姥捨山とは?親を山へ棄てるって本当?伝説の発祥や映画「デンデラ」も紹介!

姥捨山は子供が口減らしのために親を山に捨ててくる伝承のことを指します。モデルは長野県の冠着山・姨捨山であるという説が有力ですが、姥捨山伝説にも諸説存在します。この記事では、姥捨山の伝説や姥捨山モチーフの映画「デンデラ」についても紹介します。

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姨捨山とは?子が老いた親を山へ棄てるという悲しい昔話

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実際に長野県には長きにわたり伝わる話があり、そこでは子が老人を棄てる話になっている姨捨山。または同じく老人を棄てるという話は同じですが、籠に背負っているため再び親を連れてくる話もあります。他にも国の指示に従い、難題に答えられ開ければ老人を棄てるができなくて隠す話など各地伝説を残している姨捨山の存在は姥捨山とも呼ばれ各地に伝わっているのです。

どの話も老いた親を捨てるという面では同じかもしれない、悲しい話ですが果たして本当の話なのでしょうか。各地に伝わる話とともに、どこからその話が出たかなど詳しく紐解いて見ます。

姨捨山伝説は大きく二つに分けられる!

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姨捨山にまつわる伝説には、いくつかの説がありますが、その中でも大きく二つのパターンがあります。地域によっての違いはあるものの、各地に伝わるのは「難題型」と「枝折型」に分かれているのです。

ではどのような内容になっているのでしょうか。伝説ではありますが「今尚昔の出来事」として残っている地域があることは否めません。

姨捨山伝説「難題型」殿が老人を山へ棄てるよう命じた

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老人を棄てるといった話では同じ説が言われにありますが、老人が働けなくなったことを理由に「国」が動き、それができずかくまっていた話があるいう「難題型」です。殿様の命令でやむなく棄てようとするも、それができずかくまっていると殿様から「お題に答えられないと国に攻め入る」と隣国に言われ、当時でいう「国」の命令だったことと、老人が関係します。

無理難題を言われたことから、下手をすると隣国が攻め入ってくるかもしれない危機に陥れられるのです。知恵を絞ったのは老人を棄てるように言われた人たちで、国を守るために動くのが「難題型」と言えます。

姨捨山伝説「枝折型」親の無償の愛に気付き姥捨てを断念

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姨捨山の伝説の中では様々な説がありますが、こちらも老人を棄てる話は同じとはいえ、親の愛に気付き姥捨てを断念する「枝折型」です。老人を棄てるために山に登るも、なにやら音がして気付くと老人が子供が帰る時に道に迷わないように枝を折って道しるべにします。

棄てられることより、子供の身を案じる無償の愛を知って姥捨を断念するのが枝を折って示すことから「枝折型」と呼ばれているのです。道しるべに使われていた枝には深い愛情が感じられるでしょう。

その姨捨山に関して興味のある方はこちらもご覧ください。

姨捨山伝説その他よく知られる3つのパターンとは?

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姨捨山伝説のその他に言われているパターンには、共通点があります。昔話として定着していたことの裏側には「食」が関係していたことが多いでしょう。また長野県には確かに姨捨山と呼ばれる地域が存在しますが、必ずここに限った伝説ではありません。

各地に伝説はあり、同じ地域でも話す内容に違いがある場合もあります。そして伝説のパターンは自分の親を棄てることですが、その他の共通点があることも紹介いたします。

姨捨山の伝説パターン①口減らしに子供が親を捨てること

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老人を棄てる、と一言で言っても突然そのようなことができるはずもありません。伝説の背景には、食糧難で働けなくなり「口減らし」という食べ物を限られた人数に分けるために棄てるような形になった経緯があります。

その結末は棄てることができなかったというのがほとんどですが、必ず帰ってきたのでしょうか。そこで共通点のもう一つですが、子供が「自分の親を棄てる」と言うことです。伝説にもあるように、昔の食糧難が一番の問題だったことから、本当にあった話として伝わってきているのでしょう。

姨捨山の伝説パターン②老人の知恵で救われ、棄てるのを断念

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先ほど少し触れましたが、老人をかくまっていた人たちが知恵を絞る話です。実は知恵を絞ったのはかくまっていた老人で、その力によって無事に難題を突破します。そのことは殿様にすぐ伝わり、命令は破棄され棄てることを断念できるのが助かるパターンです。

そのことがきっかけで、老人や家族に褒美や、老人を棄てることの命令の撤回をし、その後は老人を大切に扱うようになったというのです。知恵を振り絞った老人たちのために、一国が救われたと言う話と言えます。

姨捨山の伝説パターン③親の愛と知恵比べの混合型も

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伝説には親子が関係しますが、老人が棄てられる際、自分だけではなく他に棄てる人物を考慮して「もっこを持ち帰る」と言う説もあります。片親だけが棄てられるのではなく、両親が棄てられるのを感じ取った親の言葉だったのでしょう。恐れてかその行動に間違いを感じたか、連れ帰ると言う話です。

他の説では1人の青年が親を捨てられず連れ帰り役人が棄てたことを確認するも、青年はかくまっていたため、偉い立場の人が知恵によって助けられたことによって老人を敬う「複合型」があります。

姥捨山伝説発祥の地は長野県の「冠着山」?

