【瀬戸内シージャック事件】日本初の事件の概要と川藤展久やその後まとめ!

瀬戸内シージャック事件詳細④マスコミのセスナも狙撃

視界に入ったものは自らの行く手を阻む『敵』や『追手』とみなして、なりふり構わずひたすら所持していた銃と実弾で発砲した主犯格の20代男性。恐らく明確な殺意はなかったのですが、とにかく必死で興奮していたと考えられます。そんな彼はなんとお隣中国の有名マスメディアが雇って乗車していた『小型飛行機』も追手と勘違いしたのです。

彼はその小型飛行機にもすかさず発砲しました。その弾は偶然にも『燃料タンク』を貫きましたが何とか墜落は免れたそうです。こうした犯行に対して警察は全勢力を上げて、数千人の警察官やたくさんの警察艇などの乗り物が動員されました。

瀬戸内シージャック事件の詳細【犯人射殺まで】

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1人の主犯格である20代男性によって大きな事態に発展したわけですが、その犯行や内容はまさに映画の様に規模が大きくなったのです。自分の視界に入るもの全てが追手に見え、興奮していたのか容赦なく発砲するなど死者が出てもおかしくない状況だったのは間違いありません。彼の目的は一体何だったのでしょうか?

一連の犯行からは『お金』が目的なのだと考えられますが、それにしてはやり過ぎな気がします。さてここから異例な事件は思わぬ結末を見せて終息するのです。果たしてこの後どのような展開を見せるのでしょうか?20代男性は次にどんな犯行や言動を見せるのでしょうか?次に思わぬ結末を詳しく解説していきます。

瀬戸内シージャック事件詳細①松山観光港に入港

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いつ死者が出てもおかしくない緊迫な状況が続く中、20歳男性と略奪した大きな船は逃走しがなら、ある目的を果たすためにある港に着きました。その港は現在でも多くの貨物船や客船が寄って地点にすることがある場所で、四国の愛媛県にある松山市に位置する観光港でした。

瀬戸内シージャック事件詳細②乗客のみ解放し宇品港へ

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ある目的とは、実は逃走しながらも主犯格の20代男性は船を操縦するキャプテンを介して、警察と取引や交渉を行っていました。そこで彼は新たな足として船が必要だから用意しろ。と要求しましたが警察はこれに応じる事はできず、代わりに燃料を与える事になったのです。

その際に警察側は、一緒に乗船していた人質として捕らえられていた一般人の解放を交換条件として提示じて、主犯格の20代男性はこの条件を飲みました。そして上記で説明した松山市にある観光港で取引に応じることになったのです。警察はこの時給油スタッフに扮して、警察官を乗船させる計画でしたが、20代男性に『人は乗せるな』と咎められ失敗に終わりました。

乗客のみ解放

20代男性は警察の要求通りに、不幸にもたまたま人質となってしまった一般客を船から降ろさせ解放しましたが、船を操縦するキャプテンを含むスタッフ一同は乗船したままで、再出発して逃走を続けて広島県に位置する『宇品港』へと向かいました。

瀬戸内シージャック事件詳細③家族の説得にも応じず

彼は逃走を続ける中で警察に新たな要求を言い渡しました。初めに犯罪計画に加担していて共犯した、既に身柄を逮捕されている犯罪グループの少年2人を乗船させるように要求したのです。この際主犯格である20代男性の家族である父親と姉が、もうこんな真似はやめる様に、逃走や犯行をやめる様にと必死に言い聞かせました。

しかし家族による説得にも一切耳を傾ける様子はなく応じませんでした。それどころか彼の犯行や逃走はさらにエスカレートして、ランボーの様に持っていた銃を連射して辺りに発砲したのです。実の父親に向けても発砲し、更に1人の警察官の身体を貫き大怪我を負わせ、追跡していた警察ヘリをも貫いて墜落寸前となってしまったのです。

瀬戸内シージャック事件詳細④狙撃隊員により川藤を狙撃

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実は主犯格の20代男性が大きな船を略奪して海の上を逃走しはじめた際、既に警察の上層部から万が一の場合は、犯行に及ぶ彼に向けて銃を発砲するのは仕方なしと伝えられていたのです。彼が『警察官たちを巻き込んで銃撃戦をして命を落としたい』と考えている心情を、交渉の伝達役であり船を操縦するキャプテンの口から伝えられました。

