姥捨山とは?親を山へ棄てるって本当?伝説の発祥や映画「デンデラ」も紹介!

姨捨山の伝説パターン③親の愛と知恵比べの混合型も

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伝説には親子が関係しますが、老人が棄てられる際、自分だけではなく他に棄てる人物を考慮して「もっこを持ち帰る」と言う説もあります。片親だけが棄てられるのではなく、両親が棄てられるのを感じ取った親の言葉だったのでしょう。恐れてかその行動に間違いを感じたか、連れ帰ると言う話です。

他の説では1人の青年が親を捨てられず連れ帰り役人が棄てたことを確認するも、青年はかくまっていたため、偉い立場の人が知恵によって助けられたことによって老人を敬う「複合型」があります。

姥捨山伝説発祥の地は長野県の「冠着山」?

姨捨山の名前を聞いて、長野県の姨捨とも呼ばれる、長野県千曲市と東筑摩郡筑北村の境にある「冠着山(かむりきやま)」がまず浮かぶかもしれません。実際「姨捨山」と呼ばれる「冠着山」には「棄老(きろう)伝説」という言い伝えもあります。

山を登ると「ボコ抱き岩」もあり、まさに伝説の場所ともされるかもしれません。姨捨と呼ばれる地域はありますが、果たして長野県の冠着山が発祥の地なのでしょうか。

姨捨山の伝説①長野県の姨捨山には口減らしの風習があった説

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棄老伝説などがあるように寒い地域の長野県には、食糧不足のためある一定の年齢になると年功序列のように、口減らしの風習があったとされています。特に山間部には、暮らしもままならない状態になり、子供が親を背負って姨捨山と呼ばれる山に行き親を置いてきたとされています。

長野県の北部地域では、複合型に合わさって怖い話も存在しているので、どの話が本来の話からなっているかは定かではありません。

姨捨山の伝説②大和物語・更級日記・今昔物語集に記述がある

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「更級日記」や「今昔物語集」に「棄老伝説」が残っていますが「大和物語」にも記載があります。長野県の北部の山間部だけでも、様々な記述が残っていますが、どの話が本当でどこから生まれたかは記述から読み取ることしかできないのが現状でしょう。

長野県の冠着山だけでなく、北部地域に山々だけでも言われがあるので、当時を知っている者はいませんが、記述として残っています。時代として、1000年代半ば〜1100年代前半の話となっているので、戦国時代が関係すると言えるかもしれません。

川中島の合戦も姥捨山伝説に関係している?

武田信玄の元に攻め入った上杉謙信との一騎打ちがされた川中島の合戦ですが、その戦国時代では位の高い重臣と呼ばれる家来や殿様の存在は大きく、年老いた臣の必要性はどうだったのでしょうか。

一騎打ちが決着しなかったとは言え、武田信玄は自らの親や子供の死後も、年老いた臣の話す言葉が邪魔とは言い難いかも知れません。戦国時代に2人の名の知れた武将の陰で、姥捨山伝説は大いに関係してきていたのではないでしょうか。

姨捨山の伝説はどうして生まれたの?

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姨捨山の伝説にはいくつかの説がありますが、食糧難などが関わってくると、まずは否定される存在も生まれることが、受け継がれているのではないでしょうか。今では考えられない食に困った時代では、弱者がどうしても不利になることでしょう。

長野県だけではなく、東北地域や他にも様々な地域で語られる「姥捨」「棄老伝説」に正式な書物は発見されていません。ではどのような説があるかいくつかあるので紹介いたします。

深沢七郎が「楢山節考」で広まった説

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1957年に「楢山節考」という小説が深沢七郎さんによって発表され、その中に姥捨の話が登場し、それによって老人が棄てられるといった話が広まったとされる説があります。

食糧が不足していた時代と重なって、話は広がり「姨捨山」として伝わったのです。冠着山自体は現地を調査した学者達によっても事実ではない、などともされています。随分古い話のことなので実際にあったかは、謎のままと言えるでしょう。

死体置き場に使った山を「姨捨山」と呼んだ説

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冠着山の調査が事実ではなかったとしても、東北含め各地に広がっている伝説の立証にはなりません。老人を棄てたという話には、元よりその場所は死体置き場だったという説もあるのです。江戸時代にはお墓という存在はあったものの、庶民的ではない存在だったので、墓地ができた時期を考えると、昭和に入ってからになります。

ではそれまではというと、死体置き場に使った山を姨捨山と呼んでいた、という説があるのですが、老若男女いる人口から姨捨山の話が出たかは分かっていません。

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