「象の足」を見たら即死?チェルノブイリ原発事故・負の産物の現在に迫る

チェルノブイリ原発事故で生まれた「象の足」は「見たら死ぬ」と言われており、現在も高い放射線量を放ち続けています。ここでは、象の足という物体についての解説と、象の足が生まれた経緯、現在の象の足の状態や福島に象の足があるという噂まで紹介します。

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65歳の男性です。会社勤めを退きましたが、様々なテ-マについて情報収集しながら記事作りすることが好きで取り組んでいます。
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象の足とは?チェルノブイリ原発事故で生まれた物体

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事故後に無人となった原子炉の中に通称「象の足」と呼ばれる物体が存在します。傍に300秒間いれば確実に死ぬと言われ、この世で最も危険な物の1つです。

象の足が生まれた原因

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ここでは像の足が出来た原因やプロセスと成分について説明します。

1986年ウクライナ・チェルノブイリ原発事故が原因

出典:PhotoAC

ウクライナのある街で、悲惨な原発事故が起きました。営業運転を停止しての動作テスト中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したのです。原因は原子炉の設計ミスと規定を外れたテストのためと言われています。

結果、第4原子炉が大爆発し、建物は崩壊、大気中に大量の放射線が放たれました。この事故で数万人の死者を出したと言われています。放射線被爆事故に関する他の情報にも興味のある方はこちらもご覧ください。

炉心融解により圧力管も溶け「象の足」が出来上がる

圧力容器や格納容器がなかったため、溶け落ちた燃料デブリは原子炉建屋の底で固まりました。事故から30年経った現在も建屋内に残ったままです。

幅が2メートル以上で重さ数百トンはあり、莫大な放射能力を持つ塊であります。見た目が、皺のある特徴的な形態であることから「象の足」と名付けられました。

象の足の中には核燃料や当時の作業員も巻き込まれている

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構成物質は、所謂「燃料デブリ」と言われ、溶けた核燃料の他、大量のコンクリートや砂と金属などが混ざってできた塊です。更にこの中には、当時牧は困れた作業員の遺体まで含まれているとも言われています。

象の足は見たら死ぬ?その危険性とは

放射線による致死線量は個人差があるものの、一般的には7シ-ベルトを浴びると100%死ぬと言われます事故当時の「象の足」付近の計測放射線量は、80〜100シーベルト/時というものでしたが、これは人間にとってどのような影響をあたえるものなのでしょうか?

象の足を見ると本当に死ぬ

被爆時間の経過毎にその影響度を見ていきます。まず30秒ほどの被爆で1週間後にめまいや疲労感に襲われます。更に数分で皮下出血が始まり、4分間で瞬時に嘔吐や下痢、発熱に襲われます。そして300秒浴びると2日で死亡に至ります。

10万年は象の足の放射能の影響が続く

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事故発生から10年後に計測した放射線量は当初の10分の1にまで減っていましたが、それでも8分程の被爆で致死量に至るレベルでした。事故原子炉の周辺地域では、今後10万年にわたり放射能汚染が続くと言われています。

象の足は危険だが足の下に宝石がある

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放射能の塊で、傍に寄れば即死するかもしれない怖い存在ですが、事故直後に4号炉全体をコンクリ-トの建造物で覆いを施しました。そして石棺内の像の足を遠隔操作等でいろいろ研究がされました。

その結果、自然界では決して存在しない物質が検出されました。緑がかった透明な色状で、ラムネの瓶のガラスに似ていました。後にこの物質は「チェルノブイリの宝石」と名付けられましたが、正式名称は、「チェルノビライト」という宝石だそうです。

世界最悪と言われたチェルノブイリでの原発事故

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さてここからは、「像の足」を生んだ原発事故自体について少し詳しく確認しておきたいと思います。

ソビエト連邦時代に、現在のウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故で、INES基準で深刻な事故を意味する「レベル7」に位置付けられ、世界最悪の原子力発電所事故の一つと言われています。

チェルノブイリ原子力発電所

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ウクライナのチェルノブイリ市北西20km程にあって、ベラルーシとの国境からは約15km程離れ、キエフの北約100kmの位置に立地しています。

発電所建設は1970年代に始まりました。そして1号炉から4号炉までが7年間のうちに次々と建設されていきました。これら4炉合計で、ソ連の原子力発電量の1/6を賄い、ハンガリーへのエネルギー輸出の80%を占めていました。

事故の発生経緯

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事故当時、4号炉は定期点検のため運転停止中であり、動作テストを行っていました。即ち、外部からの電源遮断を想定し、非常用発電機が起動するまでの一定時間、原子炉タービンの動力のみで各システムへの電力を十分供給できるかを確認するものでした。

ところが、予期せぬ事態の発生に対する現場監督者の不適切な判断のため、原子炉が制御不能に陥り、メルトダウンから爆発したとされています。この時の放射線量は、広島原爆の時の約400倍と言われてます。

事故発生原因と被害甚大化の要因

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それでは、事故発生の根本原因や何故人的被害が拡大したのかを少し詳しく見ていきます。

事故発生原因と考えられるもの

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ソ連政府は当初、「事故はオペレ-タ-の操作ミスが原因」と発表しましたが、その後の調査では、多くの複合的な要素が原因であることが判明しました。列挙すると、1)制御棒など根本的設計の欠陥。2)オペレ-タ-への不十分な教育。3)不慣れな運転下で事態予測できなかったこと。

