こういった許し難い電話の数々を受ける事で、石井さん一家は精神的にどん底まで追い詰められてしまいます。
舞ちゃんの存在が石井夫婦の離婚危機を留めた
石井舞ちゃんの消息が途絶えた後、失踪した責任の在処を巡って夫婦仲がギクシャクしてしまいます。また、全く変化を見せない捜索状況の為、世間では父母が犯人ではないのかといった噂が囁かれるようにもなりました。
こういった状況の中、父親はKを常に監視する為に妻子と別居して距離を取る事に決めました。そういった日々の中で、母親の頭の中には常に離婚の2文字が浮かんでいました。
しかし、それを思い留めたのは石井舞ちゃんの存在です。「いつ舞が帰ってくるか分からない。別離するなら舞と一緒に行かないと」との思いが離婚を回避させていたのです。
Kが「テレビのチカラ」に出演し証言した
Kは大胆にもテレビ出演を果たしました。テレビ朝日系の「テレビのチカラ」という番組でKは謎の発言をしたのです。「時が来たら真実を語ります」との意味深な言葉です。
しかし、現在でもKが言っていた石井舞ちゃん失踪の真実について語られる事はありませんでした。Kのいう「時」とはいつを指していて、「真実」は何の事なのか未だに分かりません。
Kは石井舞ちゃん失踪に関わる犯人なのか、それとも何か情報を握っているだけなのか、未だに謎だけが残っています。
アナウンサーのミスで石井舞ちゃんの重要な情報がNGに?
当時生放送で放送されたTBSの公開捜査番組「THE・プレゼンター 福留功男のテレビ公開捜査」という番組の中で、匿名の条件で女性の視聴者から石井舞ちゃんに対する情報提供の電話がありました。
「福島県須賀川市にあるスーパーマーケットのヨークベニマルで、女性の知人男性が石井舞ちゃんによく似た女の子を連れていた。親がおらず、代わりに引き取って育てていると言っていた」という内容の情報です。
アナウンサーのあり得ないミス
番組進行役のアナウンサーが、ここで信じられ無いミスを犯してしまいます。この石井舞ちゃんの情報について詳細を確認しようとした時に、謝って情報提供者の女性の本名を口にしてしまったのです。
苗字だけでしたが、匿名と言っていたのに生放送で本名を曝されてしまった女性は激怒し、「石井舞ちゃんの事でもう何ひとつ話す事はありません」と証言を拒否してしまいました。
アナウンサーは即座に謝罪したのですが、「名前が公表されたのでもう話しません」と電話を切られてしまいました。この証言が石井舞ちゃんの発見に繋がった可能性もあり、非常に悔やまれる結果となってしまったのです。
石井舞ちゃんは事件から28年たった2019年現在も行方不明
石井舞ちゃんの消息が途絶えてから28年もの月日が流れてしまいました。残念ながら2019年現在も石井舞ちゃんの消息は途絶えたままです。2019年8月6日で石井舞ちゃんは36歳になります。
面影はあるかもしれませんが、今の石井舞ちゃんは立派な女性になっていて、子供の時の見た目からはかなり変わっているに違いありません。
所轄の田村警察署
失踪時の子供の時の写真は至る処で公開されていますが、その写真を基に石井舞ちゃんを捜し出すのは今となっては困難かもしれません。
この事案の発生した場所の所轄警察である田村警察署では、今は石井舞ちゃんだけを専門に扱い、調査を継続する専従捜査員はいません。今では署内に石井舞ちゃんのポスターもありません。
こういった状況からも石井舞ちゃんの消息が途絶えてから28年もの時の流れを嫌でも実感してしまいます。
Contents
石井舞ちゃんの行方不明事件に影響を与えた解決済の事件
子供に限った話ではないですが、消息が途絶えた人は年間8万人にも上ります。もちろん、自分から姿をくらました者も含まれているので全てが何かしらの事件に巻き込まれた訳ではありません。
その中で問題が解決した事によって石井舞ちゃんの事件に影響を与えたものがあるのでお伝えします。
新潟少女監禁事件
