木田裕貴子の経歴や娘の現在は?石井久子や他の愛人も!【麻原彰晃の愛人】

日劇といっても知らない人も多いでしょう。今の東京・有楽町マリオンが建つ以前、日本でも有数な音楽エンターテイメントを発信する劇場がありました。

ハレルヤベイビーで主演以来、日劇のトップスターとして君臨したのが、鹿島とも子だったのです。

木田裕貴子と他の愛人たち②鹿島とも子の生い立ち

昭和レトロ 日劇ミュージックホール パンフレット スカートの中の噂 昭和37年 発行

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18歳から日劇のトップスターだった鹿島とも子ですが、31歳のときにスノーモービルの事故で胸椎損傷をします。そのリハビリ中に出会った整体師が急死。

死後の世界について興味を持ち、手に取った朝原彰晃んも本の影響でオウム真理教に入信することになります。

いわば国民的スターです。入信後は広告塔として、オウム真理教の広報大使としての役目を担わされ、また広告効果が上がるまでに時間は要りませんでした。

木田裕貴子と他の愛人たち③逃げ出そうとする娘に薬物投与?

離婚し、最初息子だけで入信した鹿島とも子ですが、後に娘を呼びます。娘はオウムに対して不審を抱いていたようです。脱走と拉致が繰り返されます。自分が信じているからこそ、娘のためだと信じていたのです。

拉致されたときには電流や薬物も投与されました。娘は何度目かの逃走したときに、父親や友人によって助け出され、警察に保護を求めました。

木田裕貴子と他の愛人たち④鹿島とも子の現在の様子

車椅子からの出発ち

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公判中は裁判長から娘の気持ちを考えましたか、などとカウンセリングに近い質問もされた鹿島とも子。教団を離脱してからは「オウムの“鬼母”と呼ばれて」「車椅子からの出発ち」など本も執筆しています。

息子と二人で時給800円のビラ配りをしたり、アパートを借りるにも大変な暮らしを経て現在、人のためになる仕事として介護ヘルパーの資格を取得して従事する一方で、ライブも行っています。

木田裕貴子以外の愛人たち⑥加藤智子

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地下鉄サリン事件以後オウムでは上裕の運転士として働いていた美人信者が、加藤智子です。一時は上裕の恋人だという噂も流れていました。

 

木田裕貴子以外の愛人たち①教団の地位は低かった

加藤智子は、木田裕鬼子など他の愛人たちとは違ってホーリーネームはありませんでした。修行もあまりせず、教団内での地位は低かったようです。

木田裕貴子以外の愛人たち②加藤智子の生い立ち

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徳島県に生まれた加藤智子ですが、その美貌から元レースクイーンとかモデルとかの噂もたちました。事実は六本木のホステスでした。

木田裕貴子以外の愛人たち③女子の中ではボス的存在?

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化粧気のない信者にあって、女性から見ても羨ましいファッションスタイルを持ってる彼女は、隠者勧誘時の女性信者のスタイリストもし、自然に女性信者の羨望を集めて、ボス的な存在になったようです。

木田裕貴子以外の愛人たち④加藤智子の現在の様子

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95年(加藤智子が30歳位)には男性信者を監禁し、障害を与えた罪で逮捕。懲役2年、執行猶予4年の判決を受けました。その後は沖縄に移住して女の子を出産。現在も沖縄で陶芸などをして生活しているようです。

 

木田裕貴子や愛人たちは麻原彰晃の愛人としてどんな生活を送っていた?

愛人100人ともいわれ、まるで大奥のようなハーレム状態にあった麻原彰晃とオウム真理教。麻原は自らを大奥を完成させた徳川家光になぞっていました。そこではどんな愛の暮らしがあったのでしょうか。

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