稲葉事件とは?現職の警察官が逮捕された異例の事件!
皆さんは『稲葉事件』を聞いたことがありますか。2002年の出来事ですので、世間からは忘れられているかもしれません。しかしこの稲葉事件、当時は知事までをも巻き込む大事件として人々を驚かせたのです。
なにしろこの稲葉事件の犯人の正体は〈警察官〉だったのです。しかも犯行に関わっていたのは1人だけではありません。調査すればするほど、内部全体での醜態が次々と露わになったのです。
それではそんな『稲葉事件』を今もう一度振り返ってみましょう。
稲葉事件は現職の警察官が覚せい剤取締法違反と銃刀法違反で逮捕!
舞台となったのは広大な土地と冷たい海に囲まれた北海道です。『稲葉事件』の稲葉というのは犯人の名前です。稲葉氏は何年も稲葉事件を行いながら、その日も職務についていました。
しかし何処からか稲葉事件のことが遂にばらされたのです。〈覚せい剤〉や〈銃〉が部屋から見つかりその地位は一転、犯罪者へと転落します。
こういった罪で警察官が逮捕されたのは、北海道では稲葉事件が初めてだったため、当時の北海道ではビッグニュースでした。ですが稲葉事件はこれで収束するものではありませんでした。
稲葉事件の発覚により警察内部の実態が明らかになった
なぜ稲葉事件はここまで大きく扱われたのか。それは〈警察官〉の逮捕者が出たことだけにとどまらず、発覚があったことで〈警察全体〉の醜態までもが明かされることになったからです。
その状況は警察官のあるべき姿からは信じがたいもので、人々から信頼を失ってしまうような深刻な事態でした。しかも稲葉事件での調査前は放置している状態でした。
そんな内部の深刻な問題があったために稲葉事件は起きたと言えますが、しかしもし稲葉事件が明らかにならなかったら、未だに内部での問題は明るみに出なかったのかもしれません。
稲葉事件の概要!発覚の経緯とは?
さて組織自体の腐敗が進んでいたからこそ稲葉事件は中々世に出ることなく大規模な事件として成長してしまいましたが、ある出来事をきっかけに事件は動き出します。
大規模な稲葉事件が動くそのきっかけとは何だったのでしょうか。各々の証言から明らかになる稲葉事件について、発覚から順に追っていくことにしましょう。
稲葉の捜査協力者が自首し稲葉圭昭の覚せい剤所持を告白
『稲葉事件』が世に出ることになったきっかけは、稲葉の知人の逮捕でした。その男は、稲葉と捜査の中で交流があった渡辺司という人物で、隠し持っていた〈覚せい剤〉を手に自首したのです。
逮捕後の調べで、事件に関与する中心人物に稲葉もいると証言します。稲葉と渡辺は以前から密な取引関係にあり、稲葉事件で行われた密輸作業にも渡辺は手を貸しています。
なぜ渡辺は自首し告げ口をしたのかというと、2人に金銭トラブルが起きたからのようです。渡辺は稲葉にお金の無心をしますが断られ、稲葉を恨んでの行動がこの結果でした。
警察の調査で稲葉圭昭の尿から覚せい剤が検出
渡辺からの証言を受け、その5日後に警察は、稲葉に麻薬の反応を見る検査を行いました。その結果〈覚せい剤〉が検出され、稲葉は当日の内に逮捕、稲葉事件捜査始まりです。
稲葉はこの時点で北海道の現職警察官で初の覚せい剤取締法違反逮捕者となります。覚せい剤の使用は身体や精神に様々な影響を及ぼしますが、その日まで稲葉の様子は、
