附属池田小事件とは?宅間守の生い立ちや「逃げた教師」岩崎真季の現在に迫る

凶悪殺人犯は裁判が開かれて被告として立たされているときにも、反省や謝罪する態度が見られず被害者や遺族たちをおちょくり挑発するような言動を示したのです。何度も人の風上に置けないような『不適切発言』を言い放ちました。遺族や被害者家族に向けて『どうせ判決結果は変わらず死刑に決まっているのにも関わらず、わざわざな裁判に来た阿保な奴ら』

また俺を死刑にしてくれて、命を奪った少年女子たちに向けて『ありがとう』『死んだあとのあの世でも子供たちを襲う』など発言したのです。これに対して裁判に来ていた遺族や被害者の家族たちも逆上して激高して『暴言』が飛び交う事態となりました。一連の犯行の『動機』について下記にまとめていきます。

動機について

この後凶悪殺人犯の生い立ちや過去について触れて解説しますが、少年の時から裕福な家庭や才能に満ち溢れた『エリート』人生の成功者に対して妬みやコンプレックスを抱いていました。また自身のこれまでの人生がうまくいっておらず、元嫁や社会のせいだと責任転嫁して考えていたのです。

元嫁や社会に報復しようとしていました。更に自分は死にたいという願望があり、どうせ死ぬなら罪のない誰かを巻き込みたい。沢山『道連れ』にしたいと身勝手な欲望を抱いていたのです。そこで小学校に通う将来に無限の可能性を秘めている『子供たち』を狙って命を奪おうと、事件前日に犯行を計画したのです。

初公判で話した動機

さらに凶悪殺人犯は最初の裁判の時に、平成11年に発生した、犯人は事業失敗などの災難が相次いだのを『社会』のせいにしたのを動機に、駅や構内で罪のない一般市民を無差別殺傷した通り魔事件である『下関事件』の模倣したかったと、一連の犯行の動機の一つを供述しました。

裁判の傍聴希望者が殺到し傍聴には特別措置がとられた

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今回お話ししているセンセーショナルを集めた凄惨な事件では、身体的に傷を負った人やその家族、我が子の命を奪われてしまった遺族たちだけではなく、学校関係者や悲劇的なトラウマを体験して心に傷を負った多くの生徒や保護者がいます。多くの人たちが当事者となったわけなのです。

多く被害者、当事者たちだけでなく世間やマスメディアからも、裁判の様子を傍でその目で見たい聞きたいという人物が殺到したのです。その数は1000人や2000人にも上ぼりました。そのため裁判側はこの異例の事態に特別な措置を取り、法廷ではなくカメラでその様子を映し出すスクリーンを設けた別室で多くの人たちを傍聴させたのです。

宅間守は精神障害者を装うも死刑判決

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凶悪殺人犯は逮捕された直後の取り調べでは、自身が侵入して悲劇の舞台となった『小学校』のことを何故か『駅』だと思い込んで供述したり、取調室の硬い壁面に自分の頭部を思いきりぶつけて頭突きするなど、色々な奇行を見せました。実はこれら全て精神に異常がある人の『演技』であり、フリだったのです。

実は凶悪殺人犯は以前より精神疾患や『精神障碍者』と精神鑑定で認められると、責任問題に問われなくなったり刑罰が減軽されることを『ノウハウ』として心得ていたのです。後程もお話しますが、それで幾度も犯罪を犯しては逮捕されず刑罰も受けずに逃れてきたのです。

しかし演技がばれて・・・

警察の厳しい追及や取り調べに対して、凶悪殺人犯はいよいよ化けの皮が剥がれてしまって本性を現したのです。このとき凶悪殺人犯は悔やむように涙したのですが、後悔や謝罪の気持ちから泣いたのではなく、最期まで演技を続けることができなかったためだったそうです。本人や周囲の予想通り平成15年夏に『死刑』が言い渡されました。

宅間守は初公判のみ反省した態度をみせた

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担任と副校長に取り押さえられ、警察に現行犯逮捕された際も、その後の取り調べや裁判でも、自身が犯した罪の大きさや尊い命を奪い、多くの少年女子たちを傷つけたことに対して『反省』する態度は全く見せませんでした。勿論遺族や被害者、家族、当事者に対しての『謝罪』の様子も全くありませんでした。

しかし担当する弁護人の指示や助言があったからなのか、初めての裁判のときのみ反省した態度を見せました。それ以降も『死刑』が執行されてこの世を去るまで一度も反省や謝罪の態度は一切見受けられなかったのです。凶悪殺人犯である『宅間守』という人物に焦点が当てられ、社会のセンセーショナルを集め問題となったのです。

附属池田小事件で「逃げた教師」と批判を受けた岩崎真季

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センセーショナルを集めた凄惨な事件では凶悪殺人犯である犯人にも、残虐性の犯行内容、逮捕された後の不適切な態度、問題発言などから世間から注目され話題となりましたが、ある疑惑が生まれた一人の女性教師もまた注目されて『バッシング』されて問題となり話題となったのです。

ここからは今回の記事の『メインテーマ』でもあるある疑惑が生まれている一人の女性教師の詳細や概要をお話ししていきます。名前は『いわさきまき』といい当時20代後半で、その年初めて自分のクラスを持ったばかりの担任教師だったのです。ではまずその『疑惑』について分かり易く解説していきます。

当事者(被害者)なのに実名が公開?

