者には10000円、総額数十万円の賠償金が支払われました。1円の価値が現在とはだいぶ違うので注意してください。

瀬戸内シージャック事件のその後④ぷりんす号は売却、フィリピンで観光船に

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たまたま今回の事件で逃走に使われ事件の現場となってしまった客船は事件の影響により、当然必然的にそれ以降また本来の目的どおりお客さんを乗せるという役目を全うできなくなってしまいました。主犯格の20代男性が所持していた銃により、何発も弾丸が発射された痕跡は消す事ができても、事件の舞台となった事実やイメージは払拭することはできないのです。

それらはあくまでも日本人や日本国内である場合なのです。その後事件の舞台となった客船は売却されて、遠くの国である『フィリピン』で本来の役目である観光船として現在も使われているのです。この事実が判明したのは数十年後の事でTVショーで明らかとなったそうです。

瀬戸内シージャック事件への世間の声

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先ほどお話ししたその後についての内容と結びついているのですが、この日本で起きた異例で大規模な事件がセンセーショナルを集めたのは、犯行内容や中継されていたという点だけではなく、結末である主犯格の20代男性を結果的には撃ち殺してしまったという点に関心が集まり、議論を起こし問題視されたのです。

実際に判断と処置を下した警察の主張や考え、そしてその結果や結末に納得できたり賛同する世間の声や反対に批判したり間違っていたと主張する世間の声。それぞれを一つ一つどんな声が挙がったか解説していきます。読者の皆さんはどんな考えを持ちましたでしょうか?

瀬戸内シージャック事件への声①警察の主張

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警察の主張としては、これ以上の犠牲者を出さない様に被害の拡大を防ぐためにも、興奮状態で発砲を繰り返していた主犯格の言動と死ぬつもりだったという心情を考慮して、彼に向けての発砲は致し方なく、やむを得ないと判断していての措置だと主張しております。

更にこの時も担当する警察のスナイパーにも『致命傷に至らない右の胸部を狙う様に』『殺さずに急所は避ける様に』と伝えていたことも言及しているのです。警察のスナイパー自身もその後責任感や罪悪感から精神的に病んでしまったそうなので、意図しない結果であった事が伺えます。

瀬戸内シージャック事件への声②「正当防衛でやむを得ない」

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世間の声の多くは警察の判断や措置、そして殺害してしまった結果に対しては口をそろえて『やむを得ない』という考えを示しました。胸を狙ったことについても手足を狙ったとしても、犯人を激昂させてしまう恐れがあり、かえって危ないという見方もあり『正当』であったという意見が多かったのです。

瀬戸内シージャック事件への声③「やりすぎ」

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一方では事件の主犯格である20代男性にも、多くの犯罪を犯していたとしても、生きる権利はあったとして『やり過ぎなのではないか』という意見も少数ながらあがりました。逮捕されて裁判で『死刑』が言い渡される犯罪者だとしても、判決が下され刑が執行されるその時までは生きていい権利があるという主張もありました。

勿論本来ならば主犯格の20代男性は死ぬことなく、生きた上で罪を償うべきで射撃も致命傷から外れる事が望ましかった事は間違いありません。しかし狙ったスナイパーも人間であり、こうした不慮の事態が起きてしまい、予期せぬ結末を迎えてしまったのはやはり『仕方ない』のではないでしょうか?

瀬戸内シージャック事件の時代背景

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現在から49年前の昭和45年は、現代でも人気の玩具である『トミカ』が発売開始されたり、日本で初めて『歩行者天国』が設けられた。そんな時代でありますが、左翼派の『赤軍』が日本国内や海外で暴動を起こしていたり、また海外に旅行に行くことが当たり前になった年でもあるのです。

今回ご紹介している異例で大規模な事件が起きる一か月前には、時代背景が深く関係している同様の事件が発生していたのです。そしてその一か月前に起きた同様の事件が発生したあと、『人質事件』が立て続けに6件も起きてしまった事実があります。その同様の事件とはどのようなものだったのでしょうか?また2つの事件はどう関与しているのでしょうか?

