石井舞ちゃん行方不明事件とは?時効を迎えた未解決事件
これは福島県田村郡船引町の田舎で幼い女児の消息が途絶えた出来事です。25年以上も前の出来事であり、既に時効が成立済ですが、現在もその真実は犯人のみが知っています。
現在も真相不明な事例としてメディア等で特集される事もあります。その出来事のあらましや関係者の行為について詳細にお伝えします。
家の中から忽然と姿を消した石井舞ちゃん
1991年7月24日、石井舞ちゃんの家は父親、母親、弟達2名、祖父と祖母、石井舞ちゃんの父親の姪の彼氏であるK、泊まりに来ていた母親の友だちの娘2名の計10名の大所帯でした。
いつもは姪も家に居るのですが、旅行に出掛けていて不在でした。本来であれば、その姪の彼氏であるKも同行する筈だったのですが、石井舞ちゃんの父に急遽業務に駆り出されてしまい参加出来ませんでした。
石井舞ちゃんはいつも父親、母親と2名の弟達と共に眠るのですが、この時は泊まりに来ていた友だち2名と川の字で眠りました。いつもとほんの少し違う日常の中で、石井舞ちゃんは朝方までに忽然と姿を消したのです。
身内の犯行か?疑われたK
その中で真っ先に疑いの目を向けられたのがKです。Kはシンナーを吸う等、素行に問題がある男でした。石井舞ちゃんの父親との仲は悪く、この日も旅行に行けなかった事で恨みを持っていたと言われています。
その様な事情を考慮して、一番疑わしいKが真っ先に警察から事情聴取を受けたのですが、確固たる証拠もなくKのアリバイをしっかり証言する者がいた事もありすぐに釈放されています。
外部より侵入を受けた形跡も無い事や、石井家の構造が複雑で外部の人間が家族に見つかる事なく石井舞ちゃんを連れ出すのは不可能である為、ほぼ間違いなく身内の犯行と言われていたのです。
石井舞ちゃんについて
不幸にもこの様な恐ろしい出来事に巻き込まれた石井舞ちゃんは一体どの様な女児だったのでしょうか?
石井舞ちゃんは当時船引小学校の小学2年生
石井舞ちゃんの消息が途絶えた際、7歳の小学2年生の女児でした。何処にでもいるような極々普通の女児です。
石井舞ちゃんは利発で明るいが臆病な女の子だった
石井舞ちゃんは頭が良くとてもしっかりした女児でした。何処かに出掛ける時もしっかりと書置きをして出掛ける程の慎重派です。また、極度の恐怖症の為に夜中に独りでトイレにも行けません。
その様な女児が真夜中に独りで何処かに行ってしまう事はあり得ない事であり、誰かに無理矢理連れ去られたと考える方が自然です。その為にこれは事故ではないと推測されています。
外見の特徴は、失踪時の身長は120センチ、体重は21キロ、髪型はショートカットで笑うとエクボが可愛い女児です。着衣は母親から借りたボーダーのTシャツ、白いズボンのままと考えられています。
石井舞ちゃんは事件の一年前に地元広報誌の表紙を飾る
この出来事が発生したちょうど1年前の1990年、石井舞ちゃんは地元で発行された広報誌の表紙を飾っています。学校での水泳の授業での一コマだと思われますが、水着姿の女児がカメラに向かって笑顔を見せています。
その時代はインターネット等が全く普及されていない世の中の為にあまり大きな問題とはなっていませんが、その広報誌に掲載された写真の中には個人を特定できる情報が非常に沢山記載されています。
小学校の名前、学年、クラス、氏名と一通りの個人情報が載っており、石井家の特定等も容易いと思われます。犯人はおそらく内部の人間である為、考え過ぎかもしれませんが少し気になります。
石井舞ちゃん行方不明事件の概要
石井舞ちゃんの消息が途絶えた時、関係者は一体どの様に過ごしていたのでしょうか?その経緯を概要と合わせて詳細にお伝えします。
石井舞ちゃん就寝前の住人の行動
この出来事が発生した7月24日の昼間、石井舞ちゃんは、友だち2名と弟達でプール遊びをしていました。
