【女子高生コンクリート詰め殺人事件】概要と拷問、犯人の現在まで解説

裁判は『第一審』から『最高裁』までにおよびましたが、まず先に犯罪者集団たち一人一人に言い渡された判決結果をまとめていきます。ここまで読んでいただいた読者の皆さんも、事件の概要を既に知っていた日本人の大勢や世論も、血も涙もない彼ら犯人たちに望む判決は『極刑』でしょう。

ここで問題となってくるのは日本の法律。その法律は『少年法』と呼ばれるものであり、彼らはその少年法の対象となる『未成年』だったのです。そして彼らはその少年法を逆手にとって行使したと言っても過言ではないのです。それでは遺族や国民が腑に落ちない『判決結果』をご紹介していきます。

宮野 裕史の判決

主犯に当たる人物で、彼もこの記事内で解説した様々な非人道的行為や卑劣な犯行に及んだ諜報人であり、人の風上にも置けない少年なのですが、言い渡された判決はなんと『懲役20年』でした。求刑が『無期懲役』なのに対して非常に軽い刑罰となってしまったのですが、日本の法律である『少年法』が鬼畜な少年を守る事態となってしまったのです。

当然ながらこの判決に納得がいかないのは遺族だけではなく、国民の多くや世論も同じで論争が起こりました。またこの事件は31年前に起きているのです。つまり鬼畜で畜生な彼は既に世に解き放たれているのが現状なのですが、大変気になる現在の事については後程詳しくご紹介していきます。

小倉 譲の判決

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彼も犯罪者集団の一人です。前述で解説した通り人の道を大きく外れた行為や暴行、拷問を行った人物です。しかし彼に言い渡された最終的な判決結果はなんと懲役5年から10年までの『不定期刑』でした。

この不定期刑というのは囚人の態度や改心具合によっては、それを考慮して禁固年数を前後させるというものです。この刑罰も『少年法』に準ずるものでやはりここでも日本の法律が極悪犯罪者を守る結果となってしまったのです。

湊 伸治の判決

彼は現場となった凄惨な一室がある自宅の住人であり、また他の犯罪者集団たちと一緒に悍ましい所業や卑劣な犯行に加担した人物であり犯人です。彼に言い渡された最終的な判決結果は懲役5年から9年の『不定期刑』でした。彼も少年法を逆手に取った結果になりました。

渡邊 恭史の判決

告訴された最後の犯罪者集団たちの一人であるこの人物もこれまでお話ししてきた、血も涙もない所業や悍ましい犯行に及んだ鬼畜な少年の一人です。そんな彼に言い渡された、最終的な判決結果は懲役5年から7年の『不定期刑』でした。

つまり犯罪者集団たちすべての人物が未成年であったために、『少年法』を逆手に取られて、日本の法律に守られる結果となってしまったのです。あれほどの惨たらしい鬼畜な所業働いてこれだけ軽い判決結果に遺族だけではなく、世論も納得がいかず問題視されました。

第一審・東京地裁での様子

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現在からちょうど30年前の昭和64年、つまりは平成元年7月に最初の裁判が開かれました。場所は東京都23区の千代田区に位置する『地方裁判所』です。まず初めに犯罪者集団たち、未成年である鬼畜な少年たちが自ら供述するのではなく、担当した弁護人が代わりに供述しました。その供述で主犯の『宮野』のみが明確な殺意があり、他3名は殺意はなく『傷害致死』にあたると主張しました。

この判決結果では最終的な判決結果よりも禁固年数が少ない、つまりは軽い判決が言い渡されました。犯罪者集団4人を担当する弁護士はこの結果に刑罰が適切ではなく重すぎると驚いたそうです。主犯と準主犯以外の2名の弁護士はこの刑罰は不当なものである。もう一度裁判を行うように主張して、東京高裁に『控訴』しました。

