附属池田小事件とは?宅間守の生い立ちや「逃げた教師」岩崎真季の現在に迫る

附属池田小事件は、大阪教育大学附属池田小学校で8人の生徒が殺害された無差別殺人事件です。附属池田小事件ではその残忍な犯行の他に、「逃げた教師」岩田真季への批判が相次ぎました。この記事では、附属池田小事件の概要や犯人の生い立ち、事件のその後も紹介していきます。

この記事をかいた人

初めまして。皆様の関心と興味を引き付ける記事をたくさん書いていきます!
Array

附属池田小事件とは?宅間守の無差別殺人事件

皆さんは現在から18年前の平成13年6月に起きた惨劇のような事件をご存じですか?この事件ではまだ10歳足らずの幼気な少年少女たちが1人の凶悪殺人犯によって、容赦なく傷つけられて何人かの尊い命が奪われてしまったのです。当時は日本国内だけではなく世界にこの惨烈なニュースが知れ渡り大勢が阿鼻叫喚しました。

本来は避難場所になっていたり教師や先生といった、親の次に子供の事を諭して教育する大人がいて、児童たちが安心して生活できるはずの『小学校』が現場となり、10分以上にまで及んだ惨劇の舞台となってしまったのです。今回はこの事件の概要、凶悪殺人犯やある疑惑が生まれて世間から非難された『担任』についての詳細を徹底的にまとめていきます。

附属池田小事件の概要

DariuszSankowski / Pixabay

これからご紹介していく児童たちが狙われた痛ましい事件は、『サイコパス』や『反社会性』という要素が顕著に表れている1人の凶悪な男によって引き起こされました。凶悪な男の名は『たくままもる』といい、彼が残した痛々しい傷跡や驚愕する悍ましい所業の数々と共に、その名前は世間から忘れ去られることはないでしょう。

その当時まだ被害者たちと同じような幼気な子供だった方、少年女子だった方などはこの悲劇に関してあまり知らないという人も少なくないはずです。そんな人たちや今一度振り返っておきたい人たちのためにも、まずはこちらで事件当日の詳細な概要を順番に分かり易く解説していきます。あの日小学校で一体何が起こったのでしょうか?

犯人の宅間守が出刃包丁を持ち池田小学校に

JJuni / Pixabay

6月某日この日は水曜日で平日でした。社会人は職場に仕事をしに生徒は学校に勉学を勤しみに。といつもと変わらぬ午前中でありました。時刻は10:00を回っておりその小学校では2限目の時間帯だったと考えられます。ある悍ましい犯行を計画していた凶悪殺人犯は『出刃包丁』を所持して、小学校に向かいました。

現在では登下校の時間帯でもない限り、校門や入口などは閉められて施錠もされているはずですが、このときはまだセキュリティーが徹底していなかったのか、凶悪殺人犯の侵入を簡単に許してしまい校舎内にも踏み入ってしまっていました。こうして何も知らない児童たちに魔の手が刻々と確かに近づいていったのです。

校舎東端にある2年東組に向かう

Myriams-Fotos / Pixabay

恐らくは凶悪殺人犯はターゲットにしていたクラスルームはなかったと考えらえれますが、凶悪殺人犯は校舎の最東端に位置する2学年のクラスルームへ向かい廊下を歩いていました。この時数名の『教員』や職員とすれ違っていたそうですが、PTAや児童の親族だと先入観が働いてしまい、軽い挨拶を交わした程度で何も不自然に感じなかったのです。

クラスルームに到着して入室すると、まず純粋で物心がついていない少年女子たちは、大きな刃物を所持していた凶悪殺人犯のことを『給食スタッフ』と勘違いしてしましたが、すぐに担任は違うと認識して危険を察知するとクラスルームを飛び出して逃げるように叫んで指示しました。

惨劇の始まり

そして事態を理解した少年女子たちは顔色を変えて一斉にクラスルームを飛び出しました。校舎やクラスルームの造りがどんなものであるかは分かりませんが、恐らくは一般的なものでしょう。当然扉は2つしかなく、幅も児童であれば3.4人が横に並べるくらいしかありません。

