北センチネル島はやらせ?入ってはいけない島の驚愕の真実と現在

真実は不明ですがセンチネル族が外部の人間を激しく敵視し拒絶するのは、この出来事が直接の原因ではないかと言われています。

北センチネル島が人を拒絶する理由③インド政府との過去

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第2次世界大戦終結後の1947年にインドがイギリスから独立し、ようやくアンダマン諸島はインドの統治下になりました。

しかしインド政府は先住民を圧政で支配するイギリスの政策をそのまま引き継ぎました。先住民の多くは収容施設に入れられ、ココヤシのプランテーションや畜産といった、まったく未知の産業に従事させられます。

こうして多くの先住民が独自の文化を失っていくなか、孤立を保ち、外界を拒絶することで、独自の文化・風習を保ち続けているのがセンチネル族である、というのがいまわかっている真実です。

北センチネル島への日本軍の脅威

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北センチネル島を含むアンダマン諸島の歴史は、インドやイギリスのつながりの中で語られることが多いです。しかしこの地域は、第2次世界大戦中に日本軍が占領していた時期がありました。

なぜ日本軍はこの地を占領したのでしょうか?また日本軍はセンチネル族とコンタクトを取っていたのでしょうか?当時この地域はいったいどのような状況だったのか歴史の真実を見ていきましょう。

日本軍が迫ってきたのはいつ?

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アンダマン諸島はミャンマー(ビルマ)やタイに近く、日本軍が東南アジアに占領地域を伸ばしている当時、軍事や海上輸送路の重要拠点と考えられました。

日本軍は1942年に敵国であるイギリス軍が駐留するアンダマン諸島の侵攻・占領に成功し、日本軍による支配は1945年の終戦時まで続きました。

当時の日本とインド

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当時のインドは、依然として日本軍の敵対国イギリスの植民地支配下にありましたが、戦争の気運に乗じて、イギリスの支配を脱して独立を求める機運も高まっていました。

アンダマン諸島もインドの一部として当然イギリス軍が駐留していましたが、日本軍がそのイギリス軍を追い払ってやって来たため、日本軍は好意的に受け入れられたと言われています。

また日本政府や日本軍もインドの独立を支持し、日本軍の支援によって独立を目指す「インド国民軍」も結成されるなど、当時の日本や日本軍とイギリス植民地支配下のインドは一面では友好関係にありました。

センチネル族はどうなったのか?

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アンダマン諸島を占領した日本軍でしたが、先住民が戦争に兵士として参戦したり、日本軍と戦ったというような記録も残っておらず、いわば戦争からは全く蚊帳の外だったと考えられます。

一貫して外界との接触を断ち、孤立を保ってきた彼らセンチネル族は、すぐそこまで日本軍が迫っていたにもかかわらず、普段と変わりない生活を送っていたというのが真実だと考えられます。

北センチネル島に住むセンチネル族の気になる疑問

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この項では、かなり特殊な歴史や経緯を持った彼らセンチネル族の生活などに関する疑問をいくつか分析して、より彼らの真実にせまっていきましょう。

センチネル族の気になる疑問①どんな生活をしているの?

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現代文明と隔絶した生活を送っている彼らの生活は、狩猟・採集を中心とした自給自足社会と考えられます。数少ない映像・画像からは農地も見られず、農業が行われている様子はありません。

周囲を海に囲まれ、もちろん漁も行いますが、非常に小さなカヌー程度でオールは使わずに長い棒で海底を押して移動できる程度の浅瀬よりも、遠くの沖合へ出ることは確認されていません。

島に流れ着いた漂着物や難破船から金属の部材を取り出し加工して、矢じりに使っている例も確認されていますが、おおむね石器時代のイメージそのままと思って間違いはありません。

センチネル族の気になる疑問②どんな格好をしているの?

男女とも衣類は身につけておらず、画像・映像からは腰や頭、首に植物の繊維や樹皮を編んだり加工したようなベルト状のものを巻いているのが見て取れます。

また彼らに近づくと、ほぼ間違いなく男性から弓矢で威嚇・攻撃されることから分かるように、男性は常に弓矢を携帯している姿が多く見られます。

センチネル族の気になる疑問③みんな左利き?

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彼らの変わった特徴として、左利きが多いのではないか?という噂があります。動画や画像を見ると、ものを扱うのに左手を使うことが多いように見える?ということから言われている噂です。

右利きか左利きかは遺伝だけでなく、環境によっても決まると言われており、もしセンチネル族に左利きが多いとしたら、独自の文化的な習慣が影響していることも考えられます。

残念ながら動画や画像は不鮮明なものも多いので真実かどうかは不明です。ぜひ皆さんも動画をチェックしてみてください。意外な発見があるかもしれません。

北センチネル島の現在の状況は?

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北センチネル島は宣教師の殺害事件を機にインターネットを中心に知名度が一気に上がりました。それによって、この島を取り巻く環境も少し変わってきています。

この項では、多くの人に知られることで起きつつある、新たな問題を解説します。

北センチネル島の現状①今だ拒絶する島 

知名度が上がったとはいえ、それはあくまで外部の人間のこと。彼らが外界を拒絶しているいう点は変わっておらず、インド当局も不干渉という方針は変えていません。

北センチネル島は2004年の「スマトラ沖大地震」で大きな被害を受けたエリアに含まれます。上空から観察すると津波などで北センチネル島も島の形が一部変わってしまうほどの被害を受けたとみられています。

人道的な立場からインド当局はセンチネル族の安否確認を行おうとしましたが、調査に向かったヘリコプターにも弓矢を向けて威嚇をするセンチネル族の姿が確認されています。

北センチネル島の現状②興味を持つ人々

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北センチネル島へ接近しようとするのは、これまでは宣教師のようにある使命感を持った人間という例外を除き、基本的には調査のための政府当局やマスコミ、学者に限られていました。

しかしその存在が知られるにつれて、興味本位や怖いもの見たさといった気持ちで島を見てみたいと考える人間が増えてきました。

北センチネル島周辺では、インド当局の監視の目を盗み、金銭で現地の漁師などを雇って密かに島に近づこうとする人が増えるといった、新たな問題が起きています。

北センチネル島の現状③観光地化を懸念する声

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このように北センチネル島が、思わぬ形で「裏の観光地」化してしまうことについて、インド政府は懸念を示しています。

センチネル族を伝染病から保護し、また無思慮な訪問者の犠牲を防ぐために、北センチネル島への接近禁止は最優先事項です。

そのためインド政府は従来通りの島へ接近することの罰則だけでなく、2017年からは島を遠くから写真や動画で撮影するだけでも最大3年の懲役を科す罰則規定を設けて規制の強化に努めています。

センチネル族以外のインドの先住民族を紹介

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北センチネル島を含む、アンダマン諸島にはセンチネル族以外にも、先住民族が住んでいます。

離島の北センチネル島に住むセンチネル族と異なり、諸島の主要な島に居住していた彼らのたどった歴史も過酷なものでした。

この項ではセンチネル族以外のそれら主な先住民についてご紹介します。

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