新潟少女誘拐事件とは?佐藤宣行の生い立ちや出所後、佐野房子の現在も

少女を探すためにチラシを配り続ける両親でしたが、それでもさらった犯人に関しての情報は見つかりませんでした。警察も加わって数百名のかなり大きな調査が行われたものの、前にも書いた男性が前に行った犯罪がリストに書き漏れていたこともあって調査は上手くいっていませんでした。

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少女を探すためにチラシを配り続ける両親ですがなかなか見つかる事ができず、次第にこの付近にはいないのではないかと噂されるようになり、あきらめ始める雰囲気になります。家族は次の方法として少女を探してもらうために団体に連絡を入れるのです。

特定失踪者調査会への情報協力

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チラシを配っても一向に少女の情報が分からない家族は、いなくなった国内の人を探す市民の団体に連絡をしました。これにはこの当時国内で問題になっていた北朝鮮が人をさらっている問題が関係していると疑惑があったからだと考えられています。

連絡をした団体はこの問題を元にして生まれた団体で、彼らの考える何か理由があってどこかに行ってしまうのではなく、突如いなくなってしまう人に関して調査を行う団体です。加速は少女がこうした問題に巻き込まれてしまったのではないかと考え連絡を取ったのです。

北朝鮮の拉致も疑われていた

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先の見出しにも取り上げたように、家族は中々少女の情報が出てこない為海外に攫われてしまったと疑い少女の調査を団体に頼む連絡をしました。この頃のこの問題は大きく、さらわれたとされる国内の人は団体の調査した数だけでも数百名にまで上るほどでした。

このさらわれたとする人物たちですが、これに関して団体は国が率先して調査に乗り出してもらいたいと話しているものの、全ての人物がこの問題でさらわれたとは言えないとして踏み切れておらず、これに合わせて少女の調査も団体は上手く行えていませんでした。

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このように少女を探すために多くの方法を家族はとっていました。ですが警察が犯人の男性が最初に行った犯罪に関してしっかりと性的な犯罪を犯した人物が書かれたリストに書き漏らさずにすれば、もっと早く少女は見つかったのだとも推察できます。

新潟少女監禁事件の犯人佐藤宣行の事件後の母親は?

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ここまで事件の中で少女を見つけるために何をしたのかに関してまとめました。ではここからは事件の犯人の男性の母親が、事件後どうなったのか、取材を受けた際の内容と共に男性をどのように思っていたのか見ていきます。

事件後母親は毎日のように事件の影に追われていた

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この事件が発生した際、情報機関がこぞって男性を取り上げたのですが、男性の母親にも数多くの取材や取り調べが行われました。事件の行われた場所に一番近くにいた人物として毎日事件に関しての取り調べを受け、車で家から運ばれていきました。

事件が発生して数か月が過ぎると当時は毎日張り込まれていた家には誰もいなくなり、家に誰かいるのかも怪しいほど静かになりました。しかし男性の母親は事件の後もこの家に住み、一階の部屋で暮らし続けていました。そんな中、ある記者が彼女の取材を行ったのです。

佐藤宣行の母親は事件後取材を受けていた

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週刊誌の記者が男性の母親の取材を始めた頃、女性は呼吸をするのも苦しい状態で専用の機材がなくてはならず、鼻には管がつながっている状況だったと話しています。これまで取材には応じなかった女性が答えた理由には誰にも会わなかった寂しさもあるのではと推察します。

取材の中で母親はなぜ2回に上がらなることがなかったのかと聞かれると息子が嫌がったからだと話しており、食事の際にも顔を見ておらずに部屋の前においていました。トイレも使っていなかったことを知っており奇妙な生活の様子が取材の中で分かりました。

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記者では初めて部屋の様子を見せてもらい、事件の当時と変わらない様子だったことが分かっています。床には長年の劣化から汚れ切っており割れていることも伺え事件が終わった後もこの部屋には何も手入れをしていない事が伺えます。