新潟少女監禁事件は1990年に発生したもので、当時9歳の女の子が9年間もの間ずっと犯人によって監禁されていたのですが、2000年1月28日に加害者の家で無事保護されました。
9年間も消息が途絶えていた少女が無事に発見された事実は、石井舞ちゃんの事件に携わっていた人に大きな希望を与えたのです。
これをきっかけに福島県警は石井舞ちゃんの情報を呼び掛けるポスターを新たに5,000枚作製して各地に提示しました。また、HPや広報誌にも掲載する事で幅広く情報を呼び掛けました。
行方不明の未解決事件
残念ながら今でも未解決で消息が途絶えたままとなっている事件も沢山あります。石井舞ちゃんのご家族同様、事件に巻き込まれたご家族も同じでご家族はつらい思いをしながら子供の帰りを待ち続けています。
そういった未解決事件を皆さんにお伝えしていきます。
野村香ちゃん行方不明事件
1991年10月1日、横浜市に住んでいた当時8歳の野村香ちゃんが忽然と姿を消しました。石井舞ちゃんの消息が途絶えてから2カ月と少ししか経っていないタイミングで再び同じような事件が発生したのです。
香ちゃんが雨の中帰宅し、勉強机に向かっている姿を10歳の姉は確認しています。その後に姉はエレクトーン教室に通う為に家をでました。PM17:00頃に母親が帰ってきた時には玄関の鍵はきちんと施錠されていました。
この時に香ちゃんの姿は何処にも無かったのですが、香ちゃんが書道教室の日である事を把握していた為にさほど気にする事は無かったのです。
香ちゃんがいない
母親は買い物に出掛けた後にPM18:30に帰宅したのですが、香ちゃんはまだ帰宅していません。何か胸騒ぎがして書道教室に電話をしたのですが、「もうみんな帰宅しました」といった言葉が返ってきました。
家族総出で近所を捜し回ったのですが、香ちゃんはおろか、香ちゃんの手掛かりになるようなものすら見付ける事が出来ませんでした。そしてついにPM20:30頃に警察に通報しました。
その後地域ぐるみで香ちゃんの捜索を実行したのですが、見つかる事もなく今現在も消息は途絶えたままとなっています。
大西有紀ちゃん タケノコ掘り行方不明事件
2005年4月29日のPM13:45頃、香川県坂出市の王越町にあるビジターセンター周辺の竹林で開催されたタケノコ堀りのイベントの中で、当時5歳の大西有紀ちゃんの消息が途絶えました。
大西有紀ちゃんですが、当日は母親と8歳になる姉の3人でタケノコ堀りイベントに参加していたようです。
坂出署や地元の消防団等でPM21:00まで現場周辺を中心として懸命に捜索を行ったのですが、発見する事はできませんでした。今も消息が途絶えたままです。
当日の大西有紀ちゃん
大西有紀ちゃんは身長が105cm程度で、髪型は肩までのおかっぱ頭の女の子です。
服装に関してですが、上は赤とオレンジのボーダー模様の長袖のTシャツ、下はオレンジ色のラインの入った紺色のジャージを履いていました。履いていた靴はウサギの絵柄入りです。
当日の出来事
大西有紀ちゃんはPM13:00頃からタケノコ掘りを開始。PM13:40頃に4本目のタケノコを発見した有紀ちゃんは、タケノコ堀りがとても楽しかったようでもう1本掘ってくるといって山の中に走っていきました。
集合時間近くになっても有紀ちゃんが戻らない為、母親は他の参加者と付近の捜索をしたのですが発見する事はできません。そしてPM15:00にビジターセンターから警察に連絡が入りました。
PM15:45頃に警察が現場に到着、そしてPM17:00頃に地元消防団が到着して捜索が始まりました。PM21:00頃まで必死の捜索が続きましたが、発見に至る事はありませんでした。
連日の大捜索
坂出署の署員や地元消防団は連日100人~200人態勢で捜索を続け、捜索に当たった人員はのべ3,000人にも上ります。
捜索範囲も徐々に広げて捜索したのですが、手掛かりとなるような遺留品も何一つ見つかる事はありませんでした。
犯人は大型の鳥類?
