出所後も後遺症が右半身に残り、東京郊外にある自宅と病院との往復を繰り返していたようです。2019年現在、58歳になっているはずですが、消息は不明です。
木田裕貴子以外の愛人たち③村岡達子
オウムの信者たちにはインテリが多いということは、以前から知られています。女性でいうならば、オウムで最も注目すべき才女が、村岡達子です。
木田裕貴子と他の愛人たち①元最高幹部
村岡達子は、オウム真理教の代表代行、さらに麻原が逮捕された後に教団が作ったアレフでは、最初に会長も勤めた大幹部です。
木田裕貴子と他の愛人たち②村岡達子の生い立ち
広島県に生まれ、上智大学中退後早稲田の第二文学部を卒業。ロスに進出した日本企業に就職するが会社が倒産し、帰国後オウムに入信しています。
木田裕貴子の場合もそうですが、やはり人生に大きく挫折したことが入信のきっかけになっているようです。
木田裕貴子と他の愛人たち③オウム真理教の後はアレフに入信
村岡達子はアレフ発足の中心人物だった上祐史浩とは意見を異にしていましたが、教団内が対立し分かれてしまうことを恐れてアレフに入信したようです。
木田裕貴子と他の愛人たち④村岡達子の現在の様子
2007年には会計責任者を辞任、2011年にはアレフも辞めました。そして元々英語が堪能な村岡達子は、翻訳や英作文の添削などで暮らしを立てています。しかしその収入は月に4~5万円だといわれています。
木田裕貴子以外の愛人たち④北沢優子
2004年に当時36歳だった女性を「カルマ落し」という修行の名の下に竹刀で殴り殺した事件を指示していた。それにより2014年に懲役8年が確定しました。
木田裕貴子と他の愛人たち①麻原彰晃個人を崇拝する「ケヨロンクラブ」を立ち上げた
もとより北沢は麻原、またはオウム真理教でも原理集団的存在です。「原点にカエル」という想いからカエルのマスコットを持っていました。そこからケロヨンクラブと呼ばれるようになりました。
若い人は知らないかも知れませんが、ケロヨンは昭和のキャラクターで、宗教とは何も関係ありませんので、誤解しないでください。
木田裕貴子と他の愛人たち②北沢優子の生い立ち
麻原彰晃の継承者であると自称し、カエルを持ち続けた北沢優子は、教団内でも煙たがられる存在でした。裁判の質疑のなかでも、修行はせずにみんなでご飯を食べたなどと主張しています。
北沢優子の生い立ちについて詳しい記述はみあたりませんが、正確なこの逸話だけを見ても、自分勝手で目立ちたがりな性格であることは理解できます。
木田裕貴子と他の愛人たち③公判中に末期ガンと診断
公判中には末期がんと診断された北沢優子は。出廷するにも車イスに乗り、体にはチューブが繋がったまま。その状態で公判も中止されるなど、大変長引く裁判となったのです。
木田裕貴子と他の愛人たち④北沢優子の現在の様子
北沢優子がケアハウスで療養している姿が、2018年7月には確認されています。末期がんの診断から5年以上たちます。がんの診断はともかく、本当に末期だったのか、疑問が残るところです。
木田裕貴子以外の愛人たち⑤鹿島とも子
有名人がオウムだった。初公判で20枚の傍聴席に1000人以上の整理券待ちの行列ができたことでも、鹿島とも子の裁判が世間の注目を集めたことがわかるでしょう。