船戸雄大の生い立ちは?結愛ちゃん虐待事件の妻の優里も含めた判決内容は?

彼女の生い立ちをたどると知り合うことになる香川に実家があります。そこで知り合い、結婚する関係に至りました。バツイチであった彼女は前の夫ともそこでで暮らしていました。

船戸雄大の妻・船戸優里②前夫との間に結愛ちゃんが生まれる

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いつもにこにこしている女の子で、前の夫と家族で写っている写真もSNSにアップされていました。そのことからも生まれた当時は幸せな時間を過ごしていたと判断できます。両親の愛情を十分に受け、すくすくと育っていくことのできるはずだった小さな命でした。

船戸雄大の妻・船戸優里③前夫と離婚し生活保護を受ける

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その生活も長くは続かず、2015年に離婚することを決めました。その際に母親の元へ引き取られることになります。離婚後は生活保護を受けながら生活を送っていました。この時も写真をたくさんアップしており、大切に育てていたと判断できます。

船戸雄大の妻・船戸優里④地元香川県で再婚

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自分の地元である香川で船戸雄大と知り合い、再婚を決めました。子供だけでの生活で心細かった時には大きな支えになったと判断できます。しかしこの出会いが自分の子を苦しめ、命を落とす惨劇を招くことになるとはだれも想像していなかったでしょう。

船戸雄大の妻・船戸優里⑤長男出産

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結婚を決めたころ、お腹には新しい命が宿っていました。母親は生まれる前から10か月もの間自分のお腹の中で大切に育てていかなければなりません。そんな状況にいたなら今現在つらい思いをしている結愛ちゃんを授かった時のこと、生まれてきた時を思い出し、勇気を振り絞り助けてあげることができなかったのかと悔やまれます。

船戸雄大の妻・船戸優里⑥上京後はキャバクラ店に在籍?

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東京に上京してから夫が仕事をしていたかははっきりとしていません。目黒区の都会で家族4人が暮らしていくためには安定した収入がなければなりません。仕事をしていない夫に代り、夜の世界で仕事をしていたと推測されています。

船戸雄大が起こした「結愛ちゃん虐待事件」とは?

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小さな女の子が苦しみや恐怖を感じながら命を落とすとても残虐な心痛む事件です。親に甘えたい年頃だったのになぜ命を落とすことになってしまったのでしょうか。自分の生い立ちにつらい思い出があると手をあげてしまうケースが多いです。ここではその詳細をみていきます。

船戸雄大の結愛ちゃん虐待事件①自宅アパートでの死亡を確認

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発覚したのは船戸雄大自ら警察に「食事をとっておらず嘔吐を繰り返していた、息をしていない」と電話をかけたことでした。駆け付けた警察はそこであばらが浮き出るほどひどいく、ぐったりとしている状態でみつかりました。そのまま緊急搬送されましたが病院で息を引き取りました。

船戸雄大の結愛ちゃん虐待事件②死因は肺炎

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死因は肺炎によって引き起こされた敗血症でした。発見されたときの体重は5歳の女の子の体重平均を大幅に下回っていました。低栄養によって内臓が萎縮してしまうことによって引き起こされたと推測されます。内臓までボロボロになっていたことからも、長い期間ひどい扱いをされ続けていたことが明らかでした。

船戸雄大の結愛ちゃん虐待事件③普段から十分な食事を与えられていなかった

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育ち盛りの女の子が食事制限をされ、朝はスープのみ、昼は茶碗にほんの少しだけ盛ったご飯、夜は茶碗半分のご飯しか口にしていませんでした。最期亡くなる前には食事は全く受け付けることができないほど衰弱していました。毎日毎日空腹のまま、それがいつ終わりご飯をもらえるのかもわからない生活を送っていました。

船戸雄大の結愛ちゃん虐待事件④病院にも連れて行かれなかった

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衰弱しきってしまい嘔吐を繰り返したり、体中痣だらけでしたが病院には連れて行ってもらえませんでした。亡くなる約1か月前からは自分の力で起き上がることもできず、弟のオムツを履かされ、ほぼ寝たきりの劣悪な状態で過ごしていました。

船戸雄大の結愛ちゃん虐待事件⑤反省ノートを書かされていた

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船戸雄大は毎日の出来事を日記に記したり、反省ノートを書くことを強制していました。その内容が全文公開された際には涙が止まらない人も多かったのが事実です。暗くて寒い部屋でひたすら「自分が悪い、これからはいい子になります、もうゆるしてください」と書き続けていました。育ち盛りで遊ぶことが楽しくて楽しくてしょうがない女の子が、遊んだ自分が悪い子だった、もう遊ぶことはしませんと書き残しています。

船戸雄大の結愛ちゃん虐待事件⑥1人だけ寝室を分けられていた

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長男は両親と同じ部屋で寝ていましたが、結愛ちゃんだけは別の部屋で暗くて寒い中、朝の4時に自分でアラームをかけ、平仮名の練習を義務付けられていました。小学校に入るときに平仮名をまだ書けない、読めない子も中にはいます。そんな中、小学校に入る前の女の子がとても過酷な状況に置かれていたことがわかります。

船戸雄大の結愛ちゃん虐待事件⑦冷水シャワーや殴打の虐待も

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日常生活の中で船戸雄大は常に殴る蹴る行為をつづけていました。殴る際には浴室へ連れて行き、冷水をかけ続けました。殴られ体中に傷ができている状態なのに、さらにそこに冷たい水を浴びせ続ける残酷な出来事です。母親はこのことについて殴っている姿をみたことは全くない、知らなかったと発言していました。しかし直接殴っているところをみていなくても、体中に痣ができている子供の状態から何がされているかははっきりとわかっていたはずです。

船戸雄大はなぜ結愛ちゃんを虐待したのか?

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なぜここまで残酷なことを繰り返していたのでしょうか。最近では連れ子がひどい虐待を受けるケースが増えています。結婚する前から相手に子供がいることを知っていて、それを承知で結婚したのにどうしてこのようなことが起きてしまうのでしょうか。彼の生い立ちを見る限りでも社交性があるようにみえますが、心の中にはとてつもない闇をかかえていたのでしょうか。

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