ここまでくると、彼の言い渡しの際のガッツポーズとは、長年の念願が叶った瞬間故に、自然と出てしまった行動なのかもしれません。どちらにせよ、彼がおこなったことは到底許されるものではありませんが。
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被害者の死因について小林薫が語ったこと
死刑が確定して後、彼は獄内の雑誌にて手記を連載していました。そこでは裁判では語られなかった話が綴られています。それはどういった内容なのか、奈良小1女児殺害事件の真実足り得るのかを考察、解説していきます。
手記を書き始めた理由
彼が獄内雑誌にて手記を書きたい理由は、事実と検察の筋書きとの相違を伝えたいといった理由でした。容疑者は死刑になりたいので争わずに法廷では成り行きを受け入れていたために、法廷にて真実を語ることを拒否していたのです。ですので死刑確定後に、手記にて真実を書き記していったようです。
女児の殺害についての真相
この手記に記された内容によると、殺害の意思を持って犯行に及んだわけではなく、わいせつ行為に及ぼうとする前に、間違って溺れさせてしまった、ということでした。
睡眠薬ハルシオンを飲ませ、お風呂に入浴させていたところ、気づいたら溺れていたという内容ではありますが、その真実の是非はさておき非常に短絡的で思慮に欠ける行動であったのは言うまでもありません。そもそも睡眠薬を用いて強引に眠らせたこと、眠りながら浴場に浸かっているのに目を離す軽率さなど、彼の行動の愚かさには、枚挙に暇がありません。
弁護人はにわかに小林薫の主張を信用しなかった
実際に、2005年、彼は弁護人を奈良から東京にわざわざ呼び出してこの真実を語っていたようです。睡眠薬として使用したハルシオンは、分解が早いので、司法解剖の結果、遺体から検出されなかったこととも矛盾はしません。
誤って死なせてしまったために自暴自棄になり、死刑判決のためにその後の行動につながったと言いますが、彼の主張を裏付ける証拠もなく、裁判をひっくり返すには主張が弱かったため、弁護士の対応は相応のものに落ち着きました。この弁護士の対応に対し、彼はひどく失望したようです。
その後の小林薫死刑囚の行動
この発言に関しては、かなりの執着を見せ、弁護士の解任の嘆願をおこなったり、続く公判では真実を告げようとしました。しかし自分の言葉はどうせ信用されないからと、発言を取り下げ、黙することを選んだと関係者に告げるなど、単なる思いつきの嘘を否定されたとは思えないほどの執着を見せていました。
しかし実際に関わった人たちにも確信を持つことはできず、また真相は結局わからなかったため、現状を維持した結果、刑が執行される運びとなりました。
小林薫が引き起こした事件がきっかけで注目されたこと、変わったこと
小林薫が引き起こしたこの事件は、各所に影響を及ぼし、様々な議論や集会が行なわれました。この章ではそれらについてどういったものか、どのような影響を及ぼしたのかについて解説していきます。
小林薫の事件から①ミーガン法を見直す論議
ミーガン法とは、アメリカ合衆国、ニュージャージー州で成立した、性犯罪防止のための監視方法です。被害者となった女児の名前が由来となっているらしく、この法有用性が認められ他の州でも多数制定されるようになっていき、現在ではアメリカのこれらの情報公開法を一般的にミーガン法と呼ばれています。
彼が引き起こした事件以降、ミーガン法の導入運動が行われたと言われています。前述したとおり、小林薫死刑囚には多数の強制わいせつの前科があります。故に前科者への監視を強めようといった活動が広がったのは至極当然のことと言えます。
小林薫の事件から②「子供安全の日の集い」が開催
事件の影響のもう一つの運動として「子供安全の日の集い」について紹介いたします。事件後、奈良市では、同市と市教委が主催する「子供安全の日の集い」が奈良市役所で開かれ、参加者らが子供たちが安全に暮らせる社会の実現のために、議論を繰り広げています。
これらの活動によって小児犯罪への対策が進み、同じような悲惨な事件が少しでも減らせるようになることを心から祈ります。
小林薫に殺害された被害者有山楓ちゃんの評判
殺害された有山楓ちゃんは笑顔があふれる元気で優しい女の子だったようです。2013年11月22日に、犯罪被害者を出さない社会になることを願い、奈良県警と協力してひらかれた「犯罪被害者支援奈良県民のつどい」では、楓ちゃんが描いた似顔絵などの遺品を事件後初めて公開しています。
「いつもおいしいおべんとうありがとう」と母親への感謝のメッセージを添えた家族の似顔絵、事件十日前の七五三で書かれた、看護師になる夢が書かれた破魔矢などが並んだそうです。
話を聞くだけで胸が締め付けられるような思いになります。こんな悲惨な事件に巻き込まれてしまったことが残念でなりません。このような被害者をこれ以上増やさないためにも、私たちは事件防止のために取り組んでいかなくてはなりません。
小林薫の事件から10年後…楓ちゃんの父が手記を公開
