稲葉事件の概要と北海道警察の闇に迫る!稲葉圭昭や畑中絹代のその後も!

〈銃〉の大量摘発をしようと、暴力団員と稲葉事件中に画策。香港のマフィアから〈覚せい剤〉を密輸し、数回まで見逃し相手が油断した頃、次回の密輸物を大量の〈銃〉に変えそこに突撃するという計画です。

しかしこれは失敗に終わります。計画を持ち掛けた暴力団員が最初の覚醒剤密輸後に失踪したのです。故意に見逃したというよりは、共謀者に逃げられ計画を遂行できず、結果密輸を見逃してしまう形になりました。

この事件で得た〈覚せい剤〉はほぼこの暴力団員のもとへ入りましたが、中1㎏は稲葉が引き抜き所持し、それらを捜査協力者達に配っていました。自首した渡辺が持っていたのもこの時の物でした。

稲葉事件に関わっていた畑中絹代とは?

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稲葉事件では内部の人間も犯行や隠蔽に協力していましたが、その中には畑中絹代という女性の姿もありました。稲葉とは親密な付き合いがあったようですが畑中絹代はどのような人物なのでしょうか。

畑中絹代とは?稲葉圭昭の不倫相手で巡査部長!

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畑中絹代は当時33歳で北海道警察〈本部銃器対策課〉の〈巡査部長〉でした。稲葉とは交際関係にあり、同じ職業ということで、仕事や特にプライベートで親密な関係にあったようです。

しかし稲葉は当時既に結婚しており、子供もいましたので実際には稲葉と畑中絹代は不倫関係であったと言えます。

事件後に畑中絹代の自宅から覚せい剤用のパイプが見つかる

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稲葉事件発覚後、交際相手である畑中絹代の自宅にも捜索が入りました。そこで畑中絹代の自宅から〈覚せい剤〉を摂取するためのパイプが二本発見されました。

検査したところ薬物反応は出なかったため罪に問われることはありませんでしたが、稲葉の部屋から持ち帰った物だったため、稲葉事件に関する何らかの情報を共有、又は知っていたことを示唆しています。

畑中絹代は稲葉の捜査協力者の飲酒運転を偽証した罪に問われた

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畑中絹代は稲葉事件発覚後、稲葉の親戚の男性、捜査協力者の男性と共に外出先で飲酒していました。稲葉が逮捕されたことを慰めるために3人で飲みに出ていたようです。

その帰りに、捜査協力者の男性が飲酒運転する車で事故を起こします。調査で畑中絹代は捜査協力者の男性を庇い、「自分が運転した」と嘘の証言をした為〈犯人隠匿容疑〉で検察官に送致されました。

稲葉事件の裁判の行方は?

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稲葉事件は内部の人間を含む多くの関係者が各方面から加担しているため、責任の重さがどこに置かれるのか、公平な裁判となったのかが疑わしいところです。それぞれの判決はどのように出たのでしょうか。

稲葉圭昭には懲役9年・罰金160万円の実刑判決

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裁判は札幌地裁で2002年11月から開かれ、翌年2003年4月に稲葉は〈懲役9年〉、〈罰金160万円〉の判決を言い渡されました。裁判の中では、密売で莫大な金額を得たこと、

鑑賞用や利益目的のために〈銃〉を受け取っていたこと、そしてその〈銃〉を暴力団などに売っていたこと、稲葉自身も1999年頃から〈覚せい剤〉の使用を始めたことを認めました。

他にも大麻の密売、違法な〈おとり捜査〉、泳がせ捜査について供述し、捜査協力者と共謀して摘発数を上げていたことについては上司の指示であったことを証言しました。

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そして取り調べの中、稲葉が中々認めたがらなかった罪がありました。〈覚せい剤の使用〉についてです。所持・密売についてはすんなりと認めました。

しかし使用については色々な理由をつけてかわします。罪悪感が他の犯行よりも大きかったことや、使用した経緯・その心境について供述することに恥ずかしさがあったのかもしれません。