時を同じくして、姪は旅行に出掛けていきました。旅行先は実家のある郡山市と言われていますが定かではありません。
時間が経ち夕方になると、石井舞ちゃん達は勤務から戻ってきたKとテレビゲームを楽しみました。夜ごはんまで楽しく遊んでいたと思われています。
食後から石井舞ちゃん就寝までの住民の行動
PM20:50になると、眠る準備をした父親は石井舞ちゃんの弟達2名を引き連れて寝室へと歩みを進めました。父親は朝早く出勤する為、晩酌を済ませた後はさっさと眠りに落ちるのがいつもの習慣だったようです。
PM21:00になるとKの部屋の灯りが消えるのを祖父と祖母が確認しています。1Fに住んでいた祖父と祖母はその後タクシーで共通の趣味であるカラオケに出掛けました。それがPM21:20です。
PM21:30に石井舞ちゃん達も寝床へと歩みを進めました。3名は石井舞ちゃんを真ん中にして、セミダブルベッドの上で川の字になって眠りに就きました。しっかり遊んだ女児は非常に深い眠りに落ちていたと思われます。
石井舞ちゃんを最後に確認したのは母
PM22:30に、母親が2Fの玄関をしっかりと施錠し、石井舞ちゃん達の様子を伺う為にこども部屋に歩みを進めました。ぐっすり眠っている女児達を確認した後、点いたままの電気を消して毛布を掛け直しました。
日常の一コマといった何の変哲もない行為ですが、まさにこの瞬間が娘を見た最後になる等とは思いもしなかった筈です。
その後、2Fにあった洗面所を使用中、1Fの玄関扉が開く音がしたので、確認するとKが南の方に歩いて行く姿が見えました。しかしコンビニにでも出掛けたのだろうと特に気に留める事もありませんでした。
入浴中の気になる出来事
母親は他人の小児が泊まっている為に、施錠は厳重にする必要があると考えて2Fの玄関はきちんと施錠した上で1Fに下りて入浴を始めました。
すると、母親は入浴中に1Fの玄関扉が開く音と誰かが2Fへと階段を上る音を聞きました。それがPM22:45の出来事です。
しかし、母親は祖父と祖母がカラオケに出掛けた事を知らなかったので祖父と祖母だと思って特に気にしませんでした。
入浴後は普段通りの日常
入浴後のPM23:10に母親は、2Fの父親と石井舞ちゃんの弟達が眠る寝室へと足を運びました。その後1時間程寝付く事が出来ず、寝室の扉を開けたまま横になっていました。
扉が開けっ放しの為、この時間に誰かがこども部屋に近づいて行こうものなら母親が気付く筈なので、このタイミングで何かしらの変化は無かったものと思われます。
事件当時夜に不審行動をした人物が?
その日、一番怪しい動作をしていたのが従業員のKです。彼はPM22:30に友だちと連絡を取る為に、石井家の南側の公衆電話にへと歩いて行きました。この姿は先程お伝えしたように母親に目撃されています。
彼はその友だちに会う為に郡山まで自分の車で出向くつもりだったのですが、バッテリーが上がっていて動きませんでした。Kは仕方なく周囲をブラついて時間を潰しました。実はこの動作は非常におかしい事なのです。
そもそもKの車は以前から故障しており、普段は社用車を使用していたのです。Kは当然車が動かない事は知っている筈であり、無駄と思える事をわざわざしていたのです。
郡山へ
さらに時間を潰した後、再び自分の車のエンジンを起動しようと挑戦するのです。当然エンジンが起動する事はありません。
諦めたKは電車で郡山へ向かう為に最寄駅まで出向いたのですが、駅に着いた後で既に最終電車が終わっている事を知ります。
途方に暮れたKは結局タクシーで郡山へ向かったのですが、結局その友だちが現れる事も無く、デパート前のベンチで朝まで軽く睡眠を取った後に始発電車で戻ってきました。
深夜2時に祖父母がカラオケから帰宅
日付が変わった25日のAM2:00にカラオケから戻った祖父と祖母はいつもと様子が違う事に不安を覚えます。1Fの玄関扉が無施錠のままになっていたのです。そしてKの姿が何処にもない事に気付きます。
