附属池田小事件とは?宅間守の生い立ちや「逃げた教師」岩崎真季の現在に迫る

附属池田小事件は、大阪教育大学附属池田小学校で8人の生徒が殺害された無差別殺人事件です。附属池田小事件ではその残忍な犯行の他に、「逃げた教師」岩田真季への批判が相次ぎました。この記事では、附属池田小事件の概要や犯人の生い立ち、事件のその後も紹介していきます。

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附属池田小事件とは?宅間守の無差別殺人事件

皆さんは現在から18年前の平成13年6月に起きた惨劇のような事件をご存じですか?この事件ではまだ10歳足らずの幼気な少年少女たちが1人の凶悪殺人犯によって、容赦なく傷つけられて何人かの尊い命が奪われてしまったのです。当時は日本国内だけではなく世界にこの惨烈なニュースが知れ渡り大勢が阿鼻叫喚しました。

本来は避難場所になっていたり教師や先生といった、親の次に子供の事を諭して教育する大人がいて、児童たちが安心して生活できるはずの『小学校』が現場となり、10分以上にまで及んだ惨劇の舞台となってしまったのです。今回はこの事件の概要、凶悪殺人犯やある疑惑が生まれて世間から非難された『担任』についての詳細を徹底的にまとめていきます。

附属池田小事件の概要

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これからご紹介していく児童たちが狙われた痛ましい事件は、『サイコパス』や『反社会性』という要素が顕著に表れている1人の凶悪な男によって引き起こされました。凶悪な男の名は『たくままもる』といい、彼が残した痛々しい傷跡や驚愕する悍ましい所業の数々と共に、その名前は世間から忘れ去られることはないでしょう。

その当時まだ被害者たちと同じような幼気な子供だった方、少年女子だった方などはこの悲劇に関してあまり知らないという人も少なくないはずです。そんな人たちや今一度振り返っておきたい人たちのためにも、まずはこちらで事件当日の詳細な概要を順番に分かり易く解説していきます。あの日小学校で一体何が起こったのでしょうか?

犯人の宅間守が出刃包丁を持ち池田小学校に

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6月某日この日は水曜日で平日でした。社会人は職場に仕事をしに生徒は学校に勉学を勤しみに。といつもと変わらぬ午前中でありました。時刻は10:00を回っておりその小学校では2限目の時間帯だったと考えられます。ある悍ましい犯行を計画していた凶悪殺人犯は『出刃包丁』を所持して、小学校に向かいました。

現在では登下校の時間帯でもない限り、校門や入口などは閉められて施錠もされているはずですが、このときはまだセキュリティーが徹底していなかったのか、凶悪殺人犯の侵入を簡単に許してしまい校舎内にも踏み入ってしまっていました。こうして何も知らない児童たちに魔の手が刻々と確かに近づいていったのです。

校舎東端にある2年東組に向かう

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恐らくは凶悪殺人犯はターゲットにしていたクラスルームはなかったと考えらえれますが、凶悪殺人犯は校舎の最東端に位置する2学年のクラスルームへ向かい廊下を歩いていました。この時数名の『教員』や職員とすれ違っていたそうですが、PTAや児童の親族だと先入観が働いてしまい、軽い挨拶を交わした程度で何も不自然に感じなかったのです。

クラスルームに到着して入室すると、まず純粋で物心がついていない少年女子たちは、大きな刃物を所持していた凶悪殺人犯のことを『給食スタッフ』と勘違いしてしましたが、すぐに担任は違うと認識して危険を察知するとクラスルームを飛び出して逃げるように叫んで指示しました。

惨劇の始まり

そして事態を理解した少年女子たちは顔色を変えて一斉にクラスルームを飛び出しました。校舎やクラスルームの造りがどんなものであるかは分かりませんが、恐らくは一般的なものでしょう。当然扉は2つしかなく、幅も児童であれば3.4人が横に並べるくらいしかありません。

すぐそばにいる凶悪殺人犯から身の危険を感じて恐怖するように数十人の少年少女たちが、その扉から慌てて飛び出したのです。そこで詰まってしまったり、足を躓いてコケてしまう子もいたのです。そうして逃げ遅れてしまった子に凶悪殺人犯は襲い掛かり、容赦なく大きな刃物を振りかざしたのです。数名が命の危険に関わるほどの『大けが』を負ってしまいました。

宅間守は2年西組に移動し教師が通報しに外へ

担任が撃退に応じてクラスルームにあった什器思いきり凶悪殺人犯に投げつけると、凶悪殺人犯は逃れるようにそのクラスルームを後にして、次に2学年の西に位置する違うクラスルームに移動して踏み入りました。刃物に傷つけた子の血が付着して垂れていたのでしょうか、また興奮状態であったので今度はすぐに女性担任も少年少女たちも『危険』を察知しました。

