もちろんシャバの世界に再び帰ってきたという意味でもありますが『戸塚ヨットスクール事件』の舞台となった学びの庭にも帰ってきたのです。
そうなんです。彼は再びハードでヘビーな行き過ぎた『指導者』として舞い戻ってきたのです。もちろん喜ぶ声も賛同する声も少なく、批判する声や反対する意見の方が多かったでしょう。
ですが彼はそもそも創業者で『オーナー』であるので、その全ての実権を握っているといっても過言ではない存在なので、このような結果になっても致し方ないでしょう。
戸塚ヨットスクール事件後も「死亡事故」が絶えない
水面下で凄惨な所業が及んでいて、受講者で未成年男児の命が奪われた、残酷なありさまとなった『戸塚ヨットスクール事件』は解決の『兆し』を見せたはずでした。
しかし服役を終えて釈放された元凶の彼が、舞台となる『学びの庭』にハードでヘビーな行き過ぎた最高指導者として再び君臨したのです。
それからは多くの人たちの『不安』が的中するように、またも受講者である若い未成年者たちが命を落としていくことになるのです。彼が戻ってから2019年今より凄惨な出来事を時系列ごとにまとめます。
戸塚ヨットスクール①2006年訓練生の水死体で発見
2019年(令和元年)現在から13年前の『平成18年』つまり『戸塚ヨットスクール事件』の元凶であり根源である、行き過ぎた指導者の彼が服役を終えて舞い戻ってきた同年に早速『事』が起きたのです。
舞台となった学びの庭の当時の受講生であった、20代半ばの男性が突如いなくなってしまいました。
後日、中部地方に位置する愛知県の南部に存在する『湖』にて遺体となって発見されたのです。亡くなってしまった20代半ばの男性には『精神疾患』があったらしく、『心中』したと考えられます。
影響はあったのか?
受講する前から『精神疾患』を抱えのていたのか、それとも受講した後で精神的苦痛を感じて患ってしまったのか定かではない。
後者であれば『戸塚ヨットスクール事件』を彷彿させる『カタストロフィ』が繰り返されたと言えるのではないでしょうか?
戸塚ヨットスクール②2009年訓練生が飛び降り自殺?
更にその3年後の『平成21年』にも、『戸塚ヨットスクール事件』の悲劇が繰り返されることになってしまいました。
当時受講生であった『女性』が学びの庭の施設の『3F』から、窓かバルコニーから身を投げ出して『心中』してしまったのです。
亡くなってしまった女性がなぜ心中を図ったのか、どんな心境であり、何に悩んでいたかは判明しておらず語られることはありませんが、もしかするとまたまずい対応である『教育』のせいかもしれません・・・。
戸塚ヨットスクール③2011年訓練生が飛び降り自殺?
そしてその2年後の『平成23年』に当時受講生であった『男性』が、心中した女性の後を追うように、『戸塚ヨットスクール事件』の舞台となった施設の3Fから身を投げ出して心中を図ったのです。
幸いにも一命を取り戻して『未遂』でとどまりましたが、またも『戸塚ヨットスクール事件』が続いているかのような悲劇が繰り返されてしまったのです。
また虐待か?
このような事態が相次ぎまた『虐待』のような教育、指導が行われているのでは?という疑惑が生まれてしまうのは無理ありません。
戸塚ヨットスクール④2012年訓練生が飛び降り自殺?
まだ悲劇は終わっていませんでした。その翌年の『平成24年』には当時受講生であった『男性』が『戸塚ヨットスクール事件』の舞台となった学びの庭の施設3Fから、自身の身を投げ出して『心中』を図りました。
これにより男性は絶命してしまい、またも犠牲者が出てしまったのです。尚、この男性が前述した未遂とどまりの男性と『同一人物』かどうかは定かではないのです。
また年齢についても公表されておらず、警察によれば『戸塚ヨットスクール事件』ではなく『自殺』として判断されて捜査が進められたそうです。
本当に事件性はないのか?
『戸塚ヨットスクール事件』の過去の事を考えると、本当に『指導』『教育』にまた舞台となった『学びの庭』に問題がなかったのか疑ってしまいます。
戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏とは?
今回の記事でクローズアップしている『戸塚ヨットスクール事件』という『悲劇』の連続が繰り返されたのは、紛れもなく『戸塚ヨットスクール事件』の元凶である『戸塚宏』の存在が大きいでしょう。
では元凶である彼は一体どんな人物なのでしょうか?こちらでは『戸塚ヨットスクール事件』の元凶である『戸塚宏』がどういった人物であるか考察していきます。
『戸塚ヨットスクール事件』の元凶の生い立ちやこれまでの経歴、更には性格や人格について解説していきます。
戸塚宏は日本統治下時代の朝鮮に生まれる
今回の記事でクローズアップしている『戸塚ヨットスクール事件』の元凶である『戸塚宏』は、2019年(令和元年)現在から約70年前の『昭和15年』つまり第二次世界大戦前に誕生しました。
『戸塚ヨットスクール事件』の元凶である彼は、当時はまだ日本の一部であり、領土であり、悪く言えば占領していた『朝鮮半島』にて生まれました。
厳しいことが正しいという古い考えはこの時代に生まれた人物であるからといえば、『戸塚ヨットスクール事件』の元凶としてなんとなく納得できるのではないでしょうか?
戸塚宏は現役時代には太平洋横断最短記録も
それからしばらくして恐らくは第二次世界大戦が終戦した後でしょうか、『戸塚ヨットスクール事件』の元凶である彼は、家族ともに現在の中部地方に位置する『愛知県』に移住します。
そうして難なく学生時代を歩んでいき、大学は地元の『名古屋大学』に進学すると、彼の人生のテーマでもある『船』に出会うことになるのです。
それからというもの船にどっぷり浸かり熱中して、力を注ぎ練習やトレーニングを続けて昭和50年に開催された『国際大会』に競技者として出場すると、大きな記録を打ち立てて優勝を飾りました。