警察犬も導入されました。有紀ちゃんが持っていた水筒の匂いを頼りに足取りを追わせたのですが、ある1箇所で歩みを止めてしまいました。翌日にも4頭の警察犬を投入しましたが同じ場所で歩みを止めたのです。
この現象はこの場所で大西有紀ちゃんが忽然と連れ去られた事を意味しているのですが、ここは車の進入が出来ない山間部であり、車に乗せられた可能性はまずあり得ません。
その為、ワシなどの大型の鳥類の仕業ではないかと言われています。にわかに信じ難いかも知れませんが、ワシは人間の子供よりも大きなヤギなどを掴んだままで、簡単に飛ぶ事が出来るのです。
日本で起きた未解決事件に興味のある人はこちらの記事も参考にしてください。
日本三大神隠しと呼ばれる行方不明事件
石井舞ちゃんの消息不明事件は3人が寝ている中で真ん中の1人だけが忽然と姿を消したという事で、その特異性から日本三大神隠しのひとつに数えられています。
日本三大神隠しに数えられる他の2つの消息不明事件も紹介します。
松岡伸矢君行方不明事件 『40秒の神隠し』
1989年3月7日に徳島県貞光町にある親戚の家にやって来ていた当時4歳の松岡伸矢くんが忽然と姿を消しました。驚くべき事に、親が目を離したたった40秒の間に消息が分からなくなったというのです。
家族構成
松岡伸矢くん一家は茨城県牛久市に住んでいました。家族構成は父の正伸さんと妻の圭子さん、長女、伸矢君、弟の5人暮らしです。
なぜ徳島に?
3月5日に圭子さんの母親が急死した為、翌日の6日に徳島県小松島市で執り行われた葬儀に参列する目的で徳島までやってきていました。
そして、葬儀後に貞光町にある圭子さんの親戚のお宅に泊まっていたのです。さらに翌日、7日に信じられ無い事件が起こってしまいました。
当日の出来事
7日のAM8:00頃、正伸さんは自分の3人の兄弟と従兄弟の子供を連れて散歩に出掛けました。標高200mほどの山間部で周りに家はありません。朝食前だったので、10分程で散歩を切り上げて親戚宅に戻ってきました。
家の玄関まで10m程の石段を登った玄関先まで伸矢君が付いてきていた事を正伸さんは覚えています。伸矢くんはもう少し散歩したそうだったので、正伸さんは抱いていた次男を家の中の圭子さんに預けました。
そして玄関先に戻った時には伸矢くんは忽然と消えていたのです。その間たった40秒でした。その40秒で伸矢くんは消息不明になりました。
必死の捜索
伸矢くんの姿が見えなかった事で、正伸さんはすぐさま周辺を捜索したのですが、何処にも伸矢くんの姿はありませんでした。
家族・親類はもちろん、地元の消防団も一緒になって捜索に当たりましたが何処にも伸矢くんの姿はありません。そしてAM10:00に警察へ通報しました。
警察、消防団、一般人など100人態勢で、また翌日8日は200人態勢で捜索に当たりましたが発見には至りません。その後3ヶ月捜索しましたがついに見つける事は出来ませんでした。
多数の目撃証言
正伸さんは会社勤めを辞めて自営業になりました。伸矢君を捜索する時間を少しでも確保する為です。また50回以上のテレビ出演で状況提供を呼び掛けた事で、目撃証言は多く集まりました。
中には信ぴょう性の高いものも含まれていたのですが、その目撃情報は全国至る処で報告されているのです。
消息不明になった徳島県はもちろんの事、北海道、山形、横浜、中国地方の都市といったように全国からの目撃情報があったのですが、発見に繋がるような証言はありませんでした。
謎の電話
正伸さんが牛久市に戻る前日の16日に徳島の親戚宅に女性から奇妙な電話が掛かってきました。その電話の主は圭子さんに変わって欲しいと伝えたのです。
その女性は「ナカハラマリコの母親」と名乗り、成蹊幼稚園の父兄で見舞金を集めたので渡したいという旨を伝えてきました。成蹊幼稚園は伸矢くんの姉が通っていた幼稚園です。
しかし、それ以降電話が掛かってくる事もなく、事件解決の手掛かりになる事はありませんでした。
松岡伸矢くん発見?
