北センチネル島はやらせ?入ってはいけない島の驚愕の真実と現在

北センチネル島が人を拒絶する理由②イギリスとの闘い

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19世紀半ばのインドがイギリス(大英帝国)の植民地時代に、アンダマン諸島は反乱者の流刑地となり、収容施設(監獄)が建設されました。

その建設に、アンダマンのいくつかの部族の先住民が無理やり駆り出されました。先住民たちは同盟を結んで数千人規模で抵抗しますが、近代武装した英軍には勝てず、敗北します。

皮肉なことに反乱した先住民たちの多くはその収容所に入れられました。劣悪な環境の中で感染症が蔓延し数百人の先住民が収容所で無念の死を遂げたと言います。

北センチネル島が人を拒絶する理由③北センチネル島民連れ去り事件

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イギリスによる先住民への圧政が続く中、警戒心の強い北センチネル島の住民は、孤立を守ることでなんとか圧政を逃れていました。

そんな中、1880年に英国海軍将校が北センチネル島から大人2人と子ども4人を連れ去るという事件が起こります。しかし連れてきた大人2人が病死しため、子ども4人だけが島に戻されました。

真実は不明ですがセンチネル族が外部の人間を激しく敵視し拒絶するのは、この出来事が直接の原因ではないかと言われています。

北センチネル島が人を拒絶する理由③インド政府との過去

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第2次世界大戦終結後の1947年にインドがイギリスから独立し、ようやくアンダマン諸島はインドの統治下になりました。

しかしインド政府は先住民を圧政で支配するイギリスの政策をそのまま引き継ぎました。先住民の多くは収容施設に入れられ、ココヤシのプランテーションや畜産といった、まったく未知の産業に従事させられます。

こうして多くの先住民が独自の文化を失っていくなか、孤立を保ち、外界を拒絶することで、独自の文化・風習を保ち続けているのがセンチネル族である、というのがいまわかっている真実です。

北センチネル島への日本軍の脅威

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北センチネル島を含むアンダマン諸島の歴史は、インドやイギリスのつながりの中で語られることが多いです。しかしこの地域は、第2次世界大戦中に日本軍が占領していた時期がありました。

なぜ日本軍はこの地を占領したのでしょうか?また日本軍はセンチネル族とコンタクトを取っていたのでしょうか?当時この地域はいったいどのような状況だったのか歴史の真実を見ていきましょう。

日本軍が迫ってきたのはいつ?

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アンダマン諸島はミャンマー(ビルマ)やタイに近く、日本軍が東南アジアに占領地域を伸ばしている当時、軍事や海上輸送路の重要拠点と考えられました。

日本軍は1942年に敵国であるイギリス軍が駐留するアンダマン諸島の侵攻・占領に成功し、日本軍による支配は1945年の終戦時まで続きました。

当時の日本とインド

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当時のインドは、依然として日本軍の敵対国イギリスの植民地支配下にありましたが、戦争の気運に乗じて、イギリスの支配を脱して独立を求める機運も高まっていました。

アンダマン諸島もインドの一部として当然イギリス軍が駐留していましたが、日本軍がそのイギリス軍を追い払ってやって来たため、日本軍は好意的に受け入れられたと言われています。

また日本政府や日本軍もインドの独立を支持し、日本軍の支援によって独立を目指す「インド国民軍」も結成されるなど、当時の日本や日本軍とイギリス植民地支配下のインドは一面では友好関係にありました。

センチネル族はどうなったのか?

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アンダマン諸島を占領した日本軍でしたが、先住民が戦争に兵士として参戦したり、日本軍と戦ったというような記録も残っておらず、いわば戦争からは全く蚊帳の外だったと考えられます。

一貫して外界との接触を断ち、孤立を保ってきた彼らセンチネル族は、すぐそこまで日本軍が迫っていたにもかかわらず、普段と変わりない生活を送っていたというのが真実だと考えられます。

北センチネル島に住むセンチネル族の気になる疑問

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この項では、かなり特殊な歴史や経緯を持った彼らセンチネル族の生活などに関する疑問をいくつか分析して、より彼らの真実にせまっていきましょう。

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