2014年には事件発生から10年を迎え、楓ちゃんの父、有山茂樹さんが現在の心境などを綴った手記を奈良県警を通じて公開しました。全文を引用という形で紹介させていただきます。
今年で楓が被害にあったあの日から10年が経(た)ちました。10年は長くも感じますが変わることのない悲しみや苦しみはあの日のままです。
あの明るい笑顔や仲の良かった姉妹、事件がなければ今はどんな毎日を送っていたのだろうと考えてしまいます。家族を守れなかった後悔はこれからも消えることは決してないと思います。普通に過ごす毎日がどんなに幸せか、何気ない会話がどれだけ楽しいか、奪われた命が私たちにとってどれだけ大きく大切であったかを痛感する毎日です。楓が生きていれば今は高校2年生です。楓の妹も時々高校生の楓と遊んだ夢をみます。きっと賑(にぎ)やかな毎日で、たくさんの友達と遊び、色々やりたいことに取り組んでいたのだろうと思います。これからも忘れることはありませんし、今も私たちの思いの中で生き続けています。
小林元死刑囚の死刑執行から1年9カ月が経とうとしています。裁判は私たちが求めたものとなりました。しかし、小林元死刑囚が真摯(しんし)に罪を受け止め8年余りを過ごしたのか、楓の無念を少しでも晴らしてやれたかは今も分かりません。楓の命が奪われただけでなく、数多くの恐怖や苦しみを受け、そして多くのものを失いました。これを一つずつ乗り越えてこそ初めて区切りといえるのだろうと思います。
今も子どもが被害にあう事件が後を絶ちません。子どもの安全を守るには地域の繋がりが不可欠です。そこから親も子も安心感が生まれるのだと思います。罪のない子ども達が被害にあう事件が二度と起こらない、子ども達の笑顔のあふれる『安心・安全』な社会になることを心より願います。
(引用:産経WEST)
遺族が事件によって負った心の傷は、決して時間で癒えるものではなく、未だに深く心に傷ついたままであることを感じさせます。しかし、世間的には少しずつ事件の記憶が風化していっているのが現状です。それが口惜しくて仕方ありません。
現在でも子供が巻き込まれてしまう事件は後が立ちません。だからといって妥協や諦観できるようなものではなく、子供たちが健やかに過ごすことが出来るように歯を食いしばってでも「安心・安全」な社会のために力を振り絞らなければなりません。
いま日本は戦争のない平和な国ではありますが、その平和を守るための戦いをすることが大事であると考えさせられます。
小林薫以外にも…小児性愛者が起こした事件
この項では小林薫死刑囚以外にも小児性愛者が引き起こした悲しい事件の一部を紹介していきます。これらの事件の悲しい記憶は、忘れたくても、忘れてはいけない記憶です。この事件を糧にして、今後の社会の防犯への意識を高めていきましょう。
小林薫のような小児性愛者が起こした事件①千葉小3女児殺害事件
千葉小3女児殺害事件とは、2017年3月24日に、松戸市において小学三年生の女の子が誘拐され、26日に同じ県である我孫子市の草むらにて遺体で見つかった事件です。絞殺されており、20km近く離れた利根川河川敷で、被害者のものとみられるランドセルと衣服が見つかっています。
犯人の人となり
犯行に及んだ容疑者は同じ小学校の保護者会では会長を務めていたこともある人間で、遺留品のDNAの型が一致したことが主な逮捕理由であるようです。容疑者を知る人間の印象としては「温厚」「目立たず、いつもぼーっとしている」など総じて静かな雰囲気の人間である点で共通しています。
小林薫のような小児性愛者が起こした事件②広島小1女児殺害事件
広島小1女児殺害事件とは2005年11月22日に、広島県広島市安芸区で起きた殺害事件です。帰宅途中の女子児童が22日午後に、学校を出た後行方がわからなくなってしまいとなり、17時頃に、空き地にて放置されていたダンボール箱の中から遺体で発見されています。
死因は絞殺による窒息死で、下半身には指で付けられたキズが残っています。
犯人の人となり
容疑者はペルー人の男性です。当時30歳と言っていましたが、のちになって33歳であることが判明しました。遺体が入れられているダンボールから商品を購入した顧客が割り出され、事件を解決する糸口になっています。
この容疑者はペルーでも、3件以上の婦女暴行を働いたとして指名手配されていました。偽名をもちいて就労するためのビザを取得し、2004年に渡航し生活していました。
小林薫のような小児性愛者が起こした事件③高崎小1女児殺害事件
群馬県高崎市で、当時小学一年生だった女の子が、アパートの同じ階に居を構える男性に殺された事件です。犯人の言動が印象的であり当時話題となった事件です。
犯人の人となり
容疑者の男性は26歳で、犯行の動機としては「いたずらしようとしたら騒がれそうになったので殺した」と実に身勝手な供述を行っています。
少女の被造物を多数所有しており、検察側に押収した被造物を捨てるように言われると、態度を豹変させ「あの子達を処分することは私の子どもを殺すかのようなものだ」と激昂するなど、これらへの異常な執着を見せています。所謂「フィギュア萌え族」が引き起こした事件としても見られています。