瀬戸内シージャック事件は「よど号ハイジャック事件」の翌月発生

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同年の事件が起こる一か月前に起きたタイムリーな事件で、こちらも日本では最初の『ハイジャック事件』なのです。現代の左翼や赤軍の元となった組織が引き起こしており、彼らは政治による影響などで本国から他国に逃れるという亡命が目的で、現在の北朝鮮に向かおうとして旅客機を略奪したのです。その旅客機の機体の愛称が『よど号』だったのです。

やり取りや交渉があったもののなんと実際にその飛行機は北朝鮮まで行き、彼らの望み通り『亡命』を果たしました。残された乗客と旅客機はしばらく異国である北朝鮮に滞在して、警察ではなく国や政府が、また犯人グループではなく北朝鮮が交渉をして、ようやく日本に無事に帰ってこれたというセンセーショナルな事件なのです。

瀬戸内シージャック事件の時代背景とは

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前述したセンセーショナルな事件では、実際に犯人グループたちの望み通り『亡命』を果たしてしまう結果になりました。また数百人の多くの民間人や一般人が被害に遭ってしまったのです。同様の事態が二度と起きないようにと、警察は『戒め』や『見せつけ』のために主犯格の20代男性を意図的に射撃したのではないかという説も囁かれました。

瀬戸内シージャック事件の影響があったとされる事件

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今回ご紹介している異例で大規模な事件は、やはり主犯格の20代男性が射殺されたという思いがけない結末、また警察の判断や措置にセンセーショナルが集まり、話題となり抗議され問題視されました。この一件の影響があったとされる事件がその後日本で起きているのです。その事件の概要と影響を受けたとされる部分について分かり易く解説していきます。

瀬戸内シージャック事件の影響を受けた事件①あさま山荘事件

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この事件もよど号ハイジャック事件と同様に、左翼派の赤軍が犯人グループとなって引き起こした人質事件で、2年後の昭和47年に発生しています。『KAWAI』という世界的にもトップクラスのシェアを誇るピアノ及び楽器販売企業の施設で人質をとり立てこもるという犯行で、非常に内容が多く逮捕まで色々な事態や出来事が発生しました。

最終的には、逮捕及び鎮圧する際に機動隊員が施設に動員されることになるのですが、この際警察の上層部の指揮官にあたる人物は殺害してしまったら、自らの願い通り死んだ者と見なされてしまう為『全員生かしたまま身柄を捕えよ』と命じているのです。武力により射撃や射殺に至らなかったのは、影響があった可能性も考えられるのです。詳しい概要はこちらの記事をご覧ください。

瀬戸内シージャック事件の影響を受けた事件②三菱銀行人質事件

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今回ご紹介している事件から9年後の昭和54年に発生して、大阪府にある三菱銀行が現場となり、そこで人質を捕って数日間立て籠るという非常に凄惨で残虐な事件です。犯人は容赦なく『ショットガン』撃ち散弾を発砲して警察官や現場に居合わせて人質となってしまった民間人、数名を殺害しています。

また人質を捕り数日間立て籠る間、警察が突入する隙や民間人が逃げ出す隙が終始一切なく、人質全員を文字通り裸にさせ、気に食わない事があれば所持していたショットガンで殺傷するなど、現場はあり得ないほど深刻なものでした。

1人の狙撃手ではなく一斉射撃で

あり得ない現場、容赦ない非人道的行為に走る犯人。こうした事態に陥ると人質を助け、鎮圧させるためには最終的には射殺を余儀なくされましたが、罪意識や責任を背負わないようにと数人で『一斉射撃』して、誰が打った銃弾で死んだのかはっきりさせないようにする為の手段を取った事が、当事者の特殊部隊員の口から明らかとなっています。

瀬戸内シージャック事件後の警察の拳銃の扱いは?

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事件発生から現代と呼べるような時代に至るまでに、数々の殺人殺傷事件で多くの警察官が犠牲となり命を落としてきました。今回ご紹介している事件でも、容赦なく主犯格の20代男性に銃で撃たれて警察官の数名が負傷して大怪我を負った者もいるのです。

凶悪犯罪や残虐な犯罪者が年々増加している影響もあった事は間違いなく、現場に出動した警察官の負傷や死を防ぐためにも、どういった場合やどのような状況なら拳銃を使うべし。と拳銃を使う要件や案件が明確に決められた法律が現在から18年前の平成13年に定められているのです。これにより警察官が拳銃を使うケースが増えました。