4)もともと低出力下では不安定なのに運転を強行した。5)仕様書にある耐熱性の材料が手に入らなかったため、他の可燃性材料を使用した工事を行ったこと。などが挙げられています。

自己保身と虚偽報告

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原発の所長は、事故の1時間後に現場に到着し、線量計の値から事の重大さを認識していたものの、上司への事故第一報では自己保身から「事故が発生したが原子炉は無事」と虚偽の報告をしてしまいました。

更に、ソ連の最高議決会議の場でも、原発担当大臣が「大丈夫です」と発言していたため、対策が遅れることになりました。

避難指示の遅れ

ソ連当局が、10km圏内地域に居住する人々の避難を開始したのは事故発生から実に丸二日近くが経過していました。その間、住民は事態を正確に把握することが出来ず、結果として対象地域の住民約47000人は、放射能汚染を知らされぬまま通常の生活を送ることとなりました。

そして30km圏内の合計約14万人の住民が避難を開始したのは、それから1週間後のことでした。

適切な設備と知識の欠如

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事故直後に応急措置に当たった現場作業者や消防士などは、放射性物質の煙や残骸の恐ろしさを教えられておらず、保護具もなしに長時間高い放射線量にさらされながら作業を行い、命を落とすことになりました。

又、事故後の後始末作業は、遠隔操作のロボットや重機を使用すべきだったが、高レベル放射線により電子回路が破壊され頓挫してしまいます。そこで代わりに大量の人間が投入されますが、放射線防護服もなく、不十分な準備での作業のもと、多くの犠牲者を出すことになりました。

日本での受け止め方

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原子力発電に対する国民の不安が急増したが、政府は、「日本の原子炉は米国型で、事故を起こした原子炉とは違う構造のため同様の事故は起きない」という説明をして火消に努めました。

しかし、実はスリーマイル島原発事故で米国型原発も同様の事故を起こしていることや、日本で採用しているGE製原発の格納容器に欠点があるとの指摘があることは周知されず、こののち福島第一原発事故にも影響を与えます。

象の足への対処はどのように行われたのか?

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それではここでまた「像の足」の話に戻します。

膨大な放射線量を発するため、人間作業者にしろロボット等機械作業にしろ近づいての作業には限界がありました。又、応急処置として、石棺建造を手掛けるも、老朽化対策の課題を残しました。

象の足をコンクリートの石棺で包囲

出典:PhotoAC

事故直後の1986年6月には、放射線を密封するため、像の足を含む4号炉全体を巨大なコンクリ-ト建造物で覆う工事が始まり、11月に完成した。石棺建設には多数の作業者が関わったが、全員およそ1年後に亡くなりました。

又、あくまでもロボットなど遠隔操作を多用した応急措置的建設だったことと、耐用年数の30年も経過していることから、現在老朽化対策の課題が顕在化しています。

象の足の放射能で機械が故障

出典:PhotoAC

像の足の発する大量の放射線は、人体に悪影響があるのみならず、近くの電子機器にも影響を与えるものでした。従って重機やロボットは近づくと放射能で電子回路が故障してしまうため、人間による作業で代替せざるを得ないところもありました。

又、写真画像も撮影当初は鮮明であっても、放射能によるフィルム劣化で、時々刻々、不鮮明になっていくこともわかっています。

事故当時は作業員60万人で象の足の処理を試みた

出典:PhotoAC

事故後に復旧作業に従事した労働者は、軍隊や予備役、建設労働者など含め、事故から2年間に30Km内の退避区域内での作業者という定義で、60万人前後とのソ連邦の推定値があります。

2016年に象の足を覆う巨大シェルター移設計画が始まった

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2016年11月、原子炉を覆う石棺を含む原発施設を丸ごと巨大シェルターで覆う工事に取り掛かりました。シェルターは幅約280メートル、長さ約160メートル、高さは約110メートルで、総重量は3万6000トンにも及びます。

建設総費用は、約1765億円と言われ、移動可能な地上建造物としては史上最大とみられます。建造に10年近い歳月を要したこのシェルターは、今後およそ100年間にわたり原子炉と石棺を密封、管理することになります。

象の足で作業員(リクビダートル)はどうなった?

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事故直後には、火災の消火や瓦礫除去と、汚染廃棄物の処理等が必要であったが、遠隔操作の重機やロボットなどは放射線で故障してしまうため、当時のソ連政府は膨大な数の人間を現地に投入したと言われてます。

彼らは、消防士や兵士に、鉱夫などで「リクビダートル(後始末をする人の意味)」と呼ばれ、あらゆる事故処理作業を行いました。しかしその間、レントゲン撮影の1,200倍にあたる平均120ミリシーベルトの放射線を被曝し、彼らの細胞を損ない、寿命を縮めてしまいました。

リクビダートルはほぼ全員1年以内に死亡

出典:PhotoAC

リクビダートル達のうち4,000人以上が、放射線が原因のがんで死亡しました。更に70,000人が、被曝による身体障害を負っていると言われてます。特に石棺建設に携わった人たちは、全員が1年以内に死亡しました。

リクビダートルには退役軍人としての地位が与えられた

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リクビダートルは、当時の連邦政府から表彰され、退役軍人としての地位が与えられました。即ち、危険な労働の代償として、住居や高額の年金に無料の医療などが生涯保障されたのです。

生き残ったリクビダートルを追った写真集も

出典:PhotoAC

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