小林薫死刑囚の生い立ちや性格は?奈良小1女児殺害事件の概要と裁判も

文京区小2女児殺害事件とは、1954年4月19日に東京都文京区で引き起こされた、性犯罪だけでなく、薬物も絡んだ殺人事件です。二年生の女の子が授業の合間に、トイレに行くと伝えたきり行方不明となり、約二時間後に、正面玄関横にあるトイレの中で遺体で発見されています。死因絞殺による窒息死です。

この事件を契機として、覚せい剤取締法の厳罰化が進み、と同時に全国の学校の安全対策が改善されていくこととなります。

犯人の人となり

容疑者は当時20歳の男です。事件の現場であるトイレの配管に、イニシャルの入ったのハンカチが発見されており、これが事件の決め手となりました。

容疑者は結核治療中患者だったのですが、ヒロポン中毒で問題を多数起こしています。事件が起こった19日にも無断で外に出て友人宅を訪問しており、近所であった元町小学校でトイレを借りたことが事件の発端となりました。当時は、小学校は誰でも入れるような開けた施設であったという時代背景があり、特にトイレは公衆便所としての役割を果たしていたそうです。いまでは到底考えられないことです。

犯行を疑われたフィギュア萌族たちについて

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奈良での殺害事件において、当初はフィギュア萌え族の犯行ではと噂されていました。現在でも槍玉に挙げられ疑われる、フィギュア萌え族による犯行とは一体何なのでしょうか。これらの言葉の成り立ちや意味について解説していきます。

フィギュア萌え族の成り立ち

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この言葉が生まれるきっかけとなったのは、それこそ今回の記事で紹介した奈良小1女児殺害事件です。当時コメンテーターであった大谷昭宏が、この事件の犯人を、疑似恋愛体験ゲームや恋愛を主眼に置いたアニメといったサブカルチャーに傾倒しているフィギュアオタクと発言しました。発言の意図としては、少女をモノとして扱い犯人の支配欲や征服欲を満たそうとしたのではないかと推測したためです。

これらを象徴する言葉としてこの言葉を作り出した後、自分が関わる番組やテキスト類において、しきりにこの言葉を使用し、事件に対する自分の主張を行っていました。

なぜフィギュアだったのか?

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なぜ象徴としてフィギュアを持ち出したのでしょうか?それは大谷昭宏氏がキャラクターがフィギュアとして商品化されている恋愛ゲームを含むサブカルチャーを批判するために、事件と紐付けて批判するためには人間の手による被造物すなわち「人形」がちょうど良かったのではと言われています。

しかしそれらはあくまで推測であり、被害者が人形のように、「モノ扱い」された凄惨な事件というのも事実であり、この推測は一概に間違いとも正しいとも言えるものではありませんでした。

小林薫はフィギュア萌え族ではなかった

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彼は小児性愛者と診断されましたが、大谷昭宏が指摘したようなフィギュア萌え族であったかと言われれば、それは否定されている。というのが定説でしょう。

事実彼の自宅から押収されたものは、児童ポルノのビデオが多数発見されましたが、アニメなどの所謂サブカルチャーに属するようなフィギュアは一つとして発見されませんでした。ましてや、恋愛ゲームに必要なパソコンやゲームに属するものも見つかっていません。

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弁護士は、アダルトアニメを高校生の時に見たことで、性格を歪ませてしまったと発言していましたが、強制わいせつを彼が行ったのは14歳のときであり、時期的にも合わないことが指摘されています。

フィギュア萌え族発言を巡る様々な意見

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大谷昭宏のフィギュア好きのオタク(と言われる人達)全体を、犯罪者予備軍と断言しかねない発言は、様々な批評や考察が飛び交いました。

これに対し、大谷氏は、批判する人たちに対し一方的に恨みを抱き、彼らの大多数がアニメなどを趣味としてる人達と一方的に断定した上で、自身を批判する人たちは犯罪者予備軍である、といった図式を喧伝することで、復讐心を満たしたと考えられています。

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この行いは時間が経った現在でも多少の爪痕を残しており、犯人の趣味嗜好にアニメやフィギュアがあった場合、メディアには槍玉に挙げられるという傾向が強くなっています。

小林薫は自分の欲求のために少女を殺した殺人犯だった

彼が引き起こした事件や、彼の足跡をたどってきましたが、彼がどんなに悲惨な過去や経験を持っていたとしても、彼の罪が到底許されるものではありません。彼の身勝手さが生み出した悲惨な事件であることは明白です。

しかし、様々な問題も提示した事件であったようにも思います。死刑を望んで残虐な行為に走り、結果として彼の望み通りの死刑を言い渡したことは、本当に罰足りうるのでしょうか?これは死刑を望む第二第三の小林薫を生み出す前例にもなってしまうのではないでしょうか?

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度々死刑制度についても話題になりますが、長い時間をかけて少しでも正解に近づく答えを人類全体で探っていきたいですね。

遺族の心の傷が少しでも癒えるのを願い、被害者の冥福を祈るとともに、この事件を礎にし、安心・安全な社会づくりを目指して生きていきましょう。

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