尼崎事件の真相とその後は?角田美代子の生い立ちや裁判、自殺の理由は?

つまり彼女も『尼崎事件』の首謀者、ファミリーたちに迫害されて酷い仕打ちに遭ったがために命を奪われてしまったのです。

C家長男・C家母の年金窃盗事件

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2019年(令和元年)現在からちょうど10年前の平成21年から23年にかけて、『尼崎事件』のファミリーの1つである『C家』の『長男』『母親』の毎年国から定期的に支払われる『年金』が奪われてしまいました。

その額なんと『700万円以上』だったそうです。この事件で検挙されたのは首謀者ではなく、その『サポーター役』つまり第2の悪の巨頭である『D家』の『次女』と首謀者の血のつながっていない『妹』でした。

つまりは首謀者が関与しておらずとも悪の所業、人権を奪う行為がいともたやすく、同被害者であるはずのファミリーの間で行われていたのです。日本で起きた他の『監禁事件』こちらの記事をご覧ください。

2人の情報によって捜査が進展した

またこの事件で検挙された『サポーター役』つまり第2の悪の巨頭である『D家』の『次女』と首謀者の血のつながっていない『妹』の2人によって『尼崎事件』の多くの全貌が明らかになったそうです。

尼崎事件の概要④E・F家をめぐる事件

アルファベットの順番でも後列に来るように、『尼崎事件』や首謀者、ファミリーたちと関わるようになったのも時系列では後のであります。立件され検挙された『事件』も一つだけであります。

しかしながらこの家庭無くしては、もしかしたら2019年現在においても未だに首謀者の手によってファミリーたちが支配されて、犯罪を繰り広げ、また被害者となる割拠された家庭も増えていたかもしれないのです。

つまり『尼崎事件』が世間に明るみになったのはこの家庭があってのことだったのです。きっかけはどういうこと出来事であったか、また2つの家庭が関与した事件及び出来事を下記にまとめて解説していきます。

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繰りかえすようですが2つの家庭が巻き込まれていったのは後のほうです。しかしこの家庭においても半ば強制的に『内縁関係』を結ばせたり、自ら死に追いやるように誘導していったのです。

短い時間であっても、どれだけ赤の他人であっても、相手の心の隙間に付け入り精神を支配してファミリーたちの一員にさせられてしまうのです。

E家は父のクレーム対応がきっかけ

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先ほども家庭の紹介の際にお話しさせていただきましたが、『尼崎事件』の『E家』が巻き込まれてファミリーたちの一員になったきっかけはひょんな出来事からだったのです。

それは首謀者がたまたま利用した『電車』『列車』で何らかのちょっとしたトラブルが起きて、それを気に食わなかった首謀者がその『鉄道会社』に問い合わせて苦情をいれたのです。

その苦情がどういったものだったのか?また何が気に食わなかったのか?それはファミリーたちの一員である首謀者の『孫』にあたる人物が乗っていた『手車』が電車及び列車の扉に挟まってしまったからだそうです。

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そこで対応することになったのが鉄道会社に勤めていた『E家』の『父親』だったのです。首謀者はそこでも高圧的な態度で『暴力団』の関係者であるとハッタリを言って脅しながら『いちゃもん』を付けました。

その時父親の対応が良く、人柄を気に入ったのか、首謀者は当初は威圧的な態度でいちゃもんを付けていましたが、徐々に彼の事を認めて褒めちぎったのです。

そしてファミリーたちの一員に

そこから少し父親も心を開いてしまったのか、段々と家庭同士で交流するようになっていき、半ば強制的に鉄道会社を辞めさせれるなどの状況に陥ってしまいました。

段々と支配されていってしまい、一つ同じ屋根の下で生活させられてついには『尼崎事件』の『ファミリー』の一員になってしまいました。

F家の母の死体遺棄事件

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上記でどんなきっかけでどうやって『E家』とその血のつながりがある『F家』までもが巻き込まれていったかについて解説していきましたが、ちょうど首謀者の支配が迫っていくなかである事件が起きました。

それは2019年(令和元年)現在から8年前の平成23年に起きました。『F家』の『母親』が首謀者や『尼崎事件』のファミリーたちから迫害されてしまいました。

首謀者と関わる事やファミリーたちに加わるのを反対したからでしょうか。殴る蹴るの激しい暴力を受けて、また食事やトイレなどの生活の一部を禁じれてしまったのです。

またも人の命が奪われる

その行き過ぎた古い時代の『尋問』『監禁』のような所業によって最後には命が奪われてしまったのです。

そして卑劣な所業により亡骸になったF家の母親は、あの『女子高校コンクリート事件』とほぼ同じ条件で遺棄されてしまったのです。

明らかに人の命を奪う行為をしていると考えられますが、残念ながらそれを立証する証拠はなく、加害者である『尼崎事件』の首謀者や加担したファミリーたちを『殺人』の罪で罰せることは叶いませんでした。

F家の長女の逃亡成功で尼崎事件が発覚

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精神を操られた首謀者の駒となった『尼崎事件』のファミリーたちによって監禁、尋問の様な所業を受けた母親が亡くなった後、次に迫害の対象に向けられたのは亡くなった母親の娘の1人である『長女』でした。

長女である彼女は自分の母親の死を間近に見ていて、またどんな所業が繰り広げられていたのか、よく分かっていたのでしょう。

『次は自分が』という迫りくる恐怖を感じて、最後には『死』が待っている拘束から必死に逃れようと抗ったのです。海外で起きた約24年間もの家族間での『監禁事件』に興味のある方はこちらをご覧ください。

ようやく尼崎事件が発覚・・・

他の亡き犠牲者、亡きファミリーたちがどんな仕打ちを受けていたか悟れるように、首謀者や加担するファミリーたちは彼女に対して何度も何度も『暴行』を加えたのです。

いわゆる『ヤキ』よ呼ばれる行為も平気で行われていたのです。何故こんな状況になってしまったのか?そんな疑問に駆られながら、ほぼ完全に『監禁状態』で囚われてしまったのです。

しかし一瞬の隙と限りなく小さな脱出口からそこから逃げ出すことに成功したのです。そして数日後に警察署に駆け寄って『尼崎事件』の全貌を語り、悍ましい輪廻に取りつかれた一家のことが明らかとなりました。

尼崎事件とはどんな事件なのか?

