小林薫死刑囚の生い立ちや性格は?奈良小1女児殺害事件の概要と裁判も

小林薫は2004年に奈良県の小1女児を殺害死体遺棄した犯人です。いたずら目的で誰でも良かったという身勝手な理由や、繰り返される強制わいせつの犯罪歴から、小林薫はどんな人物だったのか、事件の真相と共に判決や人物像についてまとめてみました。

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趣味は読書や映画鑑賞。 北方謙三や吉川英治、隆慶一郎などの歴史小説が好みです。 内容を忘れてしまった本を読み返す日々ですが、読み返すたびに新たな発見もあります。咀嚼するように作品を楽しむのが好きみたいです。
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小林薫とは?奈良小1女児殺害事件の犯人

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小林薫とは、2004年11月17日に奈良県で引き起こされた、誘拐殺人事件のその犯人です。当時36歳、毎日新聞の販売員を仕事にしていました。帰宅途中の小学一年生の女児に対し行きずりの犯行に及んでおり、「誰でも良かった」と供述していたそうで、その後死刑判決が下され、現在は既に刑が執行されています。

未来ある小さな命が、一人の人間に踏みにじられた凄惨な事件でしたが、この事件の詳細と、犯人の小林薫にフォーカスして解説していきます。またそれだけでなく、この事件によって起こった様々な影響についても解説及び紹介を行っていますので、是非最後まで読んでみてください。

小林薫の生い立ち

この章では犯人である小林薫の、人となりとその生い立ちについて解説していきます。常軌を逸した行動を犯した彼ですが、彼の人物像の背景にはどういった過去があったのか、また人格形成に影響を与えた出来事にどんなものがあったのかも紹介しています。それをまずは知っていただけると幸いです。

小林薫の生い立ち①父親からのDV

小林薫は幼い時分より、反りの合わない父親から暴力を振るわれていました。母親がたびたび仲裁に入っていたようですが、その暴力の手が彼だけでなく、母親にも及んでいたであろう可能性は、想像に難くありません。

小林薫の生い立ち②10歳の時に母親が他界

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父親の暴力から守ってくれていた母親ですが、彼が10歳の時に亡くなっています。難産がその理由です。唯一と言ってもよい守ってくれる存在だった母親の喪失は、彼にどれほどの影響を与えたかは想像できません。

弟の出産自体は無事に済んだものの、その弟には難産の影響からか脳性まひが残ってしまいました。これも後述する彼の幼少期に影を落とす原因のひとつになってしまいます。

小林薫の生い立ち③弟は障害を持って自分は孤立

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弟が障害を持って生まれたために、父や祖母などの家族は、弟の世話につきっきりになりました。父とはもとより反りが合わなかったことも手伝い、小林薫は家族の中でも孤立を深めていったようです。この幼少期の経験が、彼の人格形成に多大な影響を及ぼした可能性があります。

小林薫の生い立ち④幼少期からのいじめ体験

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中学時代には、視力の低さなどを槍玉に挙げ不良グループからいじめに遭っていました。いじめ自体は、幼稚園時代からあったといいます。いじめは絶対に許される行為ではなく、いじめに関わった人間の人格形成に、多大な悪影響を及ぼします。ここでも小林薫の精神性に歪みが生じたと言えるでしょう。

小林薫の生い立ち⑤就職後も問題を起こしがち

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小林死刑囚は、高校卒業後は就職しましたが、どの仕事も長続きせず退職を繰り返しています。業務実績の捏造を行ったり、会社から現金を盗んだこともあり、勤務態度は悪く、問題を起こしがちだったそうです。最終的に勤務していた新聞配達の仕事も、場所を転々としていました。

彼の罪が雪がれることは到底有り得ませんが、以上のことから幼少期の経験から小林薫の人格は何かしら歪みが生じていることが見て取れます。

小林薫の犯罪歴

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小林薫の生い立ちに焦点を当てて解説しましたが、彼は奈良小1女児殺害事件の他にどのような犯罪に手を染めていたのでしょうか。ここでは小林死刑囚の犯罪歴を細かく記述していこうと思います。

