附属池田小事件とは?宅間守の生い立ちや「逃げた教師」岩崎真季の現在に迫る

凶悪殺人犯により、刃物で傷つけられて負傷した被害者は『13名』です。内2名は暴走していた凶悪殺人犯の残虐な犯行を止めようと取り押さえようした男性職員です。彼らはなんとか無事に一命をとりとめました。しかしその傷跡や後遺症が残ってしまった方も少なくありません。

負傷した被害者の一人は、病院に搬送されて一命をとりとめた後、医師や看護師、家族により『事件』からは徹底的に遠ざけて、会話などを避けて心にトラウマや精神疾患などが残らないように、慎重に配慮しました。しかし退院して数年後に他人のもめ事を見ると『パニック障害』に陥るなどの後遺症が残ってしまいました。

生存した他の生徒も

幸い凶悪殺人犯からの魔の手から逃れて、生存した他の少年少女たちも被害者たち、つまりはクラスメイトや友達が傷つけられている『惨劇』を目の当たりにしてしまったので、自分は助かったが『生きててもいいのか』という生存者特有の心理状態により、罪の意識に苛まれるなどの精神的、心理的なダメージを負ってしまいました。

当然ながら、現場となった小学校に居合わせた教員や職員たちもトラウマや悲劇を体験したので、精神的苦痛を感じたり、ストレスによる精神病などを患ってしまう方もいたのです。このようにして、実際に肉体的に外傷を負わされた者、死傷された人物以外にも多くの人たちが被害に遭ってしまったのです。

附属池田小事件当時トイレに隠れて助かった生徒も

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また惨劇がおきてしまった当時、クラスルームに侵入した凶悪殺人犯から逃れるために必死に非難した少年女子たちの中には、校舎内に設置していたトイレに逃げ込み、そのまま隠れてやり過ごした生徒もいました。

凶悪殺人犯はできるだけ大勢の子供たちの命を奪おうとしていたので、数十名の生徒が集まるクラスルームを狙って犯行に及んだ可能性が考えられ、そのために『トイレ』が比較的に安全になったのかもしれません。

附属池田小事件後、子に向けて遺族が手紙を書いた

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今回ご紹介しているセンセーショナルを集めた凄惨な事件で、愛していた我が子の命を奪われてしまった遺族は、亡くなった我が子に向けて『手紙』を書きました。その内容は非常に遺憾であり悲痛な内容だったのです。そこには『もう一度会いたい』『毎日淋しくてたまらない』

『いつもように元気な姿で我が家に帰ってくるのを待っていた』『学校の事やお友達の事とかいろいろ話を聞きたかったのにもうお話ができない』と寂しさや悲しみ、苦しさなどがひしひしと伝わる内容が綴られていました。このようにして凶悪殺人犯はありふれた毎日や家族、『幸せ』『命』を奪ったのです。

 

附属池田小事件によって変化した学校の安全対策

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センセーショナルを集めた凄惨な事件当時、現場となってしまった小学校には今回の惨劇のような緊急時の対応の仕方、予め事態を適切に処置するための動きなどの『マニュアル』が組まれていなかったのです。それだけではなく、現在では普及している『監視カメラ』や『警備員』なども設置されていませんでした。

また実際に教員や職員は、侵入した『凶悪殺人犯』とすれ違っていたのですが、少年女子たちの保護者や父兄であると先入観が働き、勘違いしてしまったことから、多くの生徒たちがいるクラスルームにまで簡単に向かわせてしまったのです。こうした不適切な学校の対応や警備面、安全配慮の至らなさも問題視され課題となりました。

附属池田小事件以後に安全対策を強化

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この事件がきっかけとなり小学校だけではなく、中学校や高等学校、更には幼稚園や保育園など多くの子供たちや児童が集まる施設には、警察が巡回して立ち寄る場所であることを示した『プレート』や『シール』を張るなど、また監視カメラやガードマンも配置させるなどして警備面を見直して、安全対策を強化したのです。

他にも登下校以外の時間帯であれば校門や正面玄関の施錠を徹底するなどして、学校関係者やPTA以外の部外者の侵入を禁じて、『不審者』を寄せ付けない対策をしました。現在では当たり前であるシステムや設備が多いですが、この当時はまだ安全や警備面が適切なものではなかったのです。

教職員が防犯や救護活動の知識を学ぶ

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今回のセンセーショナルを集めた凄惨な事件がきっかけとなり、見直され対策が施されたのはシステムや設備だけではありませんでした。私たちヒト、つまりは教員や職員の在り方も見つめなおされたのです。迅速な対応や処置に至らなかった学校の不適切な対応やある疑惑が生まれた女性教員なども、世間から『批判』され問題になったので当然であります。