本来彼女は事件の立ち位置は当事者(被害者)にあたる人物ですよね。それなのになぜ全国的に実名が知られてしまったのでしょうか?それはある時代背景が大きく影響していると考えられます。その当時現在では当たり前の様に使っているネットやパソコンが普及し始めていました。

それと同時に誰でも気軽にチャットやディスカッション、コミュニケーションが取れるネット掲示板の『2ちゃんねる』が認知され始めて、利用者数が急激に増加しました。これによりプライバシー問題がまだ無法地帯だったので、簡単に個人情報やプライバシーなどが流出してしまい世間に広まるという事態が起きていたのです。

「逃げた教師」と言われたのも「空白の7分間」の存在から

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彼女の証言では簡単に逃げるように指示した後、幼気な少年少女たちを残してクラスルームを真っ先に飛び出して現場から去ったのは『警察に通報せねば』と思ってのことだと言っております。つまりは迅速に電話で警察に通報しにいったと解釈できます。

実は初めに警察が通報を受けたのは、惨劇が始まってから『5分後』であり、この時通報したのは教室を飛び出して学校の敷地外まで逃げて、周辺のお店に避難した『児童』だったのです。一方の彼女は惨劇が始まってから『7分後』であり2分間もロスしているのです。

腑に落ちない点

しかも彼女は同校舎内の『職員室』に向かっているのです。当然慌てているでしょうし『迅速』に対応しようとしているはずなので、規則で走らないと言われている廊下もきっと駆け足で向かったはずです。そうであれば本来は1.2分後には通報できるのではないでしょうか?といった疑問が生じてじまうのは致し方ありません。

岩崎真紀が警察に通報していたことは宅間守も覚えている

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被告となった凶悪殺人犯は前述でお話しした通り、逮捕された直後取り調べで精神疾患者や精神異常者の演技をしていました。また残虐性の高い惨烈な犯行、反省や謝罪の様子が見られない異様な態度などから、数名のカウンセラーや専門家によって『精神鑑定』が実施されることになりました。

実際に精神鑑定をした専門家がその後、精神鑑定や会談の様子を綴った本を執筆して発売しましたが、その本の一部に『犯行に及んでいる中で、そのクラスルームの中で携帯電話で警察に通報していた』ということをほのめかす供述があったと記述されていました。尚、これが事実か虚偽の内容なのか分かっていません。

世間から「怖くて逃げたんだろう」と批判を受ける

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仮に本当に彼女の証言通りに真っ先に『警察に通報せねば』という目的でクラスルームを飛び出していたとしても、自身が受け持つクラスの生徒たち、少年女子たちを危険がすぐそばに迫っている現場に置き去りにしたという事実がありました。

その疑惑が世間にたちまち広がると、世間は彼女のことを痛烈に批判しました。『怖くて逃げただけ』『先生で大人なのに子供たちを見捨てた』『通報も嘘』『教師としてあり得ない』『生徒たちを非難させるはず』などと多くの意見や噂が飛び交う事態となってしまったのです。

岩崎真季は事件後退職、半年後に胸の内を語っている

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世間から上記のような痛烈なバッシングを受け続けている彼女は、『罪悪感』や罪の意識に激しく苛まれたことでしょう。しかし彼女も事件の被害者の一人なのです。心に大きな傷を負い、悩み苦しみ恐怖して多大なストレスが彼女が襲ったのは間違いありません。

多くの当事者たちの身と心を傷つけ、数名の罪のない尊い命が奪われた凄惨な事件の後、彼女は『教師』という職を退職しています。これが自らの選択であったのか?学校側や教育委員会の処置なのか?は分かっていません。半年後『新聞』を通して彼女は思いのふちを語りました。その内容を下記にまとめます。

逃げた教師の半年後の告白

  • 先生であるのに少年女子たちを守れなかった
  • 悔やんでも悔やみきれない
  • 本当に申し訳なく思っている
  • 謝罪の言葉が見つからない
  • 生きていいか悩んだのは1.2回ではなかった

附属池田小事件の23名の死傷者と生き残った生徒

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凶悪殺人犯は2限目とその授業が終わることに、小学校の敷地内に踏み入り校舎に忍び寄り、約10分以上にもわたり、いくつかのクラスルームを移動しながら残虐に幼気な少年少女を狙って、刃物を振りかざす犯行に及んだのです。これにより多くの犠牲者が出てしまい凄惨な事態となってしまいました。

次に『犠牲者』たちの詳細を解説していきます。一体どれだけの罪のない人間が傷つけられたのか?どれだけ輝かしい未来、無限大の可能性を秘めていた尊い少年少女の命が奪われてしまったのか?惨劇の現場となった小学校やクラスルームに居合わせて、生き残った生徒たちや当事者のその後の事など詳しくまとめていきます。

附属池田小事件で亡くなった8名の児童

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今回のセンセーショナルを集めた凄惨な事件では、8人もの幼気な少年少女たちの命が奪われてしまいました。後の現場検証や証言などにより判明したことですが、彼らは全員、凶悪殺人犯に襲われて刃物で刺されたり斬りつけられたりして、すぐに命が奪われたわけではなく、すなわち『即死』ではなかったそうです。

学校側や教員たちの事態の把握や対応が遅かったのではないかと問題視されたのですが、もし迅速な対応、負傷した児童に対して適切な救命処置をしていれば、助かった『命』もあったのではないかと囁かれたのです。亡くなられた8名の犠牲者、そしてその遺族に向けてお悔やみ申し上げます。またご冥福をお祈り申し上げます。

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