周りから見て変わりなかったのでしょうか。麻薬やドラッグの危険性について興味のある方はこちらの記事もご覧ください。
稲葉圭昭のアジトの捜索で覚せい剤と拳銃が発見される
そして稲葉事件の捜査が本格的に行われていきます。稲葉は自宅の他に、〈アジト〉として活動拠点を置く部屋を、本人の名でいくつか借りていました。そこを調査し発見されたのが、
少量の〈覚せい剤〉と〈拳銃〉でした。別の札幌市内の部屋からも発見され、いくつも隠し持っていたことから、使用の他に人に売っていた疑いも持たれます。
取り締まりを職務とする警察官の部屋から、その立場をわきまえずいかがわしい物品が複数発見されるという状況は稲葉事件の報道を聞いた人々を不安にさせます。
稲葉圭昭の取り調べでは違法なおとり捜査も発覚した
さらに取り調べを進めるうちに、過去に稲葉らの担当する取り締まりで違法な捜査があったことも発覚します。1997年にロシア人が〈銃刀法違反〉で逮捕された事件のことです。
この違法な〈おとり捜査〉。内容は中古車をロシアマフィアに売り、その対価として〈銃〉を引き渡してもらうよう捜査協力者に頼みますが、上司が自分の業務のノルマ達成もしたいがために、
「どうせ来るなら持って到着した船員のロシア人を、銃刀法違反で逮捕しよう」と画策したものでした。稲葉も複数の摘発に成功しましたので、組織ぐるみで行われたこの計画は思惑通りとなりました。
稲葉事件の犯人である稲葉圭昭の経歴とは?
踏み込んではいけない重大な犯罪を犯してしまった稲葉氏ですが、生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
少年期はどう過ごしていたのか、そして警察官になってどのような仕事をしていたのか、なぜ稲葉事件のような犯罪に手を染めたのかを探ってみましょう。
稲葉圭昭の経歴①柔道の特別採用で警察官になった
北海道の南側に位置する門別町が稲葉の故郷です。中学生時代から柔道を始め、その腕は確かなもので、昇段試験にいた師範に褒められるほどでした。
高校は柔道の強豪校に通い、朝学校へ登校し練習をはじめ、授業中に睡眠をとり、放課後から晩までまた練習という毎日を送っていました。
休日も個人的に出かけることはほぼなく、たまの休みに映画を見に行く程度だったようです。生活のほとんどを柔道の練習に注ぎ、その後柔道の特待生で大学に進学します。
少年の頃から柔道に打ち込んでおり、大学も柔道の特待生として進学したこと、また大学では教員免許を取ったことから、柔道の指導者になろうかと考えていたようです。
しかし生活上の様々な事情もあり教員になることは諦め、柔道の〈特別訓練隊員〉として、北海道警察・本部警備部機動隊に入ることになるのです。
稲葉は万引き・恐喝は日常茶飯事だった
高校時代、インターハイを終え遊ぶ時間ができると、今までの練習漬けの日々を取り返すかのように街に出かけ、繁華街での遊びに明け暮れる時期がありました。
周りからは番長と呼ばれるほどで、その頃はスリルを味わうために万引き・恐喝・喧嘩ばかりするようになっていました。
またその当時は荒れた学生が多かったこともあり、他の高校生と喧嘩になったりもしました。街で相手を脅し殴ったところを私服の公安員に見つかり、補導されます。
稲葉は警察官になりたくなかった?!