すぐそばにいる凶悪殺人犯から身の危険を感じて恐怖するように数十人の少年少女たちが、その扉から慌てて飛び出したのです。そこで詰まってしまったり、足を躓いてコケてしまう子もいたのです。そうして逃げ遅れてしまった子に凶悪殺人犯は襲い掛かり、容赦なく大きな刃物を振りかざしたのです。数名が命の危険に関わるほどの『大けが』を負ってしまいました。

宅間守は2年西組に移動し教師が通報しに外へ

担任が撃退に応じてクラスルームにあった什器思いきり凶悪殺人犯に投げつけると、凶悪殺人犯は逃れるようにそのクラスルームを後にして、次に2学年の西に位置する違うクラスルームに移動して踏み入りました。刃物に傷つけた子の血が付着して垂れていたのでしょうか、また興奮状態であったので今度はすぐに女性担任も少年少女たちも『危険』を察知しました。

このクラスルームの女性担任は簡単に逃げるように指示すると、『警察に通報せねば』と自身もパッと素早くその場を去るように外に飛び出しました。(この人物が後述でご紹介する逃げた疑惑のある女性担任です)残されてしまった少年女子たちの数名が凶悪殺人犯に無惨に傷つけられ、命を奪われてしまったのです。

2年南組にさらに移動し生徒5人と教師を負傷させる

Pexels / Pixabay

惨劇はさらに続いたのです。その後凶悪殺人犯は興奮冷めやらぬまま南に位置するクラスルームへと向かいました。非情なことにこのころちょうど『2限目』の授業が終了していたので、担任は外の植物たちに水やりをしに行っていて、このクラスルームに不在だったのです。つまりは幼気な少年女子たちしかいなかったのです。

凶悪殺人犯はそれをいいことに、次々と少年女子たちを襲い刃物を振りかざして傷つけました。阿鼻叫喚のクラスルームの中で、目の前でクラスメートや友達を襲われてる光景を目の当たりにした子、襲われて傷つけられた子は絶叫して悲鳴を上げました。

教師が立ち向かうが

その児童たちの悲痛な叫び声が聞こえて、事態に気づいた男性職員2名が阿鼻叫喚のクラスルームに駆け寄り、凶悪殺人犯の暴走、残虐な犯行を止めようと立ち向かいました。しかし凶悪殺人犯は成人男性である職員に向かっても変わらず躊躇せず刃物を振り回して抵抗したため、男性職員の1人が致命傷の『大けが』を負ってしまいました。

1年南組に逃げるも教師と副校長に取り押さえられる

Free-Photos / Pixabay

男性職員2名に抵抗して逃げるようにクラスルームを飛び出した凶悪殺人犯は、次に校舎の1Fまで階段で下り1学年の南に位置するクラスルームに入室しました。この時もまだ興奮状態で更に幼気な少年少女たちを傷つけようとしていました。凶悪殺人犯はできるだけ多くの子供たちの命を奪おうとしていたのです。

そこに先ほどお話しした外の植物たちに水やりをしに行っていた『担任』が駆けつけて、刃物で身体を斬りつけられながらも必死に残虐な犯行を止めようと立ち向かいました。更にその小学校の『副校長先生』も加勢してようやく凶悪殺人犯が取り押さえられたのです。惨劇は約10分以上にも及びました。

最後の1人を刺した「あーしんど!」と包丁を手放す

ROverhate / Pixabay

その後通報を受けた警察官たちによって身柄を取り押さえられると、凶悪殺人犯は不貞腐れるように『しんどっ!』と言い放ち、自ら手に握っていた多くの少年少女たち、職員の血が付いた刃物を手放しました。

現行犯逮捕されるその瞬間の凶悪殺人犯の態度や言動からは、罪の意識を感じている。反省や後悔するような様子は伺えませんでした。不貞腐れて言い放った捨て台詞のような発言からも、ただならぬ『サイコパス』感や『非社会性』の人格が垣間見えたのです。逮捕された後の裁判などについて後述にてい解説させていただきます。

担任が戻るころには教室は血の海だった

qimono / Pixabay

自身のクラスの生徒たち、つまり残された少年女子たちを顧みず『警察に通報せねば』と真っ先にクラスルームを飛び出した女性担任は、目的通り通報を終えるとその教室に戻りました。その時にはもう既に危険な『凶悪殺人犯』の姿はありませんでしたが、傷つけられて出血している子たちが苦しそうにしているのです。

