草加事件は少年達が青春を失った冤罪事件|有名弁護士も関与?真犯人は?

草加事件は、当時13歳から15歳だった少年達が女子中学生を殺害したとして逮捕された事件です。刑事裁判では有罪となったにも関わらず民事裁判では無罪という異例の結末を迎えたこの事件の概要と、無罪となった経緯を詳しくご紹介していきます。

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草加事件は少年達が冤罪で逮捕された事件

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中学3年生の女子生徒が草加市の残土置き場で首を絞められた状態で発見され容疑者として5人の少年が逮捕・1人の少年が補導された事件で一度は少年審判で有罪となったため、少年院・児童相談所へと送致の処分が下りましたが、冤罪であったことが明らかとなり未成年の少年たちが無実でありながら殺人の罪を着せられた事件になります。

13歳から15歳の少年が冤罪により将来を台無しにされた痛ましい事件になります。少年たちは元々素行がよくはありませんでしたが、思春期から大人になるにつれて改善されていくであろう道筋を冤罪によって奪われてしまいました。

この事件の被害者は殺害された少女だけでなく冤罪となった少年たちもまた周囲の目などに長く苦しむことになってしまい、罪を着せられたことに関しては少年たちもまたこの事件での被害者と言っても過言ではありません。

埼玉県草加市で起きた女子中学生殺害事件

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草加市の残土置き場で発見されたのは八潮市に住む女子中学生でした。現場から複数人の足跡が発見されたことから犯人は複数人の可能性があることやタイヤ痕の跡が見つかっている事、女子中学生は首を絞められていたこと、被害者の衣服が乱れていたことなどから強姦による殺人ではと言われていました。

しかし、この事件が世間に衝撃を与えたのは中学生が殺害されたという痛ましいことだけではなく、警察が容疑者として逮捕した人物でした。犯人として逮捕・補導されたのは事件の現場となった草加市に住んでいた13歳から15歳の6人の少年たちだったことによりなります。

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未成年の少年たちが中学生を殺害するという凄惨な事件だと騒ぎになりました。他未成年者による殺人事件に関する記事はこちらを御覧ください。

草加事件の概要

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草加事件は未だに謎が残っている1985年に起きた事件になります。被害者は中学生の少女で草加市ではなく隣の八潮市に住んでいたことも判明しています。八潮市に住んでいた少女が何故草加市で遺体となって発見されることになったのか事件の謎について見ていきます。

少女の遺体が残土置き場に遺棄されていた

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1985年のお昼すぎ草加市内にある残土置き場で隣の市に住む女子中学生の遺体がが遺棄されているのが見つかりました。田圃の一角を残土で埋め立てた場所で雑草がたくさん生い茂っており周囲は街灯などの明かりの設置もなかったため、夜は暗い場所で夜だけでなく昼間も人の通りは少ない場所でした。

首を締められて殺害されており争った形跡はなし

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被害者首を絞められて殺害されていましたが、遺体周辺の雑草は荒らされた様子がなく被害者と加害者が争ったような痕跡もなかったことからこの残土置き場は殺害現場とは違うのではとの推測もできる状況でした。そのため、殺害現場は別の場所で殺害後に人通りが少なく一目のつきにくいこの場所に遺棄されたのではと考えられていました。

容疑者として十代の少年6人が逮捕された

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捜査が進むにつれて捜査線上に浮上してきたのは草加市に住む普段より素行不良だった13歳から15歳の少年6人でした。聞き込みによる証言などから容疑者として13歳の少年を補導、14歳から15歳の少年5人を逮捕しています。

草加事件の容疑者が逮捕されるまで

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警察はどのような経緯で未成年の少年6人を補導・逮捕したのでしょう。未成年の少年・少女への捜査や取り調べ等は慎重に行わなければいけません。警察が少年たちを容疑者として確定するまでの経緯について見いていきます。

「少年Cが被害少女を見たと言っていた」という通報があった

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警察が少年たちを容疑者として、特定したのは1つの通報からでした。草加署に、『少女が殺害されたとされる日の午前0時頃に、友人が八潮にある中央病院の近くを被害者少女が歩いているのを見た』と少年Cが別の人に話していたのを聞いたという情報が寄せられたため、少年たちを任意で事情聴取を行う方向へとなりました。

