それが、男子文化部活棟であるカルチェラタン存続の為に、学生が学園に働きかけるという構図にどこか似ていますよね。
また5月革命が起こったのが1968年、「コクリコ坂から」の舞台も1960年代と、時代的にも近いですね。
カルチェラタンのメッセージ①当時の学生達の熱意
当時は学生運動が盛んで、学生達は熱意に溢れ、非常に活気のある時代でした。そんな熱い空気感が、古くから大切にされていたものを、学生みんなが一丸となって守るというストーリーに表れていますね。
そこには打算や損得勘定といったものは微塵も感じられず、爽やかで眩しい世界が広がっています。それが映画を鑑賞する私たちの心を動かすのかもしれません。
カルチェラタンのメッセージ②あるものを大切にする重要さ
昔はモノが無かったことから、何でも最後まで大事に使っていました。しかし海の生きる時代は、東京オリンピックを控え、「古いものより、新しいものの方が優れており、古いものは排除する」という思想が主潮でした。
映画の舞台になった時代の数年後、日本ではその思想が色濃くなり、工場でどんどんモノが作られ、自然が破壊され、公害の問題も深刻化しました。環境問題に対する警鐘は、他のジブリ作品でも多く見られますね。
このような時代の流れに流されてしまうのではなく、大量生産、大量消費に疑問を持ち、今一度古くからあるものを大切にする重要さを、カルチェラタンを守るということを通して伝えたかったのではないでしょうか。
カルチェラタンのメッセージ③様々な角度から視線を当てることの大切さ
カルチェラタンをただ存続させたい!と自分達の主張を叫ぶだけでなく、海のような、どうすれば取り壊し派の人もカルチェラタンを存続させたくなるだろう?という相手の視点に立つ考えが、解決の糸口となりました。
男子文化部以外の学生たちの、取り壊し問題に対する冷ややかといっていい他人事のような目線が、掃除に参加することで、いつのまにか当事者の目線に変わっていく様も、作品の中で鮮やかに表現されていましたね。
さまざまな角度から問題を見る冷静さと、相手の立場に立つことの優しさにも気づかせようとしているのかもしれませんね。
カルチェラタンは日本にもある?!
実は日本にもパリのカルチェラタンにちなんで、大学が集中している場所を「日本のカルチェ・ラタン」と呼ぶことがあります。
映画の舞台というわけではないのですが、かつて学生運動の主戦場だったりと、その場所の歴史を紐解くと、映画の世界とリンクしていると思えるような部分もあるようです。
東京都千代田区駿河台周辺はカルチェラタンと呼ばれる
では日本のカルチェラタンは一体どこなのでしょうか。東京都千代田区の駿河台周辺が「日本のカルチェ・ラタン」と呼ばれたり、「神田カルチェ・ラタン」と呼ばれているそうです。
ここではパリのカルチェラタンと同様、学生による運動(神田カルチェラタン闘争)が起こされたことから、このように呼ばれることがあります。今の街の様子と比べると、全く想像できませんね。