石川力夫の反逆人生とは?モデルとなった「仁義の墓場」のネタバレも

大阪での堅気生活も普通には暮らせず、薬物におぼれている石川力夫は、【関東所払い10年】が下されているにも関わらず、わずか1年2ヶ月で再び東京に戻って来てしまいます。

密かに連絡を取っていた兄弟分の今井幸三郎にかくまってもらい、食事やお金を工面してもらって生活していましたが、庇ってくれていたにも関わらず、兄弟分を殺害してしまいます。

石川力夫に絶望した妻が自殺

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石川力夫に無理矢理凌辱されて妻になった地恵子ですが、自分でも気が付かず知らず知らずのうちに彼を愛しており、一生の夫と決め陰ながら生活を支えていました。

夫が逃亡するために、お座敷で芸子として働き、資金を必死に工面していた地恵子ですが、自身も病魔に冒されており身も心も疲れきってしまった彼女は、石川力夫が今井をあやめた後に自殺してしまいます。

石川力夫は拘置所で飛び降り自殺

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石川力夫は今井を殺してしまった罰により、殺人罪及び未遂罪の2つの罪で懲役10年の刑を受け、再び府中刑務所に収監されました。

1956年2月2日、拘置所の屋上に登り、高さ15メートルから身を投げ、妻の地恵子を追うように自殺しました。拘置所の壁には【大笑い三十年の馬鹿騒ぎ】と辞世の句が書かれていたそうです。

石川力夫が自殺したという訃報を聞いた和田は、車の中で一言だけ『親不孝な奴だ』と呟いたそうです。

石川力夫のお墓

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主題にもなりムービーにも登場した石川力夫のお墓ですが、現在は東京都新宿区の西新宿7丁目にある常円寺というお寺に、実際に存在しています。

今現在もお墓参りに来る方が絶えず、その中には、本作を見たファンの方が多いようです。

墓石に刻まれた「仁義」の文字

やくざにとって大事な道理に背いてしまった石川力夫ですが、自分の墓石に【仁義】の文字を彫らせたのか、真相は謎のままですが、他の人間よりも頭の切れる男だったという証言があります。

なので、本来は【仁義】を通したいのだが、自分の中にある【激情】が自分自身で制御出来なかったため、せめて墓石に文字を彫ったのではないか、という説もあるそうです。

【仁義】の文字以外には、石川力夫自身と亡くなった妻の地恵子の他に、自らの手で殺害した今井幸三郎の文字も刻まれています。

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