稲葉事件の概要と北海道警察の闇に迫る!稲葉圭昭や畑中絹代のその後も!

稲葉事件には捜査協力者と言われる多数の人物が登場します。この人物らは名前の通り捜査業務に協力する人たちでした。稲葉事件で最初の逮捕者となる渡辺もこの捜査協力者です。

〈捜査協力者〉達が存在する理由のひとつに、新人時代上司に「待っているだけでは仕事にならない、自分目当てに依頼をしてくる捜査協力者を作ってから一人前」と指導されてきたことがありました。

警察官として駆け出しの頃、〈捜査協力者〉を作るために様々な被害者と多く会い、聞き込みを繰り返すという熱心な作業をしていました。人探しには人の繋がりが一番大事だと考えていたからです。

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しかし稲葉の〈捜査協力者〉は被害者側だけではありません。裏社会で活動しているやくざなども〈捜査協力者〉としてその人脈に含まれて行きます。稲葉事件の原因はここにあります。

初めは真面目に行っていた仕事でしたが、後述する内部でのノルマ達成のために、稲葉の仕事は段々と薄汚れたものとなっていきます。

裏社会で活動する人物は、その周辺が摘発できる材料で溢れているため、警察官とは対称的な存在であっても、稲葉の仕事に必要な人物たちでした。

稲葉圭昭の経歴③銃の摘発を自作自演していた

 

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そしてある時からノルマをより多くこなすために、真面目な捜査は行わず、この捜査協力者達と共謀して自演した仕事ばかりをするようになったのです。

また銃に関する法の改正は、警察官が銃を安易に手にできるような仕組みとなりました。この法律を使い、合法的に事前に自分が仕入れた銃をやくざに渡し、同意を得たうえで自首させる、

銃を予めコインロッカーに入れておいて通報させるなど、業務は捜査協力者と打ち合わせたものばかりでした。こういった方法で稲葉事では次々に銃の摘発件数を上げており、ノルマをクリアしていたのでした。

稲葉圭昭の経歴④銃の摘発に関してはエースとなっていた

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この計画のおかげで、稲葉のノルマ達成率はダントツでエースとなるのでした。その数は稲葉事件として扱われる数年間のうち、およそ100丁近くというペースでした。

内部でも、通常なら時間を要する事案であっても稲葉は数日後に簡単に銃を取ってくる、という高い評価ばかり受けており、誰もその方法に疑問を持つことはありませんでした。

次第に稲葉はその余裕からか、ノルマがある中摘発数を上げることができない他の捜査員への同情からか、他の人のノルマまで引き受けるようになります。

稲葉圭昭の経歴⑤捜査協力者を抱えるため密売に手を出していた

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一方で、捜査協力者には〈自作自演の摘発〉と引き換えに、食事をおごるなどの接待が必要でした。その接待は当然業務時間外に行うことが多かった為、多くの時間とお金を必要としました。

その金銭は捜査を教え込んだ上司から受け取ることもありましたが、少額で全く足りていなかったため、稲葉はしばらくは自費でその支払いをしていました。

しかし多数の捜査協力者を抱えていたので次第に自費でのやり繰りが難しくなります。そこでついに捜査協力者たちと〈麻薬の密売〉などに手を出してしまうことになります。

稲葉はどのようにして覚せい剤や銃を仕入れていたのか?

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ノルマの突破に〈覚せい剤〉や〈銃〉が大量に必要となった稲葉事件中の稲葉氏。しかし簡単に手に入るものではありません。稲葉事件では一体どんな方法でそれらを入手していたのでしょうか。

稲葉と手を組んだ中古車販売業者の販売先はロシアマフィア

稲葉事件では捜査協力者と手を組み、物品の売り買いをして〈銃〉や〈麻薬〉を得ていました。ある時には捜査協力者のパキスタン人が経営する中古車販売業者と車を売っていました。