警察は少年Cと一緒にいた少年A・B・D・Eも怪しいとして逮捕

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寄せられた通報にどれほどの信憑性があったのかは定かではありませんが、この通報により警察は少年Cの普段からの素行の問題と共に当時から一緒に犯罪行為を行っていた、少年A・B及び弟のDも怪しいとして少年Aら5人を任意で取り調べる事情聴取をしたところその日の内に少年A・B・Cは犯行を自白したため逮捕となりました。

少年Cの弟の少年Dは犯行を否認していましたが観護措置決定となります。少年Eも自分が車を運転していたことについては自白していますが、他の少年たちが少女を殺害したとされている間、車から出ていないので他の仲間たちが少女を殺したかについては知らないと話しますが少年Eも犯罪に加担していたとして逮捕となりました。

その後少年Fも逮捕される

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少年Fは最後まで犯行を否認していましたが事件当時他の逮捕された少年たちと行動を共にしていたことから共犯の可能性ありとして、少年Fに対しても逮捕の方針を固めることになりました。少年Fが逮捕されたのは8月3日になり犯行グループの中で最後に逮捕された人物になります。

草加事件の被害者が発見された当時の様子

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被害者は首を絞められた状態で放置されていました。少女の遺体が発見された時の遺体の状況はどのような状態だったのでしょうか。少女が発見された時の様子について4つの項目に分けて詳しく紹介をしていきます。

仰向けで着衣が乱れていた

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少女の遺体は、あおむけの状態で発見されスカートは腰あたりまで上げられており下着は膝のあたりまで下ろされた状態だったそうです。上半身は裸の状態で首には凶器とみられる被害者のプラスリップが巻き付けられた状態だったそうです。

スカートに精液、襟に毛髪が一本残されていた

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スカートには犯人のものとみられるAB型の精液が付着しており他の血液型は発見されていません。被害者のシャツの襟からも血液型の毛髪が一本残されていました。被害者の少女はA型であった為、この毛髪も犯人のもであるという見方がありました。

強姦などの痕跡は認められなかった

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被害者の遺体の付近が荒らされていないことや、被害者の膣や体表からも精液が検出されていないこと膣の裂傷もなかったことから被害者が生前、事件直前やそれ以前にも性的行為を行った痕跡は見られたなかったため、強姦ではないことは明らかとなっています。

強姦などの痕跡は見られらなかったにも関わらず上半身裸で衣服が乱れていたり、被害者の衣服に犯人のものと思われる精液が付着していたことについては謎に包まれており、いまだ解明されていません。

乳房から唾液が検出された

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被害者が性交渉をしていた痕跡は見られませんでしたが、遺体は上半身裸の状態であり被害者の両方の乳房から唾液が検出されています。またこの唾液の血液型もAB型であることが判明しています。強姦目的で少女を襲ったが途中で殺害に切り替わったのではと憶測が飛んでいます。

草加事件の被害者はどんな人物だった?

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被害者の女子中学生は普段どのような生活を送っていたのでしょうか?真面目な女子中学生だったのでしょうか?周囲の話によると被害者の女子中学生も小学生のころから色々と問題行動があったとされていますが、殺害されたしまった少女の普段の様子などについて解説してきます。

小学校6年生から放浪癖があった

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被害者の少女の素行が変わったのは小学校6年生ごろからだったと言われています。度々家を出るなどの放浪癖がありましたがしばらくすると家に戻る等繰り返していた為、家族も家を出ても戻ってくるという考えがあったそうです。

少女の家庭環境について詳しくはわかっていませんが、小学校の内から家出を繰り返すような放浪癖があったことから家庭環境は決して円満ではなく、少女も複雑かな家庭環境の中に身を置いていたのではないかと推測されています。

一時教護院に入園したことも

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家出を繰り返すなど素行に問題があった少女は一時教護院に入園していたこともあります。度重なる家出を繰り返していたことから被害者の少女も普段から素行よくなかったことは容易に想像ができます。また事件当時は教護院という名前でしたが現在は児童自立支援施設と名称が変わっています。