教職員たちは『防犯』や『救護活動』の知識を学んで、緊急事態が発生した際の処置や対処のデモンストレーションなどを行う、会議やカリキュラムが組まれることになりました。定期的にそれに参加して訓練して、災害時や事件、事故が発生した際に緊急事態の心得を学んでいるのです。

附属池田小事件で生き延びた子どもたちの現在

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当時から現在までセンセーショナルを集める凄惨な事件。惨劇は複数のクラスルームや校舎内で繰り広げられてしまったのですが、その現場に居合わせてしまった少年少女たちはたくさんいます。凶悪殺人犯から逃れて生き延びた子供たちは現在どのように暮らしているのでしょうか?

生き延びたとしても、目の前でクラスメートや同級生、友達が凶悪殺人犯によって刃物を振りかざされ傷つけれた惨劇の様子を目の当たりにしたのです。そんな悲痛で惨烈な光景が現在でも記憶に焼きついており、『トラウマ』や『後遺症』が残ってしっている現実があるのです。ここでは『生き延びた』子供たちの現在に迫ります。

附属池田小事件は被害者に大きなトラウマを与えた

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実際に刃物で斬りつけられ、刺されて意識不明の重体になり、何とか一命をとりとめた被害者の1人の少女がいました。当時、彼女は病院で入院している間も家族や医師たちの配慮によって事件から遠ざけられ、惨劇あった日の記憶は断片的であり自身や他のクラスメート、友人が襲われているシーンは覚えていなかったそうです。

しかし病院を退院して、その後中学生、高校生になると強烈な『トラウマ』からくる後遺症は突然現れたのです。同級生や他の生徒同士が揉め事、喧嘩して怒鳴り声をあげるとその様子を見た彼女は『パニック障害』に見舞われてしまったのです。

彼女は今・・・

それだけではなく大学生になると、人が倒れた場に居合わせると足がすくんで動けなくなってしまったのです。これらは恐らくあの事件のいる影響と考えられます。彼女はその後過去に救われた家族や医師たちに恩や感謝を感じて、自分も人のためになる『職』に就いて一生懸命働いているそうです。

附属池田小事件から15年後子どもたちがインタビューに答えた

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現在から3年前の平成28年6月には日本放送協会『NHK』の人気ドキュメンタリー番組である『クローズアップ現代』にて、センセーショナルを集めた凄惨な事件から15年が経った今、事件の被害者(当事者)であり生存者である子供たちにインタビューしてマイクを向けました。インタビューに答えた人たちはモザイクなしで『仮名』で出演しました。

実際に重体となって搬送された被害者や命が奪われてしまった少年女子たちと親友や友人関係であった人物はインタビューに答え、その当時の恐怖の惨劇の様子であったり、自分が先に病院(医療機関)に搬送されたために助からなかった子もいるとして、罪の意識に苛まれている心情を語ってくれました。

附属池田小事件の「逃げた教師」岩崎真季の現在の噂

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前述でも解説した通りある疑惑が生まれてしまい、世間から非難されバッシングを浴びてしまい実名まで公開されてしまった女性教員は事件の後すぎに退職しています。彼女もいち被害者であり当事者であるので、当然その後どうなっているか発表されることも公開されることもありません。

しかし世間から注目され話題となった人物ですから、事件からしばらくした後も現在は教師に復帰しているのではないか?などの憶測が飛び交い、また近況を実名で検索して探ろうとする人物も少なくありませんでした。こちらでは2019年令和現在の彼女の『噂』についてご紹介していきます。予め噂されているだけで真相は分かっていないことを把握しておいてください。

岩崎真季は精神を病んでいるという噂

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当時から世間や保護者から、あらゆる非難の言葉や批判を受けていて、罪悪感に苛まれておりますが、更に彼女は事件の当事者であり被害者と言っても過言ではない人物なのです。ですから計り知れない精神的苦痛を負ったのはいうまでもありません。彼女が悲劇から6か月後に新聞上で語った、思いや心情からもその様子が伺えます。

現在も心に暗い影を落として、精神的に病んでしまっている可能性は十分に考えられます。忘れたくても忘れ去ることはできないですし、本人もおっしゃっていた様に『いくら後悔しても悔やみきれない』のです。更に18年経った現在でもネットにはいまだに『逃げた教師』という汚名と実名、事件や対応の詳細などが載っているのです。

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