小林遼とは?新潟小2女児殺人事件の犯人!
皆さんは『小林遼』という人物をご存じですか、彼が有名になったのはつい最近のことなのです。有名になったとはいっても決して良い意味、良いことではありません。
2019年(令和元年)現在から1年前の平成30年の5月某日に、まだ6歳7歳くらいの小学2年の女児が連れ去れてしまい命を奪われてしまうという凄惨な悲劇が起きてしまいました。
その悲劇は『新潟小2女児殺人事件』として知られており、彼はその事件を引き起こした張本人、犯人なのです。詳しい犯行内容、所業については後程詳しく解説していきます。
小林遼の生い立ち
まずは『小林遼』という卑劣な男が、どんな人物であり、どんな人格者なのかについて迫っていきます。僅か6歳7歳の幼気な少女の命を奪った犯罪者はこれまでにどんな道を歩んできたのでしょうか?
これから語る過去、経歴、生い立ちについては何一つ問題が無く、言ってしまえばありふれた人間と何ら変わりないのです。表向きにはごく普通の人柄でありますが、確かに彼には大きな『問題』がありました。
こちらではその問題が垣間見えることはないでしょうが、人の命を奪う極悪人が身近に潜んでいるという危険を痛感していただいて、今一度日本の現代社会の治安、犯罪について向き合いましょう。
小林遼の生い立ち①三人兄弟の真ん中に生まれる
『小林遼』は年齢から逆算すると2019年現在から24年前の平成7年に誕生したと考えられます。家族は母親と父親、そして彼よりも数年先に誕生した姉、彼の数年後に誕生した弟がいました。
つまり彼は3人姉弟の『真ん中』に生まれました。もしかすると姉、弟という構成は彼の人格、嗜好に影響を及ぼしたかもしれません。家族は全員で5名おり、彼の家族についてはあまり深く語られていません。
そこから恐らくは家族、家庭に何か『問題』があったわけではないでしょう。事件が明るみになり、マスメディアが押し寄せた際には弟が向けられたマイクに応じて、心境を語り証言しました。
小林遼の生い立ち②被害者と同じ学校に通っていた
『小林遼』に目を付けられてしまい、最期には命を奪われてしまった幼気な女児は、彼が生活する住まいと非常に近い場所に住んでいたのです。
何の罪もない幼気な女児が犠牲となってしまったのは、たったそれだけの理由だったのかもしれません。更に被害者の女児が生前通っていた小学校は、彼の母校であり卒業生(OB)だったのです。
すなわち同じ学校に通っていたという『共通点』がありましたが、これも結局は生活する住まいが非常に近かったためだと考えられます。
小林遼の生い立ち③近所では礼儀正しいと評判だった
『小林遼』が検挙されたのは20代前半、会社員でしたが1人暮らしなどはしたことが無く、その当時も実家で生活していました。そのためかご近所さんとはかなり身近な存在で彼を多くの人物が認知していました。
警察、報道陣などの取材、聞き込みを受けたご近所さんの多くは口を揃えて、彼の事を『ごく普通』の人と称していて、表向きでは極悪人、犯罪者とは無縁の人柄だったそうなのです。
どうやらすれ違えば爽やかに愛想よく挨拶をして、また礼儀正しい振る舞いをしていたらしいのです。そんな真面目そうでどこから見ても健常者の様な人物が、悍ましい所業をしたのですから、末恐ろしいものです。
小林遼の生い立ち④電気工事関係の仕事をしていた
先ほど『小林遼』はその当時、去年の5月に検挙される以前までは『会社員』であったと解説しましたが、どんな仕事に就いていたかについて少し詳しく言及していきます。
会社員でありますから、派遣社員、アルバイト、個人事業主ではないわけで、彼はいわゆる『電気工事』関連の職に就いていました。どういった仕事内容かは彼が取得している『資格』によって左右されます。
電気工事とはいっても多くの作業、労働内容を総称されていますが、恐らくはビル、住まい、電柱などの建造物に必要な電気を供給するための媒体を取り付けたり、メンテナンスするものでしょう。
小林遼の生い立ち⑤職場では真面目に仕事をしていた
勤怠状況などはどうだったのでしょうか?これまでの表向きな経歴から何一つ問題がないことを踏まえた、大方の予想通りやはり職場でも一切問題がない会社員だったようです。
電位工事の企業の代表取締役、社長が事件の後にマスメディアにマイクが向けられて『小林遼』について語りました。その社長曰く、職場ではひたむきに真面目に働いていたらしいです。
ここまで彼の過去の生い立ち、経歴、生まれなどについて簡単に語っていきましたが、特に問題点は見受けられませんでしたよね。『小林遼』とよく似た犯罪者に関する記事はこちらです。是非合わせてご覧ください。