小林薫の犯罪歴①1989年5歳の少女に強制わいせつ

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最初の犯罪歴は、1989年12月のときです。女の子二人を対象にわいせつな行為をせまったとして逮捕されています。懲役2年、執行猶予4年、猶予期間中の保護観察処分に処されています。

小林薫の犯罪歴②1991年5歳の少女にわいせつ・殺人未遂

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1991年10月に、団地で5歳の女の子にわいせつ行為を働いています。それだけでなく、わいせつ行為をしようとして、女の子の首を絞めたとして、殺人未遂容疑で逮捕されています。

この事件で、懲役3年の実刑判決を受けたため、初めての刑務所生活を過ごしています。所内では真面目に過ごしていたようですが、本人は仮釈放を手に入れることだけを考えて生活しており、反省はしていなかったようです。

小林薫の犯罪歴③2004年4月勤務先のお金を持ち逃げ

2004年初めから、大阪市東住吉区の毎日新聞湯里販売所にて、仕事に就いていましたが、4月に集金した新聞代を持ち逃げしました。それだけでなく、この販売所に勤めていた間にも、朝刊を配達する朝早くには、民家の物干しから女の子の体操服や下着などを物色し、盗んでいたようです。

小林薫の犯罪歴④2004年9月6歳の少女に強制わいせつ

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2004年9月には、北葛城でまたしても女児を対象に狙いを定め、体を触るなどのわいせつ行為に及んでいます。その後強制わいせつ罪で起訴されています。やはり刑務所生活では小林死刑囚は何も変わっていなかったようです。

以上が記録に残っている犯罪歴になります。

小林薫は高校在学中から問題を起こしていた?

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記録に残っているだけで以上となりますが、彼には高校時代にも女児にいたずらをしたとされる情報があります。実際に彼の自宅において家宅捜査された時、80着近くの女児服が押収されており、起訴されていないだけで、上記の犯罪歴以上の余罪があったことは間違いないでしょう。

小林薫の人物像とは

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ここでは、小林死刑囚の行動や、幼少期の経験が彼をどのような人間に育ててしまったかを、人物像として解説していきます。彼が自分の行動や犯罪に対してどのような感情や考えを持っていたのでしょうか?

小林薫の人物像①小児性愛者

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小児性愛者とは、幼児や小児に対して性的嗜好を持つ者を指して呼ぶ医学用語になります。ペドフィリアとも呼ばれます。彼はその犯罪歴からも小児性愛者であったとされています。彼の自宅からは幼児ポルノに分類される映像媒体が100本近くが押収されているのもその裏付けに足ります。

小林薫の人物像②罪を犯すことに罪悪感を持たない

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小林薫は徹底的に自分本位の人間であり、それは言動や行動の節々に現れています。死刑になって早く死んでしまいという願望を持ちながらも、罪を重ねる上では自分の欲望を満たすために幼児を狙って襲っています。

また死刑判決が下った際には、小さくガッツポーズするなど、罪を犯すこと犯したことに対しての罪悪感は全く感じさせません。これらの行為は決して許されるものでありません。

小林薫の人物像③幼少期構ってもらえなかったことから愛情不足

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彼は早くに唯一守ってくれる母親を失い、幼少期より家族からも孤立し、否定されて育ってきました。生涯通して家族にも社会にも否定され続けたことが、これほど彼の人間性に影を落としてしまったことは間違いありません。

その結果、これほどの身勝手な事件を引き起こしてしまったことは悲劇としか言いようがありません。

小林薫の人物像④母親への愛情に飢えていた

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法定中に涙を流す人が後を断たなかったという被害者の遺族の証言の時にも、普段と変わらぬ様子を貫いた彼ですが、法廷で母親の話になると、涙を浮かべるという場面があったようです。やはり生涯の中で唯一守ってくれた存在である母親に関しては、愛情への深い渇望があったように感じられます。

小林薫は反社会性人格障害と診断された

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小林死刑囚は、反社会性人格障害と診断されていました、反社会性人格障害とは、サイコパス、またはソシオパスとも呼ばれ、それぞれ先天性と後天性で区別されています。サイコパスの特徴としては、「社会的規範に順応できない」、「人を騙す、操作する」、「カッとしやすい、攻撃的である」などがあります。

