ゴーストタウン50選!日本から海外まで紹介!人が消えた街の魅力とは?

福井県大飯郡にかつて存在していて民が住んでいた集落です。ほぼ周りには森や山しかない様な自然あふれる場所であり、50年以上前に関西電力はこの地一帯を、水力発電およびダムを開発しようと計画して集落に住んでいた民衆を立ち退かせました。

しかしダム開発に伴い多くの森林が伐採されるということが判明すると、地元に住んでいた民間人たちは一斉にダム開発に反対して計画は中止になりました。中止になったものの一時的に立ち退いた民衆はこの集落に戻らず。30年ほど前に最後の村人がいなくなってしまい『廃村』と化してしまいました。現在でも関西電力やダム、水力発電の反対を訴える看板が残っています。

日本のゴーストタウン⑫徳山村(岐阜県)

Pexels / Pixabay

岐阜県の揖斐郡にかつて機能していた場所です。マップやストリートビューなどを見ていただければ一目瞭然であり、その場所は現在は青色や水色で印字されており、つまりは『陸地』ではなく『水地』になっています。現在から34年前の昭和60年にダムが建設されることになり、村に住んでいた民衆や住民は一斉に立ち退きました。

その後数十年後経ち平成20年にようやくダムが完成し、完全にその場所は沈んで跡形も無く消え去ってしまいました。開発や工事がされる前、そこには母校となる小学校も設立していたため、卒業生などが最期にその姿を見ようと、名残惜しみその地に訪れたそうです。

岐阜には他にも

現在は日本全国各地に展開している、岐阜県の巨大な『イオンモール』になっていますが、かつてもショッピングモールであり、しばらくは『廃墟』と化していたそうです。廃墟になったいきさつやきっかけなどを知りたい方は是非こちらの記事を合わせてご覧ください。

日本のゴーストタウン⑬沓津集落(長野県)

Quangpraha / Pixabay

スキー場や温泉など恵まれた自然とレジャー施設、名所や観光地が設けれられている長野県飯山市に機能していた場所です。現在から47年前の昭和47年3月、生活していた住居人が一斉に集団で転居してしまい、『廃村』と化してしまいました。その年に場所にあった小学校も廃校となりました。

現在でも国や自治体によって手広く管理されている為か、建造物や施設などが比較的綺麗に残っています。残された小学校の校舎は現在でもコミュニティーセンターや公民館として地元住民が利用していますが、一般人は侵入不可になっていてその場所の入口付近には『立入禁止』の看板が立てられています。

日本のゴーストタウン⑭夏焼集落(静岡県)

kareni / Pixabay

静岡県浜松市に位置しているエリアです。浜松市と言えば全国的にも知名度のある市街地で、静岡県内でもトップクラスの都市であり、都心部の景色はそれこそ『廃墟』『廃村』とは無縁なのですが、海から離れている山や森に囲まれている場所に異境のような地がありました。

実は現在でもここには村人や居住者がいて、ちゃんと一つの村として機能しているのです。都心部や市街地からあまりにも離れている事から『異境』や『秘境』なんていう風に言われています。浜松市民がどれほどこの場所を知っているか気になるところです・・・。

日本のゴーストタウン20選~近畿地方編~

Barroa_Artworks / Pixabay

本州の中間や西武に位置するエリアで西日本の中核でもある『近畿地方』にあった『廃村』や誰一人として生活していない『場所』を次にご紹介していきます。かつてどんな出来事があったのか、現状はどうなっているかなど詳細を分かり易くまとめていきます。

日本のゴーストタウン⑮櫃坂峠(三重県)

Quangpraha / Pixabay

これまでご紹介してきた『ゴーストタウン』の多くは昔、村や町であった場合が多いですが、今回ご紹介するのは一風変わって『峠』なのです。三重県の県庁所在地であり、日本で初めて『市』が造られた場所でもある津市内に今なおある峠なのです。

現在でも国道及び街道がすぐそばを走っていて、そう遠くない過去には『宿泊エリア』として栄えていましたが、現在から44年前の昭和50年に民間人や住居人が一斉に立ち退いてしまい、廃れていきました。宿泊場や民家などは残されており、主要な道路がいくつか走っている為かストリートビューでその姿を一見できます。是非興味のある方は一度見てください。

日本のゴーストタウン⑯今畑集落(滋賀県)

Free-Photos / Pixabay

山の登山道の入り口近くに位置していた場所で、標高400メートル近くの場所にありました。機能していた昔から車が走れる様な広い道路などは無く、人力即ち徒歩のみで食料などの物資を運んでいたのです。

一番栄えていた時には約20あまり住居がありましたが、現在からちょうど40年前の昭和54年に『廃村』という位置づけになりましたが、この時まだ数名居住者がいました。けれども現在から21年前の平成10年には人口が0人だという事が行政上確認されました。現在では腐り果てた住居の跡や損壊している建造物が残っています。

日本のゴーストタウン⑰八丁村(京都府)