2018年1月31日に放送されたテレビ番組で登場した和田竜人さんの過去が大きく取り上げられました。その見た目が松岡伸矢くんに非常に良く似ていたのです。
彼の過去は謎に包まれていて、記憶喪失の状態で17年間もの間知らないおじさんと過ごしていたというのです。その軟禁状態から必死で逃げ出し、今はなんとか暮らしているようです。
あまりに似ていた為に、松岡伸矢くんの可能性もありDNA鑑定をしたのですが、結局別人である事が分かりました。残念ながら松岡伸矢くんの発見とはならなかったのです。
松岡伸矢くんと和田竜人さんに興味のある人はこちらの記事も参考にしてください。
加茂前ゆきちゃん行方不明事件 『飲みかけのココア』
三重県四日市市富田に住んでいた当時8歳の加茂前ゆきちゃんが、1991年3月15日の夕方に忽然と姿を消しました。
その時にゆきちゃんが淹れたであろう温かいココアが残されたままになっていたのです。
家族構成
加茂前ゆきちゃん一家は三重県四日市市富田在住です。車の板金工場に勤めていた父親の芳行さん、パート勤務の市子さん、高校生の長女、小学6年の次女、そしてゆきちゃんの5人家族でした。
当日の出来事
芳行さんは夜勤勤務だった為に、毎日PM18:00に出勤して翌朝帰宅するような時間帯で働いていました。当日のPM14:00に友人と別れたゆきちゃんが帰宅したのですが、芳行さんはぐっすりと眠っていたようです。
PM14:30に市子さんが自宅に電話した時にはゆきちゃんが出ています。そして小学6年の次女が帰ってきた時にはテーブルの上に温かいままのココアだけが残されていて、ゆきちゃんの姿は何処にもありませんでした。
PM16:00ごろに芳行さんが起床した時にゆきちゃんの姿がなかったのですが、友人と遊びに出掛けたのだろうと考えて特に気に留める事もありませんでした。
必死の捜索
しかし、ゆきちゃんは夜になっても帰ってくる事はありませんでした。PM20:00には警察に連絡を入れ、家族や小学校の教師らと周囲をくまなく捜索したのですが、発見する事は出来ませんでした。
目撃証言は多数
目撃証言は多く寄せられたようです。学校にあるジャングルジムに登って遊んでいた、十四川付近で遊んでいた、白いライトバンの運転手と話していたなどの目撃証言もありました。
そして一番多かった目撃証言は富田駅近くにいたという事でした。しかし、残念ながらこういった目撃証言がゆきちゃんの発見には繋がる事は無かったのです。
怪文書
事件から3年経ったある日、加茂前秀行様という間違った宛名の書かれた手紙が芳行さん宛に届きました。内容は不気味な怪文書でした。
その怪文書とは「ミゆキサンにツイテ ミユキ カアイソウ カアイソウ」の書き出しで始まる文章です。意味不明な文章ですが、全く読めない訳ではない為に送られた意図が全くわかりません。
この怪文書に関しては謎が残ったまま、結局ゆきちゃんも見つかる事はありませんでした。
海外版の行方不明事件
子供の消息不明事件は日本だけでなく世界中でも多発していますので、そういった海外版の消息不明事件をいくつか紹介していきます。
マデリンちゃん失踪事件
2007年5月3日にポルトガル南部のリゾート地であるプライアダルスで発生した消息不明事件です。当時3歳の英国人だったマデリン・マクカーンちゃんが消息不明となりました。現在も未解決のままです。
家族構成
父親は医師のジェリーさん、母親も医師のケイトさん、長女のマデリンちゃん、双子の弟と妹の5人家族でした。
当日の出来事
2007年5月3日の夜、父母は3人の子供たちをホテルの部屋に残して食事に出掛けてしまいます。はっきり言ってこの行動は親として信じられ無い行動です。しかも部屋の鍵を閉めていなかったようです。
