姨捨山伝説の元ネタは仏典説
姨捨山の伝説の中には、嫁の「そそのかし」から、老人が知恵を絞り鬼の宝物を取り戻し、反対に嫁が絶命する話もあります。鬼などが登場することもあり、仏教説があり得るのではないかという説も浮上しているのです。
その他にも、ヨーロッパやアジアには姥捨の噂と同じような話もあり、元は仏典の中に登場する話が元ネタではないかという説もあります。日本だけではなく、数々登場することからも姨捨山の伝説は多いことが伺えるでしょう。
姨捨山伝説の源流はインド説
こちらも一説にあるのですが、食料の確保の難しさは各地にあり、また老人と一緒であることが困難と言われていたことから、ヒンドュー教が関係していたのではないかという話もあります。
各地に伝わっている中どれが起源かは分かりかねますが、源流を辿るとインドではないかという説もあるのです。日本だけではなく多く存在する説から、実際にあったからではないか、とされることも頷けるのではないでしょうか。
姨捨山伝説は実話なのか?それともただの都市伝説?
様々な説があり、どこが発端か分からないとなると疑問なのは、姨捨山の伝説は実話かどうかということです。もしかしたら、各地に伝わっているのは都市伝説のように広がっただけかと言えるでしょう。
追求していくと不思議なポイントはあるかもしれませんが、都市伝説にしては随分昔から言い伝えられている話ではないでしょうか。姨捨山の伝説の疑問点や口減らしがあったとしても現実にあり得るかに迫ってみます。
実際はリスクが高く姨捨山伝説が現実にあったとは考えづらい
姨捨山の伝説が食べ物の不足からきているとして、山まで親を運んでいく労力があったのでしょうか。とてもリスクを負って親を運んでいくことになりますが、高い山へ反対にお腹が空くであろうことをするなら親に食べさせた方が早く、現実なら今に至って骨など瓦礫のように積まれているかもしれません。
時間の経過があるとはいえ、おそらくその場所には誰も近寄らず、反対に誰もが口を閉ざすのではないでしょうか。現実的に考えづらいことが都市伝説ではないか、と言われる理由かもしれません。
江戸時代ではむしろ若者が口減らしにあっていた
江戸時代には確かに墓地は位が高くなければ、手に入らなかったかもしれません。墓地が全くなかった記述はどこにもなく、あくまで「暮石」の価値が高かったとも言えるでしょう。少し触れましたが、老若男女いたはずの江戸時代では、若くて小さい存在である乳児が棄てられていたともされているのです。
帰ってこれず、自ら歩くこともできず、話をすることも困難な「子捨て」がされていたと言う説もあります。泣く子を黙らせる口減らしがあったとすれば、姥捨ての伝説もかき消されることになるのではないでしょうか。
日本各地にも姨捨山と類似した伝説は残されている
姨捨の伝説は、長野県や東北地域に限った話だけではありません。姥捨てや、子捨ての他に沖縄県では姥捨だけではなく妊婦飛ばしなど、人口を減らす目的の話が各地にあるのです。家族が多かった昔には、3世代まであると人数を減らす目的で殺してしまうこともある話もあります。
日本以外でもありますが、各地に口減らしの目的や人口を減らすなどされていたことも伝説にあるのです。日本各地に残されている姨捨山と類似した伝説は、地域など関係なく残されています。必ずしも全てが噂だけではなく、長野県内だけでも各地で様々な噂もある謎多き伝説でしょう。
姨捨山は現代にもある?老人ホームを姥捨山と呼ぶことがある
姨捨山の伝説が事実に基づいているかは定かではありません。広まっている話の多くは、生活の苦しさから考えると全くあり得ない話とは言い難いでしょう。
現在も存在しているとは限りませんが、老老介護にもみて取れるように今の時代背景にも関係することが言えます。各地に伝わる説が必ずしも作り話でないことも言えるのが、現在の抱えている問題かもしれません。
高齢化社会が原因で介護施設が足りていない
必ず老人ホームが空いているとは限らない現在に、特に多いのが認知症の問題です。若い世代が介護するより問題視されているのが、老老介護の問題でしょう。特別養護老人ホーム(特養)では、認知症の程度によっては介護を受けられない、または施設不足も確かだからです。
子供の数より高齢化社会が進んでいる中、避けられないのが介護の問題ですが、診断内容によっては程度が重くても施設の割合が足りていない現状があります。過疎化によって地方でも問題に、都会においても大家族が減っているのが姨捨山の背景にあるのかもしれません。