金村剛弘とは?集団リンチ事件の真相と六本木クラブ襲撃事件の因果に迫る

金村剛弘は関東連合最強の男とも呼ばれましたが、西新宿五丁目・集団リンチ事件で撲殺され最期を遂げました。金村剛弘の死は後に六本木クラブ襲撃事件にも発展しています。この記事では、金村剛弘の生い立ちの紹介、集団リンチ事件の詳細や真相にも迫ります。

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金村剛弘とは?関東連合最強とも呼ばれた男

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皆さんはこの人物の事をご存じですか?『アウトロー』や『喧嘩』などの分野に興味がありどこか惹かれてしまう人。過去や現在に『不良』だった人や『アングラ』に精通している人であれば知っているかもしれません。氏名に『金』と『剛』が付いていて生まれながらにどこか強そうで番長気質なのかと先入観が働いてしまいそうです。

また上記の漢字が2つ含まれている事からアニメや漫画の空想のキャラクターの名前と勘違いしてしまいそうです。しかし実際に実在している人物であり、本当に名前に劣らないくらい『強い』人物であり、また番長気質というのもあながち間違っていないのです。彼がどんな人物であるか皆さんに余す事なくご紹介していきます。

金村剛弘の生い立ち

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ご存じない方からしたら恐らく名前が強そうで実際に強くて番長みたいな人物という、少ない情報しか把握していないので、まだぼんやりなイメージしかないはずです。どんな人物でどんな人柄なのか、人となりを詳しく知っていただくためにも、まずは過去にさかのぼり彼の『生い立ち』や『経歴』などを解説していきます。

彼は現在から44年前の昭和50年12月に関東圏、日本の首都であり大都市である『東京都』で生まれました。つまり彼は2019年現在44歳になるのですが、後述にて詳しく解説しますが、数年前に事件に巻き込まれて命を奪われてしまい、すでに亡くなっています。生まれたときからほとんど東京に在住して生活していたと考えられます。

金村剛弘の本名は「金剛弘」

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実は彼の本名は『金剛弘』というのですが、なんて読むと思いますか?日本人であれば『こんごうひろし』なんていう風に読んでしまいがちが、本当は『きむがんほん』と呼ぶのです。そうなんです彼は日本人ではなく『在日韓国人』だったのです。母親、父親ともに韓国人であり2人は日本である食糧販売店を経営していたのです。

そこでは韓国ならではなの国際料理や食材が本場韓国から取り寄せられて、私たち日本人に販売していました。経営状態はまずまずといった感じで順調でした。他にも『アングラ』筆頭の繁華街『歌舞伎町』にビルを所有しておりほかの事業も展開していたといわれています。両親がこの町にゆかりがあったことも彼の人柄を形成した大きなポイントなのではないでしょうか。

2019年現在も食糧販売店が存在する

その当時まずまずな経営状態であった、地元韓国の料理や食料を取り寄せて商売をする食糧販売手ですが、2019年現在も存在していて経営を続けているようです。またおしゃれなデザインで現代の『ホームページ』設けていて、売り上げや経営状態は過去より順調で『一流企業』と称されるほどらしいです。

金村剛弘は東京朝鮮高等学校を中退

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続いては学生時代について解説していきます。どこの何という名前の学校かは公表されていませんが、『小学校』『中学校』は私たち日本人と同じ共学の学校に通っていたそうです。高校生は東京都に存在する『朝鮮学校』に入学しました。恐らくは東京都23区北区にある中高合併校であり、その当時は全校生徒合わせて1000人近く在籍していたと考えられます。

彼は何らかの理由でその高等学校を『中退』していますが、問題行動や非行に走ったからなのか、自ら学校に通わなくなったのかなどは分かっておりません。喧嘩最強と呼び声高い人物なのですが、学生時代から喧嘩に明け暮れていたのか?また負けなしだったのか?なども残念ながら明らかになっていないのです。

金村剛弘は父親の会社「一力物産」で働く

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ネットや世間の身の情報では深くは語られず、彼の同級生や知人、友人しか『学生時代』を知らないのではないでしょうか?高校を中退して学生時代と少年時代に終わりを告げたあと、彼はその当時から順調な売上を出していた父親が経営する食糧販売店で働くことになり社会人になります。

この時の勤怠状況や職場での様子など気になる所ですが、こちらも良く分かっておりません。しかし彼の性格は『人情深く』『義理堅い』『交友的』『熱血』といった言葉が相応しく、性格の面から考えると親の職場で働いているわけですし、熱心に真面目に勤めていたと推測できるのではないでしょうか?