検察の主張など

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また検察が話した内容には、ドラム缶に死体を遺棄する計画をした際に、1名はその中に花や被害者女性が好きであった『ビデオ』などを一緒に供えようとしたが、他2名はだれか識別できてしまうから止めようと反対した。というものがありました。

精神鑑定の実施

犯罪者集団たちを担当する弁護人は、彼らの犯行は暴行が行き過ぎてしまったものだとして、『精神鑑定』の実施を申請してこれが認められると、4人全員に精神鑑定が実施されました。集団的に作用する犯罪心理によるものだと結果がでました。またその上で弁護人は彼らの『家庭環境』や学校でのいじめや虐待があったことも指摘しました。

精神鑑定の結果主犯格の『宮野』に関しては軽度ではありますが、脳に異常が見られたようで、精神面の発達が遅れていて、高校を辞めてからは自らが悪いという特殊な心理状態に陥っていたことが分かりました。その特殊な心理状態を持った仲間たち、いわゆる不良が集まって暴力を働くようなったと考えられたのです。

主犯以外の3名は

主犯以外の3名は、主犯に逆らった行動をとると何をされるかわからないとして、犯行を行わないといけない立場であったことが主張されました。これも一種の集団的な犯罪心理と考えられます。しかし準主犯の『小倉』は自らが指示によるものではない『所業』を行った事実もあることも指摘されました。

控訴審・東京高裁での様子

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第一審から2年後の平成3年3月に裁判が開かれました。場所は同じく東京都23区の千代田区に位置する『高等裁判所』です。検察側はこれまでの判決は軽すぎるとして『量刑加重』を主張して、一方の犯罪者集団たちを担当する弁護人は刑罰が重すぎるとして『量刑減軽』を主張しました。ここで最終的な判決結果が言い渡されたのは3名で、判決結果は前述で解説した通りです。

裁判長は刑を言い渡す前にまず『一回目の裁判での判決結果は軽すぎる』と言及しました。家庭環境での虐待や学校生活でのいじめ、脳に軽度の障害が見られたとしても同情もできないし、未成年であったとしても責任が大幅に軽くなる事は正しくないとしました。また犯罪者集団の1名は、この判決が不当だとして最高裁に上告しました。

上告審・最高裁第三小法廷での様子

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東京高裁の一年後の平成4年7月に最高裁で法廷が開かれました。上告が認められるような形になり、刑罰の減軽が認められて全ての最終的な判決が下されました。初めの裁判の詳細な内容が非常に多いので、気になる方はぜひご自身で調べてください。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人とは

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先ほどの見出しでは、今回ご紹介している日本で起きたトップクラスに凄惨な事件の犯人たちそれぞれの判決結果や裁判の様子をご紹介していきましたが、今皆さんが抱いている気持ちのように、当時から現在までの世論のほとんどは実刑が『軽すぎる』という声があがっています。

少年法の内容の中には殺人などの凶悪犯罪を犯した犯罪者だとしても、未成年であれば世間に『実名』が公開しないという規定がありますが、今回の彼らの所業は極めて非人道的であり惨すぎるので、犯罪者集団たちそれぞれの名前が実名で公開されました。さて次に鬼畜な彼らの詳細や生い立ちについてご紹介していきます。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人は少年グループ!

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この記事の中でも何度かお話ししていますが、彼ら犯罪者集団たちは全員未成年であり『少年』たちの『不良グループ』なのです。日本ではこの時代に未成年による凶悪犯罪が行われた事件が目立ちました。未成年が非行に走る大きな要因は幼少期や少年時代の家庭環境や両親の影響だと考えられています。

昭和中期や後期にかけては父親や母親になった人の中には、まともな常識人ではなく、親としての真っ当な愛情を注がずに教育を怠った者が多かったのかもしれません。さて次にその犯人グループの中のメンバーの判明している詳細や生い立ちなどのプロフィールをまとめていきます。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人① 宮野 裕史