彼には、幼児を「騙して」誘拐をおこない、幼児に手を噛まれたことをきっかけに「カッとなって」殺害に及ぶなど、サイコパスと同じ特徴が供述からも見られます。これらの特徴を踏まえ、サイコパスとは「良心をまったく持っていない状態」と言われています。

サイコパスについての記事についてもまとめられています。また、サイコパスと呼ばれる人達が残した言葉についても紹介しているので、こちらの記事もご参照ください。

小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」の概要

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彼が起こした事件である「奈良小1女児殺害事件」を時系列に沿って解説していきたいと思います。事件全体の流れや経過、彼の実際の行動に迫っていきます。

彼は実際にどのように女児を殺害したのでしょうか。また、どのように逮捕に至ったのかをご紹介します。

小林薫の起こした事件①2004年母親の携帯に誘拐メールが届く

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11月17日の夜、小林薫死刑囚は被害者の有山楓ちゃんの携帯電話を用いて、被害者の母親にメールを送っています。「娘はもらった」という内容とともに被害者の画像を添付しています。GPS機能付きの携帯電話でしたが、そのメールの後、携帯電話の電源を切っているか、GPS機能をオフに設定していたようです。

小林薫の起こした事件②翌18日少女の遺体が発見される

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翌日の18日、少女の自宅からおよそ6キロ離れた側溝で遺体が発見されました。手足に擦り傷が残っていたり、歯が数本抜かれているなどの暴力行為の痕跡が残っていましたが、司法解剖をおこなった結果、水死と判明しました。肺に溜まっていた水は汚れていなかったので、水道水での溺死と想定され、風呂場か洗面器に顔を押し付けて水死させたと判断されました。

被害者の衣服には、毛が付いており、この毛を調べてみたところ、B型とAB型の血液型のものだとわかり、重要な手がかりとして記録されています。

小林薫の起こした事件③目撃証言と防犯カメラで容疑者浮上

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少女が実際に車に乗り込むところを見たという目撃証言や、連れ去られた現場付近の監視カメラの情報から容疑者の情報が浮上していきます。当時、マーチの車が怪しいと報道されていました。

しかし、実際に警察がマークしていたのは、カローラⅡでした。その理由としては、通学路付近でゆっくりと走行を続けていたり、Uターンを行っていたりと、挙動不審だったことが理由だったそうです。

小林薫の起こした事件④「次は妹を狙う」と犯行予告も!

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12月14日には、再び被害者遺族の携帯電話に、犯人の携帯電話からメールが届きました。内容は妹をターゲットとするという事と共に、被害者の画像を再び一緒に添付して送りつけていました。

当時では残酷すぎて報道されることはありませんでしたが、被害者の体はひどく痛めつけられており、この犯人の行動が残虐で人間がする行為ではないとして死刑に繋がっていく理由となってしまいます。

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そして携帯電話のメールは、送信元と受信先の情報が、双方の携帯電話会社の通信記録に残るので、警察がこれらの通信を分析した結果、犯人の特定に一気に近づくことになります。

小林薫の起こした事件⑤「誰でも良かった」と供述

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逮捕後、被害者の女の子を狙った理由については「一人で歩いている女の子なら、誰でも良かった」としてその場の思いつきの犯行であることを供述しています。また、携帯電話で撮影し、両親にメールしたことについても、「殺したことを親に知らせたかった」と供述しており、彼の異常性を際立たせています。

小林薫は逮捕前に周囲の人に写真を見せびらかしていた

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彼は、11月下旬から廃盤店近くのスナックに頻繁に通うようになりましたが、12月下旬には、店の女性従業員に被害者の女の子とみられる写真を見せていたようです。入手先を問われると、インターネット上で、どこからともなく送られてきたと話していたとか。

また、事件について問われると「事件の話を聞くと吐き気がする」と発言をしていたり、「ほんまかわいそうや。早く捕まればいい」と表情を悪くしていたとか。

小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」の裁判の行方

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彼は逮捕され、結果的に死刑が言い渡されるのですが、その裁判の流れや経過を詳しく解説していこうと思います。同時に、彼の裁判に臨む気持ちはどのようなものだったのでしょうか。ここではそれらについても解説していきます。