Free-Photos / Pixabay

京都府京都市に昔あった場所です。昔から辺り一帯には恵まれた良質な森林が生息していて、それをめぐって二つの村の争いや境界線の論争が絶えなかったそうで、100年以上前には神社が建てられてたり、現在でいうところの小学校、中学校にあたる施設が設けられましたが、数十年後に廃止されました。

また冬や寒い時期になり雪が降ると、主要な道路に雪が積もったりして交通がストップしてしまい、他の村や市街に交通する事ができなくなるという不便な立地などを理由に、次々と村を離れる人たちが増え続け第二次世界大戦が起きる直前には、人口が0人になってしまい廃れてしまったのです。住居や小屋のほとんどは解体されており、石や岩の塀しか残っていません。

日本のゴーストタウン20選~中国・九州地方編~

EliasSch / Pixabay

さあ日本の20選も残りわずかとなってきましたが、最後に本州の最西部である『四国地方』及び日本の最西端である『九州地方』から3つほど、廃れてしまった村のことをご紹介していきます。なぜ人々がその地から去っていったのか?一体何が起きたのか?など詳しく過去と現状をまとめていきます。

日本のゴーストタウン⑱板井原集落(鳥取県)

PDPhotos / Pixabay

鳥取県の県庁所在地でもある鳥取市にあった『場所』です。鳥取市内を流れる川の谷間に位置しており、上流側は智頭町のエリアと、下流側は鳥取市のエリアに別れており、『廃村』と化してしまったのは後者であります。現在から44年前の昭和50年に、その場所に住んでいた民衆が集団的に『転居』して人口が減り0人になりました。

上流側の智頭町のエリアも過疎化が進んでいますが、数人の居住者が今なお住んでいるので現在も村として機能しています。尚現在もかつての集落の跡がほぼ形を変えずに残っており、その歴史は江戸時代まで遡ることから『文化遺産』としても注目されています。

日本のゴーストタウン⑲丹波集落(広島県)

5187396 / Pixabay

広島県の県庁所在地でもあり第二次世界大戦では原爆が投下された広島市に遠い過去にあった『場所です』。現在から1000年近く昔にある武人や武将がその身を隠して生活するために発祥したのが、この『地』の始まりと言われています。

歴史が古いためかいつの時代にどれだけの人間が住んでいたのかも、いつその村から人が去っていったのかもあまり判明していません。現在でも市街地からは離れて辺りには森や森林に囲まれている事から、立地的な問題が原因と考えられます。

日本のゴーストタウン⑳寒川集落(宮崎県)

12019 / Pixabay

宮崎県西都市にかつてあった『場所』です。ドキュメンタリー映画の舞台ともなった地であり、知る人は知っているそんな『廃村』です。その歴史は長く、昔からその豊かな自然を生かして森林伐採などの林業で栄え、明治時代には数百人がこの場所を棲家として生活していたと言われています。

第二次世界大戦で敗戦した後、マッカーサー率いるGHQにより急速に成長を遂げていく都市部や市街地があるなか、この集落はどんどん過疎化が進んでいき、現在から30年前の昭和64年及び平成元年に最後の居住者たちが国の政策により、隣町の市営住宅に移転して『廃村』となりました。

大陸別!世界のゴーストタウン30選~アジア編~

sasint / Pixabay

これまで日本国内にかつて存在していた集落や村、ゴーストタウンと呼ばれるような場所を、20選ほど余すことなくご紹介していきました。全国各地に至る場所に廃村や廃墟が存在していることがよく分かっていただけたのではないでしょうか?また興味を持っていただけたはずです。しかしながらその多くは国に管理され立入禁止となっているので注意しましょう。

続いてはいよいよ日本を飛び出して、この地球上、世界中に存在する廃れてしまった市街や村などをどんどんご紹介していきます。果たして過去にその場所で何が起こったのか、どういう理由で人々がいなくなってしまったのかなど、過去や現状の概要、詳細を解説していきます。まずはユーラシア大陸全域のアジア編です!

世界のゴーストタウン①アグダム(アゼルバイジャン)

werner22brigitte / Pixabay

ヨーロッパ大陸とアジア大陸をまたぐ、かつては旧ソ連の構成国であったアゼルバイジャンの西南に位置する村です。現在から32年前の昭和63年に現在のアルメニア人率いるアルメニア共和国とアゼルバイジャンで民族自治州を巡って激しい紛争が起きてしまいました。

6年間も紛争は続いて結果的にはアルメニア人およびアルメニア共和国が勝利するのですが、この村はその紛争中も最前線に位置していたため、兵器や銃の弾丸などによりどんどん廃れてしまい、廃村と化してしまいました。以前は50000人以上の国民が住んでいたと言われていて、戦争や紛争の悲惨さのこの村には強く残っているのです。

世界のゴーストタウン②シューシ(アゼルバイジャン)

MasterTux / Pixabay

こちらもアゼルバイジャンの南西に位置する村なのですが、性格には先ほど解説したアルメニア人、アルメニア共和国が勝利して独立した(国際的には認められていない)民族自治州の支配下となっていて、こちらも紛争の最前線であったため大きな被害を受けて、その残骸や跡が現在でも残っています。

NEXT 世界のゴーストタウン③アルゲ・バム(イラン)