椿の花言葉は怖い?花の色別に異なる花言葉の解説や裏花言葉の背景に迫る

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鳥は香りではなく、視覚によって花を認識します。落ちた後も鳥に見つけてもらいやすいように、鮮やかな花弁をつけたままに地面に落ちるとされています。

実は縁起が良い椿の花

噂とは打って変わって、椿は「縁起が良い」とも言われています。常緑樹という、1年を通して緑の葉をつけ続けている樹は、日本では縁起ものとされてきました。椿もこの常緑樹の一種です。

椿は神聖な木

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椿は神聖な樹とされ、多くの神社でも見かけることが出来ます。また、名前にこの花が入っている神社もあり、その歴史は「縁起が悪い」と言われるより古くから存在しています。

椿の花は不老不死の霊薬

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椿の種から抽出された「椿油」は、様々な用途で使われました。平安時代には唐への献上品としても用いられるほどの高級品であり、「不老不死の霊薬」としても知られていました。

天下人・徳川家康はこの椿油を使用した料理を食べ長生きすることが出来た、という話も存在しています。

椿は延命長寿の木

お正月には、赤と白の椿を並べているイメージがないでしょうか。「悪霊を祓う」と考えられていた椿は、祭事にも用いられることが多くありました。

大阪府の春日神社の椿は、戦国時代に2度の火災に巻き込まれましたが、翌年には新芽を出したということで、延命・長寿・不老の御神木となっています。

椿が見られるの名所

この愛されている花は、全国各地に名所が存在しています。自生林に咲き誇る椿たちは絶景で、感無量となるでしょう。また、椿が花を落として彩った小道の美しさは、表現のしようがありません。踏むのがかわいそうで、歩けなくなってしまいます。

京都府の法然院では、水を張った手水鉢に椿の花を浮かべるといった、フォトジェニックで粋な計らいもされています。

これは数年前に、同じく手水鉢に紫陽花を浮かべて“美しい”と話題となったものを、模したと思われます。そんな紫陽花の花言葉についての記事がありますので、あわせてご覧ください。

日本人から愛された椿の歴史

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ここでは日本人に愛されたことが分かる椿の歴史を、年代順にご紹介していきます。古くから、いつの時代も椿は日本人に愛されて、寄り添って歴史を刻んできたことが感じられます。

「日本書紀」「万葉集」に登場

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奈良時代に書かれた「日本書紀」「万葉集」にも、椿が登場します。日本書紀では、土蜘蛛という妖怪を倒すときに、椿で作られた武器を使ったと書かれています。当時から神聖な樹とされていたため、悪いものを退治するというこのシーンで用いられたようです。

万葉集といえば、新元号「令和」が発表された際にここから引用されたとして、一躍話題となりました。万葉集に収められた歌の中で、椿を使ったものが9首あるのが確認されています。

数寄を好んだ文化人・足利義政

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数寄者であったとされる室町幕府の将軍・足利義政が建てたことで有名な銀閣寺には、もちろん茶室が作られています。入口から中門を繋ぐ、およそ50メートルに及ぶ道には椿が並んでおり、「銀閣寺垣」と呼ばれています。

椿が咲き誇るこの道は、まるで銀閣寺に辿り着くまでに邪念を振り落としてくれるような、神聖さを醸し出しています。また足利義政は、椿のモチーフが入った工芸品も、コレクションしていたようです。

茶道で椿を流行らせた豊臣秀吉

豊臣秀吉は茶道で椿を用いることが多く、これをきっかけに椿は茶道で重要な存在となりました。また京都にある「椿寺」には、彼が寄進した椿が残されています。

彼の家臣である加藤清正は、朝鮮出兵から帰還した際に豊臣秀吉へ「五色八重散椿」という品種の椿を献上したそうです。この椿は「椿寺」に植えられ、世代を変えながらも、現代にまで受け継がれてきたのです。

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