更にさっきまでは何の変哲もないクラスルームが、壁や床、什器に血が飛び知っており『地獄絵図』のような血の海となっていたのです。この惨劇の痕を見た彼女は何を思ったのでしょうか?多大なショックを受けて絶望して、また自身の生徒たちを守ってあげれなかった『罪悪感』に苛まれていたかもしれません。

PTAであり裏の顔は殺人鬼である『澁谷恭正』はこちらの記事です。

附属池田小事件の裁判の判決

mohamed_hassan / Pixabay

事件が発生した時間帯や場所。凶悪殺人犯の具体的な犯行や足取り、逃げまどう生徒たちや担任の対応など。惨劇が起きてしまった当時の状況をできるだけ分かり易くお話していきました。どれだけ悍ましく痛ましい恐怖の10分間だったか、分かっていただけたはずです。この凄惨な事件では8人もの少年女子たちの尊い命が無惨に奪われてしまいました。

また10名以上の児童や教員たちが負傷してしまいました。心に大きな傷を受けてしまった人たちも大勢います。さて血も涙もない犯行に及びこれだけの被害を及ぼした張本人である凶悪殺人犯は逮捕された後、どんな判決結果が言い渡されたのでしょうか?次に裁判の様子や判決について解説していきます。

終始宅間守の不適切発言の目立つ裁判

succo / Pixabay

凶悪殺人犯は裁判が開かれて被告として立たされているときにも、反省や謝罪する態度が見られず被害者や遺族たちをおちょくり挑発するような言動を示したのです。何度も人の風上に置けないような『不適切発言』を言い放ちました。遺族や被害者家族に向けて『どうせ判決結果は変わらず死刑に決まっているのにも関わらず、わざわざな裁判に来た阿保な奴ら』

また俺を死刑にしてくれて、命を奪った少年女子たちに向けて『ありがとう』『死んだあとのあの世でも子供たちを襲う』など発言したのです。これに対して裁判に来ていた遺族や被害者の家族たちも逆上して激高して『暴言』が飛び交う事態となりました。一連の犯行の『動機』について下記にまとめていきます。

動機について

この後凶悪殺人犯の生い立ちや過去について触れて解説しますが、少年の時から裕福な家庭や才能に満ち溢れた『エリート』人生の成功者に対して妬みやコンプレックスを抱いていました。また自身のこれまでの人生がうまくいっておらず、元嫁や社会のせいだと責任転嫁して考えていたのです。

元嫁や社会に報復しようとしていました。更に自分は死にたいという願望があり、どうせ死ぬなら罪のない誰かを巻き込みたい。沢山『道連れ』にしたいと身勝手な欲望を抱いていたのです。そこで小学校に通う将来に無限の可能性を秘めている『子供たち』を狙って命を奪おうと、事件前日に犯行を計画したのです。

初公判で話した動機

さらに凶悪殺人犯は最初の裁判の時に、平成11年に発生した、犯人は事業失敗などの災難が相次いだのを『社会』のせいにしたのを動機に、駅や構内で罪のない一般市民を無差別殺傷した通り魔事件である『下関事件』の模倣したかったと、一連の犯行の動機の一つを供述しました。

裁判の傍聴希望者が殺到し傍聴には特別措置がとられた

1195798 / Pixabay

今回お話ししているセンセーショナルを集めた凄惨な事件では、身体的に傷を負った人やその家族、我が子の命を奪われてしまった遺族たちだけではなく、学校関係者や悲劇的なトラウマを体験して心に傷を負った多くの生徒や保護者がいます。多くの人たちが当事者となったわけなのです。

多く被害者、当事者たちだけでなく世間やマスメディアからも、裁判の様子を傍でその目で見たい聞きたいという人物が殺到したのです。その数は1000人や2000人にも上ぼりました。そのため裁判側はこの異例の事態に特別な措置を取り、法廷ではなくカメラでその様子を映し出すスクリーンを設けた別室で多くの人たちを傍聴させたのです。

宅間守は精神障害者を装うも死刑判決

RoAll / Pixabay

凶悪殺人犯は逮捕された直後の取り調べでは、自身が侵入して悲劇の舞台となった『小学校』のことを何故か『駅』だと思い込んで供述したり、取調室の硬い壁面に自分の頭部を思いきりぶつけて頭突きするなど、色々な奇行を見せました。実はこれら全て精神に異常がある人の『演技』であり、フリだったのです。