小林薫は殺人・強制わいせつで起訴される

小林薫は殺人だけでなく、強制わいせつなどの複数の罪で起訴されています。すべてあわせて8件にも上る数でした。これら8件には前述した2004年9月のわいせつ行為や、新聞配達員の傍らに行っていた女性用衣類の窃盗罪も含まれています。

小林薫は精神鑑定の結果「反社会性人格障害」と診断される

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2006年2月14日、彼の情状鑑定書が地方裁判所に提出されました。鑑定内容は犯罪精神医学に詳しい方達による面接などを通じておこない、小林薫は犯罪などを繰り返し起こす「反社会人格障害」及び「ペドフィリア」と診断されました。

小林薫は減刑を望まず

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彼は、徹底して極刑を望んでいました。なので減刑を受けないために、悪い印象を与えるだけの発言を繰り返していました。最初に行われた公判の際にも、反省する気持ちがまったくないことや、更生する自身も持ち合わせていないことを伝え、早く判決を受け、第二の宮崎勉、または宅間守として名前を世の中に残したいという旨を言っていました。

小林薫の判決は求刑通りの死刑判決

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6月5日の公判では、検察側は容疑者の犯行を、自らの欲望を満たすための犯行であるとした上で、被害者の両親の処罰感情も激しいものだったと語ります。さらに、当の本人は謝罪もせず、そして反省の態度もまったく示していないことから、更生する意欲がまったく欠如しているため、更生することは不可能だろうとして彼に極刑を与えることを要求していました。

そして9月26日に、最終的に奈良地裁は、彼に命をもって償うことを是とし、求刑通りに死刑を言い渡しています。図らずとも、彼が望む死刑をそのまま罰として与える結果となりました。言い渡しの後、彼はこぶしを握り締め、何度かうなづいたようです。これでこの事件に一旦の区切りがついたこととなります。

小林薫のその後と現在は?

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この項では、死刑が言い渡された後の彼の行動や、現在の状況などを紹介していきます。死刑は執行されたのか?いつされたのか?また、彼は遺族に対し手紙を残していますがその内容についても触れていきます。

小林薫は遺族に手紙を出したが受け取り拒否

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2006年10月30日、彼は被害者遺族への手紙を、弁護士に託しています。内容としては、自分が人として最低な行動をとり、その結果有山楓ちゃんを死なせた事に対する謝罪。意見陳述を聞いて心が打たれていたが、公判中に謝罪の気持ちを表すことができなかったということ。刑の執行を持って罪を償うということの三点です。

しかし、遺族側は公判中の態度から、その反省が本当の姿ではないとして、受け取りを拒否しています。言い渡しの際にはガッツポーズも見せています。死刑を言い渡された犯罪者の姿としては到底ふさわしくないのでこの反応は至極当然の結果であるように思います。

小林薫は2013年に死刑執行

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彼は2013年2月21日に、大阪拘置所で死刑が執行されました。同じ日には、土浦連続殺傷事件、名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件の死刑囚と共に死刑が執行されています。享年44歳です。

遺族の傷は癒えることはありませんが、これでこの事件は完全に区切りとなります。判決自体は遺族の望み通りの結果である極刑になったことが、せめてもの慰めになればと思います。

小林薫が起こした「奈良小1女児殺害事件」の真相

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この項では、小林薫が逮捕後に語ったこととそれにまつわるエピソードの一部を紹介していきます。また彼の公判中の態度についての真相についても考察を綴っています。気になった方は是非とも読んでみてください。

小林薫は第二の宮崎勤、宅間守になりたかった?

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小林薫死刑囚の根底には死刑を望んでいる節があり、公判中は死刑になるために反省する姿を見せることができなかったと語っています。小林薫は減刑を望まず、の項でも紹介した通り、第二の宮崎勤、宅間守になりたかったのかと言われると疑問が残ります。宅間守死刑囚とも面会し、小林薫死刑囚とも面会した長谷川博一教授は彼のことを、他の面会した二人の死刑囚とは違うという事を先述した上で、世間的に悪である行為を行ったことはしっかりと認識していると述べています。

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