補導された経験もあり、その頃は絶対に警察官になりたくないと思っていたようです。
しかし警察官になってみると、道路の陥没が警察の指示で一日で修復されていることに驚き、「警察官ってすげえな」と感動したと言います。
一見、警察官になった人物の学生時代とは思えないほどの経歴ですが、稲葉は昔から勢いのある人物だったのでしょう。柔道への一途さには感心してしまいますね。
稲葉圭昭の経歴②捜査協力者として暴力団などと関係があった
稲葉事件には捜査協力者と言われる多数の人物が登場します。この人物らは名前の通り捜査業務に協力する人たちでした。稲葉事件で最初の逮捕者となる渡辺もこの捜査協力者です。
〈捜査協力者〉達が存在する理由のひとつに、新人時代上司に「待っているだけでは仕事にならない、自分目当てに依頼をしてくる捜査協力者を作ってから一人前」と指導されてきたことがありました。
警察官として駆け出しの頃、〈捜査協力者〉を作るために様々な被害者と多く会い、聞き込みを繰り返すという熱心な作業をしていました。人探しには人の繋がりが一番大事だと考えていたからです。
しかし稲葉の〈捜査協力者〉は被害者側だけではありません。裏社会で活動しているやくざなども〈捜査協力者〉としてその人脈に含まれて行きます。稲葉事件の原因はここにあります。
初めは真面目に行っていた仕事でしたが、後述する内部でのノルマ達成のために、稲葉の仕事は段々と薄汚れたものとなっていきます。
裏社会で活動する人物は、その周辺が摘発できる材料で溢れているため、警察官とは対称的な存在であっても、稲葉の仕事に必要な人物たちでした。
稲葉圭昭の経歴③銃の摘発を自作自演していた
そしてある時からノルマをより多くこなすために、真面目な捜査は行わず、この捜査協力者達と共謀して自演した仕事ばかりをするようになったのです。
また銃に関する法の改正は、警察官が銃を安易に手にできるような仕組みとなりました。この法律を使い、合法的に事前に自分が仕入れた銃をやくざに渡し、同意を得たうえで自首させる、
銃を予めコインロッカーに入れておいて通報させるなど、業務は捜査協力者と打ち合わせたものばかりでした。こういった方法で稲葉事では次々に銃の摘発件数を上げており、ノルマをクリアしていたのでした。
稲葉圭昭の経歴④銃の摘発に関してはエースとなっていた
この計画のおかげで、稲葉のノルマ達成率はダントツでエースとなるのでした。その数は稲葉事件として扱われる数年間のうち、およそ100丁近くというペースでした。
内部でも、通常なら時間を要する事案であっても稲葉は数日後に簡単に銃を取ってくる、という高い評価ばかり受けており、誰もその方法に疑問を持つことはありませんでした。
次第に稲葉はその余裕からか、ノルマがある中摘発数を上げることができない他の捜査員への同情からか、他の人のノルマまで引き受けるようになります。
稲葉圭昭の経歴⑤捜査協力者を抱えるため密売に手を出していた
一方で、捜査協力者には〈自作自演の摘発〉と引き換えに、食事をおごるなどの接待が必要でした。その接待は当然業務時間外に行うことが多かった為、多くの時間とお金を必要としました。
その金銭は捜査を教え込んだ上司から受け取ることもありましたが、少額で全く足りていなかったため、稲葉はしばらくは自費でその支払いをしていました。
しかし多数の捜査協力者を抱えていたので次第に自費でのやり繰りが難しくなります。そこでついに捜査協力者たちと〈麻薬の密売〉などに手を出してしまうことになります。
稲葉はどのようにして覚せい剤や銃を仕入れていたのか?
ノルマの突破に〈覚せい剤〉や〈銃〉が大量に必要となった稲葉事件中の稲葉氏。しかし簡単に手に入るものではありません。稲葉事件では一体どんな方法でそれらを入手していたのでしょうか。
稲葉と手を組んだ中古車販売業者の販売先はロシアマフィア
稲葉事件では捜査協力者と手を組み、物品の売り買いをして〈銃〉や〈麻薬〉を得ていました。ある時には捜査協力者のパキスタン人が経営する中古車販売業者と車を売っていました。
売られている中古車は、ほとんどが盗難したものでした。そして、その中古車を購入するのは日本人ではありません。客はロシアのマフィアです。
稲葉は捜査協力者同士の繋がりで人脈を広げ、覚せい剤や銃を得るために海外のマフィアを利用した取引に行き着いたのです。
中古車の代金を覚せい剤や銃で支払わせた
