愛媛には400ほどの地域があったとされています。そして特に海側に集中している傾向があります。
愛媛は海賊が勢力を持っていた地域でもあり、その警備にえた・ひにんが多く必要とされたことが要因と考えられています。
多くのえたひにんが暮らしていた地域?③広島県
広島の地域は約500あったとされ、特に広島市西区・福島区には大規模なものがあったとされています。
広島には軍港が作られ、食肉処理や軍人が運んできた遺体の処理、牢獄の管理などの仕事が多くありました。そのため彼らが必要とされたと言われています。
多くのえたひにんが暮らしていた地域?④福岡県
福岡には全国でも最も多い600ほどの地域があったと調査されています。多い理由としてはロシアの弾圧に抵抗すべく、北海道の蝦夷たちを福岡に連れてきて働かせたことが関係しています。
蝦夷地で行われていた狩猟の技術から、蝦夷に皮なめしなどをさせていたことが要因だとされています。
「えたひにん」に多いとされた苗字とは?
えた・ひにんには苗字にも特徴がありました。すぐにえた・ひにんだとわかるようなものなので、名字を理由に差別されたこともあったようです。それでは具体的な文字とその字が使われた理由もご紹介します。
えたと呼ばれた人々の苗字には「川」や「河」が含まれている?
えたの名字には「川」「河」が含まれることが多いとされています。彼らは動物の皮革を扱う仕事をしていたため、当時は「皮」「革」の字が使っていましたが、差別を避けるために同音異義語の川や河に変えたという説です。
またそれと組み合わせて、東西南北や動物の名前が入った名字が多いとされる説もあります。
ひにんの苗字はさまざま?「水」「沼」「島」が入っている可能性も
ひにんの名字に使われた字は、これといって決まったものは無いとされています。それは犯罪を侵してひにんになる者がいたり、足洗い制度があったので代々続くものではなかったということが関係しています。
強いて言えば、住んでいた地域から「水」「沼」「島」が入っているという説があるくらいです。
あくまで一説でしかない
苗字に「川」や「河」が入っているからと言って必ずその子孫であるということは一切ありません。地名にちなんでいたり、方角にちなんでいたりすることの方が多いのです。あくまで一説なので誤解の無いよう注意しましょう。
えたひにんの苗字の詳しい内容は、えたひにん苗字一覧とは?現在どんな苗字が多い?多い地域も紹介!の記事をご確認ください。
被差別地域出身とウワサされている芸能人について紹介
あくまでもネット上の憶測にすぎませんが、被差別地域出身なのではないかとウワサされる芸能人もいます。
今では芸能界はキラキラした華やかな世界というイメージが持たれることも多い業界ですが、江戸時代は芸能の活動をしていたひにんが多くいました。そういった意味ではえた・ひにんの差別が無い業界と言えるのかもしれません。
被差別地域出身の芸能人?①加藤あい
女優の加藤あいさんは愛知県の被差別地域出身ではないかとのウワサがあります。子供の頃に引っ越しをしていることもあり、両親があいさんの将来を考え、部落差別の影響を危惧したからではないかとのウワサもあります。
幸せな結婚をされお子さんもいらっしゃる加藤さんは、ウワサに関係なく幸せな生活を掴んでいます。
被差別地域出身の芸能人?②倖田來未
ヒット曲をたくさん持つ歌手の倖田來未さんは京都出身ですが、詳しい出身地を語りたがらないことなどから被差別地域出身が疑われるようになりました。しかしアンチが流したただのデマだというウワサもあります。
被差別地域出身の芸能人?③野中広務
党の幹事長や官房長官などを務め「政界の狙撃手」とも呼ばれた野中氏ですが、彼は自分が部落の出身であるとこを公表していました。差別問題だけでなく、弱者の立場を気にかける政治家として活躍されました。
被差別地域出身の芸能人?④萬田久子
いくつになっても美しい美貌とスタイルの萬田久子さんですが、実家が有名な肉の卸しの会社であることから、このウワサが出てきたと思われます。
また出身地は地元では有名なほど治安の良くない土地柄なのだとか。しかし萬田さんはお嬢様育ちが伺える上品なイメージがあります。
被差別地域出身の芸能人?⑤三國連太郎
昭和の大スターである三國連太郎さんは、父親が群馬県の被差別地域出身であることを公表していました。そのため地域差別についての公演を行ったり、本を書いたりして差別問題に働きかけた俳優さんでした。
被差別地域に関する作品
