ここまで石川力夫の半生について触れてきましたが、フィクションが含まれた物語は一体どのような内容なのか、謎が多いままです。
ここでは、ムービーのあらすじや、ネタバレを含めたストーリーの詳細、本作を見た方々の感想を紹介していきます。
あらすじ
終戦直後の昭和21年、新宿では縄張りを分け合う4つのテキ屋組織が存在しており、石川力夫は河田組に属していた。若い頃すでに凶暴だった彼は、抗争中に知り合った地恵子を強姦して情女にしました。
ある日、破壊衝動が抑えこめない石川力夫は、他の組が仕切る賭場で問題を起こします。同じ場にいた大親分の『野津組』野津喜三郎に一喝されてしまい、怒りにまかせたまま野津の車を焼いてしまいます。
そのことに対して激怒した河田は石川力夫を激しく殴り、殴られたことに激昇した石川力夫は、自身の親分である河田を刺して逮捕され、界隈からは命を狙われる人生になってしまいます。
刑務所でも囚人から命を狙われる石川力夫は、本来ならば殺されてもおかしくないところですが、【関東所払い10年】の命令が下されるのです。
兄弟分で仲の良かった今井の手を借り、妻に体を売らせて稼いだお金を持って、大阪で暮らす生活になったのですが、下された指示を破り1年後には東京に戻ってきてしまいます。
東京で親分に出世した今井幸三郎の賭場に石川力夫が姿を現しますが、がらりと姿の変わった石川力夫は次々に問題を起こしてしまい、やがて兄弟分に対しても、刃をむけてしまいます…。
気になるその後は?
関東に居てはいけないとの指示が出たせいで、大阪で暮らすはめになった石川力夫ですが、病気のせいで両方の肺がやられてしまい、ヘロイン中毒に陥ってしまいます。
薬物に身体を蝕まれた状態で今井の賭場で問題を起こしたのですが、今井は兄弟分を庇おうと、できるだけなんとか東京から遠ざけようとします。
ですが、石川力夫が嘘偽りを散々言ってくるのに対し、今井は遂に堪忍袋の緒が切れてしまい、彼を責め立ててしまいます。
凶暴な石川力夫は激怒し、我を忘れ兄弟分に日本刀を振りおろします。重傷を負わせた石川力夫は現場から逃走しましたが、再び今井の前に現れ、今度は銃弾を撃ち込みました。
目の前の危険な男を止めようと、今井の妻が必死に叫びますが、拳銃で撃たれてしまい右手に大怪我を負うはめになります。
アパートに潜んでいた石川力夫でしたが、警察や河田組員と今井組員に囲まれた状態で無差別に銃を撃ちます。ですが、弾切れになり外へ出たところで警察に取り押さえられてしまいます。
殺人及び殺人未遂の刑で懲役10年を告げられた夫の為に、妻の地恵子は病気で肺をやられた身体に鞭を打ち、保釈金を稼いでいたのですが、心身ともに疲れ切ってしまった彼女は手首を切り自殺してしまいます。
刑務所内で肺の病が悪化した石川力夫が、肺の治療のために仮出所する3日前の、昭和26年1月29日の出来事でした。石川力夫は火葬を終えた妻の骨壷を首から下げ、骨をかじりながら河田組に現れます。
河田組から得た金で墓石を作り、石工に一枚の紙を渡しながら『墓にはこう彫ってくれ』と頼みます。
地恵子の墓参りに訪れた際に、河田組員に襲撃され石川力夫は日本刀で斬られてしまいますが、一命を取り留めて治療生活を終え再び刑務所へと戻ります。
刑務所へ戻った石川力夫は刑務官を振り切り屋上へと登り、そこから身投げして生涯を終えます。昭和29年1月29日、知ってか知らずか、その日は地恵子の三回忌でした。
石川力夫直筆の遺書が拘置所の中に残されており、【大笑い 三十年の 馬鹿騒ぎ】が辞世の句でした。墓には自分の名前、そして地恵子と今井幸三郎の名前と一緒に【仁義】の二文字が彫られています。
ヤクザ映画の最高傑作の声が多数!
一見良くある作品に思われがちですが、一度見たら忘れるほうが難しいインパクトと、役者陣の演技でとても評価の高い作品です。数々の作品の中でも最高傑作と言われ称されています。
やくざの半生に興味のある方はこちらの記事もご覧ください。
石川力夫の「仁義の墓場」の新作リメイクが登場!
1975年に公開された本作ですが、実は三池崇史監督によって2002年に【新・仁義の墓場】としてリメイク公開されました。
本作では石川力夫役を渡哲也が演じていましたが、リメイクの【新・仁義の墓場】では渡哲也に代わり、任侠作品に多く出演している岸谷五朗さんが石川力夫役を演じています。
「仁義の墓場」の続編的立ち位置の映画とは?
石川力夫の半生を題材にした本作ですが、深作欣二監督によって【やくざの墓場 くちなしの花】という続編のような作品が制作されました。
主演は前作に引き続き渡哲也が演じており、内容自体に繋がりはありませんが、【警察との繋がり】がメインテーマとして描かれている作品です。
深作欣二監督の最期の作品は意外にも!
多くの任侠作品を手がけ、最高傑作といわれた本作を制作した深作欣二監督ですが、遺作は意外にもプレイステーション2の【クロックタワー3】というゲームのイベントCGムービーでした。
2002年に東映東京撮影所のスタジオで、数ヶ月間にわたり撮影に携わり、イベントシーンの映像を撮り終えました。当時のムービー撮影風景の映像は公式サイトで見られるようになっています。
石川力夫の半生と「仁義の墓場」は必見
やくざ界全員を敵に回し、伝説とまでいわれた石川力夫は、ムービーや小説などの物語となって今も語り継がれています。
頭の回転が良すぎたが故に、やくざの世界をうまく生きることができなかった石川力夫ですが、自らには通すことができなかったからこそ、墓石に【仁義】の文字を彫ったのかもしれません。