瀬戸内シージャック事件を元とした作品

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日本でセンセーショナルを集めた、異例で珍しい大規模な事件はその後テーマとして起用され、映像作品や書籍になっているのです。ここではそんな元にした作品をいくつかご紹介していきます。気になる作品があれば一度視聴してみるのも良いかもしれません。

瀬戸内シージャック事件を元にした作品①映画「凶弾」

凶弾 [レンタル落ち]

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この映画は事件から12年後の昭和57年に公開されていて、勿論今回ご紹介している実際に事件に基づいて作成されており、内容はほぼ実際の犯行内容や登場人物と同じです。監督が一風変わった熱い男たちの青春や物語を描く人物で、この作品にもそのテーマは色濃く出ています。

上記のジャケット写真を見ていただければ、太い眉毛など面影があり気づいた方もいらっしゃるはずですが、この映画では現在でも天気予報士、タレントとして人気の『石原良純』が主犯役で主役を務めているので、非常に見ごたえある作品と言えるのではないでしょうか?

瀬戸内シージャック事件を元にした作品②書籍「凶弾-瀬戸内シージャック事件」

凶弾―瀬戸内シージャック (講談社文庫)

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この書籍は事件から9年後の昭和52年に発売されており、ノンフィクション作品、推理小説家として活躍する『福田洋』(ふくだ ひろし)が執筆した作品であります。映像よりも文字として作品句を楽しみたい方はこちらがお勧めです。

瀬戸内シージャック事件の犯人は松田優作の歌に実名で登場?

Uターン

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現在の日本で大活躍して兄弟そろって人気俳優である、松田龍平と松田翔太の実の父親で、同じく日本の名俳優であった松田優作。彼と言えば『なんじゃこりゃー!』というセリフに奇抜な恰好とあのシーンが多くの人の脳に焼き付き認知されていますが、彼は俳優でもあり歌手でもあったのです。

彼が事件から8年後の昭和53年に手掛けたアルバムの中に、この事件の名前と犯人の実名がまんまと入った曲名が収められています。どんな曲であるか興味のある方は是非一度聞いてみてはいかがでしょうか?

瀬戸内シージャック事件に続く犯人が射殺が幕引きとなった人質事件

今回ご紹介している異例な人質事件では、日本では戦後『初』、事件解決及び犯行鎮圧のために犯人が射殺されましたが、その数年後に同様の人質事件が発生しており、その際も事件解決及び犯行鎮圧のために犯人が射殺されたのです。これが日本では戦後2番目となったのですが、こちらではその事件についてご紹介していきます。

長崎バスジャック事件

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今回ご紹介している事件から7年後の昭和52年に長崎県で起きた、バスを略奪して人質を捕って車内で立てこもった事件です。犯人は2人で、改造された銃や手りゅう弾を所持して犯行に及び左翼派の赤軍を連想させるネームを名乗っていましたが、警察との交渉の際に右翼派の政治家を『先生』を付けて読んでいたので、当時各所で問題や事件を起こしていた赤軍とは関係なかったのです。

犯人は人質の解放を条件にして、食べたかった食料や会いたかった政治家を要求したので、これが動機と考えられます。数日間にわたり立て籠っていたため、人質となってしまった民間人の健康状態が非常に危険に陥っていたので、いよいよ武力鎮圧を余儀なくされて、警察官や隊員が突入して数名が犯人向かって発砲し、犯人の1人が死亡しました。救出された人質全員は怪我はありませんでした。

瀬戸内シージャック事件は戦後初の人質事件で犯人が射殺された事件

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今回は日本で初めてで、現在でもそれ以外例がない海の上での乗っ取り事件である『瀬戸内シージャック事件』についてご紹介していきました。犯人は逃亡に必死で警察官や民間人を含む、大勢の人を巻き込んで容赦ない犯行に及んだという事はよく理解して頂いたはずです。また犯人がどんな人物であったか知るために生い立ちや経歴についても解説しました。

最終的にはほとぼりが冷めず、被害拡大や新たな犠牲者が生まれかねない事態から『射撃』は余儀ないと判断して、警察によりやむを得ず措置が下され『射殺』されてしまった結末により、センセーショナルを集めて問題視され、その後の事件や警察に影響を及ぼしました。異例な事象が多く、様々な『初』となった事件が今後は起こらないように祈るばかりです。

浅間山荘事件に関する記事はこちら

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