取材の中で母親は被害女性に対して他人事の様子だった

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記者の話の中で男性がさらった少女に関しての話になると、母親は少女に関しては申し訳ないことをしたと話していました。しかし考えればこの事件では母親が男性の部屋に入っていればこの事件はすぐにわかることで、この発言からは男性との関係も含めかなり他人ごとのようにも見受けられました。

取材をした記者がこの後に再び家を訪ねたところ、家にはくぎが打たれており取材をした時とは全く違い人がいる感じは全くなかったそうです。他にも事件が知られるようになって窓を割られるといった被害もあった事から母親は引っ越したのだと考えられます。

新潟少女監禁事件以外の日本で起きた監禁事件を紹介

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ここまで事件の後の男性の母親がどうしているのか、貴社が行った取材とともに見ていきました。こうした事件はあってはならないのですが、国内では似た事件が複数起きています。ではここからは今回のような事件に関してみていきます。

新潟少女監禁事件以外の日本で起きた監禁事件①北海道・東京連続少女監禁事件

この事件は数年間にかけ複数の少女が一人の男性に拘束を受けた事件です。男性は青森県の裕福な家に生まれた人物で、成人向けのゲームにはまっていました。母親が亡くなったことがきっかけで心に深い傷を残し家を出て一人で生活をしていました。周りには今回の事件を思わせるような話をしていました。

その後男性は北海道で会った当時20代だった女性を自宅に連れてきて拘束し、暴力行為を行いました。この部分は今回の事件の犯人と似通った部分だと考えられます。また、女性に首輪をはめて高圧的に接したりと心を疲弊させるような手段も行っています。

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男性は東京に移り住んだ際にも同じような事件を起こし、この時も最初の事件のように体と心を支配するように暴力を振るい少女を拘束しました。その後男性は捕まえられ、裁判になるのですが精神的な病気を患っているとの判断から14年の刑が課せられました。

北海道・東京連続監禁事件に関してもっと深く知りたい方はこちらの記事もチェックしてみてください。

新潟少女監禁事件以外の日本で起きた監禁事件②中学2年生女子拉致・監禁事件

この事件は当時まだ中学生だった少女を男性がさらい、数年間男性の部屋で生活させたもので、今回の事件とかなり似ている部分が多いことでも知られています。この事件の中で男性は少女を部屋に拘束しておきながら大学に通学しており、この部分が注目を集めました。

捕まえられた際の取り調べの中で男性は中学校の頃からさらいたい願望があったと話し、車を使って場所を何度も訪れたり学校から帰るまで少女を付け回す行為を繰り返し行っていたことを話しました。学生の頃からのこうした願望が一気に噴き出した結果ともいえる事件でした。

事件の中で見えてくる犯人の奇妙な点

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事件には妙な部分がいくつかあり、一つ目に少女とどのような生活を行っていたかがあります。少女は今回の事件の男性のように手や足を拘束されたわけでもなく、鍵もかけていた形跡がありませんでした。なのに逃げ出さなかったのは謎なッ分として今も知られます。

生活の様子もパソコンを使っても良いとは言われており見ても良いのは動画などのサイトだけだったと話しています。これを使えるのならば自分の今を他の人に知らせるために書き込むことのできる方法はいくつもあり、この部分でもどのようにして少女を拘束していたのか、事件には謎が多く残っているのです。

新潟少女誘拐事件と現在の様子

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ここまで今回の事件に関しての経緯と犯人の男性、警察の適当な対応や少女の現在に関してまとめました。この事件は男性がかなりの期間少女を拘束していたものであり、そこで行われた暴力によって少女には想像できないほどの傷を残してしまった事は間違いありません。

ですが噂では少女は現在回復しており、この社会で普通の生活を名いっぱい楽しんでいるとのことでした。もしそうであれば再会できた家族とともに暮らしていって欲しいと感じます。少女の現在が素晴らしいものである事を、本当に願います。

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