売られている中古車は、ほとんどが盗難したものでした。そして、その中古車を購入するのは日本人ではありません。客はロシアのマフィアです。

稲葉は捜査協力者同士の繋がりで人脈を広げ、覚せい剤や銃を得るために海外のマフィアを利用した取引に行き着いたのです。

中古車の代金を覚せい剤や銃で支払わせた

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盗難した中古車は、捜査協力者によってロシア人船員に引き渡されました。そしてその代金として、ロシアマフィア側から〈覚せい剤〉〈銃〉〈カニ〉などを受け取っていました。

この他の相手にも、物やお金を用意すると交渉し、その対価として摘発できる材料を持ってくるよう指示する、という方法がとられていました。

捜査協力者が売った覚せい剤や銃を稲葉が検挙していた

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代金となる〈銃〉や〈覚せい剤〉は自分で売ることもしていましたが、多くは捜査協力者に渡され、再び自作自演の摘発を行い、ノルマ達成のための業績となっていくというサイクルでした。

国内の捜査関係者だけではノルマの点数稼ぎに限界が来ていましたが、この方法で一度に大量の摘発を行うことができ、業務の点数を更に上げることが可能となりました。

この方法を取り稲葉事件は加速していくことになります。組織に立ち向かうのは簡単ではありませんが、稲葉事件では問題となるノルマなどを誰一人として指摘する事がなかったのが残念です。

稲葉事件は何故起きてしまったのか?事件の背景にある問題とは

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稲葉事件は〈警察内部〉での問題が事件に繋がってしまいましたね。ここでは稲葉事件を加速させることになった問題を取り上げてみます。

稲葉事件の背景①警察内部で事件の摘発を点数制にしていた

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まず初めに気になる問題は、業務に点数付けをしていたことです。何故、警察官がその業務に点数を付ける必要があったのでしょうか。

稲葉が最初に就いた〈機動捜査隊〉は、夜間業務の人数が足りていなかったことで設置され、その中で業務に対する意識を高めることを目的に点数付けを始めたようです。

そしてその点数はかなり細かく設定されていました。例えば、覚せい剤所持での逮捕=10点・覚せい剤5g以上=プラス5点などといったようなもので、事案だけでなくその量や数まで指定されています。

稲葉事件の背景②毎月のノルマを達成しなければ罰則

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もうお分かりかと思いますがその点数にはノルマがあります。二人組で行う捜査もあり、そういったものには月に合わせて30点以上などのさらに高いノルマが課せられていました。

そしてノルマをクリアできない場合は罰則を受けなければなりませんでしたが、毎月同じように点数の稼げる犯罪が起こるとは限りませんので、現場は疲れ果てていきます。

このように厳しいノルマが付きつけられることが代々から続いてきたことで、設置された頃の本来の点数付けやノルマ制の目的は変わり、ただ点数を上げノルマをクリアすることだけが目的となってしまっていました。

稲葉事件の背景③銃の検挙には力を入れていた

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1990年代、全国各地で〈銃器〉による重大な事件が多発していました。それにより警察庁は全警察に〈銃器対策室〉を置くよう指示します。

北海道警察でも早速、〈防犯部保安課銃器対策室〉が設置されますが、点数稼ぎを重視していた〈銃器対策室〉幹部は、どんな手段であっても点数さえ取れれば良いという指示を部下たちに出します。

〈銃器犯罪第二係長〉だった稲葉もその指示に従って捜査を行います。稲葉事件調査後にわかったのですが、押収された銃はほとんどが「クビなし拳銃」と言われる誰の物か分からないものでした。

稲葉事件の背景④稲葉は他人のノルマも引き受ける重圧に疲労

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稲葉は他の捜査員のノルマまで引き受けていましたが、次第に重圧を感じるようになります。検挙率を上げようとするほど、より多くの捜査協力者と会う必要があるためです。

また時には自分の職業を隠して暴力団関係者の上層部との接触を行うこともありました。命の危機を感じる出来事もあり、とても恐ろしい経験だったと語っています。

また上司もこのような捜査に加わっていたため、それぞれの思惑がぶつかり上司との関係も徐々に悪化していました。点数稼ぎには最適な手段でしたが、疲労が溜まっていきます。

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