また主犯格の20代男性が更に逃走を続けるという意向も把握したうえで、これ以上の犠牲者や被害を出すわけにはいかないとして、その時の警察上層部にあたる部長が判断した上で、犯人に向けて銃を発砲して最悪の場合、殺してしまうのもやむを得ないと狙撃を承認しました。そして地上の堤防近くで身を潜め待機していたスナイパーが彼に向けて発砲しました。

終止符が打たれる直前

スナイパーが発砲した弾丸は、主犯格の20代男性の左の胸部を貫通しましたが、即死には至りませんでしたが致命傷となりました。打たれた直後彼は『死ぬもんか。もう一遍』と未練があるようにそう呟いたと側にいた交渉の伝達役で当事者であるキャプテンは供述していました。また彼の父親も死んで当然、償いができたと発言して警察の判断や措置に納得する姿勢を示しました。

瀬戸内シージャック事件の犯人「川藤展久」の生い立ちは?

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3人の犯人グループが他人の車を窃盗する犯行に始まって、最終的には主犯格1人が船を略奪し、海の上で銃を連発して辺りを発砲しまくるという大規模な犯行に発展しましたが、こうして主犯格の20代男性の短い人生と無茶苦茶な犯行に終止符が打たれました。

この異例な大事件では数人の警察官だけではなく、一般人も犠牲者となってしまいましたが、奇跡的に死者が1人も出なかったのは不幸中の幸いと言えるでしょう。犯人は何故この様な犯行を犯したのか?またどんな人物だったのでしょうか?次に主犯格である20代男性のこれまでの経歴や生い立ちなど、彼の人物像や人柄について解説していきます。

瀬戸内シージャック事件の犯人の生い立ち① 父は船員・母は新興宗教信者

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今回ご紹介している事件の主犯格の20代男性の実名は『川藤展久』と言い、今からちょうど70年前の昭和24年に、岡山県の現在は児島地域に属される下津井という港町で生まれました。奇しくも生まれたその地も最期に幾度か略奪した客船で寄ることになった『港』だったのです。

港町という事で一家を支える父親は客船などの乗務員、船乗りの職に就いて働いていたそうです。一方の母親は、古来より伝わる正当と言えるキリスト教や仏教、イスラム教のような宗教ではなく、明治や大正の時代に生まれた一風変わった、『怪しい宗教』の教徒で夢中になって家庭に子供に目もくれなかったと言われています。

瀬戸内シージャック事件の犯人の生い立ち②中学1年で退学状態に

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父親は一家を支えるために船乗りとして一生懸命に働いていたので、家庭に不在になるのは仕方ないですが、母親に関してはパートやアルバイトをしていたわけでもなく、ただ宗教に夢中になっていたという理由だけで家庭に不在になり、きちんと専業主婦の務めを果たさず彼に対してもきちんと教育やしつけを行わなかったのです。

両親が家庭にいる事が少なく、しつけや教育も行き届いていなかった彼はある意味好き放題できたので、小学生になると集団行動ができず、ルールの存在をイマイチ理解していなかったのか、電車などをただ乗りしていたのです。そんな風に小学生からたびたび軽犯罪を犯していたのです。

中学生になると

中学生にあがるとそういった悪事は更にエスカレートして、中学1年で直ぐに『退学状態』になってしまいました。どうやら学校側が処分を下したわけではなく、自ら学校に通わなくなったそうです。そしてその年齢にして家を出て行ったのです。

瀬戸内シージャック事件の犯人の生い立ち③20件近くの窃盗事件

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中学生にして家を飛び出したあと、彼はその年齢にして家に帰ることなく、あてもなく日本の各地を彷徨っていたそうです。東は『東京都や千葉県』西は『広島県や福岡県』で生活していたそうです。どのように生活していたか深く語られていませんが、色々なアルバイト業で働いたり、暴力団のお手伝いのようなことをしてお金を稼いでいたそうです。

その年齢で自身で働き飯を食べている事に少し感心してしまいそうですが、彼はこの間にも悪事や犯罪を繰り返していたのです。そのほとんどが『盗み』つまりは『窃盗』で、その数20件にも及ぶ窃盗罪にあたる犯行を繰り返し何度も逮捕されていたのです。彼がまともな人間でなくなってしまったのは、家庭に目もくくれなかった、いい加減な母親の影響もあるかもしれません。

瀬戸内シージャック事件で使われた銃

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事件が起きたは現在から49年前の事で、一般人でも簡単に銃が入手できてしまうなど時代背景が大きく違ったわけですが、実際に犯行では鉄砲ショップで奪った銃が使われて何発も連発されました。こちらの見出しではその時に使われた拳銃や銃弾の種類についてご紹介していきます。

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