樋田淳也とは?大阪富田林署から脱走し自転車で逃亡した人物
2018年の8月に起きた本事件。まだ記憶に新しい人もいるのではないかと思います。ひったくりや強制性交、そして放火などを犯した犯罪者が大阪の刑務所から脱走したという事件です。この事件は聞いたことがあるけど子細は知らないという方が多いでしょう。ここではこの事件を隅々まで取り上げていきます。
樋田淳也の生い立ち
樋田淳也の実家は大地主のお坊ちゃまだった
近所の人の話によると、樋田淳也の実家には大きな芝生の庭がありドラム缶で悠々何かを自宅の庭で焼くことが出来るほどのかなり広い土地を有していた、いわゆる大地主と思われます。また、近所には祖父母が住んでおりそちらが所有する畑も結構な規模のものだったそうです。
樋田淳也は韓国国籍?
ニュース等ではハッキリとした樋田淳也の実家情報や国籍等が開示されたわけではなく、あくまでネット上の噂ですが、樋田淳也は韓国国籍いわゆる在日コリアンであるという噂がまことしやかにささやかれ始めました。一番初めにささやかれだしたのが2chという掲示板サイトなので信憑性はイマイチのように思えます。
しかし2ch以外でもこの話は出ており、樋田淳也の韓国名や住所も上げられだしました。ソースのハッキリしない情報を鵜呑みにするのは危険ですが、火のない所に煙は立たぬというように、全くのでたらめではない可能性もあります。
樋田淳也は子供の頃ボーイスカウトに入団
少年時代の樋田淳也は同級生や近所の評判も良く、快活で友人も多かったといいます。前述した兄とボーイスカウトの活動もしており地域貢献にも積極的だったようです。農耕機械に乗って祖母の畑の手伝いもしていた姿が目撃されており、幼少期はこのような事件を起こすようになるとは思えないくらいの良い子だったそうです。
樋田淳也の書いた小学校の作文に「友達は大切だ!!」といったタイトルのものがあり、友人関係も非常に良好だったことが窺い知れます。しかしなぜこのまま育ってくれなかったのだと悔やまれるような人物になっていったそうです。
樋田淳也は中学の頃から非行が目立つように
中学校に上がり、見識が広がり、交友関係が広がることはとても良いことですがこと樋田淳也に関してはそれが悪い方向に転んだようです。思春期という難しい時期ということも影響してか中学、高校といわゆる不良と呼ばれるような友人たちと交友関係を持つようになり、地元や友人から愛される少年は一転、要注意人物となっていました。
ご近所さんに挨拶をすることもなくなり、いかついいかにもそれっぽい雰囲気の友人と行動し、弱い存在には高圧的に、強い存在にはへりくだるという三下っぽさを醸し出すようになっていきます。そしてそれは高校後も落ち着くことなく続きます。
樋田淳也はドラム缶に火を付け警察に通報される
樋田淳也の迷惑行為はどんどんエスカレートしていき、ついには警察沙汰にまで発展します。なんと広いとはいえ一般家庭の庭で、ドラム缶に火をつけて中で何かを燃やしていたといいます。何を燃やしていたかは不明ですがあまりの火の勢いに近隣住民が延焼を恐れ警察を呼ぶほどでした。
他にも改造車で近隣を騒音をまき散らしながら爆走して回ったり、ときには警察に追いかけられ指導を受けるなどとにかく好き放題していたようです。優等生はどこへやら。樋田淳也はこのころから犯罪に走る可能性の片鱗を見せていました。
樋田淳也が非行に走ったのは父親の死がきっかけ?
