許永中とは?フィクサーと呼ばれた男の生い立ちや現在!【イトマン事件】

1991年の7月23日に大阪地方検察庁特別捜査本部が逮捕し、その後起訴しました。特別背任の疑いで伊藤と許永中と河村を含む6人が逮捕されました。当時は大きなニュースでした。

許永中の判決は懲役7年・罰金は5億円

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最高裁は上告を棄却、許永中については懲役7年6ヶ月で罰金は5億円、伊藤については懲役10年の刑が下り、河村は懲役7年の刑が確定しました。許永中は判決が下ったときに倒れたと言います。

2005年に収監され、2012年には本人の希望により、韓国に移送されています。2013年の9月には仮釈放になり、翌年9月には釈放されます。

巨額の資金の行方は謎のまま

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しかし3000億にも上る資金は未だに行方が分かっていません。噂によると、暴力団や政治資金に流れたのではないかと言われています。許永中が事件の真相を話さないことにはその向こうの巨大な闇は見えてきません。

経済界か、政治資金か、金融界か、銀行ももはや闇資金を流用します。国家でも資金調達は必須です。なんでも吸い込む巨大ブラックホールは一般人にはすぐ近くにあっても見えてきません。

6億円の保釈金を払った

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6億円の保釈金を払ったとされていますがそのうち3億円は弁護団によって支払われてました。弁護団によって保釈金が支払われたのは、彼を救いたい者がいたのか、話されたら都合が悪い者がいたのでしょうか。

許永中の関わったイトマン事件が起こした影響は?

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イトマン事件は、あちこちに大きな傷跡をのこしました。イトマン本体はなくなりました。関西新聞もなくなりました。許永中ばかりではなく、バブル紳士たちは潮が引くようにいなくなりました。

あの時代はヤクザさえ次々と廃業して行っ時代です。近畿放送は20年以上かけて、復活を遂げています。イトマン事件というより、日本はバブルの傷痕を未だに拭えていないのです。

許永中の影響①イトマンは吸収合併に

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結局、一部上場企業の老舗企業のイトマンはオイルショック以降急速に経営が悪化しました。メインバンクであった住友銀行は当時常務の河村美彦を伊藤萬の社長として送り出します。

当時伊藤萬の4台目社長の伊藤寛は代表権のない会社会長としてとどまりました。河村は手腕を発揮し伊藤萬を総合商社とし、社名をイトマンに改めました(1991年1月1日)。

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しかし、平和相互銀行の内紛のための力添えを住友銀行の磯田頭取から頼まれ内紛株の買い戻しをしました。その後泥沼にはまり初期に発覚したイトマン事件により経営破綻しています。

住金物産に吸収合併されたのが1993年のことです。110年続いた会社が幕を閉じました。現在イトマンの名を残しているイトマンスイミングスクールは、教育事業のナガセの系列会社です。

許永中の影響②関西新聞は倒産

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許永中が関与していたとされる関西新聞は不渡りを出し1991年の4月に倒産、廃刊に追い込まれました。経済情報が中心のしっかりしたな紙面構成でしたが、1990年に許永中に乗っとられます。

許永中の頃には、韓国の経済情報なども掲載していました。関西新聞(日刊)は、かつては関西新聞の子会社だった月間のタウン紙を発行していた関西新聞とは違います。

1982年に新関西新聞と経営分離されています。新関西新聞や関西テレビ放送、ラジオ関西、京都放送も無関係です。倒産した関西新聞は単独の会社でした。

許永中の影響③近畿放送は廃局の危機に

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許永中の関与が噂されている近畿放送はノンバンクから146億円の融資を受けた際に、放送機材が抵当権に設定されてノンバンクに差し押さえられました。

協会申請にかけられた社屋を同社の労働組合が未払いの労働債権をもとに会社更生法申請しました。それによって廃局の事態は免れました。

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以降イトマン事件の関係者、旧経営陣を排除し、京都放送に社名を変更しました。2007年10月に会社更生法の解除申請が受け付けられました。債務の52億の7割を返済し、残りを返済しながら事業を継続。

イトマン事件当時115億で、51億を20年かけて返済してきました。地デジの設備投資で長引いていましたが、資金繰りの目処がつきやっと着いたようです。

イトマン事件により許永中は逮捕され、実業家としての名声を断たれています。その後や現在は何をしてるのでしょうか。

許永中は一度6億円の多額の保釈金を払うことによって韓国への逃亡を図っています。その際に裁判所には妻の実家で法要があると伝えています。しかし、韓国に出国した後入院することになります。

イトマン事件で保釈後の許永中の動き

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許永中の逃亡後の足取りをおうと何度も日本に出入りしていたのではないかと噂されています。許永中ほどの大物が何度もで出入りできる日本が浮き彫りにされています。

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