金村剛弘は新宿ジャックスを結成、関東連合の後見人となる

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先ほどの見出しで少し性格についてお話させていただきましたが、幼い少年の時からそんな性格であったのか、ある著名人が小学生高学年のときに『いじめ』を受けていましたが、それを助けたのが彼だったのです。それ以降2人は非常に仲良くなり、その著名人は彼の事を『兄貴』として慕って生前はずっと交流があったようです。

著名人と彼の2人はほかのメンバーたちと『新宿ジャックス』というグループ(暴走族、不良集団、チーマー)のようなものを結成しました。名前からもわかる通り新宿を拠点にして次第に関東圏を中心に勢力が拡大していきました。

関東連合とつながりを持つ

結成したグループと彼は活躍を見せていき、2つの名はアングラ界で名を馳せていきました。その様子を見ていた当時、関東圏を中心に圧倒的な勢力を誇っていた暴走族『関東連合』は彼のことを注目して一目置き、接触すると交流関係を築き、彼は関東連合の『支援者』や『片腕』のようなポジションについていったのです。

著名人とはだれなのか?

知っている人は知っているはずですが、元モデルで現在はブランドプランナーやデザイナーとしてマルチジャンルで活躍されている『岡沢高宏』さんです。ご職業よりもあの国民的女優の『広末涼子』さんの元内縁の夫であったことのほうが有名かもしれません。

金村剛弘は関東連合現役メンバーではなかったが慕われていた

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彼はもともとは自分で立ち上げたグループに所属していて、後に関東連合に目を付けられてグループごと所属することになり、自身も『支援者』『片腕』的存在として関わっていました。つまり現役のメンバーではありませんでした。しかし彼の漢気溢れる厚い性格、義理堅く人情味溢れる人物だったのか創立メンバーや現役メンバーから慕われるようになっていきました。

この時にどれだけの喧嘩や乱闘をしたのか?またどんな武勇伝があるのか?どんな活動をしていたのか?などは判明していませんが、恐らくは彼をよく知る『アングラ』に精通する人たちから語り草となっていることでしょう。ここまで彼の生い立ちや経歴を解説していきましたが、表立った『犯罪行為』や『問題行動』などはありませんでしたね。

金村剛弘の人物像

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先ほど判明している範囲で彼の生い立ちや経歴などの過去についてお話していきましたが、詳しくとまではいきませんが、大まかな概要については知っていただけたはずです。人柄や性格についても少し触れましたがこちらでもう少し詳しく彼の『人物像』について考察していきます。名前だけしか知らない方もこの機会に彼の内面的な部分も知っておきましょう。

金村剛弘は情に厚いタイプだった

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彼の性格は冷酷や薄情なんていうものと正反対で、人情味溢れて義理堅く、いわゆる『厚い』人間でした。何が人が困っていれば自分にも危害や困難が及ぶことになっても、進んで助けようと手を差し伸べて、仲間や見方が誰かに傷つけられたり、痛み付けられたりしたら、黙ってはいられず『報復』を果たそうと考える。

他の男性からしたら惹かれる存在であり、また部下や後輩から慕われる存在でもあるのです。つまり『兄貴肌』でありました。前述したようにあの広末涼子と内縁関係にあった元夫である人物は『舎弟』として彼と深い交流を続けていたのです。この漢気ある人格も『ケンカ』が強い秘訣なのかもしれません。

金村剛弘は八方美人の傾向があった

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