そして祖母がその事実を父親に伝えたのですが、また明日聞くといって再び眠りについたのです。普段のKのふるまいから考えて、そこまで不思議な行為ではないと考えたのでしょう。
父親の様子からあまり心配する事はないと感じた祖母もそのまま寝床に歩みを進めました。
「舞ちゃんがいない」朝5時半に事件が発覚
AM4:30、出勤の為に起床した父親が少し奇妙な感覚を持ちます。いつもはきちんと施錠されている2F玄関扉から少し隙間が見え朝日が差し込んでいるのに気付きます。
そしてAM5:30に、起きてきた石井舞ちゃんの友だち2名の口から石井舞ちゃんの姿が何処にもない事を告げられます。
父親はどうせかくれんぼでもしているのだろうとあまり深く考えていませんでしたが、母親は即座にKに疑いの目を向けました。
警察へ通報
結局何処を捜しても石井舞ちゃんの姿を見つける事が出来ず、直ぐに警察に届け出ました。程無くしてAM6:30にKは帰宅したのですが、警察の聴取では石井舞ちゃんの事は知らないと供述しています。
警察による現場検証の結果、現場となった石井家に残されていた指紋や足跡は、家族やその日訪れていた関係者のものだけでした。この為、内部の犯行であると思われています。
警察が事件の捜査を開始した
警察は威信を懸けて捜査に当たりました。警察官や地元の消防団等を総動員して石井舞ちゃんの捜索をしたのですが、その数はなんとのべ3,900名にも上ります。捜索個所は半径6kmを重点的に6370ヶ所に及びました。
並行して実行した聞き込み捜査では、一般住宅470世帯の2500名、同業者等490名、通行車両250台、通行人50名もの膨大な数に上りました。
対策本部設置、公開捜査へ
それでも有力な情報を得る事が出来ず、顔写真を公開する事で広く目撃証言を集める為に公開捜査に切り替えました。
また、県警本部と所轄の三春署は対策本部を設置して捜査に当たりました。消息不明で対策本部が設置されたのは、福島県警史上初の出来事でした。それほどまでに警察は威信を懸けて懸命に捜索に当たったのです。
石井舞ちゃん行方不明事件の関連人物
石井舞ちゃんの消息が途絶えた事に、何かしら関係のある人物についてその日何をしていたかをお伝えします。
関連人物①:父・石井賢一さん
石井舞ちゃんの父、賢一さんは37歳で建設会社の専務を務めていました。建設業の朝は早い為に、夜は少しの晩酌の後、早く床につくといった生活です。
父親は生活の荒れていた姪を引き取る等、大変面倒見の良い人柄で頼り甲斐のある男性です。
業務への姿勢もとても真面目で、当日も早々に晩酌を済まし、PM21:00には石井舞ちゃんの弟2名を連れて布団に入りました。
関連人物②:母・石井ヨシ子さん
石井舞ちゃんの母、ヨシ子さんは27歳でした。19歳の時に石井舞ちゃんを出産した為まだまだ年齢の若い母親で、3名の娘と息子を必死に育てていたのです。
当日に石井舞ちゃんに毛布を掛けたのが、可愛い我が子を見た最後になってしまうなんて想像だにしなかった事です。
関連人物③:弟・6歳と1歳
石井舞ちゃんには2名の弟がいるのですが、当日はPM21:00には父親と共に布団に入りました。遊び疲れていたので良く眠っていた筈です。
関連人物④:石井舞ちゃんの祖父母
石井舞ちゃんの祖父と祖母はカラオケが大好きな夫婦です。この出来事が発生した際、祖父は73歳、祖母が69歳でした。当日もカラオケにタクシーで向かう等アクティブで社交的な老夫婦です。
関連人物⑤:石井賢一さんの姪
姪は17歳でした。石井家で暮らすようになった経緯は、彼女が中2の時に父親と母親が離婚し、荒れた生活を送っていた事が原因です。石井家には更生の意味で引き取られた形です。
