石川力夫とは?実話を元にした映画がすごい
石川力夫とは、昭和20年代当時に新宿駅東口にかなりの勢力を築きあげていた、和田薫が従えていた【和田組】若衆です。
ヤクザに大事な道理を破ったとして、この世界の伝説になり、後に彼の半生を題材にした【仁義の墓場】という題名でムービー化もされ、世に名前が知られました。
この記事では、石川力夫の半生や、ムービー【仁義の墓場】をすみずみまで紹介していきます。
石川力夫のリアル半生は?
本作のムービーにはフィクションが多く含まれていますが、実際はどのような人物で、どのような人生なのでしょうか?自分の親分に歯むかった理由や、妻の地恵子についても紹介していこうと思います。
親分を切りつけて逮捕
石川力夫は、盃を交わしたはずである和田薫の足を、日本刀で斬りつけ全治1ヶ月の大怪我を負わせました。
なぜリスクを負ってまでして刃をむけてしまったのでしょうか。
構ってくれないから切りつけた?
幼少期の頃の石川力夫は、実の母親ではなく継母に育てられており、邪険に扱われていました。実の父親は見ているにも関わらず、血の繋がっている息子をかばうことすらしませんでした。
幼い頃から愛情に飢えている石川力夫は事件当時、組に入った当初よりも和田に構ってもらえなかったことが理由で、怪我を負わせたのではないかと言われています。
関東所払いとなり出所後は大阪へ
傷害罪で逮捕され、府中刑務所で1年6ヶ月服役させられ、界隈からは親に刃をむけたとされ、【関東所払い10年】という、関東には10年間近づいてはいけない命が下されました。
普通なら組の頭に背いたという、殺されてもおかしくない事をしたのですが、流石に可哀想に思った看守が、他の有力な組に掛けあってくれたおかげで、命を奪われずに済んだそうです。
関東所払いの命が下されたので、出所後はすぐに東京を出て、大阪にいる妻の遠縁が営んでいる雑貨屋に、堅気を目指し住み込みで働きます。
薬物中毒となり破滅の道へ
東京に妻を残し、大阪の雑貨屋で真面目に堅気として働いていましたが、仕事がうまくいかないせいで、薬物に手を出してしまい体を蝕まれていきます。
薬物に侵された体はやせ細り、両方の肺は空洞になってしまい、顔色も悪く土気色になってしまいます。
東京に戻り兄貴分の今井幸三郎を殺害
大阪での堅気生活も普通には暮らせず、薬物におぼれている石川力夫は、【関東所払い10年】が下されているにも関わらず、わずか1年2ヶ月で再び東京に戻って来てしまいます。
密かに連絡を取っていた兄弟分の今井幸三郎にかくまってもらい、食事やお金を工面してもらって生活していましたが、庇ってくれていたにも関わらず、兄弟分を殺害してしまいます。