実は凶悪殺人犯は以前より精神疾患や『精神障碍者』と精神鑑定で認められると、責任問題に問われなくなったり刑罰が減軽されることを『ノウハウ』として心得ていたのです。後程もお話しますが、それで幾度も犯罪を犯しては逮捕されず刑罰も受けずに逃れてきたのです。

しかし演技がばれて・・・

警察の厳しい追及や取り調べに対して、凶悪殺人犯はいよいよ化けの皮が剥がれてしまって本性を現したのです。このとき凶悪殺人犯は悔やむように涙したのですが、後悔や謝罪の気持ちから泣いたのではなく、最期まで演技を続けることができなかったためだったそうです。本人や周囲の予想通り平成15年夏に『死刑』が言い渡されました。

宅間守は初公判のみ反省した態度をみせた

Free-Photos / Pixabay

担任と副校長に取り押さえられ、警察に現行犯逮捕された際も、その後の取り調べや裁判でも、自身が犯した罪の大きさや尊い命を奪い、多くの少年女子たちを傷つけたことに対して『反省』する態度は全く見せませんでした。勿論遺族や被害者、家族、当事者に対しての『謝罪』の様子も全くありませんでした。

しかし担当する弁護人の指示や助言があったからなのか、初めての裁判のときのみ反省した態度を見せました。それ以降も『死刑』が執行されてこの世を去るまで一度も反省や謝罪の態度は一切見受けられなかったのです。凶悪殺人犯である『宅間守』という人物に焦点が当てられ、社会のセンセーショナルを集め問題となったのです。

附属池田小事件で「逃げた教師」と批判を受けた岩崎真季

Free-Photos / Pixabay

センセーショナルを集めた凄惨な事件では凶悪殺人犯である犯人にも、残虐性の犯行内容、逮捕された後の不適切な態度、問題発言などから世間から注目され話題となりましたが、ある疑惑が生まれた一人の女性教師もまた注目されて『バッシング』されて問題となり話題となったのです。

ここからは今回の記事の『メインテーマ』でもあるある疑惑が生まれている一人の女性教師の詳細や概要をお話ししていきます。名前は『いわさきまき』といい当時20代後半で、その年初めて自分のクラスを持ったばかりの担任教師だったのです。ではまずその『疑惑』について分かり易く解説していきます。

当事者(被害者)なのに実名が公開?

本来彼女は事件の立ち位置は当事者(被害者)にあたる人物ですよね。それなのになぜ全国的に実名が知られてしまったのでしょうか?それはある時代背景が大きく影響していると考えられます。その当時現在では当たり前の様に使っているネットやパソコンが普及し始めていました。

それと同時に誰でも気軽にチャットやディスカッション、コミュニケーションが取れるネット掲示板の『2ちゃんねる』が認知され始めて、利用者数が急激に増加しました。これによりプライバシー問題がまだ無法地帯だったので、簡単に個人情報やプライバシーなどが流出してしまい世間に広まるという事態が起きていたのです。

「逃げた教師」と言われたのも「空白の7分間」の存在から

annca / Pixabay

彼女の証言では簡単に逃げるように指示した後、幼気な少年少女たちを残してクラスルームを真っ先に飛び出して現場から去ったのは『警察に通報せねば』と思ってのことだと言っております。つまりは迅速に電話で警察に通報しにいったと解釈できます。

実は初めに警察が通報を受けたのは、惨劇が始まってから『5分後』であり、この時通報したのは教室を飛び出して学校の敷地外まで逃げて、周辺のお店に避難した『児童』だったのです。一方の彼女は惨劇が始まってから『7分後』であり2分間もロスしているのです。

腑に落ちない点

しかも彼女は同校舎内の『職員室』に向かっているのです。当然慌てているでしょうし『迅速』に対応しようとしているはずなので、規則で走らないと言われている廊下もきっと駆け足で向かったはずです。そうであれば本来は1.2分後には通報できるのではないでしょうか?といった疑問が生じてじまうのは致し方ありません。

岩崎真紀が警察に通報していたことは宅間守も覚えている

Free-Photos / Pixabay

被告となった凶悪殺人犯は前述でお話しした通り、逮捕された直後取り調べで精神疾患者や精神異常者の演技をしていました。また残虐性の高い惨烈な犯行、反省や謝罪の様子が見られない異様な態度などから、数名のカウンセラーや専門家によって『精神鑑定』が実施されることになりました。