あくまで憶測にすぎませんが、犯罪者をざっと見渡してみると、両親がとても優秀であったり偉大であったりする人、厳しい教育を施してきた家族の子ほど犯罪に走る割合が多いように思えます。真実は樋田淳也のみぞ知るといったところではありますが、父親に抑圧されていた感情が父親の死と共に解放されたことも考えられます。
樋田淳也が犯した罪
最初は大きなニュースにはならないような犯罪者として刑務所に収容されていた樋田淳也。樋田淳也が何故有名になったかと言えば、刑務所を脱走したからと言えるでしょう。では樋田淳也は脱走する前どのような罪を犯し刑務所に入っていたのでしょうか。脱走時に追加された罪状もそこに加えて説明していこうと思います。
樋田淳也が犯した罪①窃盗
彼が起こした事件の件数の中でこの窃盗に関する項目はダントツの多さです。逮捕前に1件。そして脱走中にはなんと17件にものぼる窃盗を繰り返していました。樋田淳也が起こした窃盗はどのようなものだったのか逮捕前、脱走後と分けて説明していきます。
逮捕前
最初の窃盗は2018年の5月24日でした。20代女性のかばんをバイクで追い抜き際にひったくるというひったくりのスタンダードとも言えるスタイルで盗みを働いております。時間は深夜0時直前。女性は自転車に乗っていたそうです。
脱走後
脱走後の犯行は移動手段となるバイクに始まり食料品の万引き等が多かったようです。身1つで脱走を試みたという状況から考えればやっていたとしてもおかしくはない罪状ですが、これほどまでの件数を起こして足がなかなかつかなかったという事実が驚きです。
さらにバイクを早々に盗んでからはひったくりにより金銭やスマートフォンを盗むなどその件数はとんでもないものでした。さらにその盗品を使い捜査をかく乱するなど警察にとって一筋縄ではいかないような相手でした。
樋田淳也が犯した罪②強盗致傷
この犯罪こそが樋田淳也の1番初めに起こした犯罪と言えるでしょう。5月5日の深夜11時ごろ、女性のリュックをナイフで脅し奪おうとします。リュックの強奪には失敗したものの女性をナイフにより負傷させます。こちらの被害者も20代の若い女性でした。
樋田淳也が犯した罪③強制わいせつ、住居侵入
マンションに住む女性の帰り際に部屋に押し入りナイフで脅しわいせつな行為をしたという事件です。5月24日に犯行が行われたとされます。事件の仔細は発表されていませんので不明な点が多いです。
樋田淳也が犯した罪④強制性交、住居侵入
次の事件はなんと舌の根も乾かぬうちに起こりました。翌日5月25日、また別の女性が被害にあってしまいました。同じ手口で女性を脅し、今度は性交を強要します。唯一安心できる自宅で起こった惨劇に、被害者女性の心の傷は計り知れないものと言えるでしょう。
樋田淳也が犯した罪⑤加重逃走
これが前述もさせていただいた脱走による罪です。逃走の罪はその名の通り、逮捕等の拘束から逃げ出すことを指しますが、その状況や逃走方法によって、援助の有無などによって細かく分類されています。では、樋田淳也の罪、加重逃走罪について少し詳しく取り上げてみます。
複合的な罪
この罪は字の現す通り、「逃げる」に加えて他の複合的な要素が重なった場合に与えられる罪です。その複合的な要素というが、①拘束場所(牢屋の壁や鍵等)を破壊する ②暴力や脅迫で看守や面会に来た人物を脅す ③誰か2人以上で共謀して逃走を謀る と言ったものが挙げられます。
樋田淳也については、「逃げる」に「物を破壊する」という要素がプラスされたことにより加重逃走に分類されます。この後の項目で、樋田淳也の脱走方法…つまり何故加重となったかを詳しく説明させていただきます。
放火も行っていた?
樋田淳也が逮捕される前、ひったくり犯が乗り捨てたと思われる自転車を警察が押収したことがありました。しかしこの自転車はなんと積んでいた警察車両ごと火をつけられ燃やされました。事件の犯人は未だ定かになっておらず、樋田淳也の仕業ではないかとの見方が強いようですが自白もしておらず未だはっきりとした犯人が分かってない状態です。
樋田淳也はどのように逃走したのか?
日本の刑務所と言えば、しっかりとした管理体制、たくさんのセキュリティシステム等とてもではないですが脱走がしにくいようなイメージがあります。実際の事例を見てみても、今回のようにメディアに取り上げられる規模の脱走は10件あるかないかといった件数です。そんな日本の刑務所から樋田淳也はどのようにして脱走したのでしょうか。
面会室のアクリル板の隙間から逃走
脱走は樋田淳也が弁護士と面会を行った直後に起こりました。脱走経路はというと罪人と面会者を隔てるアクリル板でした。このアクリル板は樋田淳也脱走当時歪みによって隙間が出来ていたといいます。樋田淳也はこの僅かな隙間からアクリル板を破壊。脱走に成功したのでした。
樋田淳也と弁護士の接見終了後にブザーが鳴らなかった
しかし、何故樋田淳也の脱走に職員が気付かなかったのでしょうか。様々な物議を呼んでいるこの事件最大の謎、怪しいポイントはここなのです。この刑務所では、面接した人が退室する際、ドアについているブザーが鳴り退室を職員に知らせるというシステムがあったそうです。しかし、事件当時はブザーが鳴らないようになっていました。
刑務所側の言い分では、弁護士の方々は退出時の挨拶を欠かさないためブザーは不必要と考えていたらしく電池を抜いていたそうです。そして樋田淳也の弁護士も、今回に限って挨拶、退室の声掛けをせずに帰ってしまったそうです。
約20人いた署員は樋田淳也の脱走に誰も気が付かなかった
そのため職員は弁護士の退出に気付かず、樋田淳也を面会の部屋に1人で放置してしまうという状態になり、監視の目がなくなった樋田淳也はまんまと脱走に成功したということです。ブザーが従来通り起動していれば防げた事件に、警察の見通しの甘さを感じざるを得ません。
弁護士は樋田淳也の脱走を補助した?