しかし、更生してほしいと願った父親の心とは裏腹に、暴走族の仲間になる等、生活にさほどの変化は見られませんでした。その暴走族の中でKと知り合い、交際する事になったのです。
石井舞ちゃんの消息が途絶えた当日、彼女は旅行に出掛けていて不在でした。
関連人物⑥:石井賢一さんの姪の彼氏K
Kは20歳でした。Kは姪と付き合っていた為に、それがきっかけとなって父親の勤めていた建設会社で働く事になりました。その為石井さん宅に転がり込んで生活をしていました。
Kは非常に素行が悪く、その事でしょっちゅう父親に叱られていたようです。まともな考え方であれば素直に注意を受け入れるべきなのですが、注意を受けて余計に反発していた可能性もあります。
関連人物⑦:石井ヨシ子さんの友人の子供2人
当日は小学4年生と2年生の2名も泊まりに来ていました。この2名は母親の友だちの娘です。もちろん石井舞ちゃんと母親の友だちの娘2名は友だち同士です。
当日の夜はこども部屋のセミダブルベッドの上で石井舞ちゃんを真ん中して川の字の状態で眠りにつきました。
石井舞ちゃん行方不明事件で真っ先に疑われたK
ここまで記事を読んでいただいた方はピンときたかと思いますが、石井舞ちゃんの消息が途絶えた件で真っ先に疑われた人物がいます。当たり前の事ですが、姪の彼氏であるKです。
当日の行動はもちろんですが、それ以外にもKが犯人として疑われる原因となった件が数多ありますのでお伝えします。
父・賢一さんへ恨みや素行の悪さ
当日は本来であればKは彼女である姪と旅行を楽しんでいる筈でした。それを父親に仕事を入れられ、旅行をキャンセルさせられた事で少なからず恨みを持っていた筈です。
元来、父親とKは不仲でした。Kは補導歴もある問題児で、しょっちゅうシンナーを吸っている救いようの無い人間だった為に、父親でなくてもあまり良く思わない人の方が多いでしょう。
シンナーを吸っては父親にひどく叱られる事も良くありました。悪い事をしているので叱られるのは当たり前ですが、この手のタイプの人間には分からずに一方的に恨んでいた可能性もあります。
事件当日にもシンナー
当日もシンナーを吸っていた事や、先に記載した通り家を不在にしていた事など、客観的に見ても一番怪しい人物であった為に警察にも一番に疑いを掛けられて、当日に事情聴取を受ける事になりました。
アリバイ証明で2週間の取り調べの後に釈放
しかし、Kは2週間の取り調べを受けた後に釈放されています。殆どの人がKが犯人だと疑って止まない状態だった為、釈放された事実は俄かに信じ難い事でした。釈放の理由はアリバイが特定された事です。
当日、郡山に向かったKは友人と会えずに、仕方なく始発までデパート前のベンチで過ごしました。この時にKはキャッチに声を掛けられたと供述していますが、実際に声を掛けたキャッチの存在が判明したのです。
また、郡山までKを乗せたタクシーの運転手の存在も判明しています。この2名の証言によりKのアリバイが特定されて釈放される運びとなりました。
石井舞ちゃん行方不明事件の疑惑
石井舞ちゃんの捜索が進むうちに、発見の糸口に繋がりそうな事実が浮き彫りになりました。警察より公開された情報を幾つかお伝えしていきます。
石井舞ちゃんの自宅近くに白い車
石井舞ちゃんの消息が途絶えた当日のPM23:00頃、石井さん宅から少し離れた場所で不審な白い自動車が目撃されています。不審車はまるで故障車のようにボンネットを開けたまま停まっていたそうです。
不審車が停まっていた位置は、石井家の玄関が良く見える位置でした。翌朝になると不審車は何処かへ移動したのか、忽然と消えていました。
この不審車両が何かしら失踪に関わっている可能性があった為に近辺の住宅を捜索したのですが、一致する不審車を所有している住宅はなく、該当車両の発見には至りませんでした。これは犯人に関係する車の可能性もあります。
警察犬が玄関先で止まった