実際に精神鑑定をした専門家がその後、精神鑑定や会談の様子を綴った本を執筆して発売しましたが、その本の一部に『犯行に及んでいる中で、そのクラスルームの中で携帯電話で警察に通報していた』ということをほのめかす供述があったと記述されていました。尚、これが事実か虚偽の内容なのか分かっていません。

世間から「怖くて逃げたんだろう」と批判を受ける

ijmaki / Pixabay

仮に本当に彼女の証言通りに真っ先に『警察に通報せねば』という目的でクラスルームを飛び出していたとしても、自身が受け持つクラスの生徒たち、少年女子たちを危険がすぐそばに迫っている現場に置き去りにしたという事実がありました。

その疑惑が世間にたちまち広がると、世間は彼女のことを痛烈に批判しました。『怖くて逃げただけ』『先生で大人なのに子供たちを見捨てた』『通報も嘘』『教師としてあり得ない』『生徒たちを非難させるはず』などと多くの意見や噂が飛び交う事態となってしまったのです。

岩崎真季は事件後退職、半年後に胸の内を語っている

darksouls1 / Pixabay

世間から上記のような痛烈なバッシングを受け続けている彼女は、『罪悪感』や罪の意識に激しく苛まれたことでしょう。しかし彼女も事件の被害者の一人なのです。心に大きな傷を負い、悩み苦しみ恐怖して多大なストレスが彼女が襲ったのは間違いありません。

多くの当事者たちの身と心を傷つけ、数名の罪のない尊い命が奪われた凄惨な事件の後、彼女は『教師』という職を退職しています。これが自らの選択であったのか?学校側や教育委員会の処置なのか?は分かっていません。半年後『新聞』を通して彼女は思いのふちを語りました。その内容を下記にまとめます。

逃げた教師の半年後の告白

  • 先生であるのに少年女子たちを守れなかった
  • 悔やんでも悔やみきれない
  • 本当に申し訳なく思っている
  • 謝罪の言葉が見つからない
  • 生きていいか悩んだのは1.2回ではなかった

附属池田小事件の23名の死傷者と生き残った生徒

Pexels / Pixabay

凶悪殺人犯は2限目とその授業が終わることに、小学校の敷地内に踏み入り校舎に忍び寄り、約10分以上にもわたり、いくつかのクラスルームを移動しながら残虐に幼気な少年少女を狙って、刃物を振りかざす犯行に及んだのです。これにより多くの犠牲者が出てしまい凄惨な事態となってしまいました。

次に『犠牲者』たちの詳細を解説していきます。一体どれだけの罪のない人間が傷つけられたのか?どれだけ輝かしい未来、無限大の可能性を秘めていた尊い少年少女の命が奪われてしまったのか?惨劇の現場となった小学校やクラスルームに居合わせて、生き残った生徒たちや当事者のその後の事など詳しくまとめていきます。

附属池田小事件で亡くなった8名の児童

Kaz / Pixabay

今回のセンセーショナルを集めた凄惨な事件では、8人もの幼気な少年少女たちの命が奪われてしまいました。後の現場検証や証言などにより判明したことですが、彼らは全員、凶悪殺人犯に襲われて刃物で刺されたり斬りつけられたりして、すぐに命が奪われたわけではなく、すなわち『即死』ではなかったそうです。

学校側や教員たちの事態の把握や対応が遅かったのではないかと問題視されたのですが、もし迅速な対応、負傷した児童に対して適切な救命処置をしていれば、助かった『命』もあったのではないかと囁かれたのです。亡くなられた8名の犠牲者、そしてその遺族に向けてお悔やみ申し上げます。またご冥福をお祈り申し上げます。

附属池田小事件で傷害を負った13名の児童と教員2枚

stevepb / Pixabay

凶悪殺人犯により、刃物で傷つけられて負傷した被害者は『13名』です。内2名は暴走していた凶悪殺人犯の残虐な犯行を止めようと取り押さえようした男性職員です。彼らはなんとか無事に一命をとりとめました。しかしその傷跡や後遺症が残ってしまった方も少なくありません。

負傷した被害者の一人は、病院に搬送されて一命をとりとめた後、医師や看護師、家族により『事件』からは徹底的に遠ざけて、会話などを避けて心にトラウマや精神疾患などが残らないように、慎重に配慮しました。しかし退院して数年後に他人のもめ事を見ると『パニック障害』に陥るなどの後遺症が残ってしまいました。