盗難した中古車は、捜査協力者によってロシア人船員に引き渡されました。そしてその代金として、ロシアマフィア側から〈覚せい剤〉〈銃〉〈カニ〉などを受け取っていました。
この他の相手にも、物やお金を用意すると交渉し、その対価として摘発できる材料を持ってくるよう指示する、という方法がとられていました。
捜査協力者が売った覚せい剤や銃を稲葉が検挙していた
代金となる〈銃〉や〈覚せい剤〉は自分で売ることもしていましたが、多くは捜査協力者に渡され、再び自作自演の摘発を行い、ノルマ達成のための業績となっていくというサイクルでした。
国内の捜査関係者だけではノルマの点数稼ぎに限界が来ていましたが、この方法で一度に大量の摘発を行うことができ、業務の点数を更に上げることが可能となりました。
この方法を取り稲葉事件は加速していくことになります。組織に立ち向かうのは簡単ではありませんが、稲葉事件では問題となるノルマなどを誰一人として指摘する事がなかったのが残念です。
稲葉事件は何故起きてしまったのか?事件の背景にある問題とは
稲葉事件は〈警察内部〉での問題が事件に繋がってしまいましたね。ここでは稲葉事件を加速させることになった問題を取り上げてみます。
稲葉事件の背景①警察内部で事件の摘発を点数制にしていた
まず初めに気になる問題は、業務に点数付けをしていたことです。何故、警察官がその業務に点数を付ける必要があったのでしょうか。
稲葉が最初に就いた〈機動捜査隊〉は、夜間業務の人数が足りていなかったことで設置され、その中で業務に対する意識を高めることを目的に点数付けを始めたようです。
そしてその点数はかなり細かく設定されていました。例えば、覚せい剤所持での逮捕=10点・覚せい剤5g以上=プラス5点などといったようなもので、事案だけでなくその量や数まで指定されています。
稲葉事件の背景②毎月のノルマを達成しなければ罰則
もうお分かりかと思いますがその点数にはノルマがあります。二人組で行う捜査もあり、そういったものには月に合わせて30点以上などのさらに高いノルマが課せられていました。
そしてノルマをクリアできない場合は罰則を受けなければなりませんでしたが、毎月同じように点数の稼げる犯罪が起こるとは限りませんので、現場は疲れ果てていきます。
このように厳しいノルマが付きつけられることが代々から続いてきたことで、設置された頃の本来の点数付けやノルマ制の目的は変わり、ただ点数を上げノルマをクリアすることだけが目的となってしまっていました。
稲葉事件の背景③銃の検挙には力を入れていた
1990年代、全国各地で〈銃器〉による重大な事件が多発していました。それにより警察庁は全警察に〈銃器対策室〉を置くよう指示します。
北海道警察でも早速、〈防犯部保安課銃器対策室〉が設置されますが、点数稼ぎを重視していた〈銃器対策室〉幹部は、どんな手段であっても点数さえ取れれば良いという指示を部下たちに出します。
〈銃器犯罪第二係長〉だった稲葉もその指示に従って捜査を行います。稲葉事件調査後にわかったのですが、押収された銃はほとんどが「クビなし拳銃」と言われる誰の物か分からないものでした。
稲葉事件の背景④稲葉は他人のノルマも引き受ける重圧に疲労
稲葉は他の捜査員のノルマまで引き受けていましたが、次第に重圧を感じるようになります。検挙率を上げようとするほど、より多くの捜査協力者と会う必要があるためです。
また時には自分の職業を隠して暴力団関係者の上層部との接触を行うこともありました。命の危機を感じる出来事もあり、とても恐ろしい経験だったと語っています。
また上司もこのような捜査に加わっていたため、それぞれの思惑がぶつかり上司との関係も徐々に悪化していました。点数稼ぎには最適な手段でしたが、疲労が溜まっていきます。
稲葉事件の背景⑤覚せい剤取引を見逃していた?!
〈銃〉の大量摘発をしようと、暴力団員と稲葉事件中に画策。香港のマフィアから〈覚せい剤〉を密輸し、数回まで見逃し相手が油断した頃、次回の密輸物を大量の〈銃〉に変えそこに突撃するという計画です。
しかしこれは失敗に終わります。計画を持ち掛けた暴力団員が最初の覚醒剤密輸後に失踪したのです。故意に見逃したというよりは、共謀者に逃げられ計画を遂行できず、結果密輸を見逃してしまう形になりました。
この事件で得た〈覚せい剤〉はほぼこの暴力団員のもとへ入りましたが、中1㎏は稲葉が引き抜き所持し、それらを捜査協力者達に配っていました。自首した渡辺が持っていたのもこの時の物でした。
稲葉事件に関わっていた畑中絹代とは?