小林薫のような小児性愛者が起こした事件④文京区小2女児殺害事件
文京区小2女児殺害事件とは、1954年4月19日に東京都文京区で引き起こされた、性犯罪だけでなく、薬物も絡んだ殺人事件です。二年生の女の子が授業の合間に、トイレに行くと伝えたきり行方不明となり、約二時間後に、正面玄関横にあるトイレの中で遺体で発見されています。死因絞殺による窒息死です。
この事件を契機として、覚せい剤取締法の厳罰化が進み、と同時に全国の学校の安全対策が改善されていくこととなります。
犯人の人となり
容疑者は当時20歳の男です。事件の現場であるトイレの配管に、イニシャルの入ったのハンカチが発見されており、これが事件の決め手となりました。
容疑者は結核治療中患者だったのですが、ヒロポン中毒で問題を多数起こしています。事件が起こった19日にも無断で外に出て友人宅を訪問しており、近所であった元町小学校でトイレを借りたことが事件の発端となりました。当時は、小学校は誰でも入れるような開けた施設であったという時代背景があり、特にトイレは公衆便所としての役割を果たしていたそうです。いまでは到底考えられないことです。
犯行を疑われたフィギュア萌族たちについて
奈良での殺害事件において、当初はフィギュア萌え族の犯行ではと噂されていました。現在でも槍玉に挙げられ疑われる、フィギュア萌え族による犯行とは一体何なのでしょうか。これらの言葉の成り立ちや意味について解説していきます。
フィギュア萌え族の成り立ち
この言葉が生まれるきっかけとなったのは、それこそ今回の記事で紹介した奈良小1女児殺害事件です。当時コメンテーターであった大谷昭宏が、この事件の犯人を、疑似恋愛体験ゲームや恋愛を主眼に置いたアニメといったサブカルチャーに傾倒しているフィギュアオタクと発言しました。発言の意図としては、少女をモノとして扱い犯人の支配欲や征服欲を満たそうとしたのではないかと推測したためです。
これらを象徴する言葉としてこの言葉を作り出した後、自分が関わる番組やテキスト類において、しきりにこの言葉を使用し、事件に対する自分の主張を行っていました。
なぜフィギュアだったのか?
なぜ象徴としてフィギュアを持ち出したのでしょうか?それは大谷昭宏氏がキャラクターがフィギュアとして商品化されている恋愛ゲームを含むサブカルチャーを批判するために、事件と紐付けて批判するためには人間の手による被造物すなわち「人形」がちょうど良かったのではと言われています。
しかしそれらはあくまで推測であり、被害者が人形のように、「モノ扱い」された凄惨な事件というのも事実であり、この推測は一概に間違いとも正しいとも言えるものではありませんでした。
小林薫はフィギュア萌え族ではなかった
彼は小児性愛者と診断されましたが、大谷昭宏が指摘したようなフィギュア萌え族であったかと言われれば、それは否定されている。というのが定説でしょう。
事実彼の自宅から押収されたものは、児童ポルノのビデオが多数発見されましたが、アニメなどの所謂サブカルチャーに属するようなフィギュアは一つとして発見されませんでした。ましてや、恋愛ゲームに必要なパソコンやゲームに属するものも見つかっていません。
弁護士は、アダルトアニメを高校生の時に見たことで、性格を歪ませてしまったと発言していましたが、強制わいせつを彼が行ったのは14歳のときであり、時期的にも合わないことが指摘されています。
フィギュア萌え族発言を巡る様々な意見
大谷昭宏のフィギュア好きのオタク(と言われる人達)全体を、犯罪者予備軍と断言しかねない発言は、様々な批評や考察が飛び交いました。
これに対し、大谷氏は、批判する人たちに対し一方的に恨みを抱き、彼らの大多数がアニメなどを趣味としてる人達と一方的に断定した上で、自身を批判する人たちは犯罪者予備軍である、といった図式を喧伝することで、復讐心を満たしたと考えられています。
この行いは時間が経った現在でも多少の爪痕を残しており、犯人の趣味嗜好にアニメやフィギュアがあった場合、メディアには槍玉に挙げられるという傾向が強くなっています。
小林薫は自分の欲求のために少女を殺した殺人犯だった
彼が引き起こした事件や、彼の足跡をたどってきましたが、彼がどんなに悲惨な過去や経験を持っていたとしても、彼の罪が到底許されるものではありません。彼の身勝手さが生み出した悲惨な事件であることは明白です。
しかし、様々な問題も提示した事件であったようにも思います。死刑を望んで残虐な行為に走り、結果として彼の望み通りの死刑を言い渡したことは、本当に罰足りうるのでしょうか?これは死刑を望む第二第三の小林薫を生み出す前例にもなってしまうのではないでしょうか?
度々死刑制度についても話題になりますが、長い時間をかけて少しでも正解に近づく答えを人類全体で探っていきたいですね。
遺族の心の傷が少しでも癒えるのを願い、被害者の冥福を祈るとともに、この事件を礎にし、安心・安全な社会づくりを目指して生きていきましょう。
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