警察は捜索に当たり、警察犬も導入しています。しかし警察犬は1Fの玄関前で立ち止まってしまい、それ以上追う事はありませんでした。玄関前で石井舞ちゃんの臭いが途切れてしまっていたのです。
これは、1Fの玄関前から車のようなもので連れ去られた事を意味しています。目撃された不審車が何か関係している可能性もあります。
泊まりに来ていた子供2人の証言
泊まりに来ていた2人の友人が非常に興味深い話をしています。それは事件が発生した日に夕方にTVゲームをして遊んでいた時に、Kが石井舞ちゃんに「夜12時に一緒に出掛けようよ」と誘っていたと訴えたのです。
他にも、「女の人が石井舞ちゃんを呼んでいて連れて行った」「寝室に男の人が入って来て石井舞ちゃんと話しをしていた」と訴えています。しかし子供の訴えという事であまり警察は相手にしませんでした。
しかし、石井舞ちゃんの消息が途絶えた件で、犯人を目撃した可能性が一番高いのは泊まりに来ていた友人の2人の筈です。連れ去られた時も横で寝ていた為に何か異変に気付いていた可能性も大いにあるのです。
釈放後にKが発した不可解な言葉
2週間にも及ぶ事情聴取の後、釈放されたKは不可解な言葉を残しています。ようやく自由となったKは釈放後に姪と早速シンナーを吸っていた事が分かっています。
そしてKは「みんなが捜しているところに石井舞ちゃんはいない」と含みを持たせた発言をしたようです。その言葉を素直に受け取ると、犯人のみが知っている発言のように思われます。
しかし、その言葉を発した事を本人は認めていません。日常的にシンナーの常習者であった為に幻覚を見る障害もあり、どうしても信用性に欠けてしまい、突き詰める事は不可能だったようです。
石井舞ちゃん行方不明事件のその後
石井舞ちゃんの消息が途絶えてしまった件ですが、早期の発見には至りませんでした。石井舞ちゃんの消息は途絶えたまま、無駄に時が経ちました。消息が途絶えた後、どういった出来事があったのかお伝えします。
父・石井賢一さんはKを強く疑い監視
石井舞ちゃんの消息が途絶えて半年、警察などの必死の捜索の甲斐もなく有力情報なども途切れてしまい、捜索は暗礁に乗り上げました。当然警察も時が経つに連れ、捜索に割ける人員も減らさざるを得ません。
そこで父親は石井舞ちゃんを自力で見付ける為に会社を畳む事を決意します。当時勤めていた従業員の再就職先が決まってから実行したところが、父親の人柄を如実に表しているようです。
Kを徹底的に尾行
父親は犯人はKで間違いないと確信していた為に、昼夜問わずKを徹底的に監視する事にしたのです。車で寝泊まりをしながらずっとKをマークし続けました。
尾行当初はKに気付かれないように見張る形を取っていましたが、いつしか尾行している事をアピールするかのようにぴったりとKを尾行してプレッシャーを与えるようになりました。
Kの家の周りに敢えて情報提供を呼び掛けるポスターを貼ったりもしました。しかし、石井舞ちゃんに繋がるといった事は何も出て来ずに、父親はKの顔を見る事が嫌になり尾行を止めてしまいました。
ホットラインにはいたずら電話や宗教勧誘が絶えなかった
消息が途絶えてから7カ月が過ぎて情報提供が少なくなってきた為に、石井さんは自宅に情報提供を受ける為の専用ホットラインを敷きました。石井舞ちゃんを見つける為に藁をも掴む思いで情報提供を呼び掛けたのです。
しかし世の中には心無い人々も多くいて、石井さん一家を苦しめる悪戯電話を掛けてくるケースも多くあったのです。
石井家を悩ます許し難い電話
人の弱みにつけ入るといった宗教からの勧誘電話も数多く掛かって来て、断ると「呪われてしまえ!」といった捨て台詞を吐かれた事もありました。
また、石井舞ちゃんの遺体が埋まっている場所を知っているという電話を受けて、実際にその場所を掘り起こした事もありました。さらに無言電話や「おかあさーん」といった子供の声真似をするなどの許し難い電話もありました。