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現在から49年前の昭和45年4月生まれです。今回の事件の『主犯格』です。犯行当時は18歳であり、過去には『柔道』の経験があり数々の大会で優秀な成績を収めており、優勝も何度も経験しているそうです。高校生になると何があったのか詳しくは語られていませんが、恐らくは先輩たちからのいじめにより中退していきます。

高校を辞めた後は、地元周辺に会社があった『タイル』の工場のような場所に勤務していたと言われています。またこれまでに中学生時代、小学校時代、幼少期などには目立った『問題行動』や非行はなかったそうです。高校生になってから彼をモンスターに変えてしまったのかもしれません。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人②小倉 譲

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現在から48年前の昭和46年5月生まれです。彼が物心つくまえから両親の仲が悪く離婚しました。その後母親に引き取られて生活していましたが、一時期父親のもとで生活したこともありましたが、また母親の元に戻ったそうです。

彼も小中ともに目立った非行や問題行動は見受けられなかったそうです。また運動熱心でスポーツに打ち込んでいたようですが、スキーをしたときに不慮の事故が起きてしまい『骨折』してしまいました。それを機に運動が出来なくなってしまいました、高校生になると勉強の意欲がなくなって不登校になっていったそうです。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人③湊 伸治

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現在から47年前の昭和47年12月生まれです。彼の父親は厳格な性格で教育も厳しかったと言われています。与えられた家事などのきまりを怠ったり破ったりすると、すぐに母親から父親に伝わり寝ていても暴力を振るわれて起こされたそうです。また父親はいつも仕事から酔っぱらって帰宅して、定期的に彼と兄弟に暴力をふるったそうです。

上記の生い立ちについては彼が弁護士に供述している内容なので、もしかすると自分の立場を有利にするために嘘をついているかもしれませんが。本当であればなかなか『劣悪』な家庭環境であり、両親に問題がある可能性も出てきます。彼の自宅が犯行現場及び拘束場所になりました。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人④渡邊 恭史

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現在から48年前の昭和46年12月生まれです。彼の両親も仲が悪く、別居した後そのまま離婚しています。その後はお姉さんと母親の2人で彼の面倒を見て教育しました。(母子家庭は非行に走り易く不良になりやすい傾向があります)何をしたのかは分かっていませんが、『少年院』に入っていたこともあったのです。

そこでは他の少年たちからいじめや暴行を受けていたことが明らかとなっています。犯罪者集団たちのなかで一番小柄で声も小さいです。中学時代には教師に体罰を受けていて、その影響で頭部の一部が『白髪』になっていました。高校生になると数日間で不登校となりました。

女子高生コンクリート事件の被害者女性とは

犯罪者集団たちの一人一人の過去の経歴や生い立ち、生年月日などのプロフィールについてまとめてご紹介していきました。実名やちょっとした過去については明らかとなっていますが、多くは語られていません。しかしその公開されている情報だけで判断すると、一見どこにでもいるような『不良』たちのような気がします。

続いては今回の事件の被害者であり、非人道的な犯行や悍ましい所業の数々を受けて最期には無残に命を奪われて、遺棄されてしまった当時女子高生の彼女の詳細や生い立ち、人物像などのプロフィールをご紹介していきます。どんな女性だったのでしょうか?

女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者「古田順子」さん

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現在から48年前の昭和46年生まれです。当時は17歳であり高校3年生でした。彼女が通っていた高校は現場となった埼玉県三郷市と東京都足立区の隣町に当たる、八潮市に位置する商業高等学校でした。一説によれば彼女は『アイドル』に憧れていたそうです。

同級生たちや友人の話では、勉強もできる優秀な生徒であり明るくて友達も多くて、美人で知られていたそうです。また高校3年生の2学期に差し掛かる時期でしたが、この時すでに就職先が決まっていたようです。葬式には学校の同級生や友人など多くの人たちが参加しました。

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