その部屋は1Fだった為に、簡単に部屋に入る事が出来ます。そしてPM22:00頃に部屋に戻った時にマデリンちゃんは忽然と姿を消していました。そして部屋の窓と扉は開いていたそうです。
マデリンちゃんだけ姿がなく、双子の弟と妹は無事でした。3人のうち1人だけ消えるというのは石井舞ちゃんの事件と共通しています。
大々的な捜査
父母とも医師であった為に、この一家はかなり裕福な家庭でした。その為、財力を駆使して大々的にこの事件への協力を要請しました。
YouTubeにビデオを載せたり、多言語に翻訳したポスターを自作して様々な国に配布をするなど、その影響は世界中に広がっていったのです。
著名人も協力
著名人もマデリンちゃん事件解決の為に、惜しみない協力を申し出ました。例えばハリーポッターの原作者であるJ・K・ローリングさんはこの事件の情報提供者に日本円で1億円を超える懸賞金を掛けました。
また、元サッカーイングランド代表のベッカムや他のサッカー関係者がメディアを通じて情報提供をお願いしています。政界や財界からも様々な人が情報提供を呼び掛けています。
両親が容疑者?
全く進展を見せなかった捜査ですが、ある日思いがけない方向へと向かいます。なんと、マデリンちゃんの両親を容疑者として事情聴取をする事にしたのです。
父母が容疑者になった根拠は、レンタカーの中にあった血痕だと言われています。その血痕がマデリンちゃんのものではないかと疑われたようです。
しかし、その血痕がマデリンちゃんのものと特定出来ず、証拠不十分で釈放される事になりました。
イータン・パッツくん失踪事件
1979年5月25日、当時6歳だったイータン・パッツくんが消息不明になった事件です。自宅から2ブロック離れていたバス乗り場に向かっている途中で消息が分からなくなりました。
当時メディアが流していた情報では、父母がパッツくんに1人でバス乗り場に向かう事を許可したのはその日が初めてだったそうです。
まさか初めて1人で向かった日にこういった事件に巻き込まれるとは、父母も考えてもみなかった事でしょう。
行方不明の児童の日を制定
当時、アメリカでは情報提供を募る為にパッツくんの顔写真が牛乳パックに印刷されるといった大騒ぎになってしまいました。併せて他の消息不明事件にもフォーカスが当たるようになりました。
そして、この事件をきっかけとして、当時のレーガン大統領はパッツくんの消息が分からなくなった5月25日を「行方不明の児童の日」と制定しました。
残酷な結末
事件が起こってから33年経過した2012年に事態は大きく動く事になります。パッツくん殺害の容疑でペドロ・ヘルナンデス容疑者が逮捕されたのです。
彼はパッツくんの首を絞めて殺したと供述しています。ジュースをあげると言って地下室に誘い込み殺害後、遺体をカバンに入れて近くのゴミ捨て場へ遺棄したのです。
無事に帰って来てくれる事を待ち望んだ家族にとっては残酷な結末となってしまいました。
石井舞ちゃんを家族はいつまでも待っている
どれだけ時間が経過しても、どれだけ世間から事件が風化しても石井舞ちゃんの帰りを待つ家族の思いは変わりません。あの日からずっと変わらず石井舞ちゃんの帰りを待ち続けているのです。
待ち続けている石井家の人の為にも、また何よりも石井舞ちゃん本人の為にも何か出来る事はないでしょうか?
たとえ一人であっても石井舞ちゃんの存在を思い出して貰えるように、語り継いでいかなくてはいけません。それが石井舞ちゃん発見のきっかけになるかもしれないのです。