このクラスルームの女性担任は簡単に逃げるように指示すると、『警察に通報せねば』と自身もパッと素早くその場を去るように外に飛び出しました。(この人物が後述でご紹介する逃げた疑惑のある女性担任です)残されてしまった少年女子たちの数名が凶悪殺人犯に無惨に傷つけられ、命を奪われてしまったのです。

2年南組にさらに移動し生徒5人と教師を負傷させる

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惨劇はさらに続いたのです。その後凶悪殺人犯は興奮冷めやらぬまま南に位置するクラスルームへと向かいました。非情なことにこのころちょうど『2限目』の授業が終了していたので、担任は外の植物たちに水やりをしに行っていて、このクラスルームに不在だったのです。つまりは幼気な少年女子たちしかいなかったのです。

凶悪殺人犯はそれをいいことに、次々と少年女子たちを襲い刃物を振りかざして傷つけました。阿鼻叫喚のクラスルームの中で、目の前でクラスメートや友達を襲われてる光景を目の当たりにした子、襲われて傷つけられた子は絶叫して悲鳴を上げました。

教師が立ち向かうが

その児童たちの悲痛な叫び声が聞こえて、事態に気づいた男性職員2名が阿鼻叫喚のクラスルームに駆け寄り、凶悪殺人犯の暴走、残虐な犯行を止めようと立ち向かいました。しかし凶悪殺人犯は成人男性である職員に向かっても変わらず躊躇せず刃物を振り回して抵抗したため、男性職員の1人が致命傷の『大けが』を負ってしまいました。

1年南組に逃げるも教師と副校長に取り押さえられる

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男性職員2名に抵抗して逃げるようにクラスルームを飛び出した凶悪殺人犯は、次に校舎の1Fまで階段で下り1学年の南に位置するクラスルームに入室しました。この時もまだ興奮状態で更に幼気な少年少女たちを傷つけようとしていました。凶悪殺人犯はできるだけ多くの子供たちの命を奪おうとしていたのです。

そこに先ほどお話しした外の植物たちに水やりをしに行っていた『担任』が駆けつけて、刃物で身体を斬りつけられながらも必死に残虐な犯行を止めようと立ち向かいました。更にその小学校の『副校長先生』も加勢してようやく凶悪殺人犯が取り押さえられたのです。惨劇は約10分以上にも及びました。

最後の1人を刺した「あーしんど!」と包丁を手放す

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その後通報を受けた警察官たちによって身柄を取り押さえられると、凶悪殺人犯は不貞腐れるように『しんどっ!』と言い放ち、自ら手に握っていた多くの少年少女たち、職員の血が付いた刃物を手放しました。

現行犯逮捕されるその瞬間の凶悪殺人犯の態度や言動からは、罪の意識を感じている。反省や後悔するような様子は伺えませんでした。不貞腐れて言い放った捨て台詞のような発言からも、ただならぬ『サイコパス』感や『非社会性』の人格が垣間見えたのです。逮捕された後の裁判などについて後述にてい解説させていただきます。

担任が戻るころには教室は血の海だった

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自身のクラスの生徒たち、つまり残された少年女子たちを顧みず『警察に通報せねば』と真っ先にクラスルームを飛び出した女性担任は、目的通り通報を終えるとその教室に戻りました。その時にはもう既に危険な『凶悪殺人犯』の姿はありませんでしたが、傷つけられて出血している子たちが苦しそうにしているのです。

更にさっきまでは何の変哲もないクラスルームが、壁や床、什器に血が飛び知っており『地獄絵図』のような血の海となっていたのです。この惨劇の痕を見た彼女は何を思ったのでしょうか?多大なショックを受けて絶望して、また自身の生徒たちを守ってあげれなかった『罪悪感』に苛まれていたかもしれません。

PTAであり裏の顔は殺人鬼である『澁谷恭正』はこちらの記事です。

附属池田小事件の裁判の判決

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事件が発生した時間帯や場所。凶悪殺人犯の具体的な犯行や足取り、逃げまどう生徒たちや担任の対応など。惨劇が起きてしまった当時の状況をできるだけ分かり易くお話していきました。どれだけ悍ましく痛ましい恐怖の10分間だったか、分かっていただけたはずです。この凄惨な事件では8人もの少年女子たちの尊い命が無惨に奪われてしまいました。

また10名以上の児童や教員たちが負傷してしまいました。心に大きな傷を受けてしまった人たちも大勢います。さて血も涙もない犯行に及びこれだけの被害を及ぼした張本人である凶悪殺人犯は逮捕された後、どんな判決結果が言い渡されたのでしょうか?次に裁判の様子や判決について解説していきます。

終始宅間守の不適切発言の目立つ裁判

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