おとり捜査に関わっていたロシア人は懲役2年の実刑判決

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前述した〈おとり捜査〉で逮捕されたロシア人船員は、有罪判決を受け〈懲役2年〉の刑期を過ごした後帰国しました。弁護側は今回の〈おとり捜査〉の違法性を訴えていましたが、退けられていました。

現場には捜査協力者がいましたが、この〈おとり捜査〉を隠すためいなかったことにし、虚偽の捜査報告書を作成していました。

しかし稲葉事件発覚後の調査で、虚偽の報告がなければ判決は無罪又は懲役2年以下になっていた可能性があると判断され、道にこのロシア人に対しての賠償責任があるという判決が下されました。

稲葉圭昭の交際相手の畑中絹代は略式起訴となり懲戒免職

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畑中絹代は稲葉事件発覚後に、先述した交通事故を起こし取り調べを受けましたが、そこで畑中絹代にもいくつかの問題行動があったことがわかりました。

そのため略式起訴となり懲戒免職処分されました。札幌簡易裁判所は畑中絹代に罰金20万円の略式命令を下しています。

稲葉と深い交際関係にあったこと・自宅から覚せい剤を摂取するためのパイプが二本押収されたこと・捜査協力者の男性の飲酒運転を黙認し交通事故を起こしたことなどから懲戒免職処分となりました。

北海道警察に対しては責任が問われなかった

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裁判では稲葉事件の要因となった北海道警察の体質についても、稲葉の口から様々な証言がされています。

おとり捜査やノルマ制の指示、また悪事を働いても警察内部全体でそれを黙認する空気ができあがっていたことなどについては、北海道警察自体が正さなければならない大きな問題です。

しかし裁判では北海道警察が責任を問われることは一切ありませんでした。こういった部分からも、問題が起きても組織ぐるみで自分たちの身を守ることが優先されていることがうかがえます。

稲葉事件発覚後の北海道警察はどうなった?

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稲葉事件発覚から裁判が起きても、自らの体質を正そうとしなかった北海道警察ですが、このような重大な事件が起きてしまったその後はどうなったのでしょうか。

稲葉事件発覚後の北海道警察①裏金問題が発覚した

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2003年、北海道警察では裏金問題が発覚しました。この事件はメディアの調査報道で発覚し大々的に報道されました。市民の耳に入ったことで多くの反発を買い、当時の北海道知事も対応に追われることとなりました。

裏金問題では、捜査協力者がいない場合にも協力があったと嘘の報告をした他、偽の領収書を作成し、本部に架空の請求を行っていました。そしてその請求金は私的利用のために幹部などが受け取っていました。

これは北海道全域のほとんどの警察署が行っており、後に本部自体もこの裏金作りに関与していたことがわかりました。会見では本部長が不正な経理はなかったと発言したため捜査に本腰が入らない状態が続きます。

稲葉事件発覚後の北海道警察②処分と再発防止策を発表

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翌年、内部調査がようやく始まりました。釧路方面元本部長が退職後、裏金問題はあったと記者会見で発表、それを皮切りに次々と裏金があったと告発する元幹部たちが現れます。

調査の結果、処分を受けた人数は3235人にのぼり、内98人が懲戒処分、86人が減給処分、11人が戒告処分、本部長含む137人が内規処分、2750人が口頭厳重注意・口頭注意となりました。

しかし内部調査を行ったのはほとんどが幹部クラスだった為か、道全域で行われた大規模な不祥事事件であるにもかかわらず、軽い処分ばかりとなりました。

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また稲葉事件後の対策として北海道警察は、組織犯罪捜査に携わる部門に専任監察官と適正捜査指導官を配置する再発防止策を立てていました。

それにもかかわらず今回の大規模な裏金問題が発覚したことは、警察内部に自浄作用がないことの現れです。

その様子から北海道議会では裏金問題についての百条委員会の設置の提案が出されますが、すべて否決されています。

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