生存した他の生徒も

幸い凶悪殺人犯からの魔の手から逃れて、生存した他の少年少女たちも被害者たち、つまりはクラスメイトや友達が傷つけられている『惨劇』を目の当たりにしてしまったので、自分は助かったが『生きててもいいのか』という生存者特有の心理状態により、罪の意識に苛まれるなどの精神的、心理的なダメージを負ってしまいました。

当然ながら、現場となった小学校に居合わせた教員や職員たちもトラウマや悲劇を体験したので、精神的苦痛を感じたり、ストレスによる精神病などを患ってしまう方もいたのです。このようにして、実際に肉体的に外傷を負わされた者、死傷された人物以外にも多くの人たちが被害に遭ってしまったのです。

附属池田小事件当時トイレに隠れて助かった生徒も

cocoparisienne / Pixabay

また惨劇がおきてしまった当時、クラスルームに侵入した凶悪殺人犯から逃れるために必死に非難した少年女子たちの中には、校舎内に設置していたトイレに逃げ込み、そのまま隠れてやり過ごした生徒もいました。

凶悪殺人犯はできるだけ大勢の子供たちの命を奪おうとしていたので、数十名の生徒が集まるクラスルームを狙って犯行に及んだ可能性が考えられ、そのために『トイレ』が比較的に安全になったのかもしれません。

附属池田小事件後、子に向けて遺族が手紙を書いた

Free-Photos / Pixabay

今回ご紹介しているセンセーショナルを集めた凄惨な事件で、愛していた我が子の命を奪われてしまった遺族は、亡くなった我が子に向けて『手紙』を書きました。その内容は非常に遺憾であり悲痛な内容だったのです。そこには『もう一度会いたい』『毎日淋しくてたまらない』

『いつもように元気な姿で我が家に帰ってくるのを待っていた』『学校の事やお友達の事とかいろいろ話を聞きたかったのにもうお話ができない』と寂しさや悲しみ、苦しさなどがひしひしと伝わる内容が綴られていました。このようにして凶悪殺人犯はありふれた毎日や家族、『幸せ』『命』を奪ったのです。

 

附属池田小事件によって変化した学校の安全対策

RyanMcGuire / Pixabay

センセーショナルを集めた凄惨な事件当時、現場となってしまった小学校には今回の惨劇のような緊急時の対応の仕方、予め事態を適切に処置するための動きなどの『マニュアル』が組まれていなかったのです。それだけではなく、現在では普及している『監視カメラ』や『警備員』なども設置されていませんでした。

また実際に教員や職員は、侵入した『凶悪殺人犯』とすれ違っていたのですが、少年女子たちの保護者や父兄であると先入観が働き、勘違いしてしまったことから、多くの生徒たちがいるクラスルームにまで簡単に向かわせてしまったのです。こうした不適切な学校の対応や警備面、安全配慮の至らなさも問題視され課題となりました。

附属池田小事件以後に安全対策を強化

PhotoMIX-Company / Pixabay

この事件がきっかけとなり小学校だけではなく、中学校や高等学校、更には幼稚園や保育園など多くの子供たちや児童が集まる施設には、警察が巡回して立ち寄る場所であることを示した『プレート』や『シール』を張るなど、また監視カメラやガードマンも配置させるなどして警備面を見直して、安全対策を強化したのです。

他にも登下校以外の時間帯であれば校門や正面玄関の施錠を徹底するなどして、学校関係者やPTA以外の部外者の侵入を禁じて、『不審者』を寄せ付けない対策をしました。現在では当たり前であるシステムや設備が多いですが、この当時はまだ安全や警備面が適切なものではなかったのです。

教職員が防犯や救護活動の知識を学ぶ

StockSnap / Pixabay

今回のセンセーショナルを集めた凄惨な事件がきっかけとなり、見直され対策が施されたのはシステムや設備だけではありませんでした。私たちヒト、つまりは教員や職員の在り方も見つめなおされたのです。迅速な対応や処置に至らなかった学校の不適切な対応やある疑惑が生まれた女性教員なども、世間から『批判』され問題になったので当然であります。

NEXT 教職員が防犯や救護活動の知識を学ぶ