不注意と管理体制の甘さによるものと言われますが、ネット上ではまことしやかに弁護士が樋田淳也の協力者ではないのかという意見が流れました。わざと退室報告をせず、樋田淳也が安全に脱走が出来るタイミングを指示したのではないかといったものです。
警察による不手際が1番の責任追及先ですが、退室報告を怠った弁護士にも責任がないとは言えません。事件発覚から逮捕まで、弁護士の責任についてはずっと世間が声をあげて取り上げていましたが、当の弁護士が情報ですら一切出ることがなく沈黙を貫いたことからも樋田淳也の協力者説が真実なのではという雰囲気を助長しました。
樋田淳也が全国指名手配犯へ
8月15日の午後、脱走に気付いた警察は全国に樋田淳也を指名手配します。しかしこのとき既に樋田淳也の仕業と思われる市民への盗難被害が出ており、警察側のそもそもの対応の悪さ、フットワークの重さを責めずにはいられません。
逃走後はひったくりを繰り返しながら逃げていた
樋田淳也は脱走後、車などの移動手段や食料品、衣類等必要なものの全てを盗むことでまかないながら逃走を生活を送っていました。ここからは窃盗された物品の紹介や逃走の際に樋田淳也が弄した巧妙な細工などを説明していきます。
樋田淳也逃走後市内でバイク窃盗が発生、ひったくりが相次ぐ
刑務所を出てすぐに第1の盗難事件は起きました。そしてこれを皮切りに逃走生活を維持するための窃盗行為が大阪市内で連発します。逃走日から3日間で発覚しているだけでも8件の事件が起き、さらに小さい発覚していないような事件もあると考えられています。
赤い自転車
最初の被害は富田林警察署近辺に置かれていた赤い自転車でした。逃走後、真っ先に早く移動できる足を確保したといったところでしょう。自転車に乗って素早く刑務所から距離を取った樋田淳也は次の犯行に出ます。
お賽銭と黒いミニバイク
実家近辺まで逃走してきた樋田淳也は近くの神社で金銭調達のために賽銭荒らしをします。しかしそれでは到底足りないと思ったのかその日のうちに第2の行動に移り、黒いミニバイクを盗みます。その後、このミニバイクと似た黒いバイクで活動するひったくり犯が現れ始めます。
ひったくりを繰り返しながら北上
翌日8月13日の深夜から15日にかけて、4件のひったくり被害が出ます。この犯行は当然日銭を稼ぐためによるものが大きいのでしょうが、樋田淳也は財布と共に得られたスマートフォンなどを使い捜査かく乱のための細工を施しだします。
軽トラックにひったくった携帯電話を隠し捜査を攪乱させた
最近のスマートフォンにはGPS機能がほとんどの機種に搭載されており、さらに紛失対策としてパソコンやiPad等の別媒体でスマートフォンを探す事も出来るためひったくりで得たスマートフォンをそのまま保持していれば逮捕のリスクは格段に跳ね上がるでしょう。しかし、樋田淳也はそれを巧く利用し、見事警察の眼を欺きました。
樋田淳也はなんと大阪市内の適当な軽トラックの荷台にスマートフォンを隠しました。警察がGPS機能を辿りその軽トラックまで行くと全く関係の無い軽トラックの所持者とスマートフォンがあるわけです。この作戦により逃走経路がかく乱され捜査が難航します。
逃走からすぐ次々とひったくり事件が発生するが見つからず
このようにかなり派手に動き回ったにも関わらず、警察は樋田淳也を捉えられませんでした。樋田淳也の見事な作戦勝ちで敵ながら天晴れと思いもしますが市民の不安を思えば様々な対応が後手、遅すぎると言わざるを得ない状況でした。ここからさらに捜索は難航していきます。
樋田淳也はロードレーサーを盗難し日本一周旅行を計画
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日本一周チャリダーに擬態
樋田淳也の次なる作戦は、自転車で日本一周をする人たち…いわゆる日本一周チャリダーになることでした。何故!?と驚きますが、昼間うろついていても路上生活をしていても怪しまれず優しい方からの支援や融資を受けやすいという点で実に合理的と言えるでしょう。