数は多くはありませんが、部落を題材にした小説や映画、漫画も作られています。江戸時代から現代まで様々な時代において、差別に翻弄される人々、差別をしている人々を知ることができます。
被差別地域を題材にした映画
まずは映画をご紹介します。ここで紹介する作品はいずれも被差別地域で暮らす人の生活を元に製作されています。ドキュメンタリー的要素が強く、当事者の実情を知ることができます。
映画①「ある精肉店のはなし」
この映画は2013年、11月29日(いい肉の日)に公開されたドキュメンタリー映画です。ある大阪の精肉店を営む一家の日常にスポットをあてた内容で、牛の飼育から解体、そして販売するまでを追っています。
屠場は生死を扱う現場であることや、被差別地域の問題などから、ドキュメンタリーの題材にされることはほとんどありませんでした。この映画では、いのちと全身全霊で向き合う一家を丁寧に描いた作品です。
映画②「人間みな兄弟 部落差別の記録」
1960年に製作された白黒フィルムのドキュメンタリー映画です。西日本の部落差別をありのままに描いた内容となっています。
50ヵ所以上の地域を撮影し結婚差別や就職差別問題や、草履作りや皮革生産者、食肉関連業など部落で暮らす人々の生活に迫った作品です。
映画③「本日またまた休診なり」
山城新伍さんが自伝「現代河原乞食考」を元に開業医をしていたお父さんを題材にした作品です。
山城さんは京都の被差別部落の近くで育ち、お父さんはそこで医院を開業していました。人情に暑くみんなから慕われた医者と、その医者を慕って集まる地域の人々を描いたハートフルな作品です。
被差別地域を題材にした小説
映画の次は小説をご紹介します。被差別地域を題材にしたとても有名な作品「橋のない川」と、江戸時代の非人頭を題材にした塩見鮮一郎さん作の「江戸の非人頭 車善七」、父親の半生を元にした上原義広さんの「路地の子」です。
小説①「橋のない川」
明治後期の奈良県の被差別地域を舞台とした長編小説です。1部から7部まであり、部落差別の理不尽さが全編を通して描かれています。そんな中でも愛を失わず、賢く成長し懸命に生きようとする主人公が魅力的です。
映画版も作られていますが、二部作を観賞した女子学生が自殺する事件が起きています。そこで部落解放同盟は黙っていませんでした。差別助長映画だとし、上映阻止運動を起こす騒動も起きています。
小説②「江戸の非人頭 車善七」
江戸時代、浅草の非人頭であった車善七についてを探っていく内容です。非人寄場や、非人頭と弾左衛門との確執、解放令後の非人の様子など学校では教えてくれない、当時の状況を詳しく知ることができます。
また、関東全域の非人を支配していた弾左衛門について書かれた「弾左衛門とその時代」「弾左衛門の謎」も同じ著者によって作られています。
小説③「路地の子」
この作品の作家、上原義広さんは自身が被差別地域出身だとカミングアウトしています。自分が子供のころから見てきた、父親の一代記が「路地の子」です。
大阪の同和地区で食肉卸を営みながら成り上がった男のノンフィクションとなっており、ヤクザ、右翼、共産党、歪んだ家庭など複雑に絡み合った背景も興味深い作品です。
被差別地域を題材にした漫画
つぎは被差別地域を題材にした漫画をご紹介します。漫画はイラストがあるので当時の雰囲気がとてもよくわかります。中には目を背けたくなるような描写もあり、ずっしりと心に刺ささります。
漫画①「カムイ伝」
出自が非人の忍者である主人公カムイが、身分制度の厳しかった江戸時代で壮絶な戦いを繰り広げる物語です。階級社会の矛盾や、差別することの不条理さなどがテーマとなっています。アニメ版や実写版映画、ラジオドラマも作られています。
漫画②「血だるま剣法・おのれらに告ぐ」
部落出身の主人公が、部落民を救おうと道場で授業に励みます。しかし主人公自身も道場で差別を受けます。そこから血みどろの復讐劇がはじまるという物語です。
内容に対して部落解放同盟から抗議を受け絶版となりますが、穢多を伏せ字にして復刻版が作られました。
漫画③「破戒 まんがで読破」
島村藤村の小説「破戒」を漫画化したものです。封建制度の名残が残る明治時代を、部落出身の主人公が差別に苦しみながら生きていく姿を描いた作品です。
部落出身の親子の愛情の形や、いわれのない差別をすることへの警鐘など、考えさせられる内容となっています。
同和の逆差別問題
政府の差別を無くそうとする同和政策によって、逆差別問題点が起こっていることを知っていますか?