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『尼崎事件』をクローズアップしていきましたが、ここまでだけでも非常にボリュームがある内容になってしまいました。恐らくはたいていのひとであればその多くを把握しきれていないはずです。

それは多くの家庭や登場人物が絡むいくつも事案、出来事が起きていているので、その全てを紹介するとなると膨大な情報量になってしまうからです。理由はそれだけではありません。

当事者たちは言ってしまえば私たちからしたら赤の他人でありますし、どんな容姿であるかも、どんな人物であるかも『リンク』していないので、誰が何をしたのかごっちゃになってしまうのは無理ないのです。

更に名前に関しては首謀者以外の人物に至っては、家族間での『呼び名』で呼び、AからFまでのアルファベットで判断しないといけないので、文章だけで内容を理解するのはほぼ不可能と言えるのです。

事件が世間に明るみになった当時のニュースや新聞の報道も同じように、できるだけ分かり易くまとめていたとしても、よほど知能指数が高い人間でなければ『尼崎事件』を理解して把握するのは困難でした。

ではどのようにすれば上手く簡潔に理解することができるのでしょうか?ある作品になぞらえて例えれば割かし理解できるらしいのです。ではその作品とは何なのでしょうか・・・?

尼崎事件はサザエさんに例えるとわかりやすい?

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その作品とは日本人であれば世代に関係なく、ほぼ全員が認知しているであろう国民的漫画、アニメの巨頭である『サザエさん』だったのです。

日本で最も有名な家庭である『サザエさん一家』やその登場人物を当てはめることによって、不思議と親近感がわき理解しやすくなるのです。

下記に例えたらどんな出来事が起きてしまったのかを、登場人物たちの名前を借りて解説していきます。

サザエさん式で理解を深めよう

  • ①首謀者は『サザエさん』
  • ②サザエさんの息子である『タラ』の将来のお嫁さんである『リカ』の一族全体を洗脳してファミリーの一員に加えて、悍ましい所業(監禁・虐待)などを行って一族を崩壊させる。
  • ③リカの実の『父親の兄弟』を迫害して、暴力、生活の一部を禁じて『死』に至らしめる。
  • ④サザエさんに実の弟である『カツオ』の交際相手である『花澤』をも『死』に追いやる。
  • ⑤サザエさんの実の妹である『ワカメ』の内縁関係にある『堀川』を旅行という名目、さらに表向きでは記念撮影時に『事故死』を装って『自害』させて保険金をだまし取る。
  • ⑥堀川の『親』の兄弟たちがいなくなってしまう(行方不明)
  • ⑦血のつながりもない、赤の他人にあたる『イササカ』『アナゴ』までもいちゃもんを付けて、自由や権利を奪いファミリーの一員に組み込む
  • ⑧いろいろな人物たちがいなくなり、また命を落としていく。
  • ⑨イササカの『母親』が行き過ぎた監禁、尋問により命が奪われる
  • ⑩次のターゲットに選ばれた母親の実の娘である『長女』が逃げて、一連の事態が明るみなった。

尼崎事件の主犯・角田美代子の生い立ちは?

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これまで数十年に渡ってファミリーたちを苦しめてきた輪廻がまとわりついた『尼崎事件』をつらつらとまとめていきました。

どのような手口、そしてどんな所業が繰り広げられていたのかなどはお話しさせていただきましたが、まだ気になる首謀者である『角田』がどんな人物であるか、詳しくは解説していません。

それでもきっと悍ましく卑劣な『独裁者』のような社会性に欠ける犯罪者であるということは、既に認識済みなのではないでしょうか?

どんな人物なのか?

首謀者の反社会的な人格を形成したのは、幼少期にさかのぼり両親や家庭の影響があったかもしれないと考えられているのです。

ではここからその首謀者がどのような人物であるか理解していただくためにも、生い立ちや過去の経歴などをピックアップして、噂されていることなどを詳しくご紹介していきます。

尼崎事件の主犯・角田美代子は裕福な父に育てられた

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首謀者である彼女がまだ物心がついていない、幼気な少女のときに両親は行き違い『離婚』することになりました。彼女の教育や面倒をみることになったのは、裕福な財力を持っていた『父親』でした。

父親は現在で言うところのオーナーや店長の様な立ち位置であり、ペンキ屋のような仕事を経営していました。雇用者たちを低賃金で雇い、何割かの給料をせしめていて不法に収入を得ていたのです。

しかし雇用者たちを離れさせないように、つまりは辞めさせないように、燃料の代替になるような『飯や酒』を分け与えていて『飴と鞭』でずる賢く人を管理していたのです。

父親の影響を受け継いでしまった

そんな父親の様子を近くで、それも幼い時から見ていたので、それをそのままひしひしと受け継いでいったのです。

後に『尼崎事件』の首謀者となる彼女も同じように立場の弱い人間の心に付け入り、いともたやすく支配してみせたのです。そうそれが血のつながりもない、全く関係な人物であろうと。

考え方、やり方だけではなく威圧的な態度なども父親ゆずりかもしれません。劣悪な家庭環境、両親による虐待などは特になかったと考えられますが。

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