教護院に入園するほどの素行であったことから、少し考えればこのまま非行に走ることは想像できたことであり家族が早い段階で少女と話をしたり対策をとるなどの方法をとっていれば違う未来があったのではと考察できます。

草加事件被害者の当日の足取り

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被害者の少女は殺害された当日どのような行動をとっていたのでしょうか。被害者も小学生のころから家出を繰り返していたとされており被害者の行動にも問題があったのではと一部で囁かれています。被害者の女子中学生の当日の足取りについて見ていきましょう。

当日の朝に母親と喧嘩して家を飛び出した

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被害者の少女は小学6年生のころから度々家出を繰り返しており教護園に入っていた経歴もあり、普段から素行はあまり良くなかったことが伺えます。事件当日の朝にも母親と喧嘩をして家を飛び出していました。

家を飛び出してしまう程の大きな喧嘩だったのかの真相ははっきりわかっていませんが喧嘩をした日・家を出た日がたまたま事件の当日であったこと一日でもずれていれば事件は起きなかったのではと言われていることから不幸な偶然が重なった痛ましい事件になります。

街を歩いているところを母親が見かけている

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少女が家を飛び出した後、母親が13時ごろに被害者の少女が街をフラフラ歩いているところ目撃していますが、母親は追いかけることも話しかけることもなくそのままにしていたそうです。家出を繰り返していた為母親も大したことではないと考えていたとされます。

この時に母親が声をかけていれば、一緒に自宅に帰っていれば少女は被害に合うようなことはなかったかもしれませんが結果として少女は命を落とすことになりました。普段の少女の行動にも問題があり母親が見かけても放っておいたのはある意味自業自得だったのではという意見も存在しました。

目撃されたのは午後9時すぎに知人宅を訪ねたのが最後

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被害者の少女の最後の目撃証言は、事件当日の21時過ぎに友人の家を訪ね泊めてほしいと頼んでいるところまではわかっていますが、何故その後友人宅を出たのか泊まりを断られたのか自ら友人の家を出たのかは判明していません。

草加事件の容疑者達の供述

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逮捕された少年たちは警察の取り調べにおいてどのような供述を行ったのでしょうか。一度は殺害を自白していますがその後否認に転じるなど供述が二転三転しています。少年たちの警察での取り調べの内容について詳しく見ていきましょう

少年A・B・Cは殺害を自白した

警察は周囲の人の証言から少年A・B・C・Dが事件に関与している可能性があるから任意による事情聴取を行っていましたが少年A・B・Cは少女の殺害を取り調べを始めたその日に犯行を自供しています。なお少年Cの弟のDは犯行を否認していました。

少年Eが被害者を皆で車に乗せたことを自白

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少年Eは被害者の少女を自分の車に乗せ事件現場付近まで行ったことは認めましたが、少年Eは現場についたときも車からはおりておらず、殺害に関しては全く分からず関与していないと一部容疑を否認していましたが、被害者を事件現場近くまで運んだとして逮捕されています。

その後少年達は自白を撤回し、容疑を否認

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逮捕・補導された少年たちはいずれも一度は女子中学生の殺害を自白しそれぞれ他の少年の裁判に証人として出廷するなどしていましたがある日を境に全員が否認に転じるようになり刑事裁判の少年審判が結審されるまで否認を続けていました。

草加事件の容疑者たちは素行が良くなかった

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逮捕・補導された少年たちは、普段から素行が良くなかったという噂があります。では少年たちは普段どのような生活をしていたのでしょうか。少年たちの普段の様子について詳しく見ていきましょう。

少年達は小学生の時から窃盗などを繰り返していた

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少年6人の内4人は小学校5年生ころから窃盗などを繰り返し行っていたと言われています。またシンナーなども繰り返し使用していた経歴がありいずれの少年たちも家出などを繰り返し普段から問題行動が多かったことは周囲の人も周知の事実になります。