昭和44年、国が部落差別撤廃に本腰を入れ、通称「同和立法」が成立しました。この政策によって33年間に渡り15兆円が費やされ、部落への優遇改善措置が取られました。国としての政策は終了していますが、地方自治体によっては今でも対策事業が行われているところもあります。
同和立法の内容は?
昭和44年、部落への差別を無くそうと通称同和立法がつくられました。10年の期限付きの法案でしだかた、その後も名前を変え33年間続けられました。それはどのような内容だったのでしょう。逆差別が生じるきっかけとなった政策の内容を詳しく見ていきましょう。
環境整備や社会福祉施設の設置
一般的には開発が遅れていたとされる同和地区の道路の整備、堤防の設置、交通手段の提供などが行われました。また隣保館(人権センター、解放会館、コミュニティセンターなどとも呼ばれる)を設置しました。自治体によっては児童館や老人福祉施設なども含まれる場合がありました。
公共住宅、保育所の設置
同和地区の住民を対象とした公共住宅を設置しました。住宅地区改良法があり、地区内の住居をリフォームし、同地区住民を対象に賃貸住宅として提供する改良住宅というものもありました。
また同地区児童を対象とした公共の保育所を建て、同地区住民であれば共働きでなくても優先的に入所することができました。
納骨堂や墓苑の設置
同和地区住民を対象とした納骨堂・墓苑・斎場・火葬場、またそれに付随する関連施設が造られました。それまではお墓を持てない人たちもたくさんいたということになります。
専用の産業関連施設の設置
雇用創出の名目で、地区内に同住民のみを被雇用者とする共同作業場などを設置しました。農林事業として牛舎、豚舎、堆肥舎などを造ったり、野菜の栽培施設を建設しました。それにくわえ、車や各種備品も提供されました。
租税の免除と助成金
固定資産税や保育費の減額措置が取られました。減免率は自治体によって区々でした。また同和地区を対象とした各種補助金や助成金があり、奨学金の補助、企業の設立や住宅新築の際の助成金を受けることができました。また自治体によっては自動車学校の教習料金も無料でした。
妬みや不満の発生
同和立法により同和地域の環境が改善されたことは間違いありません、しかしその影で同地区以外の周辺環境は改善されませんでした。さらに同和地区のみを対象とした給付金制度などが不公平感や妬みを生む結果となりました。
えせ同和行為が問題に
その結果、同和権利や部落関係を名乗って利益をうけようとるす「えせ同和行為」が起きるようになりました。
例えば、同和地域に対する理解を促すことを口実に高額な書物を売り付けたり、寄附金や協賛金を出資するよう強要する行為があります。その資金が暴力団へ流れていることが懸念されるため、法務省が注意を呼び掛けています。
妬みからくる逆差別?
逆差別とは、差別を撤廃しようとする過程で、差別されてきた側を優遇することにより、そうでない者との待遇・公平感が損なわれることから生まれるものです。
同和問題は差別だけではなく、逆差別という新しい問題点とも向き合わなければならない状況となっています。
部落差別は根絶しなければいけない
えた・ひにんは身分差別を受けていましたが、皮革産業を担ったり警察業務の手伝いをするなど幕府からは必要とされた存在でした。身分が撤廃されてから約150年が経ちますが、いまだに当時の名残が部落差別として残っています。結婚・就職・引っ越しなど、誰でも自由に暮らせる時代を作って行かなければなりません。
ネットにはさまざまな情報が出回っています。誤った情報を鵜呑みにしないよう注意し、まわりに流されず自分の考えで地域差別と向き合っていくことが大切なのではないでしょうか。
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