姨捨山の名前を聞いて、長野県の姨捨とも呼ばれる、長野県千曲市と東筑摩郡筑北村の境にある「冠着山(かむりきやま)」がまず浮かぶかもしれません。実際「姨捨山」と呼ばれる「冠着山」には「棄老(きろう)伝説」という言い伝えもあります。

山を登ると「ボコ抱き岩」もあり、まさに伝説の場所ともされるかもしれません。姨捨と呼ばれる地域はありますが、果たして長野県の冠着山が発祥の地なのでしょうか。

姨捨山の伝説①長野県の姨捨山には口減らしの風習があった説

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棄老伝説などがあるように寒い地域の長野県には、食糧不足のためある一定の年齢になると年功序列のように、口減らしの風習があったとされています。特に山間部には、暮らしもままならない状態になり、子供が親を背負って姨捨山と呼ばれる山に行き親を置いてきたとされています。

長野県の北部地域では、複合型に合わさって怖い話も存在しているので、どの話が本来の話からなっているかは定かではありません。

姨捨山の伝説②大和物語・更級日記・今昔物語集に記述がある

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「更級日記」や「今昔物語集」に「棄老伝説」が残っていますが「大和物語」にも記載があります。長野県の北部の山間部だけでも、様々な記述が残っていますが、どの話が本当でどこから生まれたかは記述から読み取ることしかできないのが現状でしょう。

長野県の冠着山だけでなく、北部地域に山々だけでも言われがあるので、当時を知っている者はいませんが、記述として残っています。時代として、1000年代半ば〜1100年代前半の話となっているので、戦国時代が関係すると言えるかもしれません。

川中島の合戦も姥捨山伝説に関係している?

武田信玄の元に攻め入った上杉謙信との一騎打ちがされた川中島の合戦ですが、その戦国時代では位の高い重臣と呼ばれる家来や殿様の存在は大きく、年老いた臣の必要性はどうだったのでしょうか。

一騎打ちが決着しなかったとは言え、武田信玄は自らの親や子供の死後も、年老いた臣の話す言葉が邪魔とは言い難いかも知れません。戦国時代に2人の名の知れた武将の陰で、姥捨山伝説は大いに関係してきていたのではないでしょうか。

姨捨山の伝説はどうして生まれたの?

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姨捨山の伝説にはいくつかの説がありますが、食糧難などが関わってくると、まずは否定される存在も生まれることが、受け継がれているのではないでしょうか。今では考えられない食に困った時代では、弱者がどうしても不利になることでしょう。

長野県だけではなく、東北地域や他にも様々な地域で語られる「姥捨」「棄老伝説」に正式な書物は発見されていません。ではどのような説があるかいくつかあるので紹介いたします。

深沢七郎が「楢山節考」で広まった説

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1957年に「楢山節考」という小説が深沢七郎さんによって発表され、その中に姥捨の話が登場し、それによって老人が棄てられるといった話が広まったとされる説があります。

食糧が不足していた時代と重なって、話は広がり「姨捨山」として伝わったのです。冠着山自体は現地を調査した学者達によっても事実ではない、などともされています。随分古い話のことなので実際にあったかは、謎のままと言えるでしょう。

死体置き場に使った山を「姨捨山」と呼んだ説

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冠着山の調査が事実ではなかったとしても、東北含め各地に広がっている伝説の立証にはなりません。老人を棄てたという話には、元よりその場所は死体置き場だったという説もあるのです。江戸時代にはお墓という存在はあったものの、庶民的ではない存在だったので、墓地ができた時期を考えると、昭和に入ってからになります。

ではそれまではというと、死体置き場に使った山を姨捨山と呼んでいた、という説があるのですが、老若男女いる人口から姨捨山の話が出たかは分かっていません。

姨捨山伝説の元ネタは仏典説

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姨捨山の伝説の中には、嫁の「そそのかし」から、老人が知恵を絞り鬼の宝物を取り戻し、反対に嫁が絶命する話もあります。鬼などが登場することもあり、仏教説があり得るのではないかという説も浮上しているのです。

その他にも、ヨーロッパやアジアには姥捨の噂と同じような話もあり、元は仏典の中に登場する話が元ネタではないかという説もあります。日本だけではなく、数々登場することからも姨捨山の伝説は多いことが伺えるでしょう。

姨捨山伝説の源流はインド説

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こちらも一説にあるのですが、食料の確保の難しさは各地にあり、また老人と一緒であることが困難と言われていたことから、ヒンドュー教が関係していたのではないかという話もあります。

各地に伝わっている中どれが起源かは分かりかねますが、源流を辿るとインドではないかという説もあるのです。日本だけではなく多く存在する説から、実際にあったからではないか、とされることも頷けるのではないでしょうか。

姨捨山伝説は実話なのか?それともただの都市伝説?

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様々な説があり、どこが発端か分からないとなると疑問なのは、姨捨山の伝説は実話かどうかということです。もしかしたら、各地に伝わっているのは都市伝説のように広がっただけかと言えるでしょう。

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