テレゴニー論とは?
「テレゴニー(telegony)」は、日本語表記では「先夫遺伝」もしくは「感応遺伝」です。その字のとおり、「前の夫」の遺伝子が影響を及ぼすとの考え方です。いきなりこんなことを言われても、ピンとこないかと思います。以下で導入的な解説を加えます。
とある遺伝の理論
迷信だと言われることも多いですが、「テレゴニー」は、なにも人間に限った話ではありません。母体となるメスに、過去複数のオスとの接触が認められた場合、メスの体内にそれらの遺伝子が残り、産まれてくる子の遺伝子に影響を及ぼすと云われます。
19世紀後半まで信じられていた理論!
19世紀の後半におよぶまで、広く浸透しました。ほとんどの人が「テレゴニー」に対し、肯定的でした。後に詳しくご紹介しますが、1883年に「生殖質説」を唱えたヴァイスマンを始めとする否定派も存在しましたが、この説を否定できる程の実験データは有りませんでした。
テレゴニー論はどこから始まった?
「テレゴニー」のような発想は、どこから生まれたのでしょうか。実は学説として唱えられる前、ギリシャ神話においてもテレゴニー的思想は垣間見えるといいます。ここからは「テレゴニー論」が確立するまでの過程をみていきましょう。
最初に唱えたのは「アリストテレス」
「テレゴニー」について最初に言及したのは、「万学の祖」と称される、哲学者のアリストテレスです。この時から既に、現在の夫だけではなく、その前の夫の遺伝子の影響が、少なからず母体に影響を与えるであろうことが示唆されたのです。
長年にわたり真偽は不明…
この論は、ドイツのショーペン・ハウアーやイギリスのハーバード・スペンサーといった哲学者に指示され、一つの定説として成立しかけていました。しかし、今日にいたるまで根拠となる実験の成果は報告されていません。つまるところ、真偽のほどは定かではないのです。
テレゴニー論が与えた影響
「テレゴニー論」は、専門領域のみに留まらず、市民の生活にも影響を与えました。具体的な研究成果が無くても、十分に説得力があるものだと認識されたのです。どのような影響があったのでしょうか。
中世ヨーロッパ時代
ギリシャ神話の英雄は、神と人間の融合体のように描かれることが多いのも、「テレゴニー」に由来すると言われます。母体が一夜に二度、神と人間それぞれから精子を受けることで、両方の性質を兼ね備えた者が出来上がると信じられたのです。その考え方は、人間にも応用され、浸透していきました。
14世紀のイギリスでは、王族の婚姻もテレゴニー信仰が基盤になっていました。また、イスラエルの「禁再婚制」も、テレゴニー信仰の一つとして挙げられます。夫と死別した場合、再婚は基本的には禁じられるが、夫の兄弟であれば再婚しても良いとされたもので、血が混ざるのを嫌ったと云われます。
テレゴニーが解明されつつあるって本当!?
長年、肯定派にとっても否定派にとっても、「テレゴニー」の真偽を裏付ける確定的なデータが無く、「迷信」のような扱いになっていました。実験自体がタブー視されて、研究が進まないのでは?と囁かれるほどです。しかし近年、少しずつ「テレゴニー」を解明しようと、研究者たちは水面下で研究を重ねています。
一時期は隔世遺伝を疑われた「テレゴニー」
テレゴニーが浸透したのも、19世紀の「モートン卿の雌馬」の事例のためです。概要は、「モートン卿」という人が、白い牝馬と、足に縦縞模様のある「クアッガ」の牡馬を飼育していました。ある時、白の牝馬と、別の白の牡馬を交配させたところ、その仔馬の足にはクアッガの縦縞があったのです。
「進化論」で知られるダーウィンも、この報告を引用しましたが、1865年の「メンデルの法則」発見の後に、この仔馬の例は「隔世遺伝によるものだ」と認められ、「テレゴニー」は否定されました。
ハエの実験による「テレゴニー現象」
2013年開催の第14回ヨーロッパ進化生物学会において、ニューサウスウェールズ大学の研究チームが発表したデータは、テレゴニーを再度検討するきっかけになりました。実験では、キイロショウジョウバエを用いました。オスのハエを「①身体の大きいハエ」「②身体の小さいハエ」の二つに分け、メスのハエとの交尾を記録しました。
すると、メスのハエは、後に交尾をした「体の小さいハエ」ではなく、先に交尾した「身体の大きいハエ」の影響を受ける可能性が高い、との結果がでたのです。この結果から、テレゴニーが見直され始めました。
鵜呑みにするのは危険
しかし、ハエには貯精機能が認められる種が多く、実験モデルに用いられたキイロショウジョウバエもその一つです。また、キイロショウジョウバエのメスは、精子選択機能を保有しているため、最初に交尾をした身体の大きいハエの精子を貯蓄し、後に選択した可能性も、考慮すべきです。
畜産農家の「テレゴニー」
畜産農家では、「テレゴニー」の考え方は、一般常識のごとく、広く認識されているものです。作物の品種改良もその考え方に基づいたものです。少しだけ畜産農家のテレゴニーについてご紹介します。
「雑種強勢(hybrid vigor)」とは?