稲葉事件では内部の人間も犯行や隠蔽に協力していましたが、その中には畑中絹代という女性の姿もありました。稲葉とは親密な付き合いがあったようですが畑中絹代はどのような人物なのでしょうか。
畑中絹代とは?稲葉圭昭の不倫相手で巡査部長!
畑中絹代は当時33歳で北海道警察〈本部銃器対策課〉の〈巡査部長〉でした。稲葉とは交際関係にあり、同じ職業ということで、仕事や特にプライベートで親密な関係にあったようです。
しかし稲葉は当時既に結婚しており、子供もいましたので実際には稲葉と畑中絹代は不倫関係であったと言えます。
事件後に畑中絹代の自宅から覚せい剤用のパイプが見つかる
稲葉事件発覚後、交際相手である畑中絹代の自宅にも捜索が入りました。そこで畑中絹代の自宅から〈覚せい剤〉を摂取するためのパイプが二本発見されました。
検査したところ薬物反応は出なかったため罪に問われることはありませんでしたが、稲葉の部屋から持ち帰った物だったため、稲葉事件に関する何らかの情報を共有、又は知っていたことを示唆しています。
畑中絹代は稲葉の捜査協力者の飲酒運転を偽証した罪に問われた
畑中絹代は稲葉事件発覚後、稲葉の親戚の男性、捜査協力者の男性と共に外出先で飲酒していました。稲葉が逮捕されたことを慰めるために3人で飲みに出ていたようです。
その帰りに、捜査協力者の男性が飲酒運転する車で事故を起こします。調査で畑中絹代は捜査協力者の男性を庇い、「自分が運転した」と嘘の証言をした為〈犯人隠匿容疑〉で検察官に送致されました。
稲葉事件の裁判の行方は?
稲葉事件は内部の人間を含む多くの関係者が各方面から加担しているため、責任の重さがどこに置かれるのか、公平な裁判となったのかが疑わしいところです。それぞれの判決はどのように出たのでしょうか。
稲葉圭昭には懲役9年・罰金160万円の実刑判決
裁判は札幌地裁で2002年11月から開かれ、翌年2003年4月に稲葉は〈懲役9年〉、〈罰金160万円〉の判決を言い渡されました。裁判の中では、密売で莫大な金額を得たこと、
鑑賞用や利益目的のために〈銃〉を受け取っていたこと、そしてその〈銃〉を暴力団などに売っていたこと、稲葉自身も1999年頃から〈覚せい剤〉の使用を始めたことを認めました。
他にも大麻の密売、違法な〈おとり捜査〉、泳がせ捜査について供述し、捜査協力者と共謀して摘発数を上げていたことについては上司の指示であったことを証言しました。
そして取り調べの中、稲葉が中々認めたがらなかった罪がありました。〈覚せい剤の使用〉についてです。所持・密売についてはすんなりと認めました。
しかし使用については色々な理由をつけてかわします。罪悪感が他の犯行よりも大きかったことや、使用した経緯・その心境について供述することに恥ずかしさがあったのかもしれません。
おとり捜査に関わっていたロシア人は懲役2年の実刑判決
前述した〈おとり捜査〉で逮捕されたロシア人船員は、有罪判決を受け〈懲役2年〉の刑期を過ごした後帰国しました。弁護側は今回の〈おとり捜査〉の違法性を訴えていましたが、退けられていました。
現場には捜査協力者がいましたが、この〈おとり捜査〉を隠すためいなかったことにし、虚偽の捜査報告書を作成していました。
しかし稲葉事件発覚後の調査で、虚偽の報告がなければ判決は無罪又は懲役2年以下になっていた可能性があると判断され、道にこのロシア人に対しての賠償責任があるという判決が下されました。