少年Aは少年院に送致されていたことも

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少年Aは小学時代から素行がよくありませんでしたが、中学校に入ると小学校のころから行っていた窃盗に続きシンナーの使用や家出の他にも、無免許運転を行うなどの非行を繰り替えし1984年には少年院送致となっています。また事件が起きるた日には母親と喧嘩をして家を飛び出していたことが判明しています。

少年B・C・Dは窃盗で生計を立てていた

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少年Bは小学校3年生ころから、Cは4年生ごろから、バイクや自動車の窃盗を繰り返し行っており、他にも車上荒らしや、シンナーの使用など、10回以上警察に補導されたことがあります。事件の少し前ぐらいから家出をしており窃盗や車上荒らしなどによりお金を得て生活していたようです。

少年Dは少年Cの弟でした。兄と一緒にバイク・自動車の窃盗、車上狙い、シンナーを使用するなどしていました。事件の1か月ほど前に自動車窃盗で補導されて児童相談所に送られていましたが家に戻って僅か数日後に家を出て兄や兄の友人たちと再び窃盗などをおこなって生活していました。

草加事件の裁判の結末①刑事裁判

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草加事件の犯人として逮捕・補導された少年6人の刑事裁判の判決はどうなったのでしょうか。警察が犯人であると判断した信憑性や最終的に少年たちに下された判決について紐解いていきましょう。

犯行を否認したが保護処分となった

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逮捕された少年たちは警察の取り調べでも、裁判でも犯行を一貫して否認していました。証拠とされていた被害者に付着していた体液から検出された血液型は6人の少年いずれのものとも血液型は一致していませんでしたが、被害者の血液が混合されたと主張され少年5人を少年院送致の保護処分、1人の少年を児童相談所送致とする保護処分を下しています。

抗告したが棄却された

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いずれの少年たちも判決を不服として、高等裁判所へ抗告しますが高等裁判所は地裁の判決を支持し抗告を棄却、更に少年たちは最高裁へ抗告をしますが最高裁判所も少年たちの訴えを棄却したため、少年たちの保護処分が決定することになりました。

草加事件の裁判の結末②民事裁判

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この草加事件は、刑事裁判で少年審判にかけられ少年院送致や児童相談所送致などの実質有罪という処分を下されています。しかし刑事裁判とは別に民事裁判にもかけられることになりました。では、民事裁判の内容や結果について見ていきましょう。

被害少女の両親が少年達と親権者を相手に訴訟を起こした

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被害者の女子中学生の両親は、犯人であるとされた少年たち6人と少年たちの親を相手取って損害賠償請求の民事裁判を起こしています。裁判の結果は二転三転し、最終的に最高裁判所の判決に委ねることになり最終的な結論がでたのは2002年でした。

最高裁では一度有罪となった

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地方裁判所では、被害者の両親(原告側)の請求は棄却され少年・少年の親(被告)は無罪判決となりました。しかし、高等裁判所では少年たちが警察での取り調べで自供した自白は信憑性があるとして有罪判決を下しています。

差し戻し後の民事裁判での再審で無罪となる

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その後、最高裁判所に上告しますが最高裁判所は自白に信憑性があると判断した高等裁判所の判断は間違いであるとして差し戻しとし差し戻し審において証拠不十分として最終的に無罪の判決が下されることになりました。

刑事裁判と民事裁判の判決が異なるという異例の展開

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刑事裁判では有罪として少年法に基づく措置が取られましたが、民事裁判では少年たちは無罪であるという判決がくだされたことにより被害者少女の両親の訴えは退けられました。そして、民事裁判と刑事裁判で判決が異なるという極めて異例の事態となりました。

刑事裁判の保護処分取消要求は棄却された

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少年たちは、民事裁判において無罪となったため、刑事裁判の判決についても取り消しの要求を3度も行いますが、いずれも棄却されてしまいます。理由としては保護処分は終了しているため利益がないとされることが棄却された理由になります。

なお、現在では少年法が改正されたことにより保護処分終了後でも保護処分の取り消しの請求はできるようになっています。そのため一度保護処分の判決をされその後無罪であることが確定した場合は、保護処分の取り消し請求を行い名実共に無罪の判断を貰うことが可能になっています。

草加事件が民事裁判で無罪となった決め手は?

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