異なった遺伝子をもつもの同士を掛け合わせて、優れた個体を生み出すことを「雑種強勢」と言います。また、その個体を「一代雑種」といいます。家畜や作物を育てるとき、できるだけ近い血統のもの同士を交配させて、できるだけ血を薄めないように掛け合わせていきます。
1900年初頭に、農業生産に実用化したのは、研究者のヘイズ、イースト、シャルらです。トウモロコシの生産のために、雑種強勢の研究を用いました。その一代雑種品種のおかげで、アメリカのトウモロコシの生産は格段に増大しました。また、日本では、1914年のカイコが初めての一代品種として誕生しました。
ついには「マイクロキメリズム」も証明へ!
「テレゴニー」と並んで論じられることの多い「マイクロキメリズム」ですが、2004年にフレッドハッチンソンがん研究センターの研究により「マイクロキメリズム」の証明により、「テレゴニー」の信憑性も増した側面があります。興味深い研究をご紹介します。
マイクロキメリズムとは?
「マイクロキメリズム」とは、自分の遺伝子とは異なるルーツをもつ少数の細胞が、体内に定着し続ける現象のことを指します。母子間における細胞の相互移動は、これまでも認められており、母体から胎児の細胞がみつかったり、その逆の現象もまた起こっています。
さきほど紹介した2014年の研究では、男児を出産したことのない女性120人を対象に、血中のY染色体の有無を調査したところ、うち21%がY染色体と同じ遺伝子配列を持ちうることが判明しました。
「テレゴニー」と関連性が高い「マイクロキメリズム」
この研究により、ごく少数の女性が血中にY染色体を持っていることが判ったのです。確率はかなり低くはありますが、性交渉をしたことで、女性は、相手の男性の遺伝子やDNAを、体内に持ち続けることになるかもしれないことが示唆されたのです。
「テレゴニー」の風向きが変わった「RNA逆転写酵素の発見」
「RNA逆転写酵素(Reverse transcriptase)」は、1975年に、分子生物学者のH・M・テミンとD・ボルティモアがそれぞれに発見し、ノーベル医学生理学賞を受賞した研究です。この発見もまた、「テレゴニー」に対する見方に影響を与えたのです。
「RNA逆転写酵素」とは
そもそも「RNA逆転写酵素」とは何でしょう?簡単に言うと、本来はありえない「DNAへの干渉」を可能にした酵素を指します。分子生物学の中心原理と位置付けられる「セントラルドグマ」において提唱される「DNA→RNA→タンパク質」の流れに反し、RNAの型を基に、DNAを合成し、書き換えるのです。
RNA分子とは本来、DNAをコピーしたものになります。DNAをRNAがコピーする流れを「転写」と言います。これとは逆の流れなので、「逆転写」と称されたわけです。1975年の研究では、ウイルス粒子がこの「逆転写酵素」を持つと示されます。HIVウイルスなどもその一例です。
完全には否定できない「テレゴニー」
なぜ「RNA逆転写酵素」が「テレゴニー」を肯定する理由になるのでしょうか?注目された理由として「DNAへの干渉」という点が挙げられます。「テレゴニー」において、以前関係をもった男性の遺伝子が、母体の遺伝子に影響を与える、と考えられてきたことは、さきほどお話しました。
この「RNA逆転写酵素」のような機能が、男性の精子の中に存在するとしたら、母体のDNAはRNAにより合成され、男性側の遺伝子情報が書き加えられた形で、置き換えられることになるのです。今はまだそのような研究発表はありませんが、「テレゴニー」自体は、あり得ない話ではないのです。